倉沢愛子〈3.11を心に刻んで〉
大きな災厄を経験した社会にとって、そこから回復するということは、以前の状態の単なる復元ではありえない。新しい条件を受け入れ、そのなかで生を生き続けること、その強さとしなやかさが「レジリエンス〔打たれ強さ〕」である。
(川喜田敦子・西芳美編著『歴史としてのレジリエンス──戦争・独立・災害』京都大学学術出版会、2016年)
東日本大震災の10年目を直前にした2月13日、またしても震度6強の余震が東北地方を直撃し、あまりにも長く続くその影響を痛感させられているが、あの時の災害に関連して思うことがある。あれは、卒業式直前のことで、そのために被災地以外でも多くの大学で卒業式も謝恩会も中止になった。それでもその不満をメディアの前で声高に発言する若者はいなかった。電力が不足して街の明かりも暗くなり、エレベーターの運行も縮小され高齢者に辛いこともあったが、人々は黙々と従い、「頑張れニッポン」のスローガンが日本中をかけめぐった。
ところが、今日本では、コロナ禍で2度目の緊急事態宣言が出されているにもかかわらず、あの時に国民が感じたような危機感や一体感は欠如しているように思う。つまり「最大の敵はコロナウイルス」という自覚が少々薄いのではないかということである。政治家を批判したり、若者の行動に眉を顰(ひそ)めることはもちろん重要だが、その前に、その共通の「敵」との闘いのために、まず国民が一丸となり、多少の不便や損害は受け入れなければならないのではないかと思うのだ。
と書くと、全体主義の下、個々人の意思や意見を弾圧し、「欲しがりません勝つまでは」というスローガンで国民を総動員した戦時下、あの「大本営発表」の時代を想起させそうで躊躇する。だが私は、当初想像していた以上に頑固なウイルスとの闘いには、ある意味で戦時態勢にも似た「敵の前での大同団結」という覚悟が必要と思うのだ。
2004年12月26日に発生したインドネシア・スマトラ島沖の大地震・大津波を思い出さずにはいられない。各地で計23万人、最大被災地のアチェ州だけでも17万人の命を奪ったこの未曽有の災害は、1つだけ「災い転じて福」をもたらした。それは、1976年以来インドネシア共和国からの分離独立を目指して武装闘争を展開していた自由アチェ運動が、この大災害をきっかけとして和平に同意したことである。30年近くにわたって続き、1万5000人の死者を出して泥沼化し、和平はほぼ絶望的だと思われていたのであるが、共通の敵である大災害を目の当たりにして、「こんなことをしている場合ではない」と、そこからの復興を目指すために双方が歩み寄ったのである。
人類を等しく襲った現在のこのコロナウイルスによる大災害に際して、今私たちも、まず共通の敵のために大同団結できないものかと思う。