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榊原悠介 賢者の言葉を探して[『図書』2026年10月号より]

〈『影との戦い』日本語版50年〉
賢者の言葉を探して

 

 今から20年前、デザイン科の学生だった僕は、次々用意される課題と、就職用の技術の詰め込みに疲れ、膨れ上がった頭を抱えて悩んでいた。ひとつひとつの出来事を、つい立ち止まって考えてしまう。飲み込めるまで咀嚼しているうちに次の出来事がやってきて、消化不良のまま頭に溜まっていく。本屋に向かうのには不純な動機だが、思考することから逃げたくて、僕は本を求めた。

 当時黄色いカバーだった「ゲド戦記」全巻を手に取ったのは、どこか別の世界に連れて行ってくれそうだったから。中学生の時に1巻の途中まで読んだことがあったが、魔法使いが船で旅をすること以外のほとんどを忘れていた。読み始めると、僕の狙いは外れていた。手に取ったのは、まさに思考と探究の物語だったのだ。

 主人公のゲドは若くして魔法の才能に恵まれ、その傲りと高慢の心から死霊の影を呼び出してしまう。もしこの物語が、その影の正体を突き止め、退治しようとするだけの物語だったら、僕の半生を通して影響される大切な本にはなっていなかっただろう。失敗から生まれたその影を、この本は悪ではなく光と共にある影として表現する。このことが、当時の繊細な思考に苛まれる学生を救ったのだ。思考からは逃げられない。むしろこのファンタジー小説の登場人物は、積極的に思考し、探究する賢者達だった。

 『影との戦い』の中盤、ゲドは師匠の言葉に従って、追ってきていた影を、今度はこちらから追う旅に出る。ここまで読んで、僕はザックに着替えと目覚まし時計、そして「ゲド戦記」全巻をつめこんで、アジアを旅することに決めた。

 初めてのひとり旅。初めてのアジア。タイのバンコクの安宿で、外の喧騒に怯えながら再び本を開く。読み進めていくうちに、自分がぼんやりと抱いていた、宇宙の不思議、世界への疑問が物語に見事に編み込まれていることに気がついた。

 「ゲド戦記」の舞台であるアースシーの世界では、魔法が化学とも物理学ともとれる現実性を帯びている。真の魔法とは、光、熱、磁力といったエネルギーや、人間が重力、形、色、音などとして受けとめている力を呼び出すことであり、魔法で石ころをダイヤモンドに変えることができたとしても、それは宇宙の物理法則の中で起こるものなのだ。大魔法使いオジオンが、ゲドに言い聞かせるこんな言葉がある。

 

 「魔法は楽しみや称賛めあての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それが払う代価をまえもって知っておくのだ」(『影との戦い』清水真砂子訳、以下訳者同じ)

 

 また、大賢人となったゲドが、今度はある国の王子アレンの師となって教える言葉にもこれは現れている。

 

 「いいかね、アレン。何かをするということは、簡単に石ころでも拾って、投げて、あたるかそれるかして、それでおしまい、などと、そんな、若い者が考えるようなわけにはいかないんだ。石が拾い上げられれば大地はその分軽くなる。石を持ったその手はそれだけ重くなる。石が投げられれば星の運行はそれに応え、石がぶつかったり、落ちたりしたところでは、森羅万象、変化が起きる。何をしても、全体の均衡にかかわってくるんだ」(『さいはての島へ』)

 

 僕が知っていた魔法物語は、ここまで語ってはくれなかった。魔法使いが空を仰いで一言唱えれば、簡単に稲妻が悪を討つ。魔法のステッキを一振りすれば、目の前に馬車もごちそうも現れる。本当にそうだろうか。魔法のステッキが光ったその反対側には必ず影が生まれ、暗がりができる。そのことを知ってなお、変化を強いるのが魔法であり、科学技術ではないのか。地球環境に対して人間が犯した過ちは、実は幼少期の魔法の捉え方から、ボタンをかけ違えてきたのかもしれないとすら思った。

 バンコクからバスでカンボジアに渡った。とにかく言葉が通じない。こちらの英語も拙いが、彼らの商売に特化した勢いのあるアジア英語も時に意味不明で、言葉を出し尽くした末、身振り手振りと情熱で意を伝え合うこととなる。ひるむと騙され、ぼったくられる。やっとのことで越境し、最初の飲食店に駆け込んだ。パクチーの効いたヌードルをすすりながら、また本を開く。真の名。真実の言葉。この概念も、僕の世界の捉え方にかかっていた霧を見事に取り払ってくれた。

 全ての物は、固有の真の名前をもっており、その名前を知り、操ることで魔法は発動する。それぞれの国で、それぞれに付けられた名前ばかり見ていては、物の本質は掴めない。りんごが正しいかそれともアップルか。目の前にある赤い果実の真の性質を知ることなしに、調理などできるはずもない。僕は「真の名」を、「物事の本質」に置き換えて旅を続けた。

 世界遺産アンコールワットのある町シェムリアップ。2巻、『こわれた腕環』を読み終わった僕は、舞台となったアチュアンの墓所と、目の前の美しい世界遺産を重ねて見ていた。日本人が経営し、カンボジアの青年たちが運営する宿に滞在しながら、片言の日本語を話す彼らに僕はいろんなことを教えてもらった。シェムリアップはクメール語で、「タイ人を追い払った」という意味らしい。シェムはシャム、すなわちタイのこと。リアップは追い払う、打ち破るという意味なのだとか。かつてタイに支配されていた時代、クメール王国が隣国のシャムの侵略軍を撃退した、抵抗と戦勝の歴史が町の名前に刻まれていたのだ。知ることで見えてくる奥行き。もともと霊廟として建てられたアンコールワットを歩きながら、僕はこの場所に隠れている歴史に思いを巡らせた。しゃがみ込んで、読み終えた2巻をもう一度開く。ゲドが、アチュアンの大巫女アルハを墓所から救い出し、「テナー」という真の名を付け直す場面。ゲドはテナーに語りかける。

 

 「天地創造の際の、古い、真実のことばを知り、それをしかと身に付けること。今もなおいっさいの魔法は、それができるかどうかにかかっているんだ。もちろん呪文も習わなければならないし、ことばの使い方もいろいろある。その上に、さらに、人は、魔法を使った結果についても知らないではすまされない。だが、魔法使いの生涯の大半は、ものの名まえをあきらかにすること、その方法を見つけ出すことに費やされるんだよ」

 

 他の観光客がいなければそのまま読み耽っていたが、本を閉じてまた歩き出す。真実の言葉という文字がまぶたの裏に残っている。ああ、そうだったのか。ひとつひとつの出来事に立ち止まり、飲み込めるまで咀嚼する。止められない思考。僕はそこに隠れている真実を解りたくて、こんなめんどうくさいことをしているんだと、世界遺産の寺院の中でひとり大きく納得した。

 考えることは力になる。止められないから逃げようではなく、解るまで思考してむしろ追いかけよう。そう思えたきっかけとなった旅だった。こんな調子で、旅の事あるごとに、まるで辞書を引くように「ゲド戦記」を開き、ゲドやオジオンの言葉に納得したり、テナーやアレンが運命に必死に抗う姿にはげまされたりした。

 旅を終え、全巻を読み終えてから7年が過ぎた。この年、僕は兄と父を続けて亡くした。アンコールワットでしゃがみ込んで『こわれた腕環』を開いたように、また僕はしゃがみ込んで、3巻『さいはての島へ』を開いていた。確か何か書いてあった。今の僕にかけてくれる最良の言葉をもつ賢者が、この中にいたはずだ。その時は読み返すというより、言葉を探していた。物語の中盤で、その言葉は大賢人ゲドから、死への恐怖で自暴自棄になるアレンにかけられたものだった。

 

 「そなたは今愛しているものを、今後も愛し続けるだろう。引き受けたことは必ずやりとげるだろう。そなたは希望を実現し、人の信頼に十分応えられる男だ。ただ、まだ17歳だ。絶望に打ち負かされてしまうのも無理はない。だがな、アレン、ようく、考えてみてくれ。死を拒絶することは、生を拒絶することでもあるんだよ」

 

 家族を失ったばかりの僕には、少々厳しすぎる語りだと今では思うが、この語りに続くゲドの死生観を繰り返し読むことで、自分で自分を慰めていたのだと思う。ゲドとアレンの生死に関わるやりとりは、こんな風に締め括られていた。

 

 「わしにはわかるのだ。本当に力だといえるもので、持つに値するものは、たったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなく、受け入れる力だ」

 

 初めての旅と、家族の死。この二つの出来事が、僕のその後の人生のテーマを決定づけた。物事にひそむ真実を見極めること。命の有りようを受け入れること。おおげさなようだが、僕は何度もゲドに救われてきた。

 初めての旅から20年。この機会に、41歳になった僕はもう一度「ゲド戦記」を読み通してみた。『さいはての島へ』が刊行されてから18年が経って、三部作だと思われていたシリーズのその後が描かれた。僕はこの物語が、何度読み返しても深く芳しい読後感をもたらすのは、大賢人の「その後」が描かれるところにあると思っている。大命を全うし、魔力を使い果たしたゲドが、人生を取り戻すように人間愛に包まれていく。空っぽになってしまったゲド。僕たちが知っている庶民の暮らしの中に、老人ゲドはあまりにも弱々しく生きていた。喪失感に耐えながら、慎ましい生活がゲドの身体に少しずつ溜まっていく。魔法とは何だったのか。生きるとはつまり、どういうことなのか。思考は続いていく。

 これからの人生の折、僕は次に何巻を読み返すことになるのだろう。僕の人生はまだ「その後」ではない。でも経験から知っている。きっとまた近く、僕は何かにつまずき、うなだれ、しゃがみ込んで、賢者達の言葉に救われる未来が来ることを。

(さかきばら ゆうすけ・書店店主)


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