『図書』2025年8月号 目次 【巻頭エッセイ】美輪明宏「ナガサキを憶う」
公害と戦後日本、そしてこれから……廣瀬美佳
予備校にみる、社会の変化……津田好美
テレビドラマ『若者たち』の問い……濵田研吾
雑誌を後ろから読んだ頃……南陀楼綾繁
何が家庭料理を変えたのか……阿古真理
パーマネントの戦中史とその後……富澤洋子
高度経済成長が育てた「戸棚の革命」……串間努
人の心の中を覗く……大迫惠美子
弔いの戦後80年……問芝志保
誰かの心の止まり木になる本屋……大和田佳世
ショーロホフ『静かなドン』と「本物」の共同体家族……鹿島茂
八月は怪談……のはずが……柳家三三
八月、波間に躍る巨大な影……円満字二郎
深い河ほど静かに流れる……中村佑子
こぼればなし
八月の新刊案内
[表紙に寄せて]心臓と海/暁方ミセイ
昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市。わたしは夏休みの宿題で万寿姫の絵を描いていました。絵の出来をみてみようと、椅子から立って2、3歩退った、その時──
ピカッ‼ マグネシウムを百万個焚いたような閃光。続いて、後にも先にも経験したことのない空恐ろしいような静寂。こんな天気の日に雷なんて──、次の瞬間、世界中の雷を集めたような、凄まじい爆音が轟き渡りました。慌てて外に飛び出してみると、人も馬も熱線・爆風に焼かれて、斃おれていました。戦争の終わりを知らされたのはその6日後です。
生家のカフェーには畳敷になったショーウィンドウがあり、そこへボロボロになった矢絣の着物を引き摺った女の人がやってきました。聞き取りづらい声で「水をください」という。手が焼け爛れているので、土瓶に水を汲んで、直接口へ注いであげました。すると「ありがとうございます」と、まだ子どもだったわたしを何遍も何遍も拝むのです。
それから時をおかず、女の人は事切れました。文字通り、末期の水でした。あの悪魔の閃光から80年の年月が過ぎました。
(みわ あきひろ・歌手、俳優)
〇 1945年8月の敗戦から80年の年月が経過しました。本号では、美輪明宏さんの巻頭言から始まる「戦後80年」特集を組んでいます。
〇 占領期から独立を経て、高度経済成長へと向かう時代とその終焉。昭和から平成へ。バブル経済の崩壊。冷戦後の新しい世界秩序と「失われた30年」。そしてこれから……。大きな苦しみも伴ってきた80年間の暮らしの風景、娯楽、メディア、風俗文化の諸相に光を当て、変化を見つめてみました。
〇 世代が替わるにつれ多様化する価値観と、変動する経済・社会構造。日本においても、この80年でたとえば料理と食事、受験勉強、葬送など、人生における基本的な営みでさえ、定義や概念じたいが揺らいできたことがわかります。特に近年の生成AIの席巻ぶりには驚くばかり。「故人そっくりに語るAI」との対話(問芝志保さんエッセイ)、予備校が生き残りをかける「AIチューター」の利活用策(津田好美さんエッセイ)がその好例でしょう。
〇 読者の皆様は、ご自身の越し方と重ね合わせながら、どの視点や切り口に関心をもたれ、どのように読まれましたか。
〇 池澤夏樹さんの『一九四五年に生まれて──池澤夏樹 語る自伝』(聞き手・文 尾崎真理子、7月刊)が反響を呼んでいます。「一九四五年の夏に生まれたので、敗戦後の年月がそのまま人生の時間」である作家は、「ぼくの思い出話なんて、誰も興味を持たないだろうと思っていましたよ。でももうすぐ八十歳だから少しは話してもいいかと」とはぐらかしつつ、人生と創作のすべてを縦横に語ります。
〇 様々な意味での「移動」の来歴をめぐっては、世界各地への旅と移住の経緯はもちろん、自らを「野球なら遊撃手」だと喩える作家としての視点の移動や、視座の構え方のお話に興味深く惹きつけられました。「何かに集中しかける時にスッと逸らす、相対化する、あるいは異化作用を用いるというふうにして考え、それで文章を書いてきました。未来に向けて何から始めればいいのか、それもずっと探していたのだと思う」。「守備範囲は広くて横に動く、そういう落ち着きのない、動きの多い生き方をしてきました。Aと言われると、そうだろうけどA’かBかもしれないよ、と反論を差し出すんです」(以上、引用は同書プロローグより)。
〇 同じく7月刊では、1975年生まれの平野啓一郎さんによるエッセイ・批評集成『文学は何の役に立つのか?』が話題です。大江健三郎、瀬戸内寂聴、古井由吉、ドナルド・キーンといった、自身に近しい文学者への追悼を含め、文学の力と可能性を根源から問います。8月に出る平野さんの岩波新書『あなたが政治について語る時』も、あわせてお読みいただけますよう。