絵本と人の物語を味わうカフェ/本とごはんある日(岐阜県)榊原悠介さん
大和田佳世(聞き手・文)
岐阜県JR恵那駅から車で約七分。お昼どきのピークを過ぎた時間だが、八台ほど駐められそうな「本とごはん ある日」の駐車場はほぼいっぱいだった。黒い本を象った鉄製品にアーチ型の穴があいた看板。玄関には絵本作家のあべ弘士さん直筆ののびやかな動物たち。うす暗い通路を抜けると、店内は食後のおしゃべりをしている人、カウンターでコーヒーを飲みながら店主と話す人、奥の本棚で絵本を見る親子連れといった穏やかな午後のざわめきが漂っている。
「本とごはん ある日」は、八年間教員をしていた榊原悠介さんと、一〇年間子どもの本専門店に勤めていた真以子さんの夫婦が二〇一九年一一月に開店した。日替わりご飯や飲み物を楽しめることに加え、店内の奥半分が本屋で、天井近くまで高くそびえる本棚に絵本がぎっしり詰まっている。国内外の児童文学、輸入雑貨や玩具の棚もある。ギャラリースペースでは絵本の原画展などが行われる。
ぐるっと見回すと、畳にちゃぶ台が置かれた小上がりがある。日替わりランチが終わっているということで「根菜のキーマカレー」を注文した。ガラス窓越しに、山頂に雪をかぶった恵那山が見える。彩り豊かなサラダ、黒米入りのご飯、ゆで卵が添えられ、ほんのりスパイスが香るカレーはやさしい味わい深さでおいしかった。
「僕らはずっと子どもと接したり、子どもに本を届ける仕事をしてきました。その中で絵本に対する「どうせ子どもの本でしょ」という世間一般の空気を感じていて。もどかしさというか、もっと絵本のすごさを知ってほしいという思いがありました。真以子がいつかカフェをやりたいと考えていたこともあり、本とごはん、両方楽しめるお店を作ろうと」
もとは二つの飲食店がつながっている構造だった中古物件を居抜きで購入し、間の壁を壊して一つの空間に。いざ工事がはじまると建築上修理が必要な箇所が次々わかり、結局、内装はほぼすべて悠介さんがDIYで作り上げた。床は張り直し、もともとあったカウンターを活かした。
「子ども連れだけじゃなく、あらゆる年代の人が一人でも入りやすいように、あえて黒っぽい木材や古道具を置いたりしているんです」
年配の男性や自身と同世代のサラリーマンなど、これまで絵本を知らなかった人もふっと訪れて絵本を開く……そんな場所にしたかったという。
店主は悠介さん、店長は真以子さん。夫妻の役割分担をどのようにしているのかと聞くと「本棚全体を作り、美味しいごはんを作っているのは真以子です」と笑う。「僕は朝七時に店に出て、八時のモーニングからお客さんを迎えて、サイフォン式でコーヒーを淹れて。真以子は午前中はランチの仕込みをして、僕は何かあったら対応したり、閉店後に翌日の準備をしたり。本は二人で話し合いながら随時発注しています」
落ち着いた口ぶりに店や本への愛情が滲むが、悠介さんはいつから子どもの本に関心をもつようになったのだろう。
悠介さん曰く、幼少期に読み聞かせはしてもらったものの、物心ついた頃はサッカー・虫採り・図工好きの少年。絵本に目が向いたのはデザイン科の大学生時代で、リスベート・ツヴェルガーによる『The Wizard of Oz』(「オズの魔法使い」洋書版)を友人から贈られ、こんなに絵と文の一体感が素晴らしいメディアがあるのかと思ったそう。四日市に絵本をいっぱい売っている店があるらしいと聞き、子どもの本専門店「メリーゴーランド」を訪れる。「そのとき一冊買って帰ろうと思って、小さい頃の記憶を頼りに本を探してもらったんですよ。おさるのハンカチがどんどん大きくなる『タンタンのハンカチ』(いわむらかずお作、偕成社)だったんですけど、店員さんが持ってきた絵本が記憶よりずっと小さくて。もっと大きい本もあるのではと押し問答になりました。結局分かったのは、本のサイズはそれ一つしか存在していないこと。ハンカチが一面真っ赤な夕焼けになる場面で身体が包まれるような感覚を感じていたので、その事実に心底驚きました」
魔法をかけられていたような衝撃。絵本を読む子どものことをわかっていなかったと思った悠介さんは「子どもってなんだろう」と考えたくて、通信制大学で教員免許を取得、小学校の先生になる。そしてメリーゴーランドの絵本作家を養成するワークショップ「絵本塾」に通いはじめ、店で働いていた真以子さんに出会う。「結婚することになり、四日市の近くに一緒に住むために、岐阜の小学校から三重県の特別支援学校に転職しました。並行して、店で企画される子ども向けキャンプを手伝ったりしました」
教員時代、最も印象に残っているのは、子どもの体験が大人のそれとは別物だと知ったことだ。小学校の教員四年目、支援学級をもつことに。軽度の知的障がいがある女の子の担当になり、コミュニケーション方法を模索しながら過ごしていた、ある冬の日のこと。「“外歩き”といって校内をぐるぐる歩き回って過ごす時間があるんですけど、寒い日で、水たまりに氷が張っている箇所がたくさんあったんです。足でパリッと踏むと、パシパシっとひび割れが氷全体に渡っていく感覚をその子は面白がって、もう一回、もう一回と繰り返して……二〇〇箇所以上割って。大人の僕なら二、三回踏んで「凍ってた水たまりが割れたね、おもしろいね」と認識して終わりだけど、その子は根本的に何かが違う。……うまく言えないんですけど、身体的な体験の分厚さというのか、子どもの本能に近いところで感覚を味わっている。感覚が体に染み込むまで繰り返す、その奥深さのようなものにすごく惹かれました」
そのこともきっかけとなって特別支援学校へ転職、重度の自閉症の子たちと四年間過ごす。子どもと絵本について考えていたこともあり、彼らと絵本を共有できないかと何十冊も読んでみたが……。
「ことごとくダメで、すぐ離席しちゃうんですよ。彼らは言語の世界では生きていないしやっぱり難しいのかなと諦めかけたとき、思いがけず釘付けになった絵本が二冊ありました」
『かようびのよる』(デヴィッド・ウィーズナー作絵、当麻ゆか訳、徳間書店)は、ページをめくるたびにリアルなタッチで描かれたカエルがどんどんやってくるというほぼ文字のない絵本だ。目を合わせることさえ難しい子が、悠介さんがページをめくる動きをなぞるように注視しつづける様子を見せたのだという。もう一冊の『くまさんのおなか』(長新太作、復刊ドットコム)はピンクのぬいぐるみのクマのお腹にいろんな動物が次々入っていくナンセンス絵本。言語の外の感覚にぴったりハマる瞬間をその目で見て「やっぱり絵本はすごい」と再確認した。
ちょうどその頃、悠介さんの母親の引っ越しで、実家が愛知県から岐阜県の恵那に移る。悠介さんにはかつて絵のとても上手な兄がいたが、亡くなっている。実家近くに住まいを移し仕事を探し直すとなると、真以子さんも長年働いてきたメリーゴーランドをやめることになる。二人の仕事や、娘が生まれたこと、ライフステージの変化もあり、真以子さんと悠介さん二人のこれまでの専門的な知識を活かせるような、飲食店を兼ねた本屋の開店に踏み切ったのだ。
「最近、キャンプ好きのお客さんと話をしていて、自然は一瞬で姿を変えることがあるよね、自然には舞台装置のような力があるよねと話していたときです。それ、絵本に描いた作家がいるんですよと『よあけ』(ユリー・シュルヴィッツ作画、瀬田貞二訳、福音館書店)を棚から持ってきました。夜明け前の静けさ、湖の上に立つさざなみ、おじいさんと孫がボートで湖に漕ぎ出すとき、日の出とともに一変する美しい景色が描かれているんです。するとその人が「絵本にこんなものがあったのか」と驚いて……。これまで絵本に触れたことのなかった人の手に絵本を差し込んでいくことが、このところちょっとずつですができています」
店名は「物語が動き出すとき“ある日……”という言葉からはじまるから」。ここがお客さんそれぞれの物語の入口になったらとの思いがあるという。
悠介さんにとって大事な物語の一つが『ゲド戦記』シリーズ(ル=グウィン作、清水真砂子訳、岩波書店)だ。一〇代半ば、友達とサッカーしたり釣りに行ったりでは解消できないモヤモヤを抱えるようになった頃に読み、“自分とは何か”という問いに児童文学がこたえてくれることがあると知った。魔法使いなのに、己の影との戦いを経て、滅多に魔法を使わなくなったゲド。何かを生み出せばどこかで失われる、一つバランスを崩せばそれに付随して他のところも崩れるのだという世界の均衡の捉え方が、そのときの悠介さんにはリアルだった。二〇歳でソフトカバー版『ゲド戦記』六巻分をザックに入れて海外へ一人旅に出た。「めちゃくちゃ重いし、本当はパンツ一枚でも荷物の嵩を減らしたいけど、もっていこうと。ゲドの旅と自分の旅を重ねて己と向き合う時間でした」
かつて物語に救われた悠介さんは、今、お客さんの語りに耳を傾けている。
「やっぱり人間っておもしろいんですよ。近所のおじいちゃんの昔語りでも「今の話をもうちょっと詳しく」とか「それってさっきお話ししたこととつながりますか」と深めていくと、必ず味わいがあり、一時間話して帰ると小説を読んだときの読後感に似たものが残るんです。人間がおもしろいから、それを言語化して活字にした本がおもしろいんだと思う」
実は「本とごはん ある日」には、カフェスペースと本屋の間あたりに不思議な小部屋がある。工事で壁をぶち抜いた際、通路になっていた箇所が残ったので活用したとか。三歳くらいの子がぎりぎり立ったままくぐれる高さのアーチの向こうには赤いじゅうたんと風船、ストライプのカーテン……『おやすみなさい おつきさま』(マーガレット・ワイズ・ブラウン作、クレメント・ハード絵、せたていじ訳、評論社)の室内のよう。「子どもがひとりでお話の世界に入れる場所を作りたいなぁと思って」と悠介さんはいう。
「本とごはん ある日」に通底しているのは、子どもも大人も等しく人間として見つめようとするまなざしだ。ここには個々の体験と物語をじっくりつなげて生きていこうとする空気が流れている。
(おおわだ かよ・ライター)
本とごはん ある日
住所:〒509-7203 岐阜県恵那市長島町正家1067-108
電話:0573-59-9333
営業:8:00〜17:00(LO16:30) 日・月曜日定休
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