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山本貴光 岩波文庫百話

第12話 時代とともに変化する

 岩波文庫くらい息の長いシリーズになると、同じ本でも時代とともに更新されて変わってゆく。

 まず目に入る外見のほうからいけば、造本や装幀の変化がある。時代ごとの岩波文庫を並べてみると、高さ、スピンの有無、帯のデザイン、紙質、カバーの有無などいくつかの違いに気づく。

 他方で今回注目したい内容のほうはどうか。岩波文庫全体でもっとも多いと思われるのは「改版」である。「改版」とは、文字通り版を改める、つまり本を印刷するもととなる原版を新たにすることを指す。改版には、紙面の見た目の変化という側面もあるが、同時に印刷される内容の変化も伴う。

 いまでは印刷するための原稿をコンピュータの画面上で編集したり修正したりすることが多いので、かえって想像しづらいかもしれないが、創刊当時の岩波文庫は活版印刷でつくられていた。活版印刷では、文字の形を鋳造した金属活字を組み合わせて版をつくり、その版にインキを塗って紙にプレスする。活字を組んだ版、すなわち「活版」という次第。活版で刷られた本は、紙の表面に活字を押し当てた際の凹凸が残るので、ページをめくる手指にも楽しい。

 それはさておき、活字は印刷を繰り返すうちに摩耗して、徐々に印刷物の文字がかすれるようになる。これについては思い出される一節がある。

 スタンダールの『アンリ・ブリュラールの生涯』(上下巻、桑原武夫、生島遼一訳、赤526−9〜10、1974)は、作家が幼少期からの体験を綴った自伝で、それぞれの時期にどんな本を読んだかや印刷に関する偏愛についても端々に語られていて、読書遍歴の書としても楽しめる。この本に、彼が30代半ば頃の出来事として、当時夢中になっていたキュブリーという女優についての思い出が記されている。彼女の名前が載った広告を見るだけで喜びを味わえるというので、「この広告をつくった悪い印刷屋のすこし摩滅した活字が私には愛しいもの、神聖なものになった」と、ともすれば嫌がられるかすれた印刷さえも好きになったというのは微笑ましくもある。

 活字が摩滅して、なおも印刷するなら版を改めねばならない。例えば『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、青12−1、1933)巻頭の校訂者による「解題」には次のように記されている。

 「二宮翁夜話版を重ねて型版摩滅に及んだ。依て版を新にするに際し續篇の追加を企てた所、紙數約二割の增加となつた。依て字行を密にし全部改刷をすることとなつた」

 これは1941年に同書の改版を出すにあたって追加された文章で、ご覧のように「型版摩滅」とある。かつてはこうした物理的な原因から改版されることがあった様子が窺える一文としてご紹介しておきたい。この二宮翁とは、江戸後期の農政家、二宮尊徳(1787―1856)のことで、同書は門人だった福住正兄(1824―92)が師の教えを書き留めた本だ。尊徳といえば、かつては薪を背負いながら読書する銅像を小学校などで見かけたものだけれど、いまでも子供たちに二宮金次郎と言えば伝わるだろうか。その虚実は別にして、これもまた門人の富田高慶(1814―90)が、働きながらの読書を含む師の逸話をあれこれ書いた二宮尊徳伝『報徳記』も岩波文庫で読める(青45−1、1933)。

 ところで、右の引用で佐々井信太郎が記しているように、改版では文章が追加されたり、ものによっては作品が入れ替えられたりすることもある。最近の例では、2025年8月の新刊として刊行されたラフカディオ・ハーン作『骨董――さまざまの蜘蛛の巣のかかった日本の奇事珍談』(平井呈一訳、赤244−3)がある。日本の古い物語をもとに、これを英語に翻訳というよりは翻案した「古い話」と随筆を集めた作品集だ。

 同書の初版は1940年発行で、本文は旧字旧仮名遣い。例えば、「伯耆國黒坂村の近くに、幽靈瀧といふ瀧がある。なぜその瀧が幽靈瀧といはれてゐるのか、わたくしはその故を知らない」(「幽靈瀧の傳説」)という調子で、ハーンの作に平井呈一訳で親しんできた私などは、この表記がしっくりくる。この旧版では、作家名は「ラフカディオ・ヘルン」で副題はない。このたび改版された新しい版では、漢字を新字に、かなは現代かな遣いに変更されている。また、一行あたりの文字数は旧版の43文字に対して39文字と、すこしゆとりをもたせてある。と、細かく見てゆくと他にもいくつかの違いがあって、面目を新たにしている。

 さらにはうれしいことに新版に、作家の円城塔による解説が加えられている。15ページにわたるその文章は、「ギリシャ生まれの人物がアイルランドで教育を受け、アメリカで頭角を現し、日本へ渡り、配偶者からの聞き書きを日本の物語として英語で出版し続けた」ハーンの文学は、さてどこの文学と言えるのだろうかと、割り切れない存在である点に注意を向けるところから出発して、複数の言語や文化の境界をまたいで活動した作家の姿を見事に捉えている。円城塔は自身も『怪談』(KADOKAWA、2022)を訳しており、英語を母語とする者が英語の読者へ向けて語る日本の話という状況を踏まえた斬新な訳を提案している。

 これは一例だが、改版とは物理的に版を新しくするだけでなく、内容も変化していることがお分かりになると思う。コンピュータのアプリに喩えるなら、現代日本語環境に合わせたアップデートが施されるようなものだ。

 岩波文庫全体で見ると、時期や分野によって濃淡はあるものの、改版されている書目は少なくないようだ。私が目にした範囲で、最も改版が多いのは、夏目漱石『坊っちゃん』の6回で、初版を合わせると7版ある勘定。『岩波文庫解説総目録1927~2016』によれば、初版は1929年で、以後、1935、1938、1943、1953、1967、1989と改版を重ねているようだ。

 この他に重要な変化として、翻訳もあるのだが、別の回で述べることにしよう。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2025年10月号より]

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 岩波文庫について知る上で大いに参考になる資料の一つに雑誌『文庫』がある。これは1951年に発足した「岩波文庫の會」の機関誌として月刊で発行されたもので、1960年末まで続いた。この雑誌については、回を改めて詳しく眺めるつもりなのでそちらに譲るとして、ここで見ておきたいのは、同誌に連載された「岩波文庫略史」第1回に書き留められたエピソードである。

 岩波書店では、計画を立てる際、信頼する多くの著者から充分に意見を聞く習わしがあったという。岩波文庫を始める際にも意見を聞いて回ったところ、「東京や京都の著者たちは割合に早く賛成したが、仙臺の諸先生は頑强に賛意を表さなかった」と記されている。特に誰という名前は挙がっておらず、確たることは不明だが、仙台には1907年創立の東北帝國大学(戦後に東北大学と改称)があり、岩波文庫創刊前夜の1920年代半ば頃には、岩波書店創業者・岩波茂雄の一高時代からの友人で『三太郎の日記』で知られる阿部次郎(1883―1959)や小宮豊隆(1884―1966)などの漱石と縁のある人びとや、岩波書店から東北帝國大學編『金屬材料の研究』(1922)を刊行した本多光太郎(1870―1954)などがいた。

 ところで、「仙臺の諸先生」は岩波文庫の企画になぜ不賛成だったのか。これも「岩波文庫略史」によれば、その理由の一つは「この計畫には體系(たいけい)がない」ことだったらしい。この「體系」が何を指すのかは、この文章だけでは判然としないが、「體系」や「體系性」という言葉は、明治中頃から昭和にかけての学術書でよくお目にかかる言葉でもある。

 日本語としてはおそらく比較的新しいもので、言葉の歴史的用例を載せている『日本国語大辞典』では、「体系」の最も古い用例として『改訂増補哲学字彙』(1884)の「System 系、統系、門派、教法、制度、法式、経紀、体系、教系」という文が引いてある。英語やドイツ語のSystem、フランス語の Système などは、古代ギリシア語のシュステーマ(σύστημα)に由来しており、「複数要素をまとめたもの」というのが原義だった。例えば、複数の惑星からなるまとまりを指して「太陽系(solar system)」と呼ぶのを思い浮かべるとよい。「体系」や「系」といった語は、そうしたSystemというヨーロッパ諸語を訳した造語だと思われる(詳しくは、阿久津智「「体系」という語について」、『拓殖大学日本語教育研究』〈第6号、2021〉を参照されたい)。

 実際、明治期以降に翻訳移入されて日本の学術にも大きな影響のあったドイツの哲学や心理学をはじめ、美学、経済学、法学、自然科学などの各方面の本で「体系」「体系性」「体系化」という語が目につく。「理論体系」、あるいは「ヘーゲルの哲学体系」とか「ヴントの心理学体系」といった表現も少なくない。ヨーロッパに由来する諸学問で「体系」とは、知識がバラバラにあるのではなく、あるまとまりをもった状態を指しているように思われる。体系化された知識を学問(science)と呼ぶのだと言ってもよい。もう少し言えば、知識は別の知識に根拠づけられるというかたちで関係しあっていて、そのつながりを根っこの根っこまで辿れば、文字通り根本をなす原理があるという次第。例えば、各種の学問の教科書を覗いてみると、その学問領域に関わる知識や原理などが、順序立てて並べられている様子が目に入る。

 岩波文庫に戻れば、「體系がない」とは、そうしたまとまりに欠け、バラバラの本の寄せ集めではないか、といった懸念だったとも考えられる。たしかに創刊当時の書目(本連載第41話参照)を眺めると、そこに集められた本がなんらかのまとまりを成しているようには見えない。とはいえ、創刊時は喩えるならジグソーパズルのピースをいくつか並べたようなもので、全体像(体系)を求めるのはいささか酷な話ではある。「岩波文庫略史」の著者も「はじめから體系的にしなくても、やがて非常に數が多くなった時、自ら體系的なものが出來るというわれわれの見解は、まだまだ實行する前であったから、單なる空言にしか見られなかったのであろう」と述べている。

 古今東西の学術の歴史を大きく眺めてみると、いまでは失われたり忘れられたりした本や知識、あるいは後に間違っていたことが明らかになって顧みられなくなった理論や仮説が山を成している。あるいは現代では、無数のと言いたくなるほど厖大な学術論文の類が日々生み出されており、もはや誰にもその全体を見ることはできなくなっている。ましてやインターネットに画像や動画その他の各種のデータが溢れていて、利用する側がなんらかのモノサシや見立てで篩にかけなければ用を為さないほどだ。

 「体系」といえば、なにやら大袈裟に聞こえるかもしれないが、あるものの見方によって取捨選択して編まれたひとまとまりのものをそう呼ぶとすれば、限られた時間しか持たない私たち個々の人間にとっては、存外重要な物事の捉え方ではないだろうか。

 それはさておき、かつて「体系」を気にかけた人たちが、それから百年近くが経って、古典名著の一大叢書となったいまの岩波文庫を見たらどのような感慨を抱くだろうか。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2025年10月号より]


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著者略歴

  1. 山本 貴光

    1971年生まれ。文筆家、ゲーム作家。現在、東京科学大学 未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学環境情報学部卒業。著書に『文学のエコロジー』(講談社)、『世界を変えた書物』(橋本麻里編、小学館)、『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社)、『記憶のデザイン』(筑摩書房)など。

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