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思想の言葉:市民社会の精神としてのリベラルアーツ 千葉 眞【『思想』2026年11月号】

◇目次◇

思想の言葉 千葉 眞

〈インタビュー〉レクヴィッツ,自らの思想を語る
アンドレアス・レクヴィッツ/聞き手・訳=橋本紘樹

西田の鏡
──場所と個体化の問題
ユク・ホイ/中村徳仁訳

政治と幸福,政治の幸福
──アーレントの「幸福論」をめぐって
橋爪大輝

〈インタビュー〉世界は病院である
──SCOT『リア王』再演をめぐって
鈴木忠志/聞き手=滝沢文那・目黒慎吾・本橋哲也

議論を続行するために
──マルク・ブロックにおける言い違いをめぐって
カルロ・ギンズブルグ/上村忠男訳

ドゥルーズとキルケゴール
──第2回 イロニーについて
檜垣立哉

【追悼 戸田山和久】

戸田山和久さんを悼む
伊勢田哲治

ユーモアとアイロニーと含羞の人
久木田水生

戸田山和久先生を偲んで
──微笑みの思い出,聞けなかった知識人への志向
植原 亮

戸田山和久氏を偲んで
唐沢かおり

 
◇思想の言葉◇

市民社会の精神としてのリベラルアーツ

千葉 眞

序にかえて

 現代の大衆消費社会においては、生産と消費への一方的な関心と期待が見られるが、そのための専門知と専門技術の重視のなかで、「人間はいかに生きるべきか」、「人間尊重の価値を高めていく社会とはどのようなものなのか」といった基本的な問いが、脇に追いやられる傾向にある。こうした状況下で、一部の大学教育の現場では、リベラルアーツ教育の価値と重要性について再認識する動きが注目されるようになった。

 文化(culture)という言葉の元となったラテン語の“cultura”は、そもそも「耕すこと」(耕作)を意味していた。この言葉は人間の魂の涵養、陶冶、育成を含意し、そこから教養や文化の価値への着目が生まれた。二〇世紀の政治哲学者、レオ・シュトラウス(Leo Strauss, 1899―1973)は、リベラル教育のエッセンスを“education in culture or toward culture”と定義した。彼は、「魂の涵養において洗練された人間」(“a cultured human being”)の形成こそ、リベラル教育の最終的な目標であると述べている(Leo Strauss, “What Is Liberal Education?,” in Twentieth Century Political Theory, ed. Stephen Eric Bronner [New York and London: Routledge, 1997], p. 100)。

 シュトラウスはつとにリベラル教育(liberal education)の重要性について語ったが、その関連で彼は「古典を読むアプローチ」(great books approach)をリベラル教育に必須な課題として推奨した。リベラル教育の原型として古来しばしば持ちだされたのは、一人のよき教師と一人の熱心な学生とが丸太のベンチに腰かけて、人間としての生き方や善や正義の追求などについてとことん話し合う人格的な交流・対話・コミュニケーションのイメージである。だが、実際にそのようなよき教師と一生において出会えるのは稀なことであろう。そこでシュトラウスは、代替策として、歴史上の偉大な思想家たちが残した古典的著作を細心の注意をはらって味読熟読することを挙げて、これこそが、よき教師との人格的対話を今日において継続していく有効な方法であると主張した。こうして今日、リベラル教育を実り多いものとするためには、「古典を読むアプローチ」が不可欠であると推奨されることになった。

 さらにシュトラウスは、リベラル教育を大衆社会や大衆民主主義に対峙させて論じる面があった。彼は、「リベラル教育は、民主主義的な大衆社会のなかに一種の貴族的精神を植えつけるのに必要な試みである」(Ibid., p. 102)と述べた。こうしたシュトラウスの主張は、一面、大衆文化や大衆消費社会に対する内在的批判というよりも、上から目線の高踏的な批判のようにも聞こえるかもしれない。しかし、それにもかかわらず、今日の世界における日本を含む多くの国々の大衆消費社会の空洞化とその帰結であるアパシー(無関心)とアノミー(無規範)といった精神状況を考慮に入れると、社会に方向性と力動性を賦与する理想や価値規範の源泉として、社会各層に高邁な精神が要請されるというのは、一面もっともなことである。この高邁な精神は、シュトラウスの場合、ソクラテスが当時の古代ギリシアにおいて自他の言動の吟味を通じて表現し実践した対話と善の探究の精神でもあったであろう。それはまた、一面、今日的状況ではリベラルな精神であり、とりわけリベラルアーツの精神であるとも言うことができるのかもしれない。

二つの市民社会論

 市民社会の概念は、今日、しばしばギリシア神話に登場するプロテウス──変幻自在にみずからの姿を変える海神──になぞらえられる。それほどに現代の市民社会の概念について一義的な定義を与えることは困難である。現代のしばしば「新しい」と形容詞が付けられることの多い「市民社会論」の二つの系譜を見ておきたい。

 第一の系譜を「市民社会A」と名づけておこう。その強みは、従来のヘーゲル=マルクス的系譜に基本的に調和する定義を有する点にある。それは、「経済社会」をも主要な領域として含む複数性の領域としての広汎な市民社会の概念でもある。「市民社会A」においては、資本主義的市場、社会主義的協働、民主主義的シティズンシップ、ナショナリズムなど、いずれもそこに排他的にヘゲモニーを確立することは不可能とされる。むしろこの「市民社会A」は、それらの複数の要素が相互に緊張をはらみながらも競合し拮抗している「種々の枠組みからなる枠組み」にほかならない。その理解にしたがえば、市民社会は「複数性の領域」であるとされる。この「市民社会A」の代表的論者はマイケル・ウォルツァーである。

 次にこれとは異なる市民社会の第二の系譜がある。それは経済市場を排除した仕方で市民社会を定義する系譜で、ここではそれを「市民社会B」と名づけておきたい。その理解によれば、「市民社会B」とは、人々の意見や判断や活動を基盤にして成立する公的領域であるとされる。こうした理解の代表的論者は、ユルゲン・ハーバーマス、さらにジョン・キーン、ジーン・コーヘン、アンドリュー・アレイトー、坂本義和などである。たとえばハーバーマスは、市民社会の核心を労働市場、資本市場、貨幣市場によって支配される経済的領域として理解するのを拒否し、むしろ市民社会とは「民衆の自発的なイニシァティヴに基礎づけられた非国家的および非経済的な諸種の共同社会(アソシエーション)」として定義した(例:ハーバーマス『公共性の構造転換』原著は一九六二年刊行)。この民衆の公的領域としての市民社会は、「教会、文化サークル、学術的社会、独立のメディア、市民運動、職業団体、政党、労働組合など」によって構成される。

戦後日本の市民社会論

 一九五〇年代から一九七〇年代にかけて、戦後日本において内田義彦、高島善也、平田清明などによって市民社会に関する議論が提示され、隆盛をきわめた。この戦後日本の市民社会論は、とくに社会主義の立場から市民社会を新たに定義し直した点に特徴があった。たとえば平田清明は、次のような市民社会の定義を示した。市民社会とは、「私的所有権が支配する市場社会(企業社会)と根源的に対峙される道徳社会(家庭・学校・地域社会・友人関係がもつ独自の価値規範関係)」、あるいはまた「具体的な人間がひらの市民として相互に自立し対応し、その所持する物や意思を交通しあう社会」(平田清明『市民社会と社会主義』一九六九年)であるとした。

 こうした戦後日本の市民社会論は、民衆の「公的領域」としての近年の「市民社会B」と重なり合う面が多くある。その意味では、戦後日本で大いに議論された市民社会論は、一面、近年の西欧社会における「市民社会のルネッサンス」を先取りした事例だと言うこともできよう。

一九九〇年代以降の新しい市民社会論

 一九九〇年代以降、日本社会においても本格的な「市民の時代」の訪れがみられるようになった。政治学や法学の分野においても、デモクラシー論、リベラリズム論がさまざまな見地から、新たな内容をもって提起されるようになった。同時に新たな市民論、新しい市民社会論が提起されるようになったが、そのアプローチや試みは多種多様であり、たとえばラディカル・デモクラシー論、新しい市民社会論、在住外国人の地方選挙権の承認といった議論、さらには「段階的市民権」(駒井洋)の問題提起などがなされた。実際の議会政治においても、民主党と社民党などが「市民政党」として名乗りを上げるようになった。こうした動向は日本に限られた現象ではなく、一九九〇年代以降、世界各地でみられた「市民社会のルネッサンス」と連動していた。

 一九九七年一月の朝日新聞紙上で、中曽根康弘元首相と鳩山由紀夫民主党代表(いずれも当時)との興味深い「市民vs.庶民」論争がみられた。日本人はいまだに「市民」になりきれておらず「庶民」にとどまっているとの中曽根氏の主張、これに対して鳩山氏によれば、「庶民」は支配権力に従順で受動的な「臣民」という一面を引きずっているとし、現代において「庶民」は必要な時には支配の過剰権力や不当な権力行使に異議申し立てをする「市民」であり、そのようにならざるをえないと述べている。ここでは「市民」(citizen)は、個人の私的関心と利益を追求するとともに、公的世界への責任を担おうとする公的存在として理解されていたと言えよう。一九七〇年代以降の「新しい社会運動」(アラン・トゥレーヌ)を構成するとされる環境問題、少数民族のアイデンティティー承認の問題、フェミニズム運動、核兵器廃絶運動などは、実際に私民と公民という二重の役割を自分のものとした「市民」によって担われてきた。こうした世界の動向は、一部、日本においても見られるようになった。

「生活者市民」の登場

 多くの日本人にとっては「市民」は「抽象的」なものだという議論がある。ヨーロッパ諸国の初期近代の共和主義的な市民像は「祖国のために死ぬ」決意が欠落していなかったとされる一方で、それは日本の市民論には欠けていたと指摘されたこともある。

 現在において市民は「生活者」としての「市民」、つまり「生活者市民」としてとらえ直す必要があろう。一九六〇年代以降の多くの社会運動や市民運動は、共和主義的な市民像とは無縁であったとしても、それは総じて「生活者市民」によって担われてきた。これらの運動の事例としては、諸種の公害反対運動や消費者運動、ベ平連運動、生活クラブ運動などを挙げることができよう。そこには当時から現在にもつながるボランティア運動への意識と関心の高まり、市民社会の組織としてのNGOへの期待の高まりが見られたのである。その後押しとなったのは、NPO法(特定非営利活動促進法)の成立(一九九八年一二月一日に施行)などがあった。ここでの市民は、「生活者」としての「市民」なのであり、まさに「生活者市民」として表現することができるであろう。この「生活者市民」こそ、現代の「市民社会」の担い手であり、存在論的基盤でもある。(Cf.,天野正子『「生活者」とはだれか──自律的市民像の系譜』[中公新書、一九九六年]。高畠通敏『生活者の政治学』[三一書房、一九九三年])

 私の考える「生活者市民」の定義は、以下のとおりである。「生活者市民とは、生活世界に「生活の座」をもつふつうの人々のことであるが、私的な利益追求を行うと同時に、公的世界の動向にも関心を寄せ、自分なりの意見と判断を所持し、必要とあれば、政治についても声を挙げ、直接間接に社会参加や政治参加をも行う私的および公的主体である」。

結びにかえて

 市民社会の特質は、多様な人々の存在と交流による「複数性」の視座と価値によって保証されている点にある。市民社会の公共性、つまり「市民的公共性」は、その中心に人々のこうした「複数性」の視座と価値を備えている。というのも、「市民的公共性」は、「あらゆる人々や集団に席が設けられている」という意味で「複数性(排除への抵抗)の領域」として成立しているからである。さらに「市民的公共性」は、人々が自分たちの発意で何かを創始することができるという意味で「自由の領域」として理解される必要がある。こうして市民社会の公共性は、しばしば画一的な価値を前提とし、それを押し付けようとする伝統的な国家観や国民観と相容れない面をどうしても保持することになる。

 リベラルアーツの精神とは、自由な探究を重んじ、個々人のよき人生、社会や世界の平和と共通善を追求する自由と創造の精神である。このリベラルアーツの精神こそ、まさに市民社会の精神であることを実感する。このリベラルアーツの自由と創造の精神の特質は、よき社会と平和な世界の創造と維持のためになくてはならいないものと言えるのではなかろうか。

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