門下祐子 教え子の結婚式におもうこと[『図書』2026年10月号より]
教え子の結婚式におもうこと
教え子の結婚式に招待された。
中学や高校の教員であれば、特段珍しいことではないかもしれない。しかし、わたしにとってそれは特別な意味をもつ。なぜなら、現在、大学教員であるわたしは、以前、特別支援学校(以下、支援学校)の教諭を11年間務めており、式に招待してくれた教え子には知的障害があるからだ。
教え子の名はトウマ(仮名)。かれとは支援学校の高等部で出会った。地域の公立小・中学校に通っていたトウマが、支援学校に入学することは、かれの本意ではなかった。かれの担任になって2年目のある日、ふとトウマが問いかけた。
「先生、俺ってなんの障害?」
鋭い眼光から発せられるその問いに、かれのこれまでの人生が垣間見える。本当は公立高校に行きたかったのに、「お前はバカだから支援学校にしか行けない」と言われたこと、中学時代、数学の授業はわからないだろうからと、「パソコン室にいていいよ」と配慮にみせかけた排除をされていたこと、家では弟や妹の世話を任され、親と衝突することが多かったこと。会話も運動も細やかな作業もできるのに、学校の勉強ができないだけで、なぜ支援学校に行かねばならなかったのか、自分と同級生は何を根拠に線引きされているのか、素朴な疑問の背景に、静かな怒りや憤りがあった。
あの時のわたしはなんと答えたのだろう。障害は個人ではなく社会制度・環境に帰因するという「社会モデル」の考えこそ知ってはいたものの、トウマのストレートな質問にまごつき、歯切れの悪い返しをしたように思う。いわゆる「知的障害」の説明や、支援学校だからこそ、個に応じた教育を受けることができている子もいるなど、思いつく限りの話をして、結局は、「でもさ、障害ってそもそもなんなんだろうね……」と一緒に考え込むことしかできなかった。
おとなは信用ならないと、出会った当初は敵意剥き出しで、目も合わせようとしなかったかれが、やっと心を開きつつあった中で問うてくれたのに。
生徒らは時折、校外でのトラブルにも見舞われた。他校の高校生にバカにされたり、アンジェルマン症候群の生徒が電車内で笑われながら写真を撮られたりしたこともあった。「障害がある」とされた者は、そうでない者とまったく異なる環境に置かれ、理不尽な差別と偏見にさらされる。かれらとの日々は、障害の有無という人為的線引きがもたらす現状をまざまざと見せつけられる機会でもあった。
「ずっと結婚したいと思っていた」
本稿の冒頭で、「特別な意味をもつ」と書いたのは、知的障害のある人が結婚すること自体が稀だという現実があるからだ。
厚生労働省「令和四年生活のしづらさなどに関する調査」によると、配偶者と暮らしている身体障害者手帳保持者は66.2パーセントであるが、療育手帳(知的障害者に交付される手帳)保持者は10.2パーセントにとどまっている。さらに内訳を見ていくと、19歳―64歳で配偶者と暮らしている者はわずか4.2パーセントと極端に少ない現状にある。この結果を鑑みると、結婚を望んでいるにもかかわらず叶えられない、あるいは周囲から遠ざけられている知的障害者が一定数いることが推測される。
事実、ある知的障害者が綴った文章には、ずっと結婚したいと思っていたが、家族や支援者に「誰が生活費を出すんだ」と反対されたこと、30年たってようやく結婚できたものの、自身に肺がんが見つかり、もっと早くにどうすれば二人で生活していけるのか一緒に考えてほしかったことが記されている(『手をつなぐ』2024年2月号、2―3頁)。
ただし、ここで強調しておきたいのは、誰もが結婚を望んでいるわけではないということだ。言うまでもなく人の生き方は多様であり、もはや結婚を「誰もが目指すもの」と大っぴらに語る者はそう多くないだろう。
他方で、日本で同性婚が認められていない現状は、それを望む人が実現できない事実を示している。異性愛者同士が結婚し、「家庭」を築く出発点とされる結婚式において、「〇〇家に嫁ぐ」、「新郎は一家の大黒柱として」といった言葉が悪気なく飛び交うさまを目の当たりにする。
いつからか結婚式への参列は、純粋に主役の二人を祝福したい気持ちの奥に、社会的課題に対する煩悶が芽生え、少なからず心の負荷を伴うものになっていた。
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トウマにとって、かれが大切にしたいと想う相手との結婚は念願だった。時折、恋愛の相談をしてくるようになったのは高等部を卒業してからだ。トウマは、障害者雇用枠で就職し懸命に働いた。誠実な仕事ぶりと、後輩への面倒見の良さから、職場で少しずつ信頼されるようになった。
しかし、知的障害が軽度かつ一般就労が可能であったかれは、障害年金を受給できず、地方でギリギリ一人暮らしができるくらいのお金しか手元にはなかった。食費を浮かせるために、自分で握ったおにぎりを職場に持参するなど、節約して暮らした。
プライベートでは、困っている友人がいれば駆けつけ、悩みを聞いた。かれに救われたという教え子のレオ(仮名)が、「トウマには、マジで感謝してる」と感慨深げに話してくれたことは忘れ難い。学生時代に殴り合いの喧嘩をし、数ヶ月にわたって口をきかなかったかれらが、今では助け合いながら生きていることに胸が熱くなる。
もちろん、教え子はトウマのように言葉で会話が交わせる者だけではない。発語がなく四肢麻痺で医療的ケアが必要なケイト(仮名)や、パニックを起こすと他者に噛みついて怒りを示すナオヤ(仮名)など、特別支援学校の教員という職業が毎年ちがう見え方をするほど、子どもたちの個に応じた専門性が求められ、自己研鑽が常の仕事であった。学部時代に障害児教育を専攻していたものの、オムツ替えやトイレ介助、摂食指導、口腔内の吸引といった医療的ケア、さらには進路指導や生徒指導、どれも生まれて初めての経験であり、かけがえのない教育的営みであった。
天職だと思うほど充実した毎日であったが、かれらとの出会いから生まれた、いくつもの問いに向き合うべく、一度休職し修士課程に進学。その後、教員を退職して博士課程へと進んだ。
知的障害者における「性」を研究する
勤めていた支援学校は、昭和63年度に性教育推進委員会が設けられ、小学部から高等部まで、年間指導計画に基づいた系統的な性教育を実施していた。先輩教員の実践は、日々変化する子どもたちの実態に即したものであり、指導内容やグループ編成の柔軟さには学ぶことばかりであった。職員朝会で当たり前に性的な話題が共有されることに、教員になって日が浅かった当時のわたしは面食らったが、すぐにその重要性と意義を感じ、実践に励んだ。しばらくして性教育推進委員長の依頼があった際は、「せっかくなら、全職員で取り組んでより良いものにしていきたい」と前向きな思いで引き受けた。
しかし、そのような実践は全国的には稀有であった。性教育を実施していても、何かしらのトラブルはつきものである。そもそも性教育は、トラブル防止を目的とした教育ではない。
とはいえ、勤務校では起きていなかった問題が全国的には頻発している。それにもかかわらず、ほとんどの支援学校は性教育には積極的でない。結果的に事後対応に追われ、生徒が不利益を被っている現実を知った。溢れ出す「なぜ?」を腕いっぱいに抱え、大学院での研究をスタートしたのである。
「性」を取り巻く言説への疑問
「知的障害のある人への性教育や支援について研究しています」。そう話すと、まるでゴシップ記事のような、知的障害者に対する無自覚な偏見に満ちた言葉を投げかけられることがある。
ああ、またか。何度そう思ったかしれない。大抵は、わたしが「障害に起因する困りごと」といった課題意識のもとに研究しているのだろうと慮っての発言だと思う。
他方で、ソーシャルメディアや報道の影響力を感じる。確かに、性被害を受けている人も、子どものマスターベーションをどのように支援していくべきか悩んでいる保護者もいる。だからこそ報道によって世論を動かし、社会的課題として位置づける取り組みは重要である。
しかし、「知的障害者」と決して一括りにはできない教え子たちとの日々を生きてきた立場からすると、そのイメージがあまりにも一面的でネガティブであることに気づく。とりわけ「性」については、知的障害者=「脆弱で保護すべき存在」あるいは「性に奔放でコントロールが効かない存在」というステレオタイプが付き纏う。気づいたときには、これらすべてが自身の研究への燃料となっていた。
「守る」から「共に学ぶ」へ
このたび、一連の研究成果を書籍として刊行した。タイトルは、『知的障害者の性──「守る」から「共に学ぶ」へ』(岩波書店、2026)である。
本書は、以下の4つの研究課題に基づき実施した9本の調査研究からなる。
①知的障害者は、なぜ「性の権利」の「主体者」として認識されないのか。
②かれらに対する性教育や支援は、なぜ「保護」の観点から行われるのか。
③職業リハビリテーション領域において、知的障害者の「性の権利」を尊重する支援のあり方はどうあるべきか。
④知的障害者自身はどのような性教育や性に関する支援を望んでいるのか。
特に、障害者雇用率の向上とともに、支援学校では就労に向けた教育は熱心に行われているが、性教育の優先順位は低い。さらに就労支援の現場では、性に関するトラブル対応は後手に回り、課題は山積している。③と④はそうした問題を踏まえて設定した。
これらの結果をもとに考察を述べ、提言を示した。従来、親や支援者の視点から論じられることが多かった知的障害者の性について、知的障害者本人の語りやニーズを軸に考察している点が本書の特色である。
本書の副題を、『「守る」から「共に学ぶ」へ』とした意味を、一連の研究から感じ取っていただけたら望外の喜びである。
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最後に。
なんだかんだと述べてきたが、トウマがチャペルに登場した瞬間、涙が止まらなかった。わたしは、「知的障害のある教え子が結婚する」ことが嬉しいのではない。教え子の中には、一人で暮らしている者、グループホームで生活している者、子育てをしている者、親と同居している者、施設に入所している者もいる。それぞれが自分らしい暮らしを送れているなら、それは喜ばしいことである。「結婚=幸せの集大成」ではなく、知的障害者のそれが稀だからといって、「誰もが結婚できるように」と訴えたいわけでもない。ただ、トウマが学生時代から望んでいたことが今まさに叶おうとしている。それが何よりも嬉しかった。叶えるまでにどれだけの障壁があったかも、すべてではないが知っているから。
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教え子たちと同じテーブルで「恩師」と書かれた席に座った。「先生、俺たちがあの時、先生にどれだけ迷惑をかけたか、今ならわかる」そう話してくれたのはリョウ(仮名)だった。式が終わり、かれの車で駅まで送ってもらった。
「先生、あの時は本当にごめんね。これ、お詫びの品です!」
車にはリボンで包まれたプレゼントが用意されていた。こんなことが人生で起こるなんて、当時のわたしに囁いてもきっと信じないだろう。「こちらこそ、あんなに厳しくしてごめんね。反省してる」。互いの未熟さゆえに、ただただまっすぐにぶつかりあった日々を思い出す。
「今日は夢みたいな一日だったね」
そう話すと、「先生、次は俺の結婚式に呼ぶから、その時はスピーチお願いします」とリョウが言う。号泣して何も言えなくなるから絶対に引き受けたくないと伝えると、「先生、本当に何も変わらないね」と笑われた。
お祝いするはずが、わたしが心底幸せに浸っていた、そんな一日だった。トウマの柔らかな幸福に満ちた表情、職場の上司のスピーチ、遠方から駆けつけた多くのゲストの笑顔に、かれの生き様をみた。
結婚式でなくても、なにかの式典でなくても、誰にもこんな日が訪れますように。そう願うのは、おこがましいだろうか。誰もが、望む場で望む生き方が叶う社会となるよう、自分にできることを続けていこう。泣き腫らした目でここに誓う。
(かどした ゆうこ・セクシュアリティ教育)




