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山本貴光 岩波文庫百話

第23話 社会を科学する

 岩波文庫の全体は、大きく眺めると文学と学術に分かれている。ここで学術とは、学問と技芸術(sciences and arts)というほどの意味である。文学も見ようによっては芸術の一種であるところ、岩波文庫では他の諸芸術とは別に、帯の色でいうと黄帯(日本古典文学)、緑帯(日本近現代文学)、赤帯(海外文学)の3つにわたる一大分野をなしている(第3話もご覧あれ)。これに対して文学以外の諸学術は、青帯と白帯の2つに分類されているわけだが、この分け方はちょっと面白い。

 今回目を向けてみたい白帯には、いわゆる社会科学方面の書目が集められている。そう思って見直してみると、青帯のほうは人文学、自然科学、芸術と広く網をかけている(第4話)。こんなふうに比べてみると、白帯がちょっと特殊な領域のようにも感じられてこないだろうか。というのは、多様な分野を入れている青帯の広がりを思えば、社会科学をそこに入れてもおかしくないようにも思えるからかもしれない。

 刊行点数で見ると、青帯は累計で1725冊、新旧版を1冊と数えれば1341冊、複数冊の書目をまとめて1点とすると1016点ほど。岩波文庫のなかでは赤帯に次ぐ量を誇る。白帯のほうはどうかといえば、累計461冊、新旧版を1冊すると319冊、点数は226点で、冊数の規模は青帯のおよそ4分の1といったところ。これもご参考までに添えると、日本の古典を収めた黄帯に近い量だ。なお、以上に挙げた冊数などは、私が集計している暫定的なものである(2026年1月末時点)。

 では、白帯にはどんな書目が入っているかを眺めてみよう。と話を進めるその前に確認しておくと、白帯全体は大きく2つに分けられている。1つは「法律・政治」、もう1つは「経済・社会」で、これをまとめて先ほどは社会科学と呼んでみた。日本の高校で習う科目でいえば「政治・経済」に重なるだろうか。

 社会科学(social science)とは、大まかに言えば自然を対象とする自然科学(natural science)に対して、人間がつくってきた社会を研究する領域を指す。人間に関わる学術の大きな分類としては他に人文学(humanities)もある。どちらも人間に関わる人文学と社会科学の関係はどうなっているのか。これもまた大まかに整理すれば、人文学に相当する学問は、古代の哲学を源とする古いものであるのに対して、社会科学のほうは、さまざまな学術分野が専門分化し始める近代以降に生まれた比較的新しい分野、とひとまず区別できる。ただし、例えば社会科学のひとつである政治学の歴史が、古代ギリシアのプラトン『国家』(上下巻、藤沢令夫訳、青601−7〜8、2008)やアリストテレス『政治学』(山本光雄訳、青604−5、1961)に遡ることもあるように、社会や政治について検討する営みが近代以前になかったわけではない。社会科学は、いずれかといえば現代社会やその基礎となった近代あたりまでをもっぱらの対象とすると言ってみてもよいかもしれない。

 また、「人文学」と違って「社会科学」には「科学(science)」という語がついているのが気になるところ。これは、やはり近代以降に「自然科学」がそれまでの自然哲学から専門領域となっていった過程とも関わりがあるようだ。この点については、それこそ白帯に著作が入っているフランスの哲学者、オーギュスト・コント(1798—1857)が構想した「社会科学(science sociale)」を見ておくと、その一端を窺い知ることができる。コントの著作で岩波文庫に入っているのは『実証的精神論』(田辺寿利訳、白205−1、1938)と『社會再組織の科學的基礎』(飛澤謙一訳、白205−2、1937)の2冊。

 コントは、フランス革命によってもたらされた社会の混乱をどうしたら克服できるかという社会の再編成を大きな課題とした人で、その関心と著作は多方面に及んでいる。というのは主著である『実証哲学講義』(全6巻、1830−42)の各巻で、数理、天文、物理、化学、生物、社会、歴史などの諸領域を扱っていることにも現れている。彼は先に触れた2つの著作で、「自然科学」をお手本として「社会科学」を実証的なものにするためのアイデアを様々に提案している。また、『社會再組織の科學的基礎』で使われる「社会物理学(physique sociale)」という言葉は、自然科学と社会科学の関係を象徴的に表しているようでもある。コントが考えた社会物理学とは、社会現象を天文学、物理学、化学、生理学といった自然科学と同じように実証的に探究して、法則性を見出そうとする企てだった。

 という具合に白帯が対象とする社会科学という分野について少し確認してみた。岩波文庫の現在の帯色を分類した人たちが、どのように考えて社会科学を1つの分野として設けたのかは、目下のところ調べがついておらず分からない。

 他方で興味深いことに、戦前の日本で内務省を中心として国家による検閲が行われていた時期に、岩波文庫のうちで発行禁止処分の対象となった書目は白帯に集中していた。社会について考えることのうちには、現在の社会の仕組みはこれでよいか、他のもっとよいあり方はないかといった、社会変革やユートピア思想、あるいは革命の発想も多分に含まれるわけで、現状を維持したい為政者にとっては弾圧すべき対象にもなるわけである。これについては改めて書くことにしよう。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2026年4月号より]


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著者略歴

  1. 山本 貴光

    1971年生まれ。文筆家、ゲーム作家。現在、東京科学大学 未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学環境情報学部卒業。著書に『文学のエコロジー』(講談社)、『世界を変えた書物』(橋本麻里編、小学館)、『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社)、『記憶のデザイン』(筑摩書房)など。

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