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山本貴光 岩波文庫百話

第10話 学術系文庫の世界

 仮に1891年創刊の「国民叢書」が現代の文庫のはじまりとすると、文庫にはかれこれ130年以上の歴史があると言えそう。その間、どれだけの文庫が現れたり消えたりしたかは分からないほどだが、いまでも多くの書店には文庫のコーナーがあり、毎月のように新刊も出ている。出版科学研究所の統計によれば、年間に発行される文庫の新刊は、ピークを過ぎているとはいえ、2024年で6,000点弱を数える。同年の新刊書の出版点数が約65,000点というから、およそ9パーセント強が文庫という勘定である。

 ここでは、そんななかでも岩波文庫のように広く学術、つまり学問と技芸術方面の本を集めた文庫に注目してみよう。そうした文庫をゆるやかに「学術系文庫」と呼ぶとして、現役のレーベルには表に示したようなものがある。

山本貴光 岩波文庫百話 学術系文庫の世界

 新潮文庫や河出文庫、中公文庫その他にも、一部に学術系文庫と呼べそうな書目は入っているが、ここでは省略する。また、改造文庫やアテネ文庫、現代教養文庫なども挙げたいところではあるけれど、さしあたっては現在も続いているものに限っている。こうして並べてみると、岩波文庫以外は戦後に創刊されている様子が目に入る。

 ところで、第7話で岩波文庫を集め読んでいると述べた。岩波文庫の蒐集判読を進めるうちに、類書と言えそうな他の文庫が少しずつ目に入り、それらもできれば全点を集め読もうと思うようになった。いま挙げたのは蒐集している文庫でもある。これらの多くは、毎月何点かの新刊が出るので、それらを読みつつ、過去に刊行されたものも機会をつかまえて集め読んでいる。なかには光文社古典新訳文庫、文春学藝ライブラリー、法蔵館文庫、DOJIN文庫のように比較的近年に創刊されて、点数も多くて数百点というレーベルがある一方、岩波文庫ほどではないにせよ、講談社学術文庫のように3,000点に迫る規模のものもある。

 扱っている分野という点では、仏教書を中心とする法蔵館文庫、自然科学方面のDOJIN文庫、その名の通りアジア方面の諸言語による古典を集める東洋文庫などは、対象分野がわりと明確だ(東洋文庫はやや大きめだが、ここでは学術系文庫に入れておきたい)。他方で、岩波文庫と同じように多様な分野の本を入れるレーベルも少なくない。

 このなかで岩波文庫と大きく重なるのは、光文社古典新訳文庫だろうか。国内外の古典を新訳で提供するシリーズで、欧米やロシアを中心とする海外文学が大きなウエイトを占め、哲学をはじめとする人文・社会科学分野の書目も入っている。自然科学方面は、レイチェル・カーソン、ダーウィン、ファラデーとまだ控え気味。目下は全体で400点強が出ている。読者の立場からは、同じ本に新旧複数の翻訳があるのは、読み比べられるのでうれしくありがたい。

 DOJIN文庫やハヤカワ文庫NFを除くと、理系方面については手薄なレーベルが多い。その点、20世紀の人文・社会科学方面の準古典的な本を中心としながら、Math & Science(M&S)というレーベル内シリーズをもつちくま学芸文庫は、学術系文庫全体のなかでも目立つ存在だ。M&Sでは、2005年末の創刊以来、数学や自然科学、工学分野の本を230点近く刊行しており、他に類を見ない。デカルト、パスカル、ゲーテ、フンボルトなどを除くと、概ね20世紀以降の本が中心で、この点では古代ギリシア、16世紀から20世紀までの本で構成される岩波文庫の自然科学書(青帯900番台)と補完しあうようでもある。

 「学術をポケットに」というモットーを掲げて出発した講談社学術文庫は、各方面の専門家による啓蒙書を多く入れながら、日本や中国の古典、近年では西欧古典の新訳にも注力している。辞書・事典や、「日本の歴史」「天皇の歴史」「興亡の世界史」「中国の歴史」など、歴史方面のシリーズものの文庫版もこのレーベルの特徴といってよい。そういえば、第9話で触れた徳富蘇峰の『近世日本国民史』を、私は講談社学術文庫版で読んだが(全50巻)、これも歴史ものだった。

 角川ソフィア文庫は、角川文庫のサブレーベルで、日本と中国の古典を中心に、文学、歴史、仏教、哲学や自然科学など、各方面の本を収めている。もとの角川文庫は、角川書店の創業者、角川源義(1917―75)が1949年に創刊した。創刊当初は、ドストエーフスキイ『罪と罰』(米川正夫訳)を皮切りに海外文学の翻訳を多く揃えていた。角川源義は、折口信夫や柳田國男に師事した国文学者でもあり、ある時期までの角川書店の刊行書目にはその関心が反映されており、私の見るところでは角川ソフィア文庫にもその面影が残る。彼は岩波書店を目標としていたと言われており、角川文庫の巻末には岩波文庫の「読書子に寄す──岩波文庫発刊に際して──」に倣って書かれた「角川文庫発刊に際して」という刊行の辞が載っている。

 と、紙幅が許せば同じようにそれぞれの学術系文庫を案内したいところだけれど、いったんここまでとしよう。こうした各種の学術系文庫と並べてみると、岩波文庫の特徴もいっそうよく目に入る。手薄なところや古くなった本もあるとはいえ、古今東西と言える広がりで各分野の古典や名著をこの規模で揃えているのは、やはり老舗ならではの強みと言えようか。その様子は同文庫の全貌をまとめた『岩波文庫解説総目録』が、一種の世界古典名著事典のようになっていることからも窺える。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2025年9月号より]


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著者略歴

  1. 山本 貴光

    1971年生まれ。文筆家、ゲーム作家。現在、東京科学大学 未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学環境情報学部卒業。著書に『文学のエコロジー』(講談社)、『世界を変えた書物』(橋本麻里編、小学館)、『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社)、『記憶のデザイン』(筑摩書房)など。

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