【特別公開】歴史学からみた『オデュッセイア』の世界[周藤芳幸『ミケーネ文明』より]
『オデュッセイア』の土台となったミケーネ文明とは、一体どんな世界だったのでしょうか。ミケーネの人びとが使っていた「土器」と「文字」について、考古学・歴史学の最新の知見をまとめた周藤芳幸『ミケーネ文明』(岩波新書)より一部抜粋します。
土器の交易──鐙壺とキュリクス
中期ミケーネ時代後半から後期ミケーネ時代にかけて、ミケーネ文明圏はエーゲ海を越えて広く東地中海の各地に拡大していった。たとえば、ロドス島をはじめとするエーゲ海南東部で発掘されている岩室墓は、多くがこの時期に開削されたものである。ミケーネ土器の分布は、東はアナトリア沿岸部からキプロス島、さらにはシリア・パレスティナ方面に、南はエジプト、西はイタリア半島南部を経てサルデーニャ島にまで及んでいるが、その背景にあったのは、それまで各地で自律的に発展してきた拠点集落がミケーネやピュロスなどの少数の有力な王国に統合されることによって、ギリシア本土が政治的に安定したことだったと推測されている。もちろん、近年の各地における発掘の成果が示しているように、そのような地域的な統合は必ずしも平和裡に行われたわけではなかった。中期ミケーネ時代の末頃にミケーネで建造された「アトレウスの宝庫」と「クリュタイムネストラの墓」と呼ばれる二つの大型のトロス墓は、そのような地域統合を果たした王国の支配者の強大な権力のシンボルに他ならない。版図を広げた諸王国の行政に線文字Bが導入されたのも、おそらくこの頃のことだった。
交易を通じて行われたミケーネ文明の拡大をもっとも雄弁に物語ってくれるのが、この段階に大量に生産された鐙壺(あぶみつぼ)と呼ばれる土器である。鐙壺とは、膨らんだ胴部の上に鐙の形をした把手があり、それとは別に肩部に注ぎ口が付けられる独特の形状の土器で、おもにワインやオリーヴ油、香油などの輸送や保存に用いられていた。サイズには大小あるが、とくにエジプトでは小型で精製の鐙壺が人気を集めていたらしく、ファイアンス製の模造品も知られている。この時代の他の器形の土器と同様、鐙壺は胴部に太い線と細い線を組み合わせた帯状文がめぐらされ、肩部だけが花文などで飾られていることが多い。
中期ミケーネ時代後半から後期ミケーネ時代にかけて流行したもう一つの重要な土器が、宮殿における饗宴などで用いられたキュリクスである。すでに中期ミケーネ時代の前半に出現していたキュリクスは、後期ミケーネ時代になると、ますます盃の部分が浅く、また脚部が細長くなり、その器面は巻き貝などの簡素な文様で装飾されるようになる。第四章で詳しく見るように、饗宴は各地の宮殿で行われていた社会統合のための重要なイベントであり、そのような機会のためにキュリクスが大量生産されるようになったのであろう。
(マラウィ国立博物館蔵、写真©周藤芳幸)
(ヴラヴロン考古学博物館蔵、写真©周藤芳幸)
線文字Bの表記法
では、ミケーネ時代の王宮の書記たちは、どのようにしてギリシア語を音節文字で表記していたのだろうか。実は、日本語を母語とする読者にこれを説明することは、それほど困難なことではない。というのは、私たちはとくに意識することなく、彼らと同様、必要に応じて、音節文字(以下では便宜的にカタカナで説明する)と表意文字(漢字)を併用しているからである。あえて誤解を恐れずに言えば、線文字Bで書かれたギリシア語の文章とは、漢字カナ交じり文に他ならない。これはアルファベット圏の人々にはなかなかイメージしにくいことらしく、欧米で出版された線文字Bの解説書では、このような彼らにとっては不合理な表記法が現代でもなお使われている事例として、必ずと言ってよいほど日本語が引き合いに出されることになる。
(ミケーネ考古学博物館蔵、写真©周藤芳幸)
話を分かりやすくするために、ギリシア語を英語におきかえて、カタカナで英語を書くことが可能かどうかを考えてみよう。このような問いはナンセンスだと思われるかもしれないが、私たちの日常生活は、実際のところ、そのような表記で溢れている。たとえば、私たちはクリスマスになればケーキを食べてプレゼントを交換するが、当然のことながら、クリスマス、ケーキ、プレゼントという三つの語はこれらに発音が近似する英語の単語を音節文字で表記したものであり、いかにその表記と英語本来の発音とのあいだにズレがあったとしても、その意味がコミュニケーションに際して誤解されることはありえない。このように単語レヴェルであればともかく、英語の長い文章をカタカナで書くのは無理ではないかと思われるかもしれないが、幸い線文字Bのテクストの大半は、単に人や物資の名称と数量を記載しているだけなので、あまり不都合は生じなかったようである。
しかし、たとえばChristmasという単語に接して、初めてこれをカタカナで表記しようと試みた人は、語頭のchや語中のt、語末のsなどの子音をどう処理すべきか、頭を抱えたに違いない。結局、カタカナではchとkを区別せず、chとsにはダミーの母音であるuをあて、tはそもそも発音されないため無視したわけであるが、線文字Bの場合も、ギリシア語の単語を音節文字で表記するにあたって、まったく同じ処理が必要となった。詳細には立ち入らないが、たとえば語頭の単独子音にはダミーの母音を添えて音節文字で表記する、ただし語頭のsの後にpやtなどの閉鎖音が続く場合にはsを表記しない、シラブルの末尾の子音は表記しない、といった原則が存在したことが指摘されている。ちなみに、線文字Bでは単語と単語のあいだに短い縦棒で区切りを入れるので、単語の識別そのものは容易である。
いずれにしても、一定の約束事さえ共有されていれば、音節文字でギリシア語の簡単な文章を書くことは、ある程度までは可能だった。では、なぜアルファベットではなく音節文字だったのかといえば、理由はもとになったミノア文明の線文字A(これが表している言語は不明)が音節文字だったから、ということに尽きるであろう。なお、日本語を母語とする者にとっては大変心強いことに、線文字Bにはlとrの音の区別がなく、ラリルレロにあたる記号がギリシア語のλとρのどちらを含む語にも共通に使われている。
一方で、このような線文字B独特の表記法から容易に推察できるように、粘土板に書かれている言語がギリシア語であることが判明したからといって、すぐに記載内容が正確に理解できるようになったわけではない。カタカナで「フラワー」と書かれた英語が花のことも小麦粉のことも指しうるように、もとの古典ギリシア語の単語が一義的に決まらないケースが多々あるためである。さらに、相当する単語が確定できる場合でも、ホメロス以降の用例から私たちが知っているその意味が、それよりも数百年も前のミケーネ時代にまったく同じ意味で使われていた保証はない。線文字B粘土板文書の解釈をめぐって、ときに専門家のあいだでも大きな開きがあるのは、このような事情によっているのである。
著者略歴
周藤芳幸(すとう よしゆき)
1962年、神奈川県生まれ。1992年、東京大学大学院人文科学研究科単位取得退学。博士(文学)。現在、名古屋大学大学院人文学研究科教授。専攻は古代ギリシア史、エーゲ海先史考古学。著書に『ギリシアの考古学』(同成社、1997年)、『古代ギリシア 地中海への展開』(京都大学学術出版会、2006年)、『図説 ギリシア──エーゲ海文明の歴史を訪ねて』(河出書房新社、新装版2007年)、『ナイル世界のヘレニズム──エジプトとギリシアの遭遇』(名古屋大学出版会、2014年)、『古代地中海世界と文化的記憶』(編著、山川出版社、2022年)ほか。





