第35話 作と著と
岩波文庫の表紙には、書名や副題のほか、著者名や訳者名、著者別分類番号などの各種の要素が示されている。今回は著作者や訳者など、その本の制作に携わった人たちの表記を眺めてみよう。
まず、著作者はどうか。先に触れておくと、例えば『ニーベルンゲンの歌』(赤401−1~2)や『イーゴリ遠征物語』(赤601−1)のように著作者不明などの理由で著者の名前が示されないケースもある。著作者が分かっている場合はどうだろう。細かく見るといろいろなケースがあるのだが、はじめに岩波文庫全体で多くを占めている「著」と「作」を確認してみよう。
この2つはどう違うのか。クイズではないけれど、いくつか具体例を並べてみるので、ちょっと想像を巡らせてみていただきたい。まずは「著」の例から。
プラトン著『テアイテトス』(青601−4)/シモーヌ・ヴェイユ著『重力と恩寵』(青690−4)/南方熊楠著『十二支考』(青139−1〜2)
次に「作」は例えばこんなふう。
井原西鶴作『好色一代男』(黄204−1)/ヴァージニア・ウルフ作『灯台へ』(赤291−1)/ヤン・ポトツキ作『サラゴサ手稿』(赤N519−1〜3)
違いをもう少しはっきりさせるために、今度は同じ人物による「著」と「作」の例を並べてみよう。
・曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』(黄224−1〜225−0)/曲亭馬琴著『近世物之本江戸作者部類』(黄225−7)
・夏目漱石作『吾輩は猫である』(緑10−1)/夏目漱石著『文学論』(緑11−17〜18)
漱石の例で考えると分かりやすいかもしれない。『吾輩は猫である』は小説で、『文学論』は大学での講義をもとにした文学理論を説いた本。岩波文庫に収録されている漱石の本のうち、「著」とついているのは『文学論』の他に『文学評論』(緑11−7〜8)や『思い出す事など 他七篇』(緑11−6)があり、その他は「作」である(ただし書簡集や句集などの第三者が「編」の本はまた別)。
同じように眺めてみると、馬琴の『南総里見八犬伝』は読本、当世風にいえば小説で、こちらは「作」。他方で『近世物之本江戸作者部類』は江戸の戯作者たちの評伝で「著」だ。ついでながら、『増補 俳諧歳時記栞草』(黄225−5〜6)には「曲亭馬琴編」と出ている。
というわけで、お分かりになったかもしれない。「作」は小説や詩など、創作物の作者、「著」はその他の著作物の著者という区別がなされているのだった。
ところで、本には作者や著者以外にも関わる人たちがいる。制作に限ってみても、編集や校閲、デザインや製本など、必要にして不可欠の仕事がある。ただ、多くの場合これらの担当者が表紙に出ることはない。
では、岩波文庫の表紙に掲載される「著」や「作」以外の役割にはどのようなものがあるだろう。私が目にした範囲では、次のようなものがある。
訳、編、選、校、序、注解、校訂、校注、校閲、訳注、監訳、監修、補訂、刪補、編校、編注、編訳、編録、訳編、訳注、訳補、補訳、校訳、翻字、挿絵、編注訳
注意深く探せば他にもあるかもしれないが、いったんここまでにしよう。大きく見てみると繰り返し現れる語が見つかる。例えば「訳」「編」「校」「注」は頻度が高めだろうか。ある言語で書かれたものを別の言語に訳すのが「訳」。短篇集や作品集のように、ある材料から取捨選択して編むのが「編」。似たものに「選(撰)」もある。「校」の字は「校する」とも読んで、これは比べる、調べるという意味だった。複数の写本などを比べて誤りを訂正することを「校訂」といい、岩波文庫では日本の古典を入れている黄帯で多く見かける。「注」は「註」とも書き、本文を補足したり説明したりすることを指す。
これらはいずれも著作物を構成する文章を確定したり、読者の理解を助ける上で重要な仕事だ。「編訳」「訳注」「校訳」など、これらを組み合わせた表記もある。「編注訳」は『三浦梅園自然哲学論集』(青15−1)の「尾形純男・島田虔次編注訳」から。
その他、いくつか目を留めておくと、「補」の字がついているのは、誰かが行った仕事を補助している場合を指す。例えば「補訳」といえば、誰かが訳したものを別の人が補ったという意味だ。「翻字」はある書き方(文字体系)で書かれた文章を、それとは別の書き方に書き換えることで、『天草本 伊曾保物語』(黄141−1)の新村出「翻字」はその一例。同書ではローマ字で綴られた文章を漢字仮名交じり文に翻字している。
「刪補」は、いまでは見慣れない言葉かもしれない。刪除と補足、つまり削ったり補ったりするという意味で、『農業全書』(青33−1)に例がある。同書は江戸の農学者、宮崎安貞が諸国で見聞した農事や中国の農書をもとに綴ったもので、各種の植物栽培や畜産について図入りでまとめた事典のような本である。表紙に「宮崎安貞編録/貝原楽軒刪補/土屋喬雄校訂」と3人の名前が並ぶ。
ある本がその形になる過程に関わる仕事は、こんなふうに表紙などに示されることもあれば、示されない場合もある。例えば、ベルクソン『思想と動くもの』(河野与一訳)は、はじめ1952年から55年にかけて三分冊で刊行され、後の1998年に一巻本(青645−4)として出ている。その際、表紙に名前こそ出ていないものの、哲学者の木田元が表記の統一や補訳などを担当して「解説」にその旨を記している。
本は言うなればチームによる制作物で、その一部がこうした表記に垣間見えるのであった。
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)
[『図書』2026年10月号より]




