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思想の言葉:「次世代搾取の連鎖」からの脱却 広井良典【『思想』2026年7月号】

◇目次◇

思想の言葉 広井良典

「女の本」という前衛
──明治・大正期に隆盛をみた「衛生問答」の系譜を読む
香西豊子

〈エチカ・フラクタ〉序説
──哲学から反-哲学への転換
江川隆男

神話・悲劇・トラウマ
──ジャック・ラカンの「カマキリの寓話」をめぐって
工藤顕太

「伝統を否定する精神の伝統」
──加藤周一が読む福澤諭吉
宮代康丈

初期ニーチェの文化哲学
竹内綱史

20世紀の女性と思想史
──第2部:活動家,研究者,そして未来(後編)
ソフィー・スミス/宇都宮 有+上村 剛訳

 
◇思想の言葉◇

「次世代搾取の連鎖」からの脱却

広井良典

 個人的な述懐から始めることをお許しいただきたい。私は先般六五歳を迎え“高齢者”の仲間入り(?)を果たしたが、「日本をいまの姿のままで次の世代にバトンタッチしては絶対いけない」という思いを強くしている。これは現政権に対する危機感とも関連しているが、より広い性格のものだ。

 多少時論的な内容となるが、今ふれた現政権への危機感という点についてまず述べておこう。私の関心に引き寄せた、やや単純化した整理をすれば、現在の日本での内政面と外交面の対立軸を考えた場合、前者では「成長至上主義」志向か「持続可能性」志向か、後者では「親米・反中」か「多元的外交」かという分岐が、現実レベルでの対立軸になると思う。

 高市政権の場合、その志向は明瞭で、前者については「成長至上主義」、後者については「親米・反中」であることはあらためて指摘するまでもないだろう。これは私自身の考えとは真逆のものだが、現政権の方向そのものに加えて私を悩ますのは、今年二月の衆議院選挙で自民党が圧勝したことに象徴されるように、残念ながら現在の日本においては、こうした「成長至上主義」と「親米・反中」の組み合わせを支持する人々がなお多数を占めていることである。

 思えば、つまるところそれは「昭和的・高度成長期的」な思考の枠組みであり、さらに遡れば明治以降の“富国強兵・殖産興業・脱亜”的パラダイムの延長にあるものだろう。そうした展開において「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで称されたこの国は、その“成功体験”から今なお抜け出せず、あるいはトランプのMAGAと同じように、「日本を“もう一度”偉大な国に」という思考の中で動いているように見える。

 という具合に、日本の現状については悲観的に考えざるをえない面が多いのだが、しかし同時に私はこうした状況から、先ほどの対立軸で言えば以上とは逆の、つまり成長至上主義ではなく「持続可能性」志向、親米・反中ではなく「多元的外交」という方向――そしてさらにその先の「ローカリゼーション」や「地球倫理」と呼びうる意識――が、これからの日本において確実に発展していくことについて、ある種の“確信犯的”な展望をもっている。

*     *     *

 そのような確信犯的な展望は、手前味噌ながら今から二五年前の二〇〇一年に公刊した『定常型社会──新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書)を含めてずっと持っているものだが、新たな探求の試みとして、『日本の未来像──地球定常文明のデザイン』と題する書物を去る三月に刊行させていただく機会を得た(同じく岩波新書)。以下では本書の内容も踏まえながらここでの議論をもう少し展開してみたい。

 冒頭で「日本をいまの姿のままで次の世代にバトンタッチしては絶対いけない」と述べたが、「次の世代にバトンタッチ」という点に直結する事柄として、私自身がきわめて強い憂慮を抱いている点がある。それは折にふれて話題になる、現在の日本が膨大な借金を将来世代にツケ回しているという事実だ。

 基本的な事実関係を確認すると、日本の社会保障費はすでに一三五兆円に及んでおり(二〇二三年度)、高齢化の急速な進展の中でさらに増加している。しかしそのために必要な税負担について多くの国民が「NO」と言ってきたため、その差額は借金となって蓄積し、政府の累積債務は一〇〇〇兆円を超え、先進諸国の中で文字通り突出した規模になっている。

 残念なことにこのような話題については、いわゆるMMT(現代貨幣理論)と呼ばれる考え方等を含めて、政府の借金はいくら増えても問題はなく、財政破綻は生じないといった類の議論が昨今の日本においては跋扈している。しかし私は、この話題は財政破綻云々という以前に、まずもって「世代間倫理」の問題としてこそ論じられるべきものと考える。

 この場合、社会インフラの整備など、その恩恵が広く将来世代に及ぶ支出であれば、その整備費用(の一部)を将来世代が負担するというのは合理的なことだろう。しかし現在の政府予算の中で公共事業などの支出は小さく、圧倒的に大きいのは社会保障の支出なのだ(二〇二六年度予算で見ると公共事業は約六・一兆円、防衛費は約九・〇兆円であるのに対して、社会保障費は実に三九・一兆円であり、文字通り“桁違い”である)。

 社会保障費の具体的な中身は医療や年金、介護などのサービス費であるから、これらは受給した高齢者等がそのまま使い切るものであり、だとすれば、その費用の負担はいま生きている私たちの世代で賄うべきであって、それを将来世代が負担するというのはどう見ても不合理──まさに“負担の押し付け”──ではないか。

*     *     *

 私たちがまず議論すべきは、そもそも日本はどのような社会を作っていくのかという基本論だろう。その中心軸となるのは、多少単純化して言えばいわゆる「高福祉・高負担」型の社会か、「低福祉・低負担」型の社会かという選択であり、これは富の「分配」(の公正)をどう考えるかというテーマに他ならない。概してヨーロッパの国々の多くは前者で、アメリカは後者であるが、いずれもこうしたテーマを政治の中心テーマに掲げて正面から議論し、意思決定を行っている(私自身は社会保障や福祉国家を研究領域の一つとしてきた人間でもあり、ヨーロッパ的な社会モデルを志向してきた)。

 一方、日本は“場の空気”を重視する社会なので、「場」にいる者の合意が得られない話題や誰かの「負担」になるようなテーマはほとんど先送りされる。そして、思えば「場にいない者」の典型が将来世代ではないか。この結果、“場の空気”で物事が動く日本のような社会においては、皮肉なことに将来世代は「負担」を回され続ける格好の存在になってしまう。私はこれを「次世代搾取の連鎖」と呼んだ。

 環境をめぐる課題を含め、残念ながら今の日本は“わが亡き後に洪水は来たれ”の典型的な姿を示していると言わざるをえないのではないか。その根本には、人と人との関係性が個々の集団の内部で閉じてしまい、「集団を超えた支え合い・連帯・ケア」が進まず、人々が不安と不信、孤立の中にいるという根深い問題がある。

*     *     *

 いささかネガティブな現状認識が続いたが、こうした状況から、いかにして日本がポジティブな可能性を見出し、「持続可能な福祉社会」と呼びうる社会を実現していけるかの道筋を探ったのが、先ほどふれた拙著である。そこでは「アニミズム文化」という日本社会の特質に注目しながら、「共同性」と「公共性」がともに発展していくような関係性や原理、社会システムのありようを追求している。

 もちろんこうした話題は日本だけを切り離して構想できるものではなく、「ポスト・グローバリズムと生命経済」といった視点を軸に、また地球社会の未来に関する独自のAIシミュレーション等も踏まえながら、ローカルを土台とする「地球定常文明」の可能性について論じた。

 ハードルは大きいが、残る人生でこれらの深化や実装にわずかでも貢献していければと思っている。

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