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3.11を心に刻んで

柳亭小痴楽「震災を経て学んだ視野の広さ」

震災から1年経って、椅子に座って演芸を楽しめるまでになったのだ、という状況もちゃんと感じてもらいたかった。

(2012年、林家たい平師匠の東北での落語会終演後のスタッフへの言葉)

*  *

 私のかみさんは2歳年下の平成2(1990)年兵庫県生まれ。幼い頃に阪神淡路大震災を経験しており、曰く「とても不謹慎なことだけれど、震災当時は幼な過ぎて、家族が慌てふためいている様もその揺れに対しても、日常からかけ離れ過ぎていて、どこかワクワクを感じてしまった」と。大人になった今は、当時の感情に後悔のようなものを持っている。私の方はというと、東京に生まれ育ち、阪神淡路大震災当時の記憶はほとんどない。
 
 3.11のときは、もう落語界に入っており、3月11日は三重県、翌12日は愛知県にいた。なので、ことの重大さ、東京にいても恐ろしかったというその揺れを体感することはなかった。その後、復興支援、チャリティ、学校公演と様々な落語会を東北でさせていただいたが、とりわけ印象に残った落語会がある。それは、震災から1年が経ったときの宮城県でのチャリティ落語会。メンバーは、林家たい平師匠と私だった。会場となったのは被害が特にひどかった地域で、東京でもテレビなどで、しじゅうその様子が映されていた場所だった。
 
 たい平師匠は御上さんが東北の生まれということもあり、東日本大震災への想いは特に強かった。また、ことあるごとに、いろんな形で復興支援に協力をしている方だった。そんな師匠と東京から新幹線に乗り、会場へ着いたのは開演の45分前だった。普段なら、軽くマイクチェックや音響チェックを済ませ、着替えて高座を待つのみ……、なのだが、チェックのため舞台へ上がると、フラットな長方形のホール。その長い辺の中心部に高座をつくってあるので、客席は横に長っ広い。そしてなんと、ブルーシートがしいてあるだけで、お客さんはそこに直に座ることになるのだった。それを見た私は、フラットで横長でやりにくいなぁ……、でも、もう時間もないし、しょうがないか、と諦めていた。そこに、たい平師匠がチェックに来た。そのつくりを見た途端に「これはダメだ!」と言って、主催者さんやスタッフさんに「椅子はどこにありますか? 屋上? 私も手伝うので今からつくり直してください! 時間がないのでみんな急いで!」と普段は柔らかい物腰の師匠とは違って、会場中に緊張が走った。緊張とともに皆大慌てで走りに走って、何とか短い辺に舞台を移し、縦長で椅子の客席にできたのは開演5分前。私は急いで着替えて駆け上がりの開演となった。
 
 師匠も私のすぐ後の高座だったので、とにかくバタバタの開始となったが、無事終演。その後、我々演者を囲んだ宴席になり、主催者さんから乾杯のご挨拶……、とそこで師匠が「乾杯の前に、ちょっとすみません。一言良いですか?」「先ほどは、開演までの時間がなかったので仕方がありませんでしたが、私のような若造が、皆さんを偉そうに使ってしまって申し訳ございません。私の家内がこちらの生まれということもあり、震災から1年間、ずっとこちらへ来ておりました。ちょっとずつではありますが、復興も形になってきたと感じていた中、今日の会でブルーシートが広げられていたのを見たとき、そのほうが、大勢が入れるのかもしれないですが……」という言葉に続けておっしゃったのが、冒頭に引用した言葉だ。
 
 自分がやりやすいかどうかしか考えられなかった私の視野の狭さに気づいた。一方、師匠はお客さんの見やすさから楽しむ気持ち、心情にまで気を配って高座をつくっていたのだ。私の客席への配慮を考える力が大きく変わったのは、この落語会からだった。
 
 あれから10年以上が経って、今度は能登半島で大きな地震が起きた。ほかにも次々と自然災害が起こる。
 
 私はといえば、あのときのことを思い出しながら、高座に上がり続けている。

 

(りゅうてい こちらく・落語家)
 
 
岩波書店編集部編 2021年3月刊
A5判 ・ 並製 ・ 108頁 定価 880円

「3. 11を心に刻んで」は、2011年3月の大震災を忘れず考え続ける場として、同年5月にスタート。
以降、300名を超える筆者により岩波書店のHP上で書き継がれてきたWEB連載です。
(現在は3カ月に1度「web岩波 たねをまく」で連載継続中
連載は単行本『3.11を心に刻んで』(品切)と9冊の岩波ブックレットにまとまっています。
 震災に思いを寄せて綴られた言葉の数々にふれていただければ幸いです。

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