あさのあつこ [表紙に寄せて]眠ること[『図書』2026年8月号より]

トトロのお腹の上で眠りたい。これって、人間の究極の夢じゃないだろうか。妄想ではなく、かなり現実的な感覚の気がする。どこまでも柔らかくて、温かい。でも、しっかりと支えてもらっている実感もある。微かに陽だまりの匂いがして、その匂いと温もりに身体が包まれている(どうです、究極でしょ。人間が想像する究極の寝心地、理想の寝場所だと思いませんか)。誰からも傷つけられず、誰も傷つけなくてすむ。それを保障してくれる場で、人はやっと本物の眠りを手に入れられる。わたしは、そう思うし、そう信じて生きてきた。
子どものころ、よく夢を見た。とりわけ悪夢というわけではなく、さりとて楽しい幸せな夢でもなかった気がする。よく、覚えていない。ただ、真夜中にふっと目を覚ますことが多い子だったのは、確かだろう。
夜の暗闇の中にいると、自分はたった一人なのだという感覚が理屈でなく染みてくる。孤独という単語も恐怖という言葉も獲得していなかったころから、夜、目覚めることは孤独で恐ろしいと、わたしは知っていた。
だから、子どもには安眠が必要なのだ。水や食料や空気と同等なほど必要なのだ。トトロの上のメイのように、ぐっすりと眠ることが。僅かの不安も覚えず、柔らかくて温かくて陽だまりの匂いのする場での眠りを子どもは与えられなければならないと、本気で思う。なのに、この世界の大人たちはなかなかトトロになれない。子どもたちに本物の寝場所を用意できない。むしろ、その場所を奪ってしまう。戦争、虐待、飢餓、支配、ストレス……熟睡を許されない子たちは、今、この時、どれくらいの数になるのだろう。そして、わたしたちはどうして、トトロになれないのだろう。メイたちの究極の寝姿、寝顔を見ながら、考え込んでしまう。
その解答を探すために、トトロとメイたちの寝息に暫し耳を澄ませてみようか。
(あさの あつこ・作家)




