第52話 増刷にもご用心?
岩波文庫では、改版で内容が改められていることがある、という話を第50話で述べた。では、刷違いはどうだろう。例えば、特に改版や改訳のような変更が施されていない第1刷と第2刷は同じものだろうか。
私はてっきり内容に違いはないと思っていた。そして大まかにはそう思っても差し支えない。ただし、完全に同じかというと、実はそうではない場合もある。というのは、自分でも本を書くようになってから知った。私の経験では、増刷の際に大きな修正ではなく、誤記や誤変換などのミスを直す機会が巡ってくることがある。どれだけ印刷する前に確認をしても、誤記・誤植の類はあるものだ。実際に私も自著について小さな修正を施したことがある。つまり厳密にいえば、増刷の前後で本に刷られた文字列が完全に同じであるとは限らないのだ。
では、岩波文庫はどうだろう。といっても、これを確認するのはなかなか難しい。例えば、偶然にも同じ本の第1刷と第2刷を手にしたとする。両者に違いがあるかどうかを見比べるのは根気の要る作業だ。こんなときはデジタルデータがあると、すぐに差分(違い)を検出できて便利なのだが、そう都合よく刷違いのデータが手に入るとは限らない。それだけに、読者の立場で刷による違いに気づくのは、偶然によるところが大きい。
そんな中でも気がつきやすい例として、変更箇所について明示されているケースがある。例えば、私が持っているヴィーコの『学問の方法』(青672-1)第4刷(2005年7月22日発行)には、訳者による「解説」の末尾に次のような一文が添えられている。
〔第二刷への追記〕 翻訳に際して参照して教示を得るところがあった各国語訳のうち、つぎの一点が落ちていたので、追記させていただく。
Vie de Giambattista Vico écrite par lui-même. Lettres. La méthode des études de notre temps. Présentation, traduction et notes par Alain Pons (Paris, Bernard Grasset, 1981), pp. 215-84.
また、参照を求めておいた訳者両人の論文は、その後、それぞれ、上村忠男『ヴィーコの懐疑』(みすず書房、一九八八年)および佐々木力『近代学問理念の誕生』(岩波書店、一九九二年)に収録されている。(前掲書、229ページ)
はじめてこの表記に気がついたときには、刷違いでこのくらいの分量の加筆がありうるのかとちょっと驚いたのを覚えている。さりとて、仮に本文にほとんど手が加わっていないのだとしたら、改版と称するのは大袈裟であるようにも思う。とは、あくまで私の勝手な印象。
理想をいえば、プログラマーが使うファイル管理ツールのように、同じファイルのヴァージョン(版)ごとの差分(違い)や修正履歴を保存しておき、必要なときにいつでも参照できるような仕組みが本についてもあるといいのになと思う。そういえば、この頃ではウェブを通じて公開されることも多い正誤表も、そうした工夫の一つだった。
ヴィーコに戻れば、いずれにしても、こんなふうに後からでも参照すべき文献を示唆してもらえるのはありがたい。膨大な書物の海から、その本の理解を助けたり、深めたりしてくれる本を自力で見つけるのはいつでも簡単にできることではないからだ。
この例に気づいてからというもの、刷違いにも注意が向くようになった。そんなこともあって、そのつどの自分にとって関心の高い書目については、重版の知らせがあると買い直したりしている。
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)




