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山本貴光 岩波文庫百話

第48話 天はアンカット

 これまでSNSなどで、岩波文庫の造本について疑問が提示されているのを何度か見かけたことがある。本の天の部分が平らになっておらず、ぎざぎざしている。これはなにか製作上のエラーだろうか、というふうに。

 実のところはどうなのか、という話をする前に、本の部位の呼び方を確認しておこう。図は岩波文庫に挟まれている栞の一つで、本の各部位の名称が示されている。ここで注目したいのは「天」だ。本を立てた際に上側に位置する部分のこと。ついでながら、その反対の接地する面を「地」という。本には天地があると思うと、これ自体が小さな世界のような気もしてくる。

岩波文庫栞「本の豆知識 本の部分名称」
岩波文庫栞「本の豆知識 本の部分名称」

 岩波文庫では、小口と地はきれいに切り揃えられて平らになっている。これに対して天はそうなっていない。ページによって高さがまちまちで不揃いだ。小口を手前にして眺めると、地はほぼまっすぐの直線になるのに対して、天はぎざぎざしている。これはどうしたことか、と疑問が提示されるのを、これまで何度か目にしたことがある、というのが先ほど述べたことだった。

 もちろんこれは製本上のエラーというわけではない。ただ、なんらかのエラーではないかと感じる人がいても無理はない。というのも、現在日本で流通している本の多くは、天・地・小口とも「仕上げ断ち」あるいは「化粧断ち」といって、すべてのページの大きさが揃うように、つまり平らになるようにカットしてあるからだ。そちらを基準にすると、ぎざぎざしている本がそうなっていないものに感じられるかもしれない。

 岩波文庫のように、本の小口を仕上げ断ちしない製本をアンカットという。文字通りにカットしていないというわけだ。少々ややこしいことに、製本についてアンカットという場合、大きく二つの意味があるようなので区別しておこう。一つは小口を切り落とさず、袋とじ状に製本したものをアンカット本という。この場合、読者はペーパーナイフなどを使って、1ページずつ切り開きながら読むことになる。以前、『国定版ガリレオ・ガリレイ全集(Le Opere di Galileo Galilei)』(全20巻、1890-1909)を古本で注文したところ、アンカット製本でナイフが入っていないものが届いたことがあった。前の持ち主が読んでいなかったわけである。この意味でのアンカットは、いまではあまりお目にかからないが、2024年に刊行されたジル・クレマン『第三風景宣言』(笠間直穂子訳、共和国)がアンカット製本なので、実物を見てみたい向きは書店で探されるとよい。

 もう一つのアンカットは、先ほど述べた本の端を切り揃えない状態を指す。私が持っている少し古い本のなかには、天地と小口すべてがアンカットで、紙束が層というか襞というかをなしているようなものもあり、気に入っている。というところで岩波文庫に戻ると、岩波文庫は創刊以来、天をアンカットで仕上げて今日にいたる。これについては創刊の当初から賛否さまざまな意見が寄せられたようで、「岩波文庫略史 Ⅲ」(『文庫』第3号、岩波書店、1951;『岩波文庫の80年』岩波文庫別冊18、2007に再録)でそのことに触れている。天がアンカットだと埃が溜まるという読者の声もあったようだ。製作サイドとしては、当初の岩波文庫にはスピン(栞紐)をつけていたのだけれど、製本の工程上、スピンをつけるには天をカットせずにおく必要があったのだそう。面白いことに「初めの頃は、技術的に研究不足であった為に、1分も2分も凸凹になる位の不揃いであった」ところ、その後の改良によって化粧断ちをしなくても揃うようになったという。1分は約0.3cmである。たしかに古い岩波文庫を見ると、ページごとの高さが目視でも1、2ミリほどズレて見えるものがあるのに対して、現在は段差はそこまで大きくない。

 目下流通している本では、岩波文庫の他にも創元推理文庫、ハヤカワ文庫、新潮文庫、新潮クレスト・ブックスなどが天をアンカット仕上げにしていて、私などはかえって洒脱な印象を抱いている。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

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著者略歴

  1. 山本 貴光

    1971年生まれ。文筆家、ゲーム作家。現在、東京科学大学 未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学環境情報学部卒業。著書に『文学のエコロジー』(講談社)、『世界を変えた書物』(橋本麻里編、小学館)、『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社)、『記憶のデザイン』(筑摩書房)など。

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