第11話 「この計畫には體系がない」
岩波文庫について知る上で大いに参考になる資料の一つに雑誌『文庫』がある。これは1951年に発足した「岩波文庫の會」の機関誌として月刊で発行されたもので、1960年末まで続いた。この雑誌については、回を改めて詳しく眺めるつもりなのでそちらに譲るとして、ここで見ておきたいのは、同誌に連載された「岩波文庫略史」第1回に書き留められたエピソードである。
岩波書店では、計画を立てる際、信頼する多くの著者から充分に意見を聞く習わしがあったという。岩波文庫を始める際にも意見を聞いて回ったところ、「東京や京都の著者たちは割合に早く賛成したが、仙臺の諸先生は頑强に賛意を表さなかった」と記されている。特に誰という名前は挙がっておらず、確たることは不明だが、仙台には1907年創立の東北帝國大学(戦後に東北大学と改称)があり、岩波文庫創刊前夜の1920年代半ば頃には、岩波書店創業者・岩波茂雄の一高時代からの友人で『三太郎の日記』で知られる阿部次郎(1883―1959)や小宮豊隆(1884―1966)などの漱石と縁のある人びとや、岩波書店から東北帝國大學編『金屬材料の研究』(1922)を刊行した本多光太郎(1870―1954)などがいた。
ところで、「仙臺の諸先生」は岩波文庫の企画になぜ不賛成だったのか。これも「岩波文庫略史」によれば、その理由の一つは「この計畫には體系(たいけい)がない」ことだったらしい。この「體系」が何を指すのかは、この文章だけでは判然としないが、「體系」や「體系性」という言葉は、明治中頃から昭和にかけての学術書でよくお目にかかる言葉でもある。
日本語としてはおそらく比較的新しいもので、言葉の歴史的用例を載せている『日本国語大辞典』では、「体系」の最も古い用例として『改訂増補哲学字彙』(1884)の「System 系、統系、門派、教法、制度、法式、経紀、体系、教系」という文が引いてある。英語やドイツ語のSystem、フランス語の Système などは、古代ギリシア語のシュステーマ(σύστημα)に由来しており、「複数要素をまとめたもの」というのが原義だった。例えば、複数の惑星からなるまとまりを指して「太陽系(solar system)」と呼ぶのを思い浮かべるとよい。「体系」や「系」といった語は、そうしたSystemというヨーロッパ諸語を訳した造語だと思われる(詳しくは、阿久津智「「体系」という語について」、『拓殖大学日本語教育研究』〈第6号、2021〉を参照されたい)。
実際、明治期以降に翻訳移入されて日本の学術にも大きな影響のあったドイツの哲学や心理学をはじめ、美学、経済学、法学、自然科学などの各方面の本で「体系」「体系性」「体系化」という語が目につく。「理論体系」、あるいは「ヘーゲルの哲学体系」とか「ヴントの心理学体系」といった表現も少なくない。ヨーロッパに由来する諸学問で「体系」とは、知識がバラバラにあるのではなく、あるまとまりをもった状態を指しているように思われる。体系化された知識を学問(science)と呼ぶのだと言ってもよい。もう少し言えば、知識は別の知識に根拠づけられるというかたちで関係しあっていて、そのつながりを根っこの根っこまで辿れば、文字通り根本をなす原理があるという次第。例えば、各種の学問の教科書を覗いてみると、その学問領域に関わる知識や原理などが、順序立てて並べられている様子が目に入る。
岩波文庫に戻れば、「體系がない」とは、そうしたまとまりに欠け、バラバラの本の寄せ集めではないか、といった懸念だったとも考えられる。たしかに創刊当時の書目(本連載第41話参照)を眺めると、そこに集められた本がなんらかのまとまりを成しているようには見えない。とはいえ、創刊時は喩えるならジグソーパズルのピースをいくつか並べたようなもので、全体像(体系)を求めるのはいささか酷な話ではある。「岩波文庫略史」の著者も「はじめから體系的にしなくても、やがて非常に數が多くなった時、自ら體系的なものが出來るというわれわれの見解は、まだまだ實行する前であったから、單なる空言にしか見られなかったのであろう」と述べている。
古今東西の学術の歴史を大きく眺めてみると、いまでは失われたり忘れられたりした本や知識、あるいは後に間違っていたことが明らかになって顧みられなくなった理論や仮説が山を成している。あるいは現代では、無数のと言いたくなるほど厖大な学術論文の類が日々生み出されており、もはや誰にもその全体を見ることはできなくなっている。ましてやインターネットに画像や動画その他の各種のデータが溢れていて、利用する側がなんらかのモノサシや見立てで篩にかけなければ用を為さないほどだ。
「体系」といえば、なにやら大袈裟に聞こえるかもしれないが、あるものの見方によって取捨選択して編まれたひとまとまりのものをそう呼ぶとすれば、限られた時間しか持たない私たち個々の人間にとっては、存外重要な物事の捉え方ではないだろうか。
それはさておき、かつて「体系」を気にかけた人たちが、それから百年近くが経って、古典名著の一大叢書となったいまの岩波文庫を見たらどのような感慨を抱くだろうか。
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)
[『図書』2025年10月号より]