福間良明 「騙される」という「一つの悪」[『図書』2026年8月号より]
「騙される」という「一つの悪」
「汚点」の直視
いまとなっては思い起こされることは少ないが、かつて『雲ながるる果てに』(1953)という戦争映画があった。出撃に至るまでの特攻隊員の苦悩と純真さを描いた作品である。
舞台は本土南端の特攻基地であり、深見中尉と大滝中尉が主な登場人物である。両者とも大学を経て入隊した学徒将校だが、特攻作戦への考え方は異なっていた。深見は特攻の非人間性に疑問を抱くのに対し、大滝は軍人精神をことあるごとに強調するタイプだった。
あるとき大滝のもとに、両親が面会に訪れる旨の手紙が届くが、その直後、大滝は翌朝の出撃を命じられる。両親との最後の面会が叶わぬ大滝は、部隊裏の林のなかでひとりむせび泣く。深見は物陰から大滝の苦悩の姿を見て、死をともにすることに意を決し、特攻機で飛び立つ。
この作品では、戦没学徒遺稿集『きけ わだつみのこえ』(1949)や、それを原作にとった映画『きけ、わだつみの声』(関川秀雄監督、1950)との差異化が意識されていた。これらは総じて、戦争遂行に疑問や違和感を抱く学徒兵像を映し出していた。とくに映画のほうは、「悪逆で野蛮な職業軍人」対「理性的で反戦志向の学徒兵」との二項対立図式が鮮明だった。遺稿集は年間ベストテンに入る売れ行きを記録し、映画も東横映画(現東映)の経営危機を救うほどの大ヒットとなった。それに対し、映画『雲ながるる果てに』は、学徒兵の「正しさ」というよりは「純真さ」に重きを置いていた。
折しも、GHQの占領終結直後の時期だった。それまで抑え込まれていた旧軍懐古や戦記ものが多く世にあふれた。『雲ながるる果てに』はこうしたメディア状況に沿うものでもあった。
だが、この映画を手掛けた家城巳代治には、それとはまた異なる意図があった。家城は製作を思い立った心境を、以下のように記している。
戦争中、私は特攻隊のはるかうしろで、彼らに拍手をおくった人間の一人だ。しかも、自分の物はできるだけ安全に保とうとした。戦後、私にとって、他のだれでもない、この己れの責任をいかに追求(ママ)するか、これが私の出発点であった。私は自分の恥部、自分の傷を、むきだしにすることから始めざるをえなかった。傷をみないで、その処方箋を書けるはずがないからだ。(「弱者の勇気」『教育』1965年8月号)
そこには、戦後的な「反戦」の正しさに依拠するのではなく、戦時下の自らの汚点を直視しようとする思いがあった。戦時期の家城は新人クラスの監督に過ぎず、手掛けた作品は、石炭増産を掲げた国策映画『激流』のみだった。すでに著名なベテラン監督に比べると、戦争協力の度合いは明らかに小さかった。
それでも家城は、自らの免責に抵抗感を抱いた。家城は、第一回全国映画芸術家会議(1946年6月)での報告「映画芸術家の反省と自己革新に就て」のなかで、次のように述べている。
戦争が正しかつたとしても、又は正しくなかつたとしても、私は正しくなかつたのだ。これだけが間違ひない事実である。はつきり言はう、私は少くとも反協力者ではなかつた。寧ろ協力者の積りであつた。だが、どれだけの信念が自分を支へてゐたのか。どれだけ自己といふ主体が確立されてゐたのか。敗戦後私を襲つた此の動揺、此の混沌は一体何であらうか。真相はかうなのだ、われわれはだまされてゐたのだ、と済まされる事であらうか、真相は自分が、身を以て掴まなければならない事なのだ。だまされたとは何といふ恥づかしい言葉であらう。若し私がだまされたとするならば、私はだました人間に何等の憎悪もない。唯々だまされた自分への嫌悪があるだけである。その愚かさ、その軽薄さ、何たる醜態であらう、それが嫌ならば私はだまされたのではない、自らそれを信じたのだ、と今もなほ叫んで後に自己批判をすればよいのだ。だが然し前に言つたやうに、それだけ自己を信ずると叫び得ない自分が残るのだ。要するに私は軽薄なる中間者であつた。中間者とはさういふ位置ではない、位置に値しない所の浮遊動物の如きものである。これが私の恥づべき告白である。(『映画製作』1946年8・9月号)
家城が拒もうとしたのは、戦時期の自らの言動を「だまされた」とすることで直視しない姿勢だった。戦争遂行を追認してきたのであれば、その責任は問われなければならない。かりに積極的な協力者ではなかったにしても、思考を突き詰めずに曖昧なままで時流に流された姿勢は、批判的に問いただす必要がある。「だまされた」との一語によって、戦時下の心性から目をそむけることは、結果的に同じ過ちを繰り返すことにつながるのではないか。家城が『雲ながるる果てに』に込めたのは、こうした思いだった。
家城は、公開から4年後の対談でこの作品を回顧しながら、「あの中に、戦争に対しての、戦後の組合活動に対しての、自己批判を全部入れたつもりなんです。もし僕が戦争中社会の表面に出ていたら、戦争犯罪者に類する行為をしなかつたとは言いきれないのではないか」「自己への批判を忘れての戦争批判はあり得ない」と語っていた(荻昌弘「家城巳代治論」『映画芸術』1957年10月号)。戦後の「反戦の正しさ」にもたれかかるのではなく、あえて戦争を下支えした人々の「純真さ」を描いた背後には、「自己への批判」と「戦争批判」を接続しながら掘り下げようとする意図があった。
「戦争責任者の問題」
これは、伊丹万作「戦争責任者の問題」にも通じる。伊丹は、「多くの人が、今度の戦争で騙されてゐたと言う」状況について、こう述べている。
騙されたものの罪は、只単に騙されたといふ事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なく騙される程批判力を失ひ、思考力を失ひ、信念を失ひ、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるやうに成つてしまつて居た国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任等が悪の本体なのである。〔中略〕
「騙されてゐた」と言ふ一語の持つ便利な効果に溺れて、一切の責任から解放された気で居る多くの人々の安易きはまる態度を見る時、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。(『映画春秋』1946年8月号)
「騙された」ことは、思考力の欠如や安易な追従に起因するのと同時に、その一語で自己を免責すること自体、さらなる思考停止と時流への盲従を再生産する。少ないながらも、戦後初期にこうした問題提起がなされていたことは、思い起こされてもよいだろう。
自らの責任を追及した人物としては、日本戦没学生記念会事務局長を務めた渡辺清をあげることができる。渡辺は天皇信仰の篤さゆえに、高等小学校を卒業したのち、海軍に志願し入隊した。下士官には凄惨な暴力を振るわれ、また、レイテ沖海戦では戦艦武蔵とともに沈みながらも、奇跡的に生き延びた。そうした経験を経てもなお、終戦後も天皇への敬愛の念は変わらなかった。
その思いが決定的に変化したのは、米国大使館を訪問した昭和天皇とマッカーサーが並ぶ写真を目にしたときだった。渡辺は『私の天皇観』(辺境社、1981)のなかで、そのときの憤りについて、「いまからでも飛んでいって宮城を焼き払ってやりたいと思った」「いや、それでもおさまらない気持だった。できることなら、天皇をかつての海戦の場所に引っぱっていって、海底に引きずりおろして、そこに横たわっているはずの戦友の無残な死骸をその目に見せてやりたいと思った」と綴っている。
だが、それはほどなく、自己への問いに接続した。渡辺は、復員後の心情を描いた自伝的小説『砕かれた神』(評論社、1977)のなかで、「おれは天皇に裏切られた。欺された。しかし欺されたおれのほうにも、たしかに欺されるだけの弱点があったのだと思う」「天皇を責めることは、同時に天皇をかく信じていた自分をも責めることでなければならない」と記している。
こうした姿勢は、実際の行動についての責任ばかりではなく、状況が違えば自らが犯したかもしれない罪をも思い起こさせた。渡辺は同書のなかで、中国戦線で数十人もの現地住民を惨殺し、強姦したことを誇らしげに語る近隣の復員兵に批判的に言及しながら、「たしかにおれは直接支那の戦線には出なかった。〔中略〕だがもしそこに居合わせたら、おれだって何をしでかしたかわからない」と述べていた。そこでは、責任を自分以外の誰かに帰することに議論をとどめるのではなく、むしろ、それを自らに向けられた問いに置き換えることで、暴力や加害をあたかも「自明のこと」として生み出す社会構造を問う契機が垣間見える。
「騙される」という悪徳
これらの問いは、戦争をめぐる議論に限るものでもないだろう。2011年の福島原発事故をきっかけに原発批判が高まりを見せたが、それまで多くの人々は「原発安全神話」を信じていた。つよい信念はなかったかもしれないが、特段の疑念を抱くほどでもなかった。
現在では、中東情勢をめぐる「石油危機」やAIの進展に伴う電力需要の高まりを受けて、原発への警戒感は薄れてきたように思う。だが、そこでは、ひと頃の「原発批判」の輿論を問い直すことは見過ごされている。「原発安全神話」なり「原発批判」なりを支えた社会的心性は検証されることなく、ずるずると新たな時流に付き従う状況が透けて見える。そこに、家城巳代治が言うところの「軽薄なる中間者」の姿を見出すのはたやすい。
ネット利用をめぐるメディア環境についても、同様のことが言えよう。「フェイク・ニュース」「陰謀論」の問題が言われるようになって久しい。選挙の際には、「切り抜き動画」が動向を左右するようになった。それらに「騙されない」ためのファクト・チェックの必要性は多く語られる。だが、なぜ、ときに人々は「騙される」状況に身を置くのか。あるいは、なにゆえに「分断」が生まれるのか。その点も顧みられるべきだろう。
政治的・経済的な閉塞状況が続くなか、何らかの「変革」を求める声は小さくはない。そこではしばしば、特定の立場に立った強硬な「正論」が導かれやすい。だが、明快な「正論」が生まれやすい議題こそ、じつは粘り強い思考や交渉を要するものである。原発、格差、移民、社会保障などの問題に限らず、現代社会は、悶々と悩み、自問と討議を重ね、何に固執し何に妥協するのかについて交渉を積むしかない局面に満ちている。だとすれば、「正論」「変革」に高揚することは、ときに、熟慮する苦悶からの逃避を意味するのではないか。その先に待つのは、「騙される」ことの繰り返しなのかもしれない。
伊丹万作は、先の「戦争責任者の問題」のなかで、「「騙されてゐた」と言つて平気でゐられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだらう。いや、現在でも既に別の噓によつて騙され始めてゐるに違ひないのである」とも述べている。80年前の文章ではあるが、今日の日本社会に向けた警句にも見える。
(ふくま よしあき・歴史社会学)




