第32話 岩波文庫の解説はいつから?
文庫といえば、いまでは解説がつきものだが、これはいつからあるのだろう。といっても、きちんと調べようと思ったら古い文庫を端から覗いてみる必要があって、ちょっと手が回りそうもない(第9話「文庫のはじまり」もどうぞ)。
文庫一般については措くとして、岩波文庫にはいつから解説がついているのか。そう思って、1927年の創刊書目を復刻版で確認してみた(第41話「創刊時のラインナップ」もご覧あれ)。岩波文庫に限らず、本は本文(テクスト)だけでなく、その他のさまざまな要素に取り巻かれている。名前があると便利なので、ジェラール・ジュネットに倣って、そうした各種の要素をパラテクストと呼んでおこう。「パラ」とは古代ギリシア語で、この場合は「傍らにある」というほどの意味。
さて、岩波文庫の創刊書目をそのつもりで見てみると、扉、奥付、巻末の「讀書子に寄す」や目録といったパラテクストが目に入る。多くの書目に共通するこれらのパラテクストは、今回は脇に置こう。それから、目次や戯曲の冒頭に置かれる人物紹介も同様。その他にはどんな要素があるだろうか。
全22点のうち12点は、右に述べたものを除くとパラテクストはなかった。ほぼ本文だけという仕立てだ。それ以外の10点では、本文の前後にいろいろな要素がついている。いま用事があるのは「解説」だけれど、ついでのことながらそれに限らず見ておこう。書誌は書名のみを挙げる。
・口絵 『藤村詩抄』
・献辞 『賢者ナータン』『ソクラテスの辯明・クリトン』『北村透谷集』
・凡例 『ソクラテスの辯明・クリトン』『實踐理性批判』
・解説 『賢者ナータン』
・序 『令嬢ユリェ』『北村透谷集』『認識の對象』『戦争と平和 第一巻』『ソクラテスの辯明・クリトン』『藤村詩抄』
・解題 『戦争と平和 第一巻』
・注釈 『賢者ナータン』『ソクラテスの辯明・クリトン』『實踐理性批判』『おらが春・我春集』
・索引 『科學の價値』
こうして改めて見てみると、多様なパラテクストがあるのが目に入る。このうち口絵から解題までは巻頭に置かれており、注釈と索引は巻末に配置されていた。唯一口絵が掲載されていた『藤村詩抄』には、若き日の藤村の写真が掲載されている。初期の文庫は活字だけでできていると思い込んでいたせいか、ちょっと虚を突かれる。
それはそうと、いま並べた中で、現在、文庫の後ろについている解説に似たものを選ぶとしたら、「解説」「序」「解題」と『ソクラテスの辯明・クリトン』の「注釈」が該当しそう。
唯一「解説」という名の要素が入っているレッシング『賢者ナータン』(大庭米次郎訳)を見てみよう。扉ページに続いて「倉田百三兄に獻ず」という献辞が現れる。さらにページをめくると本文が始まる前に訳者による「「賢者ナータン」の解説」が置かれている。3ページほどで、原題と作品の概要、背景について述べてあり、レッシングに馴染みのない読者を入口まで案内する格好だ。また、同書巻末には「註釋」があり、「狂信家といふ者は思考の中に感情が交り込んで來たり、感情の中に思考が這入つて來たりするものである」という具合に訳者の見解を交えつつ読者の理解を助けるような文章が並んでいる。
それから、『戦争と平和 第一巻』(米川正夫訳)は、はじめに訳者による「序」があり、次に「解題」が置かれている。「序」は、しばしば翻訳書の巻頭に置かれる「凡例」にも重なる内容で、2ページを使って翻訳の経緯や底本、訳の方針などに触れている。また、「解題」は10ページを費やして、『戦争と平和』という小説の評価、トルストイが同書を執筆した経緯、登場人物とモデルの比較、同書を玩味・研究する手がかり(芸術的価値、人生観、歴史哲学)を論じた上で、最後にトルストイの天才を称揚して終わる堂々たる導入になっている。この第一巻だけでも530ページほどの分厚い小説にとりかかろうとする読者を激励しているようでもある。
もう一冊、これはつい見落としそうになるのだが、プラトン『ソクラテスの辯明・クリトン』(久保勉、阿部次郎訳)にも、「解説」や「解題」という項目こそないものの、これに相当する文章が入っている。巻頭ではケーベル先生への献辞、凡例があり、それに続いて対話篇の本文が現れる。本文には随所に「(一)」という注釈番号が添えられており、これに対応する注釈が巻末に「註釋」という名で置かれている。どんな注釈かなと当該ページを開くと目に入るのは、『辯明』というタイトルと「プラトンの數ある對話篇は、たゞ一つを除けば、總てソクラテスを其中の人物の一人、而も大抵主人公としてゐるが」と始まる文章で、8ページちょっとにわたって『弁明』と『クリトン』の背景や解釈が記された立派な解説だ。肝心の「註釋」はそのあとに置かれている。
以上3点はいずれも翻訳書で、訳者が解説を書いているケースだった。翻訳書以外のものでは、島崎藤村が編んだ『北村透谷集』の巻頭に置かれた「序」がある。そこでは、藤村がいまは亡き友を偲んで透谷の生涯と仕事について綴っており、これも「解説」の一種とみなせる。
というわけで、岩波文庫では創刊当時から解説がついていたと言ってよいと思う。
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)
[『図書』2026年8月号より]




