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金 範俊/Moment Joon 外人放浪記

第1回 移民は死んだ。外人万歳〈金 範俊/Moment Joon 外人放浪記〉

放浪して、さすらってきた

 20年前に習い始めた日本語ですが、その学びに終わりはありません。最近は聖書を教材にして毎週新しい言葉に出会っていますが、その中で「さすらう」という言葉に出会いました。今まで気づいていなかったことが、言葉をまとってやっと輪郭を得て自分の前に現れる。自分が今まで「さすらって」きたことが、そのひらがな四文字のおかげで、やっとテーブルの上に置いて触って観察できる形で現れたのです。

 全ての韓国語母語話者の日本語の特徴について論じる資格はありませんが、自分に限っていうと、私の日本語にはどうしても漢語が多いのです。「さすらう」を知る前からも「放浪」という言葉は持っていて、それをもとにこの連載のタイトルと方向性を編集者と議論していたのですが、そんな中でちょうど1か月前に「さすらう」に出会ったのは、何かの導きが働いたのかも知れません。自分の日本での人生を「放浪」だけではなく、「さすらう」を通しても見直せ、という。

 韓国語で「バンラン 방랑」と読む「放浪」。「放浪」という漢語を使うことは、日本語の漢語と大部分を共有する、韓国語の漢語知識に頼る自分の言語習慣を表すと同時に、そうやって「既に知っていたもの」を土台に物事・世界・自分を理解する自分の生き方の一つの側面を象徴しているかも知れません。それに加えて「漢字」という、東アジア圏の知の基盤となるシステムを通して読み書きをすると、何か俗世や地上の汚くて慌ただしい事情から切り離された、ピュアな「概念」として物事がしれっと現れるような感覚を持ちます。まるでプラトンのイデアみたいな、より辞書的で普遍的な「理想の概念」を人の思考に届ける力が漢語にはある。そう感じるのは私だけでしょうか。

 「さすらう」は逆です。そのひらがな四文字を口の中で息を使ってこねる時、「さすらう」は自分の脳みその中の「放浪・방랑」のドアはノックせずにそのまま口の外に出ていきます。「さすらう」時、「さすらった」時に自分が踏み出した一歩一歩が音節ごとに浮かんできて、「放浪」することの本質や普遍性ではなく、あくまで「自分」の「さすらい」の経験だけが鮮明になってきます。「ほ う ろ う」という音から、または「放 浪」という二文字から、日本語が分からない(漢字文化圏の)人にもひょっとしたら伝わるかも知れないという可能性は、「さ す ら い」の前では完全に消えてしまって、「日本語・日本じゃないとありえない」という必然だけが残ります。そして最後に、なんと一か月前まではその言葉の存在すら知らなかったという、いくら生きても測り切れない日本、その見知らぬ地で、一人で何とか生きていかなければという自分の古い「さすらい」がよみがえってくるのです。

 「放浪」「さすらう」のどっちも辞書的な意味は同じだと言ってしまえばそれまでですが、些細な語感の域を超えてこの二つの言葉から派生する違いが、まるで私の考え方や生き方の両面性を表してるかのようで、笑ってしまいます。

「私は移民」と名乗るのは私だけだった

 この連載、いや、私の過去4年間の思考の大部分は、3年半前に岩波書店から出したエッセイ集『日本移民日記』が、よく言えば土台になっていて、悪く言えば足を引っ張っています。「私はあなたの外人ではない」から放つ自分のある種の「移民宣言」は、今読み直しても同意するというか、未だに「こんなのが世の中にあってほしかった」と思う文章です。「外人」や「○○人」、酷い場合は差別用語など日本社会から貼りつけられるレッテルによって削られ、枠に入れられる私(達)。私(達)の日本での人生を正しく映せない、まるで首にかけられたかのような言葉の代わりに、「移民」で私(達)を定義していくと私は決意しました。行政上の言葉でしか日本に存在しなかった「移民」を、私(達)のものとして占有することで、出身や出自を超えてこの地に生きている私(達)の経験を共有して繋がりたいという宣言。その宣言に至るまでの自分の孤独・不安・問題意識がまだ鮮明に残っているので、今考えても「移民」という概念に辿り着いたのは運命だったというか、自分に感謝したいくらいです。

 しかし、それから「移民」という言葉は日本社会でもっとよく聞こえるようになってきたのに、自らを「移民」と名乗るのは、冗談抜きでこの列島で未だ自分一人だけな気がします。何故でしょうか。「移民受け入れ」「移民解禁」など、タブロイド紙の1面に太くて大きな黄色い字で飾られる「移民」に、ネガティブな意味合いがもっと塗られてきてるから、かも知れません。しかし言葉も物と同じく、ネガティブを上回るメリットがあれば使われるはず。結局一番分かりやすい説明は、私が日本で「移民」と見なす人たちにとって「移民」は、あまり魅力のない言葉だから、です。

 「秘密裡に日本を隷属化するために」「日本の良さを壊すために」みたいなバカげた話に付き合わずに真剣に移民のことを考えると、「メリットがあるから来る」という経済論理はそれ以上すっきりするものがないくらい簡単明瞭です。この国に来る人達が望むもの、いや、世界どこでもほとんどの人が普遍的に望むもの。安定した住まい、収入、安全、余暇時間、家族を作れる基盤、基本的な衣食住の担保またはその水準の上昇、豊かな生活。日本はそれらを約束し、その代わりに労働力を提供するために人は来る。

 私はフェイスブックで、しばしば日本の現場で働く東南アジア出身のコンテンツ・クリエイターのショート動画を見かけます。日本人の妻が居て、片言の日本語でも上手に現場仕事をこなし、家族と花見に行ったりするなど、ごく平凡な生活を日本で過ごすことが憧れの対象となり、コンテンツとして消費されることは、日本の移民の特殊性を見せる一例です。The Japan Timesは、日本に移民した人たちと日本の移民研究者である是川夕さんをインタビューしたコラムで、「ジャパニーズ・ドリーム」とは、安全な暮らし、法制度や社会保障の安定性、個人の思想の自由など「アメリカン・ドリーム」などがよく描く「成功」や「階級上昇」よりはるかに素朴なものであると述べています 。別に成功や良い未来とかではなく、韓国でのつらさに耐えられなくて最初日本に逃げてきた私にも、深く響く話です。

 もちろん働いていく中でのつらさも出てくる。孤独や所属感の渇望など、衣食住を超えた欠乏ができてしまったら、それらは自国出身の人たちのコミュニティーの中で解消して、個人は豊かな生活と欲望のために働いていくだけ。「経済主体の個人」を通して移民のことを考えると、その本人たちが自分の経験や立場の普遍性を見出す必要も、それをもとに他者と繋がる必要も、特にありませんよね。同じ「移民」の枠で他の国から日本に来ている人たちについて、かつて日本で似たような立場に居た人たちについて、そして日本だけではなく世界各地で色んな時代に似たような経験をした人たちについて、別に知らなくて良いのです。経済論理で受け入れた移民が、その経済論理だけで日本で働いていくなら、我らは「外国人労働者」「○○人」であり続けて、「移民」はそう「呼ぶ」人は居ても「自称する」人は居ない、おかしな言葉であり続けても大丈夫なのです。

 しかし問題は、日本人と同様に私(達)も経済論理だけでは生きていられない「人間」であることです。私が「移民宣言」に至った理由、つまり孤独・不安・自己表現の欲求と理解の渇望などは、労働する中でどうしても出て来てしまうから解決せねばならないエラーなんかではありません。働く・支払うの経済論理を超えた、生きている人間としての条件なのです。実際にはその経済論理すらも、入管法改悪によって「永住」権が取り消されるかも知れないという、二律背反的でとんでもない状況にあり、そんなに信頼できる土台の上に立っていないことが丸見えですしね。

 だから私(達)の不安や欠乏、自己表現の欲求と理解の渇望は、豊かな生活の後に来る「余分の欲求」なんかではなく、その生活の存続自体とも直結しているのです。経済論理を超えて人間として生きていくために、自分の経験をより広いコンテクストで深く理解して、似たような立場の人たちと繋がることで喜びと苦しみを分かち合う。生活そのものが脅かされる時には団結して守り抜く。そのためにも日本で私は「移民」でありつづけますし、これからももっと多くの人が「移民」として自覚すべきだと、信じているのです。

 ですが、いくらなんと言ってもやはり大半の人にとって、それは遠すぎる話。分かります。個人化して孤立し、他者との繋がり方が分からない、またアルゴリズムによって個人の欲望を優先するようプログラムされるのは、私(達)も日本人と同様です。永住権取り消しの入管法改悪なんかに怒るには、永住権自体が遠すぎる話。そんな私(達)の前に、日本は「移民」の反対側により分かりやすい道を敷いてくれて、その道を歩けばもっと早くゴールにたどり着けると約束します。「外人」の道です。

「外人業」ファーストトラック

 私が普段「外人業」と呼ぶ仕事、また活動があります。誰かの「外人らしさ」を目立たせて利用し、または自らの「外人性」を利用する仕事や活動のことです。最近の日本のメディアに馴染んでる人なら、ここまで読むだけでそれに当てはまる例がいくつか思い浮かぶと思いますが、想像がつかない人は、YouTubeに「外人」と検索してヒットする動画を観れば早いかと思います。動画のタイトルに「外人」は含まれていなくても、その「外人業」の立派な実例が分かりやすく出てきます。テレビ番組に出演する外国人パネリストから、日本のニュース番組の取材に映った外国人、ストリートインタビューに応じる外国人、そして自分のチャンネルで日本語の動画をアップする外国人たち。度合の違いはあっても、出演する人の「外人性」、またはその真逆の「非外人性」や「日本化された側面」が中心となるコンテンツなら、まず「外人業」と見なして良いと思います。

 様々な層の「外人業」がある中で、ここでは「コンテンツ」を中心に外人業の特徴をより具体的に考えてみましょう。まずこれら外人業のコンテンツは、必ず日本や出演者の出身国が題材となります。例えば日本で留学生をしている外国人のユーチューバーが居るとしましょう。その人から期待できるコンテンツのタイトルは「日本で留学して驚いたこと」「日本の大学と母国の違い」「日本が最高過ぎて母国にはもう戻れない」などであって、「私が大学で気づいたこと」「大学教育に対する考え」や自分の専攻を題材にした動画ではない、と推測しておかしくないでしょう。外人業のオーディエンスが彼ら、つまり「外人たち」から聞きたいのは、あくまで彼らの目を通してみる「日本」、または日本とは違う「外国」の話であるのです。

 「外人業」のもう一つの特徴は、消費のしやすさです。それはYouTube動画やショート動画など、コンテンツ形式の消費しやすさもありますが、トピックの選び方や内容の構成においてもそうです。外人業のコンテンツが日本や外国のとあるトピックを扱う時、「○○はああである」「○○人はこうである」など、話は「紹介」の皮を被った一般論的なレベルに留まります。外国人の口を借りて発される「意見」の根拠や、その意見を巡るより広い議論、違う主張などが紹介されないのはもちろんのことです。そしてそういう表層的なレベルの話の後、あることが「良い」か「悪い」かの価値判断まで付けると、最高の外人業コンテンツになります。最近は割と一般大衆からも少し批判されている『YOUは何しに日本へ』などの外人業コンテンツが「日本すごい」と日本のあらゆるものに「良い」を付けるのがその分かりやすい例ですが、「日本はここがダメ」など、逆の角度で「外人」から発される表層化した意見とジャッジを消費するコンテンツも、そんなに珍しくはありません。

 そしてその結果、外人業は「外人」という「キャラ」を生み続けます。「日本」か「母国」について語る時だけ現れるその「外人」たちは、また「日本」や「母国」のあらゆる事情を分かりやすく定義してくれて、おまけに楽しく、さらに視聴者の「日本人」としての自意識も満足させてくれます。「外人業」を通しては、外国人本人たちの「日本」や「母国」以外の存在との関わり、喜怒哀楽、知性や知恵、人間的な欠陥、煩いやトラウマなど、複層的な「人間」を覗ける機会はやや少なく、どこか我ら「普通の人」とは違って、分かりやすい作動原理で考えて動いて話す「キャラ」としての「外人」が生み出されます。メディアが、明らかに演劇的な日本語で私(達)「外人たち」の声を吹き替える時に生まれるその「キャラ」。今日も外人業は盛んでいます。

 私は「外人業」が嫌いです。いや、嫌いでした。今は良く分かりません。外人業、特に自ら外人業を行っている人たちのせいで、自分までもが「キャラ」にされると感じ、実生活の場面でそんな「キャラ扱い」される経験を15年近くしてきたのが、嫌いだった理由です。私が言いたい「キャラ扱い」とは、「外国人だから」「韓国人だから」好奇心で何か聞きたい、とかのことではありません。最近は「失礼なこと」みたいな認識で「マイクロアグレッション」についての意識も日本社会で広まっていますが、それのことでもありません。「辛いの強いですか」「軍隊は行ってきたんですか」などの質問に、私はもはや何も感じません。いいえ、私が言う「キャラ扱い」とは、他の「普通の人」には期待したり予想できる主体性や人間性を、私(達)には最初から見ようともしないことです。

 ある教育財団が小学生たちを対象に開いた夏のキャンプに、カウンセラーとして参加したことがあります。20歳になったばかりの若い日本人カウンセラーと2人で、7人ぐらいの小学生たちの班を担当することになりました。私は当時29歳だったのですが、その班の代表者は若い日本人カウンセラーがつとめることになり、5日間子供たちのアクティビティや遊び、お風呂の時まで一緒に面倒を見てあげました。ある日、子供たちと一緒にお風呂から上がってロッカーに行くと、私より先に上がった日本人のカウンセラーに向かって、小学生たちのお風呂の使い方やマナーが悪いと、ある年配の方が怒っていたのです。ところがずいぶん興奮して怒っていた彼に、若い日本人カウンセラーがいきなり「いい加減にしろよ、じじい」と、同じく声を上げて怒り出したのです。そこで私は2人の間に割り入って頭を下げて年配の人に謝罪し、日本人カウンセラーに「あなた一人だけで来てる訳ではありませんよ」と言って、今すぐ謝りなさいと叱りました。私の睨みから目線を逸らして、カウンセラーの彼はまだ不満そうな声で謝り、状況は一旦収束しました。

 後で主催側にこのことを報告すると「金君はほぼ日本人ですね」と言われたことに、未だに笑ってしまいます。いいえ、責任感を感じて行動するのは日本人だけの特性ではないですと。そもそも「外人」が主体となって何かの「責任者」になること自体、彼らには想像できなかったでしょう。コンビニで見かける外国人の店員が「孤独」や「憂鬱」なのかもとは全く想像できなかったり、外国人なのにノリがよくなくてシャイであることに驚いたり、より「複雑」と思われる感情や属性を「外人たち」と結び付けて考えられないのもそうです。私(達)に触れ合う日本人の感覚には、他の「普通の人」には許している主体性や人間性の想像が、ある程度欠けているのです。「キャラ扱い」とは、そういうことです。

 その「キャラ扱い」が死ぬほど嫌いなのに、そういった「キャラ扱い」を生んでしまう外人業が前ほど憎くないのは、外人業の先にあるものが見えるからです。「外人」を演じると、まず自分を見て聞いてくれる人たちが出来ます。ひょっとしたらそこからお金も、そしてうまく行けば居場所さえ作っちゃえるかも知れません。コンテンツを中心に外人業について述べましたが、本業が何であれ「外人」としての振る舞いが上手ければ上手いほど、日本社会からの扱いや関わり方も、分かりやすくなってきます。そして究極の「外人」とは「日本が大好きな外人」であることに気づく瞬間、進むべき道は更に分かりやすくなります。もちろん全ての「外人」が同じスタートラインに立っている訳ではありません。白人、キレイかハンサム、先進国出身、高収入業、日本語レベルなど、「外人業」の参入障壁は明らかに存在しますが、努力でそれらをカバーする人だって居ます。厄介な「自分」なんかを貫いて生活や職場でいちいち自分を守りながらやっていくより、「外人」の道を歩く方が安定と認定に早くたどり着きやすいことを、私(達)は知っています。そうやって日常生活での「外人業」、また産業としての「外人業」を経済論理で説明する瞬間、日本社会の古いマントラの一つである「経済を回さなきゃ」が大きな壁としてそびえて来ます。「それで食ってる人が居るし、黙ろっか」と。

 ロシア出身の私の元カノが、あるユーチューブチャンネルに出演したことがあります。まさしく「外人業」の定義そのものとも言えるそのチャンネルのクリエイターは白人女性で、反中・嫌韓や「日本すごい」を主に扱うチャンネルでした。日本に長年住んだだけではなく、私との関係や韓国での語学研修経験などで韓国とも縁がある元カノは、そのチャンネルに出演して日本と韓国についてそのクリエーターと話し合いました。「2人とも美人」などのコメントを除けば、反応のほとんどは普段そのチャンネルの動画に付く、典型的な外人業オーディエンスの反応でした。

 何故そこに出演したのか、別れてからずいぶん経った後でしたが、勇気を出して彼女に聞いてみました。2人の別れは100%私の責任で、その中でこちらから相手にありえないほど傷をつけてしまったので、ひょっとしたら私に対する感情が韓国への嫌悪にまで発展したのかなと、悲しくて聞いてみたのです。彼女の答えは違いました。どんなチャンネルかは分かっていたけど、東京で一人で芸能の道を歩もうと踏ん張っていた時期だったから、十何万の登録者数のチャンネルから誘いが来て、良い機会だと思って出演したと。今振り返ると、良くない選択だったと。

 最初はその答えに安心したのですが、その意味を振り返ると、また悲しくなりました。むしろ私のせいで本気で韓国が大嫌いになった方がマシだったかもと思うくらい。仮に真逆の「韓国・中国大好き」や「日本は完全ダメ」みたいな動画に彼女が出演したとしても、悲しい理由は変わりません。外人業も「業」。それで食う人が居るなら否定するな。日本で学んだ精神です。しかしそれでキャラ化され客体化される私(達)のことを、私(達)自ら哀れに思わないなら、誰が私(達)を「人間」として見ようとするでしょうか。

「放浪」のまとめ

 「外人業」が良くない究極の理由は、別にあります。「外人」を演じる私(達)は、実は更に断片化していきます。外人業にいそしむ人は自分を定義する力を日本社会に託して、自分の存在の大部分は「日本との関わり」の上に築かれます。アウトサイダーを演じて日本社会に入っていくことで比較的早く人間関係も他の成果も手に入りますが、進めば進むほど自分に任されるアウトサイダー役は固定化していきます。目の前の「日本」にどう見てもらって扱ってもらうかにもっと多くを依存して、その経験を客観化したり横を見れる暇は更に減る。おまけに、外人業に勤める自分のことを嫌がる(昔の)私みたいな人も出てくる。羨ましければ自分も頑張ればいいだけの話を、なに意識高いふりしているのかしら。クルド人? いいえ、私は「良い外人」です、彼らとは違います。不条理だ不正義だ、いくらわめいても、そんな目に合う人たちにはそれなりの理由があるはず。自分に起こらなければ、いわゆる「間違ったこと」が起きていても、別に関係ない。「日本」に認めてもらえれば、「日本」に使ってもらえれば。


 ここまで読むと、まるで私が日本の中に移民者たちの独立国家を立ち上げたいような、とんでもないことを考えている人に見えるかも知れません。いいえ。私は移民の人たちが日本社会の一員、責任を背負える「市民」になってほしいです。少なくとも自分はそうなりたい。「十分稼いだら感謝して国に帰れ」や「日本を壊しに来ただろう」みたいな、脳みそがツルツルすぎる話をする人たちは一旦ほっといて、日本の「現実」として「移民」を認識している人たちに、真剣に聞きます。自分の生き方やアイデンティティの大部分を他者に託して、定義されるまま受動的に生きる人たちが、心から生まれる「責任感」を持った、この社会の一員になれるでしょうか。私(達)に聞きます。本当にあなたは「外人」で大丈夫ですか。

 ここまでが、私の「放浪」のまとめです。韓国で未来が見出せず、逃げて日本に流れてきた私が、ここで生きていきながら人と触れあって、傷つけて傷ついて、笑って泣いた果てに「移民と名乗りたい」に至った経緯です。政治家や活動家でもなければ大して賢くもないくせに、何をこんなに理論みたいに叫んできたのか。それが、私の「放浪」だったのでしょう。みんな、これが理想なんじゃないでしょうか。これを目指して進んでいくべきなんじゃないでしょうか。日本で「移民」として生きるということはこういうことでしょう。自分の経験から「普遍性」というのを見出して、人と繋がらないと。いや、繋がりたい。そうしないと、自分の孤独は埋まらないかも。どうですか、私が言うこと、一理ありますよね? これって、価値ありますよね? こうやっていけば、私はここに居ても良いですよね?

さすらいます。付いてきたかったらどうぞ

 外人業が嫌いだった自分も、結局世の中から求められる役割との距離設定を続けながら生きていく、生活者の一人に過ぎません。ただ外人業は私(達)をキャラ化すると言い、彼らとは違って、私は自分で自分を定義して生きていくと、意気揚々と書いて歌ってみただけ。そういった偽善というか自覚の無さが、『日本移民日記』を読み直すと指先が痛くなるほどページの隅々までしみ込んでいます。頑張って放浪してきた記録。それを分かってもらいたくて、読者の手をつかんで優しく道案内をするかのような文体。その文体の裏にある自分の不安。

 過去4年間の私の「さすらい」は、その「放浪」とはまた違うものでした。気づいていなかった力で誰かを全力で愛したり、新しい土地に出会ったり、自分の嘘と向き合ったり、神を前にして葛藤したり、抗議のチラシを配ったり、命を助けたり、ある子たちに出会ったり、父に殴られたりしながら。自分の人生のどの期間よりも「真実を生きる」瞬間が多かった、4年間のさすらいでした。人から「居場所」を許してもらえるかどうか以前に、完全な「自分のもの」として生きたその真実。その真実の話は個人的すぎて、人に共感してもらえるかどうか、分かりません。価値のある話だろうかどうか、「日本に役に立つかどうか」、分かりません。

 それでも私は書くと決めました。「書きたいから」はちょっとピント外れで、「書くのが俺だから」の方が近い気がします。読者の目が自分の「居場所」を許してくれる分、それに相応する価値あるものが書けるのか。「経済様」の前で、紙の無駄、ネット連載ならサーバー容量の無駄遣いではないものを人に届けられるのか……これを仕事として考えるなら、そういう「価値交換」の経済論理から接近するのが世間の常識でしょう。ですが、私はただ自分のさすらいを書くのが自分の真実を生きることだから、書くことにしました。その真実に、人から許してもらうのではなく自分で作る「居場所」があるかも、と思いながら。

 それはとても日本的な、いや、非日本的なものでしょう、か。日本とは何でどうあるべきか、ラップとは、社会とは、世界とは、自分は……それらに頑張って答えようとすることで、自分の居場所を許してもらおうとした今までの「放浪」を手から離し、今回は自分の「さすらい」に素直な文章を書いていくつもりです。普段はそんなに声高く唱えている「移民」も、今回は無くて構いません。自分が書いていくものが日本っぽいか、外人すぎるか、その結果「やっぱ韓国人・外人」と呼ばれるかどうかも。後ほど蘇ってくるでしょうけど、一旦、移民は死にました。外人万歳。私はさすらいます。付いてきたかったらどうぞ。

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著者略歴

  1. Moment Joon

    本名「金 範俊」。韓国ソウル出身、大阪在住の外国人・移民。2010年に大阪大学文学部に入学、渡日。「Moment Joon」名義で日本語でラップ音楽を作って2019年からEPやアルバムなどを発表、2021年に渋谷でワンマンライブを開催するなど。ヒップホップにおける差別用語の研究で大阪大学文学研究科の博士後期課程に在籍中。日本語で執筆活動も行い、2021年には岩波書店からエッセイ集『日本移民日記』を刊行。「移民」の目線で日本や自身の生き方を眺めた前作から一歩離れ、自身の真実を生きてみるために本名のままあえて「外人」という言葉を浴びて書いていく放浪記。

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