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木畑洋一 ディエゴガルシアは誰のもの[『図書』2026年11月号より]

ディエゴガルシアは誰のもの

 

 今年(2026年)の6月初め、イギリスの新聞『デイリー・テレグラフ』は、米国のトランプ大統領が、インド洋の中央部に位置するチャゴス諸島を米国が購入する案を検討しているという報道を行った。パナマ運河やグリーンランド、さらにはカナダまでも自国の領土にしたいという妄想を抱いているトランプのことであるから、インド洋上の小さな島嶼に触手を伸ばしたとしても不思議ではないかもしれないが、このチャゴス諸島をめぐっては、少々複雑な事情がある。それについては近刊の拙著『イギリス帝国』でも若干詳しく触れたが、トランプの姿勢に触発される形で、この島々はそもそも誰のものかという問題を改めて考えてみたい。話の中軸となるのは、チャゴス諸島の中心を占めるといってよいディエゴガルシア島(以下DGと略す)である。

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 ことは1960年代にさかのぼる。チャゴス諸島は、イギリスの植民地であったモーリシャスに属しており、第二次世界大戦後の脱植民地化の波のなか、モーリシャスの一部として独立するはずであった。ところが60年代、冷戦がインド洋に及ぶ状況のもと、そこに軍事的拠点をもっていなかった米国が、軍事施設建設の場として、DGに眼をつけたのである。海外軍事費の削減のため「スエズ以東」の軍事力縮小を考えていたイギリスの側も、その補填策として米国の軍事力を呼び込むことを考え、DGをめぐる交渉が始まった。

 問題は、そのままではDGが独立国モーリシャスの領土となり、イギリスが自由に扱えなくなることであった。そのため、英米は共謀して、DGを含むチャゴス諸島をモーリシャスから切り離し、イギリス自体の領土にすることを考えた。こうして、65年11月、英領インド洋地域が誕生し、66年末、イギリスは自国が自由にできるようになったその地域を米国に貸与する協定を結んだのである。この過程で、チャゴス諸島を切り離すことへの実質的代償金として英米両国からモーリシャスへの金銭支払いが行われた。そして、モーリシャスはチャゴス諸島を含まない形で68年春に独立した。

 こうしてDGに米国が軍事施設を造る条件ができたわけであるが、そこで両国政府が問題としたのが、チャゴス諸島に住んでいた人々の存在であり、約1500人の住民(DGに最も多く居住)は邪魔になるとして、71年までに全員が島から放逐されたのである。彼らはその後、モーリシャスや、やはりイギリスから独立したインド洋の国セイシェル、さらにイギリスで、貧しい生活を送ることになったが、この島民放逐に際し、英米両政府は国際世論の批判を招かないように、彼らを住民ではない一時的滞在者として位置づけようとした。

 その後DGには米軍基地が造られ、世界に散らばる基地の中でも枢要の位置を占めるようになった。一方、DGの元住民たちは、島への帰還を望み続けたが、英米政府とも、その声に貸す耳を持たなかった。そうした状況が変化したのは、放逐が不当であったことをイギリスの司法の場で訴え始めた島民の主張を、2000年に裁判所が認めた時であった。しかし、政府は動かず、司法プロセスのなかでも彼らの訴えは最終的に却下されてしまった。

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 この行き詰まりに、新たな動きとして加わったのが、独立時のチャゴス諸島切り離しが自国の脱植民地化を不完全なものにしたとするモーリシャス政府による国連への提訴である。その訴えの妥当性を国際司法裁判所も認めた後、19年、国連総会は、チャゴス諸島はモーリシャスに帰属すべきであるとしてイギリスによる統治の終結を求める決議を、賛成116か国、反対6か国(英米は反対、日本は棄権)の大差で可決した。その後もイギリス政府の動きは鈍かったが、24年10月、チャゴス諸島をモーリシャスに引き渡すという合意の成立が突如発表された。ただしその合意のもとでも、DGでの基地の管理権については、99年間イギリスが維持する(ということは、米国への基地貸与もそのままになる)ことになっていた。それはDGに島民が帰還することはできないということを意味する。

 チャゴス諸島の主権移管をめぐる手続はこうして始まったが、その後、イラン戦争開始に際し、イラン攻撃のためにDG基地を使用することにイギリス政府が同意を渋ったことに対して、トランプは激怒した。一方イランの側も、DGに向けて弾道ミサイルを発射したこと(到達に失敗)が、話題となった。その状況を背景に、26年4月、イギリス政府は主権移管交渉の凍結方針を発表した。

 本稿冒頭で触れたトランプの構想は、この過程の延長上に位置した。彼は、さらに9月の国連総会の際、イギリスのバーナム首相との会談で、主権移管を「ひどいもの」と酷評した。

 DGが誰のものかという問いは、こうした経緯に照らして考える必要がある。

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 そこで問題になるのは、放逐された住民たちのことである。チャゴス諸島には、19世紀以来、アフリカ、マダガスカル、南インド、モーリシャス、セイシェルなどから移住してきた人々が住んでいたのであり、英米政府が彼らのことを一時滞在者と表現したことは事実に反していた。英領インド洋地域が発足した後、イギリスから送られた初代の代表(弁務官)は、彼らが住民と呼べる人々であることをはっきり認めていたし、放逐計画が本格化した頃、米国側はイギリス側に対して、対象を移住労働者と呼ぶべきだとの提言をしたが、それは定住している土地から人々を強制移住させているというイメージを与えないためだったのである。

 実際、この人々は島々のれっきとした住人であり、漁業やココヤシ栽培、野菜栽培などを生業とし、決して豊かではなかったものの、落ち着いた生活を営んでいた。放逐後、かつての生活について「お金といったら貧しかったけれど、食べ物では貧しくなんかなかった」と述べた島民もいる。彼らの回想では、争いのない全く平和な暮らしだったということが強調されることが多い。もちろん現実にはいろいろな矛盾や争いもあったわけだが、土地に(そして回りの海に)根ざした生活を送っていた住民たちであったことは確かである。

 その住民たちが全員、住む土地から強制的に引き離される形で島から追い出されたのである。それから10年と少したって、ほぼ同じ位の人数のフォークランド島民をイギリス統治下の島で住みつづけさせるために、イギリスが莫大な費用をかけてアルゼンチンとの戦争(フォークランド戦争)を行った事態との落差は大きい。その違いは、フォークランド島民が白人であったのに対し、チャゴス諸島の人々がアフリカなどを出自とする有色人であったことによると見てよい。

 彼らの多くはまずモーリシャスで暮らすようになったが、そこでの生活は苦難に満ちたものとなった。モーリシャスは、多民族社会であったが、チャゴス島民はひどい蔑視の対象となったのである。そのなかで、満足な職も得ることはできないまま、健康を害して、故郷では罹患したことのないインフルエンザなどで死んでいく者も目立ち、さらに自殺者も多く出た。ある統計によれば、75年だけで少なくとも11人の自殺者が出ている。それでもモーリシャスではチャゴス島民の間で一定の社会的絆ができていたが、セイシェルに渡った人々は、孤立して、より苦しんだといわれる。

 その後、イギリスが彼らの市民権を認めるようになると、イギリスに渡る者も出てきた。彼らの多くは、ロンドン近郊のガトウィック空港近くに住んでいる。イギリスでの生活について、ある元島民は、「人々はここでモーリシャスより貧しい生活をしている。食べ物がないというわけではなく、食べ物はたくさんあるものの、人々のあいだの相互関係、コミュニケーション、共に暮らしているという感覚が乏しいのだ」と語っている。

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 こうしたなか、前述した裁判手続きが始められた。元島民たちの願いは、ただ自分たちの島に戻ることであった。基地が機能し、そこでいろいろな人々が働いているにもかかわらず、なぜ自分たちは戻れないのかと問い、訴訟によってイギリス政府のとった措置が不法とされ、帰還を認めてもらうことを願ったのである。

 その願いが叶えられないまま(イギリス政府が許可したのは、墓参のための「訪問」だけであった)時間が経過した末に、モーリシャス政府とイギリス政府の主権移転の合意が成立したが、それはすでに述べたように、元島民の帰還を許すものとはならなかった。そもそも政府間の合意に際して、元島民の意見が求められることはなかったのである。合意をめぐる見解は元島民の間でも分かれたが、多くの元島民やその家族は反対を表明し、25年5月には協定締結を止めるための訴えを起こした。失敗に終わったその訴訟の当事者となった2人の元島民の1人、バーナデット・デュガッセに筆者は2度(2009年と11年)インタビューしたことがある。DG出身で2歳半の時に島を追われた彼女は、まずモーリシャスに住み、そこからセイシェルに、さらにイギリスへと移ってきたエネルギッシュな女性である。彼女は、経験してきた苦労について語った上で、自分たちの望みは島への帰還ということにつき、基地が存続すること自体はかまわないと述べ、イギリス人もそれ以外の世界の人々も自分たちの問題を全く知らない、と慨嘆していた。

島民の帰還運動の指導者の二人,デュガッセさん(右)とサブリナ・ジーンさん(左).ジーンさんは島民が追われた後,モーリシャスで生まれた(2011年8月,筆者撮影).
島民の帰還運動の指導者の二人、デュガッセさん(右)とサブリナ・ジーンさん(左)。ジーンさんは島民が追われた後、モーリシャスで生まれた(2011年8月、筆者撮影)。

 イギリス政府とモーリシャス政府の交渉、さらに国連での議論などによって、チャゴス諸島の問題が、以前に比べて少しは世界に知られるようになったことは確かである。しかし、元島民たちの願いは、その過程においても、一貫して無視・軽視されてきた。トランプがチャゴス諸島の米国領有について考えた際にも、元島民たちの姿は全く念頭になかったであろう。しかし、「ディエゴガルシアは誰のもの?」という問いへの答えのなかで中心を占めるべきなのは、間違いなく、彼らなのである。

(きばた よういち・イギリス帝国史、国際関係史)


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