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水溜真由美 堀田善衞の文学遍歴[『図書』2026年8月号より]

堀田善衞の文学遍歴

『若き日の詩人たちの肖像』を読む

 

 加藤周一が敗戦後まもない時期に発表した評論に「新しき星菫派に就いて」がある。「戦争の世代は、星菫派である」という一文で始まるこの評論において、加藤は日中戦争開始後、「戦争の影響が凡ゆる方面に決定的となった後」に成人した世代を、星や菫に託して恋愛を歌った明治期の浪漫派詩人に重ね合わせて激烈に批判した。その理由は、この世代が、中上流階級ゆえの経済的な特権の下で、文学や哲学に耽溺することによって戦時体制という現実から逃避し、結果的にその現実を肯定したためである。

 加藤が「星菫派」と呼ぶ世代は「戦中派」と呼ばれる世代と重なっている。「戦中派」は日中戦争開始後に兵力動員の対象となった若い世代で、もっとも戦没者の多かった世代とされる。他方で、「戦中派」は激化する皇国教育と言論弾圧のために時局に対して批判的な観点を持つことが困難であった世代でもある。「星菫派」即ち「戦中派」が戦時下において逃避的な文学や哲学に耽溺したとすれば、その原因の一つは、日中戦争開始頃までに、社会に対して批判の視点を差し向けるような書物が書棚から一掃されていたためである。

 実は、1919年生まれの加藤周一は「戦中派」世代に該当する。医者の息子として東大医学部に在籍しながらフランス文学研究室に出入りしていた加藤の戦時下の体験は──明確な戦争反対の意見を持っていたことを別とすれば──彼が批判する「星菫派」とさほど異なるものではなかったはずだ。

 本エッセイのテーマである堀田善衞は、戦時中から加藤と親交のあった、加藤と同世代の作家である。堀田の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』は、堀田や加藤のような「戦中派」世代のインテリ男性が戦時下でどのような青春時代を送ったのかを知る上で格好の著作である。

 堀田は1918年に富山で廻船問屋を営む旧家に生まれた。二・二六事件前夜に上京して慶應義塾大学法学部政治学科に入学したが、後に文学部フランス文学科に転科し、1942年9月に大学を繰り上げ卒業した。『若き日の詩人たちの肖像』は上京から1944年1月の応召までの時期を扱っている。主人公は堀田の分身であり、作中での呼称は「少年」から「若者」に、そして「男」に変わっていく。

 主人公の人生には戦争が深い影を落としている。その最たるものは徴兵による死の可能性である。物語のラストにおいて、遂に主人公の元に赤紙が届くが、それに先立って、主人公の仲間は次々と応召する。その中には戦死する者もいる。

 戦争のために若くして死ぬことを確信する主人公は人生に対して絶望的な気持ちを抱いているが、にもかかわらず(あるいは、それゆえに)、フランス語の勉強と読書に貪欲な情熱を傾けている。主人公の読む本は、レーニンの英語訳なども含まれるが、多くは時局とは無関係な日本古典や海外の文学書である。

 主人公には文学について語り合う多くの仲間がいる。作品のタイトルにある「若き日の詩人たち」は、戦時下で死の恐怖に怯えながらひたむきに文学に打ち込んだ主人公とその仲間を指している。

 主人公は「新橋サロン」と「新宿のグループ」という2つの文学グループに関わっているが、いずれのグループにもモデルがある。「新橋サロン」のモデルは詩誌『山の樹』の同人たちのグループである。東大と慶応の文学部の学生が中心で、加藤周一もメンバーの一人であった。「新宿のグループ」のモデルは荒地派の詩人たちのグループである。

 作中では、「新宿のグループ」の無頼的傾向に対して、「新橋サロン」の勤勉さと学識の深さが強調される。主人公は遅れてフランス語を勉強し始めたこともあり、「新橋サロン」のメンバーとの交流から大いに知的刺激を受ける。主人公は「新橋サロン」を「戦争へ戦争へと吹いていく時代の風のなか」での「一種の吹き溜りのようなもの」と評し、メンバーが文学に打ち込む心理について、「風が次第に烈しくなって来るからこそ、彼らは懸命に勉強をし、明日を思い患う心を、つとめて読書や作詩のなかに捩じ込んでいるのだ」と推測する。

 さて、本エッセイの冒頭で、加藤周一が、「星菫派」が文学や哲学に耽溺して現実から逃避したことを激烈に批判したと述べた。加藤が批判する「星菫派」には加藤や加藤の近しい仲間は含まれていなかったが、堀田は、戦時下の「詩人たち」にとって文学に打ち込むことが現実からの逃避の意味を持っていたことに自覚的であった。

 文学に携わる者が酷薄な現実に背を向けて芸術至上主義に徹しようとするのは、何も第二次大戦中に限ったことではない。「新橋サロン」の仲間に触発されて日本の古典文学を熱心に読むようになった主人公は、平安末期・鎌倉初期に、乱世的現実とは無縁の美しい和歌が藤原俊成や定家によって詠まれたことに深い感銘を受ける。

 主人公にそうした問題意識を持たせたきっかけは、「新橋サロン」のメンバーである汐留君の演説であった。汐留君は卒業論文のテーマであるバンジャマン・コンスタンの小説『アドルフ』について語っていた際に、突然「激昂」し始める。汐留君は、コンスタンが王政復古期のしたたかな政党政治家だったことなどはどうでもよく、残ったのは『アドルフ』だけだと主張し、「現実なんかビタ一文の価値もないんだ」と断定する。その後、話題はフランス文学から日本古典文学に移り、「新古今に架かってる、あの夢の浮橋の、そのために支払われている痛切なもののわからん奴なんか、そんなもんビタ一文の値打ちもないんだ」と熱弁をふるう。この演説を聞いたメンバーは、汐留君が唐突に激昂したのは、卒論の執筆が卒業後の兵役と死を想起させたためだと悟って黙り込んでしまう。汐留君の目には涙がたまっている。

 主人公は汐留君の演説を聞いて、中世における文学と現実の関係について認識を新たにする。乱世的状況のただ中で書かれた芸術至上主義の文学は現実と無縁であることを装うことで、却って現実と深く関係している。中世におけるこのような文学と現実の関係は、戦時下のそれと重なっている。

 ついでに言えば、堀田は『定家明月記私抄』において、若き日の藤原定家が『明月記』に記した「世上乱逆追討、耳ニ満ツト雖モ之を注セズ、紅旗征戎吾事ニ非ズ」という言葉が戦時下の文学青年に深い共感をもたらしたことを、しみじみ回想している。定家は源平の争乱について「戦争などおれの知ったことか」と嘯いてみせたわけだが、この言葉は戦時下を生きる文学青年にとって「言いたくとも言えぬ」言葉であった。

 さて、『若き日の詩人たちの肖像』は主人公の応召によって幕を閉じるが、実は堀田は入営後ほどなくして病気になり、数ヶ月ほどで除隊となった。1945年3月には、K君(『若き日の詩人たちの肖像』の汐留君こと小山弘一郎)の「疎開先」であった洗足に滞在していた間に東京大空襲に遭遇するが、『方丈記私記』にはその経験が詳しく記されている。『方丈記私記』は、東京大空襲の経験を交えながら、鴨長明『方丈記』について論じたユニークな著作である。

 東京大空襲と『方丈記』の間にはどのような接点があるのか。堀田は東京大空襲に遭遇した際、目前の光景から鴨長明が描く「五大災厄」の光景を想起したのだという。大規模な戦災のただ中で古典文学についてあれこれ思考するのは文学者ならではの振る舞いであるが、ここにはもはや文学を通じて酷薄な現実から逃避しようとする、あるいは酷薄な現実を文学に昇華しようとする、芸術至上主義的な姿勢は見られない。むしろ、堀田は『方丈記』が同時代の現実をリアルに描いていることに着目し、『方丈記』を乱世の現実をめぐる「傑出したルポルタージュ」として評価する。こうした理解は、人口に膾炙した無常観の文学としての『方丈記』のイメージとも大きく異なっている。

 拙著『堀田善衞 乱世を生きる』(ナカニシヤ出版、2019)で詳しく論じたように、堀田は、日本中世の乱世的状況の中で書かれた『方丈記』を『新古今和歌集』や『明月記』のアンチテーゼとすることで、藤原定家に代表される観念的な宮廷美学や文学の現実乖離を批判的に捉えるようになる。こうした中世文学の理解は、戦時下の文学青年が否応なく共有していた文学による現実逃避の姿勢を克服することと地続きであった。もっとも、それは東京大空襲の経験のみによって果たされたわけでない。堀田は東京大空襲後まもなく日本から亡命するようにして上海に渡り、上海で敗戦を迎え、敗戦後も1年半近く彼の地で暮らした。堀田の文学観の成熟は、異国での敗戦体験を経ることで時間をかけて果たされたといえる。

 『若き日の詩人たちの肖像』には、主人公が「新宿のグループ」の「良き調和の翳」(モデルは鮎川信夫)から書きかけの詩(「橋上の人」)を見せられる場面がある(作中では初出形の一節が引用される)。この詩の中で、「みづからの心象を鳥瞰するため」に橋の上にやってきた人物は、橋の欄干に肘をついて、足下の「黒い水の流れ」を見ながら思いをめぐらせる。「あなたはまことに感じてゐるのか/澱んだ鈍い時間をかきわけ/櫂で虚を打ちながら必死に進む舳の方位を」──主人公は、戦時下を生きる主人公らの世代の姿を凝視した点に圧倒される。

  「橋の上」は戦時下を生きる「詩人たち」のポジションを象徴している。彼らは間近に迫る応召と死の可能性に脅かされつつも、銃後に留まる限りは・・・・・・・・・、「橋の上」にささやかな逃避先を確保し、事態を傍観することが可能であった。ところが、堀田の場合、東京大空襲における被災と上海での敗戦が、「橋の下」に赴くことを余儀なくした。

 堀田は晩年に『路上の人』という小説を執筆している。中世ヨーロッパの異端派に対する弾圧を描いた作品だが、この作品の中で、堀田は主人公のヨナを自身の分身として描いた。ヨナは一切の帰属を持たない「路上の人」である。ヨナは鴨長明が「五大災厄」をリアルに描いたのと同じ姿勢で、異端派に対する過酷な弾圧を見届ける。

 「橋上の人」から「路上の人」への歩み、それこそが堀田善衞の人生を賭けた文学遍歴であった。

(みずたまり まゆみ・日本近代文学)

〈81年目の読書〉

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