甫木元空 [表紙に寄せて]夢の住人は大変だ[『図書』2026年10月号より]

映画という夢の中に閉じ込められた人の苦悩は計り知れない。自分というなにより疑いようのない現実の操縦桿を最後まで握りながら、視界もおぼろで夢のような雲の平原を進まなければならない。映画は夢。残念ながら夢はいい側面だけを持ったものではないようだ。
映画『紅の豚』に出てくる飛行艇乗りは皆、生きるか死ぬか、こちらかあちらかという境界線など無視して、ロマンという夢を生きている。夢は呪い。一度夢の住人になると、どうやら現実は生きにくい。
飛行艇の離着水のアクションはいつみても感動する。あそこに生と死の境界があり、夢と現実の境もある気がする。夜寝て朝起きるとき、だれもが夢と現実の間で離着水をしている。多くの人は夢から帰還し現実を生きるが、この映画の監督や登場人物を見ていると、片道切符で空に飛び立ち、夢に居続けるのは途方もなくめんどくさい事なのだろう。
ジブリ映画の中に豚は度々登場するが、みな呪いをかけられている。我が家にも夢に生きた豚がいた。舞台の演出家をしていた父は、運転中も食事中も何処か上の空。母は音楽をやっていたが、子供達のために夢に生きることから降りた人だった。
「いい奴はみんな死ぬ」──映画の中で吐かれるこのセリフ。本当に優しい人は、優しさの持ち合わせが限られていて、配れる数が決まっていることを知っている。母が死んだ時にそう思った。誰かのために生きた人は早死にすると聞いたことがある。未来や過去でなく今を生きることになるから。本当の優しさを知っている人の死に際は寂しい。いつか夢の呪いを逃れて現実を生き、この一生乗りこなせそうにない自分という乗り物を乗りこなす日は訪れるのだろうか。
(ほきもと そら・映画監督、ミュージシャン)




