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奈倉有里 トルストイ『殺すなかれ』を読む[『図書』2026年8月号より]

トルストイ『殺すなかれ』を読む

 

 晩年のレフ・トルストイが著した『殺すなかれ』(1900年)の日本語訳としては、戦前、1931年の伏字だらけの深見尚行訳(岩波書店)と、戦後、1953年の原久一郎訳(『トルストイ全集』32巻、大日本雄弁会講談社)がある。現在手軽に入手できる翻訳がないのが残念だが、これはいま、ぜひ読み返したい文章のひとつだ。冒頭は、国王暗殺の話からはじまる。ここに原典からあらためて翻訳・抜粋した冒頭の概訳をみてみよう──

 

 世界のさまざまな国の王が、裁判や宮廷内の抗争で殺された場合、人々は通常沈黙するが、暗殺された場合は、まるでその国王が殺人に関与したことなどまったくなかったかのように驚きと怒りが巻き起こる。しかし、殺害された王や皇帝のなかで最も評判の良かった者(たとえば農奴解放の皇帝と呼ばれたアレクサンドル二世)ですら、戦場で命を落とした数万の兵士たちの殺害に関与した共謀者であり共犯者であり元凶でもあった。

 キリストの教えは「目には目を」という報復を禁じた。しかしいまなお戦争においてこの法則は恐ろしいほど生きており、それどころか報復ですらない戦争を起こし、何千人もの虐殺を命じる者もいる。群衆はまるで催眠術にかかったかのように、そうした出来事を知っても理解しようとしない。その反面、国王や皇帝や大統領が率いる軍隊を常に気にかけ、謁見式や演習やパレードに見惚れる。そして馬鹿げたきらびやかな服を着た軍人たちが、太鼓とトランペットの音に合わせて機械のように歩き、何者かの掛け声に合わせて全員が同時に同じ動きをするのを、その意味も理解せずに見入っている。しかしその意味は単純明快だ──それは殺戮の準備にほかならない。

 これは人々を愚鈍化させ、殺人の道具に変えてしまう行為である。そして、このようなことを行い、主導し、誇りに思うのは、国王、皇帝、大統領といった権力者だけである。殺人を専門とし、それを職業とし、常に軍服を着て、腰に剣という殺人の道具を携えているような者たちが、仲間の一人が殺されると、恐怖と憤りに駆られるのだ。

 

 暗殺された君主の死には涙を流しながら、その君主が命じた戦争で死ぬ無数の人々には無感覚でいる社会に対する、トルストイの力強い告発である。王や皇帝など権力のある者が暗殺されると、人々は驚き、怒る。しかし同じ王や皇帝が戦争によって何万人も死なせることには慣れきっていて、それを犯罪と認識しない。

 君主制から民主主義へと移行した歴史の歩みが最も否定しなければならなかったのは、国家権力が暴力を正当化する際に生じていたこのような構造だったはずだ。しかしいま、私たちは1900年のトルストイの言葉を、過ぎ去った時代のものと捉えうるだろうか。確かに、現在の各国家の最高権力者のなかで、表立って軍服を着たり腰に剣を差したりしている者は少ないかもしれない。にもかかわらず、これらの言葉はほとんど現在に向けられたもののようにも響く。ここでとりわけ重要なのが、権力者の特権と群衆の催眠状態の関係に焦点があてられている点だ。続きを読んでみよう──

 

 これまでの歴史のなかで、政府の長が誰であろうと常に抑圧と戦争が起こってきたことを思い出すだけで、これらを引き起こしているのは特定の人々ではないことがわかる。人間の不幸は個人から生じるのではなく、すべての人々が少数の人々の支配下にあるような社会構造から生じる。そしてその少数の人々は、何百万もの人々の運命と生活を左右することができるこの不自然な立場によって腐敗しきっており、常に病的な状態にあり、常に多かれ少なかれ誇大妄想に取り憑かれているが、それは彼らの特別な立場のために気づかれないのである。

 言うまでもなく、こうした権力者は幼少期から死に至るまで、途方もない贅沢と、常にはびこる嘘と卑屈さの雰囲気に囲まれている。彼らの教育、活動、すべてはただ一つのことに集中している。それは、過去の殺人事件の研究、現代における最良の殺人方法、そして殺人のための最良の準備である。彼らは幼い頃からあらゆる形態の殺人の訓練を受け、常に殺人の道具を携え、様々な制服を着て、パレードや観閲式、演習を行い、互いに訪問し合い、勲章や連隊を贈り合う。そして、誰も彼らの本当の名前で彼らの行為を呼ぶことはなく、殺人の準備が忌まわしく犯罪的であると告げる者もいない。それどころかあらゆる方面から、この活動に対する賛同と賞賛の声だけが聞こえてくるようになっている。彼らの外出、パレード、観閲式には必ず大勢の人々が熱狂的に彼らを迎え、まるで国民全体が彼らの行動を承認しているかのように感じさせるのだ。彼らが唯一目にし、彼らにとっては国民全体あるいは国民の最良の代表者の感情を代弁しているようにみえる報道機関は、彼らの言動がどんなに愚かで邪悪であろうとも、盲目的に、絶え間なく称賛する。彼らの周囲にいる者──男女を問わず、聖職者も世俗人も、人間の尊厳を顧みず、巧妙な媚びへつらいで互いに競い合う者たちは、あらゆる面で彼らを甘やかし、あらゆる面で欺き、現実の生活を見る機会を奪う。こうした人々は百年生きても、真に自由な人間に出会うことも、真実を聞くこともないかもしれない。こうした人々の言葉や行動を聞き、目にすると、時にぞっとすることもある。しかし、彼らの置かれた状況を考えてみれば、誰しも同じように行動するだろうと理解できる。

 

 冒頭で、王や皇帝は戦争という大量殺人の責任者である、と述べたトルストイは、ここで、だからといって王や皇帝となっている個々人に批判を向けるのではなく、問題は構造にあると続ける。その構造のなかで彼らは幼少期から「過去の殺人事件の研究、現代における最良の殺人方法、そして殺人のための最良の準備」を教え込まれているためである。これらは通常なら「軍事史」「国防論」「軍事戦略」などという言葉で表されるものだが、トルストイはあえて言葉を噛み砕くことによってそれが「殺人」であるということを再認識させる(シクロフスキーのいういわゆる「異化」効果だ)。そしてさらに、権力者が置かれている状況に注目する──「臣下が媚びる」「新聞が称賛する」「聖職者が祝福する」「宮廷人が迎合する」ことによって、彼らは絶え間なく自分の行為を肯定される幻想のなかに置かれている。

 なにかに似ている──と気づく人もいるだろう。そう、封建制時代の王や皇帝の周囲には、現代的な言葉でいうなら巨大なエコーチェンバーが作られていたことになる。

 2度の世界大戦を経て、世界的に民主制国家が主流になった現代においては、このような「媚びる臣下、翼賛的報道、政教癒着、とりまき集団」などという現象は過去のものになるかと思われた。少なくとも憲法を筆頭にそうならないための策がとられ、トルストイが批判したような構造には幾重にも終止符が打たれたはずであった。

 ところがどうだろう。いまや日本も含め、世界各地に同じような構造がゾンビのように湧きあがっている。軍隊を美化したり戦争の準備をしようとしたりする為政者の周囲に、その行為をただ称賛するばかりの配下の者たちや報道陣や宗教団体が群がる。

 では、どうしたらいいのだろう。

 トルストイは続く文章で当時の皇帝ニコライ二世に対し、平和を唱えながら行った軍備拡大、フィンランドに対する抑圧(1896年以降のロシア化政策)、中国への軍事介入(義和団の鎮圧)を非難し、なおかつそれでも皇帝を称賛する周囲を批判しながら、だからといって王や皇帝を殺すのではなく、こうした王や皇帝を生みだす社会を容認するのをやめなくてはいけないと説く。そして続けて、その「社会」は円錐形をなしており、最下層にいる人々は愛国主義や宗教やわずかな利益によって従属し、もう少し上の層は昇進や特権のために従属し、さらに少し上の層はさらに大きな利益のために従属し、その頂点に権力者がいるという構造を説明したのちに、「こういう状態を防ぐために必要な、ごくわずかなこと」を示す──

 

 必要なのは、人々がものごとをありのままに理解し、その真の名前で呼ぶこと。軍隊は殺戮の道具であり、国王や皇帝や大統領が自信満々に行っている軍隊の編成と管理は殺戮の準備であることを知ることだ。

 もしすべての国王や皇帝や大統領が、軍隊の司令官としての地位は(とりまきが信じ込ませようとしているような名誉ある義務ではなく)殺人の準備という卑劣で恥ずべき行為であると理解し、またすべての個人が、兵士の雇用と武装のために税金を払うことや、まして軍隊に入隊することは、殺人を容認するだけでなく自ら殺人に加担するという悪質で恥ずべき行為であると理解するならば、我々がいま怒りを抱える原因となっている皇帝や国王や大統領の権力は、おのずと消滅するだろう。

 だから、国王を殺してはならない。しかし彼ら自身が殺人者であることを彼らに説明し、そして最も重要なのは──彼らが人を殺すことを許してはならず、彼らの命令による殺人を拒否しなければならない。

 人々がまだこのような行動をとっていないのは、政府が自己保身のために人々を催眠状態に陥らせているからにほかならない。したがって、人々が王を殺し、互いに殺し合うのを止める方法は、殺人ではなく(殺人は逆に催眠状態を強化する)その状態から目覚めさせることである。

 

 現代によみがえる権力の暴走に直面した私たちも、トルストイの述べる「必要なこと」から学ぶことはできる。まず、殺人を殺人と呼び続けること(別の名で呼ばれている場合は殺人と呼び直すこと)、軍隊は殺戮のためにある卑劣で恥ずべき集団であることを再認識すること。そしてそれを周囲の人々だけでなく、権力者に対しても語り続けることだ。なぜなら惑わされた民衆だけでなく、権力者自身もまた、暴力を正当化する巨大な催眠状態のなかに生きているためである。

 そのうえで、殺人に加担する政府には決して協力しないこと。私たち自身が、その権力を支える催眠状態の一部になっていないかどうかを常に意識しながら、殺戮の構造の一端だけは担わない意思を持ち続けることの重要性を、トルストイの『殺すなかれ』は、いまいちど想起させてくれる。

(なぐら ゆり・ロシア文学研究)

〈81年目の読書〉

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