木下華子 「無常」からの創造[『図書』2026年7月号より]
「無常」からの創造
『方丈記』がもとめる住まいの理想
中世文学と「無常」
本年2月に、『無常の時空──中世文学の思索と表現』と題する一書を上梓した。日本の中世は「無常」の時代、中世文学の特徴は「無常感」または「無常観」。よく目にするフレーズである。
「無常」とははかなさの謂いであり、この世における一切の存在が変転し、同じ状態を保てないことを意味する。「無常感」は事象としての「無常」に接して生じる感情であり、「無常観」はこの世の一切が「無常」であることを理解した上で、何を求めていかに生きるかを思念する自覚的な姿勢である。例えば、人の死(生命の変転・存在の消失)という「無常」に触れて湧き上がる哀しみは「無常感」であり、そこから自らはどう生きるべきかという思念が始まれば「無常観」の域に入ることになろうか。
摂関政治から院政へ、貴族の世から武士の世へ、鎌倉幕府滅亡の後に室町幕府が成立するも南朝・北朝という二つの王朝が対立、その合一の後も平穏は続かず、応仁の乱を経て群雄割拠と下剋上の戦国時代へ。中世とは、おそらく、日本の歴史の中で一定期間を抜き出した時に、最大数の戦乱が生じた時代と言って差し支えないだろう。数え切れないほどの戦乱と失われる命、度重なる社会システムの再構築。永続性を期待できない、「常」なる存在など「無」い、まさしく「無常」の時代である。先のフレーズは、なかなかに的を射たものといえる。
「無常」からの出発
だが、フレーズとは核心的であればあるほど、抽象的であればあるほど取り扱いに注意が必要である。抽象的な概念が先に立つと、私たちは色眼鏡で世界を見るような陥穽にはまり、「無常」や「無常観」で中世文学を覆い尽くそうとするからである。以下、このことを考えてみたい。次の例を見てみよう。無常観の文学の代表とされる鴨長明の『方丈記』(建暦2[1212]年成立)において、都の郊外にある日野山の草庵、一丈(約3メートル)四方の方丈の庵と自身の暮らしを叙述した後の一節である。
もし、人この云へる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居の気味もまた同じ。住まずして、誰かさとらむ。
方丈の庵の快適さを疑う人は、魚や鳥を見るがよい。魚は水に飽かず、鳥は林を願うが、魚や鳥でなければその良さはわからない。草庵の閑居も同じ。住めば必ず理解できるのだ。実に大胆な宣言、自身が提唱する暮らしへの高らかな肯定である。自らの実践によって新しい住まいを提案する、新しい規範を創り出そうとする力強さをも見出せるように思う。
着目すべきは、このような力強さと創造性とが、「無常」や「無常感・観」と同居、両立していることである。長明は、平安末期の治承寿永の乱(源平の合戦)、いくつもの災害、貴族の世から武士の世への変動といった、「無常」なる現実を経験した。彼の心身には、実感としての「無常」が深く刻み込まれていただろう。実際、『方丈記』は次のように始まる序を有している。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。……その主と栖と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或(あるい)は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つことなし。
流れ行く河、生成と消滅を繰り返すうたかた(水の泡)、朝日に枯れる朝顔とそこに置く露などに託して、つまりは様々な比喩を用いながら、この世を生きる人とその住まいが長らえることなどない、「無常」であることを説く一節である。
日本文学史上、最も美しい「無常」の説明だが、その裏側に、実体験としての「無常」が横たわっていることは想像に難くない。
しかし、この箇所はあくまで作品の序である。本論──方丈の庵に至る経緯と実践──は、この後に始まるのである。ならば、この世が「無常」であることはもはや前提であろう。作品そのものは、「無常」から出発して、何かを言おう、論じようとしているのではないか。
中世人のエネルギー、中世文学が持つ創造性は、「無常」に満ち溢れる世界から発現しているということらしい。はかなさとしての「無常」と新しさを創出するエネルギーとは、一見、矛盾する。この不思議な矛盾を成立させる必然性と、「無常」なる時空に発現する中世文学の魅力を解き明かしたい。本書はそのようなことを思い描いて、出発したのだった。
「無常」のメカニズム
問題は、「無常」なる世界に、なぜ創造が育まれるのかである。あきらめないのが人なのだと言うこともできるが、もう少し分け入ってみたい。そもそも、「無常」には何らかの創造を促すような仕組みが内在しているのではなかろうか。
具体的に考えてみよう。「無常」なる事象──存在の変容・消失──は、人々の周りにわかりやすい形を取って現れていた。『方丈記』ならば、「玉しきの都」、玉を敷いたように美しい都が火事や地震などの予想もし得ない事態によって荒廃し、その中の「人と栖」が壊され動かされ、滅びゆくことである。この様相は、精細かつ臨場的な筆致で、序の直後に詳述される。
このような事態は都の外でも出来していた。歌枕(和歌に詠まれる名所)を例に取ろう。『伊勢物語』『古今和歌集』以来、著名な歌枕に三河国の「八橋(やつはし)」がある。東国に惑い行く男が三河国に至り、分岐する8つの橋を渡した沢のほとりで杜若を見て和歌を詠み、皆が涙する。中古・中世を通して多くの和歌に詠まれた話だが、鎌倉と京都の往還がさかんになった鎌倉時代、東海道を歩む旅人たちが眼にした八橋は、朽ちてその姿を変容させていた。8本あったはずの橋は1、2本を残すのみとなっていたのである。
美しさや秩序の象徴としての都、皆が共有する記憶を蓄える歌枕、これらの景が変容し、荒廃を顕わにするのが、中世における一つの「無常」だった。ならば、「無常」が表すものは変化や消失にとどまらない。あるべき姿、理想が失われること。それこそが「無常」であり、中世には、そのような「無常」があらゆる場所・空間に遍在していたのである。
理想の消失という「無常」に触れた時、人には何が起きるのだろう。本来性を喪失した景が眼前にあるならば、昔あったものが今は失われたという感覚、そこからどうすべきかという思索が生じるはずである。貞応2(1223)年、鎌倉への道中で八橋を見た『海道記』の旅人は、『伊勢物語』の昔、八橋の理想の景を思い、自らの今──朽ちた八橋のごとき世捨て人の私──を認識した上で、自分の将来を鼓舞する。現代においても、失われた跡、例えば廃墟を眼前にした時、私たちは過去の記憶を呼び起こし、対象についても、あるいはそれを見る私たち自身についても、失われた現在からどうやって本来的なあり方を回復すべきかについて思いをいたすだろう。
過去に存在した、社会的に共有された理想を召喚し、失われた現在を認識して、本来性を取り戻すべく将来へと思いを馳せる。どうやら、「無常」とは、触れる者に如上の思索をもたらすメカニズムを内包するらしい。そこには、理想を再生し新しい将来を描こうとする創造性が宿るはずである。
「無常」からの創造
「無常」が理想を召喚し、創造を促すメカニズムを持つならば、それはいかなる形で中世文学に現れるのか。先の『方丈記』を例に取ってみよう。改めて作品の構成を示すと、以下のようになる。
①序
②5つの不思議(五大災厄)
③家の来歴と現在の住居(方丈の庵)
④方丈の庵での閑居の気味
⑤終章
①序では、変化する河の流れや生滅を繰り返す水泡(うたかた)の比喩によって、「世の中の人と栖」、都における人と住居の「無常」という作品の主題を提示。②は、その具体例として、予期せぬ事態(火事・竜巻・遷都・飢饉・地震)のために人と住居が失われる都の有様を活写する。ここまでが前半であり、後半は、③で住みにくい都を出て、日野の山里の小さな草庵に一人暮らす自らの実践を記し、④でその閑居の素晴らしさを詳述。作品の結びは、⑤謙辞である。
具体的な「無常」、人知の及ばぬ事態が人と住居を壊す様は②に現れる。注目すべきは、それらをまとめた後の一文、「いづれの所を占めて、いかなる事(わざ)をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」だろう。①に述べた「人と栖」の「無常」を、②で具体的に示した結果、都では安らかに暮らせないことが明らかになる。ならば、どこに住めばよいのか、どのように暮らせば心身の安寧が得られるのか。前半の最後に述べられたのは、住居と人生、すなわち住居論における本質的な問いであった。
①②から問いが発されたのならば、③④はその回答ということになる。なるほど、どこにどう住めばよいのかという問いは、日野の方丈の庵のように暮らせばよい、都の外の草庵での閑居はかくも素晴らしいという答えにつながっていく。
③④を読むと、この答えの要諦は、狭小な庵に一人で住まうミニマルな生活スタイルにあることがわかる。実は、このミニマルさこそが新しさと理想を備えていたのだった。『方丈記』が有名になった結果、私たちは一丈四方が普通の草庵だと思いがちだが、出家者・遁世者の草庵はもっと広い。三丈(9メートル強)四方や二棟程度もあるものが一般的なのである。一丈四方は9平方メートル強、三丈四方は81平方メートル強だから、方丈の庵は驚異的なミニサイズ、最小限のもので暮らすスマートな住居は、耳目を集める新しさだっただろう。
そして、出家遁世した者にとって、一人住まいとは本来的なあり方、他者に悩まされず修行に励むことができる理想の形である。つまり、『方丈記』が提唱する狭小な草庵での独居とは、新しいスタイルであると同時に、遁世の理想を叶え、本来性を回復するあり方なのだった。「住まずして誰かさとらむ」、この良さは住めば必ずわかるとの高らかな宣言も宜なるかなである。
②で詳述された「人と栖」の「無常」は住居論における本質的な問いを生み、③④においてあるべき姿を包摂した新しさを導いたことになる。『方丈記』とは、「無常」の世に発する新しい住居論だったと言えるだろう。私たちは、このような営為に、「無常」からの創造、「無常」から理想的な新しさを創り出す力を見出すことができる。そのようなことが可能なのは、先に述べた「無常」が内包するメカニズムゆえである。
『方丈記』のみならず、中世文学の様々な作品には、このような力が備わっている。中世とは、「無常」からの創造という力強い必然に満ち溢れた時代だった。中世とは、そして中世文学とは、かくも面白い。本書では、その一角に手をのばしたつもりである。
(きのした はなこ・日本中世文学)




