畠山直哉〈3.11を心に刻んで〉
「あの時に感じたことが本物である。風化した後の今の印象でものを考えてはならない」
(池澤夏樹『春を恨んだりはしない──震災をめぐって考えたこと』中央公論新社、2011年)
「忘れようとしても思い出せない」という冗句には笑えないところがあって、それが却って可笑しみを誘う。もし目の前に「とんでもない出来事があったのだが、その内容を覚えていない」などと言う人間がいたとしたら、こちらは「バカヤロウ」のあと、二の句が継げなくなってしまう。「思い出せ」と詰め寄っても無理だ。記憶のあるなしに他人が関わることは不可能なのだから。そのせいで「記憶にございません」を、法廷で繰り返す者が出てくる。
人の記憶が重要なのは、それが人の意識を支えているからだ。記憶がなければ意識はない。だから「記憶にございません」を繰り返す人間は、まるで意識のない幽霊のように見える。人はそのことが悔しい。「バカヤロウ」である。
意識は人の行動を支えている。デモをしたり奉仕活動をしたり選挙に行ったりする行動も、意識が支えている。そのような行動のさなかに反省の機会が訪れる時、人は現れた意識の奥に記憶が存在することを、確かに感じ取っている。
問題は、その「記憶」というものが、こちらの思うようにはならないということだろう。勝手にぼやけたり変形したり消えたり生まれ変わったりする。黒沢映画の「羅生門」に出てくる人物たちのように、一つの出来事について、それぞれの記憶が異なっていることも珍しくはない。個体の命が尽きれば記憶も一緒にこの世から消えてしまう。これは生物学的な限界なのか? と、諦めそうにもなるが、その限界に挑戦することを諦めないのが人間の本性であると、僕は信じたい。言葉や文字、映像技術などは、そのために先人たちが産み出してくれたものだったはずだ。
ところで第二次世界大戦で亡くなった日本人の数は? 約300万人。卒倒してしまいそうな数字だ。たくさんの日本人が当時から、そのことを記憶しておこうと努めていたに違いない。だが僕たちの現実の行動に、その記憶は生かされているだろうか?
行動をおこそうとする時、抵抗すべき相手のリストの中には、この記憶の度し難さというものを加えておく必要がある。池澤夏樹さんが「風化した後の今」と書いたのは、震災からわずか5カ月後のことだった。