web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

見過ごされてきた「学びの発達障害」──『学習障害(LD)』(岩波新書)著者、小貫悟氏インタビュー

聞く、話す、読む、書く、計算、推論といった学習面での困難を抱える学習障害(LD)。その考え方の基礎や学校・家庭での支援、社会的包摂の可能性について包括的にわかる新書『学習障害(LD)――見えにくい困難への支援』が刊行されます。子どもの学習のつまずきへの支援に長年関わってきた著者の小貫悟さんに、多くの子ども/大人が悩む一方でいまだ十分に知られていないLDの実情や支援について伺いました(聞き手:岩波書店 編集部)。

 


やっとLDに光が当たるように

 学習障害(LD)は、「基本的には、全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、様々な障害を指す」(文科省)と定義されています。ただし、これはなかなかイメージしされにくい面があるようです。

 その最大の理由として、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などほかの発達障害や知的障害、境界域知能などとくらべて、日常生活や対人関係での困難が目立ちにくいことがあります。LDが他の障害と重複するケースはありますが、LDだけのある子どもは、日常では何ら問題なく過ごしていることが少なくありません。ですから、乳幼児期~未就学の段階は気づきにくく、学習が本格化する学齢期にはじめて問題が顕在化していきます。

 本書にも記しているのですが、実は私自身も子どもの頃から書くことに困難があり、ミスばかりして強い苦手意識をもっていました。ですが、大学でワープロを使うようになり、「てにをは」に問題があっても後から直せばよくなり、苦手意識を持たずに文章を書けるようになっていきました。私の場合は、テクノロジーで困難を避けることができましたが、人によってそれだけでは難しい場合もあり、困難の度合いによって対応も変わります。

――研究・支援で子どもの学習のつまずきに関わってきた観点から、学校現場や世間におけるLDの理解はどのように広がっていると見ていますか?

 先の文科省の定義はすでに30年近く前のものであり、教育現場への通知もなされてきました。ただ、先生たちも保護者も、多くの方がLDをよく知っているとはいい難いのが現状です。

 発達障害のうち、対人行動の面で見えやすいASDやADHDは学校現場でも比較的早く理解が広がってきました。他方のLDは「静かに困っている」発達障害でもあり、一見その子が何に困っているのかが伝わりにくい。また、詳しくは本書の第2章をご参照いただければと思いますが、LDは基本的に教育用語であり、精神医学の診断基準として使われているDSMに「限局性学習症」の記載はあるものの、医療面での診断・治療はなかなか難しいのです。それもあって、何をもってLDとするのか、その存在も子どもたちの困難も、また支援策についても十分に理解されてこなかったのが実情でしょう。

 ただし、近年そうした状況は大きく変わりつつあります。文科省は約10年に一度、通常の学級に在籍する「支援を必要とする子」の調査を行っていますが、2012年発表の調査ではその割合が6.5%だったところ、最新の2022年発表の調査では8.8%となっています。この増加した割合の大半が学習面に困難をもつ子、すなわちLDの可能性のある子であり、これまで気づかれてこなかったLDの存在に、近年やっと光が当たるようになってきたと考えられます。

「できない」より「やらないだけ」のほうが傷つかない

――その子がLDなのか、それとも「勉強しないからできない」のか、違いを判別するのは難しそうです。

 たとえばよくあるのが、読む/書くことに困難のある子の保護者が「勉強しないからできないんだ」と叱るというものです。ですが、その子は敢えて「できない」よりも「やらない」という立ち位置にいるのかもしれないのです。

 LDには二次障害が必然的に生じます。つまり、他の子と同じように学ぶなかで、自分は勉強が苦手であることに気づく。人と比べられやすい読み・書き・計算ができないことによる自信喪失の影響は大きいのです。だから、「できない」ことを認めがたく、わざと「やらない」ままでいることで、自分が傷つかないようにしているのかもしれない。ご質問のような違いは、そもそも明確に分けられるものではないのです。

 わたしたちはつい、「取り組んでみれば、できるようになるはずなのに」と考えてしまいがちですが、やらない理由があるのもLDの問題なのです。苦手さといっても、部分的に濃淡があるので、ある領域はがんばって取り組めばできるかもしれません。しかしLDの子にとって、「苦手なことを取り組んで克服する」というのは、人一倍大変なことです。保護者が叱りつけてなんとか長時間学習に取り組ませる、しかしそれでもできず、「……もしかしてLDなのでは?」と気づくというのが、しばしば見られるケースです。本人がつらい思いをしないと気付けない現状があるのです。

つまずきの背景を合理的に推測する

――本書ではLDの定義や理解に続いて、困難に対する説得的な「因果律」をつくるという考え方を示しています。この因果律という考え方について少しご説明いただけますか?

 我々は誰しも、なにか困難につまずくと「なぜそれができないのか」という因果関係を考えます。一番シンプルなのは、「やらないからできない」であり、その因果律で捉えること自体はごく普通のことです。

 ただ、それにこだわると「ではもっと繰り返しがんばればできるはず」となりますが、そうした関わりはLDの場合にはたいてい効果が薄く、苦痛も大きい。そうではなく「別の因果律で考えよう」というのが、本書での主要な提案のひとつです。全く別の因果律を引き出す思考の枠組みを紹介しています。

 作文を書くのがどうしても苦手、という子がいたとして、もしかしたらその子は文字を書くことに困難があるのかもしれない。だとすると、文字を手書きさせるのではなく、キーボードで入力できるようにしたら、作文を書き始められるかもしれない。あるいは、まっすぐ文字を書くのが苦手であれば、線や枠の入った紙に書いてもらうことで、その問題が軽減されるかもしれない。

 他の子と同じように文章を手書きすることが難しかったら、どこに困難があり、それをどうやってクリアできるか、因果律の仮説を考え、それを取り組んでいく。ある仮説が適切そうであればまずは続けるといいでしょうし、どうも適切ではなさそうならば、別の因果律を想定していく。ひとつの因果律にこだわりすぎず、支援の考えを柔軟に変えていくことが、結果的には重要だと考えています。それは、本人にとって適切な学び方を見出すことであり、そのための合理的配慮を提供することにもつながるのです。

万能な支援策はないけれど

――今の例ですと、手で書くことも教育上重要という気もするのですが。

 それを否定するものではもちろんないのですが、ただ、手で書くプロセスに苦しんでいる子にそれを強制し続けても、書くことそのものをやめてしまいかねません。一例を挙げると、東京都の高校受験では合理的配慮の一環として、手書きでなくキーボード入力での受験を認めており、すでに何十人もそのやり方をとっています。

 その場合、「自分はこういう困難があり、キーボードでの入力で学習をしてきた実例がある」と申請を行い、キーボードを利用した受験を認める、というプロセスが現状では必要です。自分の困難の状態と適切な補助を理解しているかが、制度上も実質上も本人の学習に大きな意味をもつといえるでしょう。

 なお本書では、LDをどう理解するか、どう支援していくかについて包括的に論じていますが、保護者や支援者の方にとって同じく大事なのは、「具体的にどんな学習支援をすればいいのか」でしょう。先程述べたように、困難の原因や因果律は人によって異なるので、万能の支援策は存在しません。「これは◯◯さんが●●を学ぶときに有効なのでは」と、一つ一つ個別に考えていくことが大事になってきます。

 そのための方策として、私が所属する明星大学の発達支援研究センターでは、読み書きの学習に困難がある子のための教材を開発してきました。最近、その蓄積をもとに大学からスピンアウトしたTandem(タンデム)という会社を立ち上げ、「支援教材バンク」として500種類以上を無料配布しています。

 そこでは、何につまずいているか、どういう力が必要とされるか、といった観点のもとで対応する教材を選べるようになっています。それをそのまま使ってもらってもいいですし、お子さんにあわせてアレンジしてもらってもいい。支援教材の見本市のように考えて、「この子にはこれが有効ではないか」など、どう使ってみるかをぜひ考えて活用してほしいです。

支援が必要な子もわかる通常学級での授業

――本書ではLDのある子のための通常学級の実践として、「授業のユニバーサルデザイン(授業UD)」を取り上げています。どういった取り組みなのでしょうか?

 これまでLDに対する研究はさまざまに行われてきましたが、それは原則として子どもへの個別の支援方法でした。ですが、子どもたちが長い時間を過ごす授業の場では扱いにくい場合もあります。

 そこで少し考え方を変え、LDの子だけに特別なことをしない、つまり、「LDの子が学びやすいことで、同時に他の子にとっても学びやすい」という通常学級の授業をつくっていくことはできないか――それが、プロダクトデザインの「だれにとっても使いやすい」というユニバーサルデザインの発想に基づく、授業のユニバーサルデザイン(授業UD)です。15年以上前に取り組みが始まり、今や日本中で草の根的に受け入れられて広がってきています。

 従来の授業は、多くの場合、子どもたちの一番多くの層(ボリュームゾーン)が学びやすいように、という考えのもとで教科教育の研究が行われてきました。しかし、むしろ「子どもたちは何につまずきやすいのか」に注目することで、誰もがわかるようにすると発想するのです。LDに限らず、支援が必要な子を含むクラスの子ども全員がわかる・できるための授業づくりを追求しているといえるでしょう。この考え方自体は新しいものではなく、先生たちは普段から「クラスの◯◯さんはこの場所でつまずきそうだな、だからこういう授業展開にしよう」と、教科の授業をアレンジして実践しています。そうした発想を体系化・整理したものが授業UDだと考えてもらうといいでしょう。

 ひとつ強調しておきたいのは、授業UDは支援が必要な子がわかるよう、授業内容を簡単にするというものではないことです。授業の中でつまずきを起こさないようにしつつ、同時に理解の早い子が退屈せずに高い学びにつながる、という視点が入ってくるもので、かなり高度な取り組みだといえます。また、一斉指導での工夫だけでは難しい場合には、授業の中で個別にさりげなく支援をしたり、その子に特化した指導を別の時間に行ったりする、などの対応も考えていく必要があるでしょう。

子どもにつらい思いをさせないために

――「うちの子はLDかもしれない」と悩んだり考えたりする保護者は少なくないと思います。一言メッセージをお願いできますか。

 LDの問題は、いかに二次症状を引き起こさないかが非常に大事です。つまずきが生じるときには多くの場合、保護者も先生も、その子にとっては難しいやり方で学習をさせようとしてしまいます。結果、子どもがつらい顔をしているかもしれません。そうした、お子さんの表情や様子を気にかけてあげてほしいです。

 そのうえで、もしかしたら学びの量でなく質の問題かもしれない、となったら、他の子やこれまでのやり方とは違う、別のアプローチで学ぶ方法を考えてみてほしいです。LDかもしれない、という考えに至らないと、子どもがずっとつらい思いをした後でやっと気づく、あるいは気づかないまま挫折してしまう、ということにもなりかねません。だからこそ、保護者や先生たち、支援者、また社会の一員としての多くの方に、本書を読んでLDのことを知っていただきたいですし、早い段階で学びの困難の可能性について冷静に考えてもらえるといいな、と思いますね。

タグ

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)
  2. 岩波書店 ポッドキャスト ほんのタネ

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

新村 出 編

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる