佐藤そのみ 悲しみは描き終えて
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
(宮沢賢治『春と修羅』日本図書センター、「永訣の朝」より)
私の故郷・宮城県石巻市の「大川」と呼ばれる地域は、12年前の震災で甚大な被害を受けた場所の一つだ。地域の中心にある「大川小学校」では、74名の児童と10名の教職員が津波から逃げ遅れ、死亡・行方不明となった。私の妹もそのうちの一人だ。妹は当時小学6年生、私は中学2年生。こんなことが起きるなんて考えてもみなかった。比較的早いタイミング——3月15日には遺体安置所で妹と対面したが、ただ眠っているだけなのではないかと本気で思っていた。
その後、“身内の死” について描いた映画や文学に意識的に触れるようになった。他者の悲しみに共感すること、また震災後の自分の感情を表現する手がかりがどうしても必要だった。
宮沢賢治の「永訣の朝」も、若くして亡くなった妹・トシとの別れについて綴っているものだと知り、手に取った。暗い雲から降ってくるみぞれ、「雪が欲しい」という妹のために抱える藍色模様のお椀、駆け出す足、そして今日にも息を引き取ろうとしている最愛の妹。優しくて、いつも励ましてくれた妹が、どうして私よりも先に行ってしまうのだろう? こんなにも苦しんで。妹が頑張ってきた英語の勉強やクロールやピアノは、二人で共有した漫画や洋服や遊びは、彼女にとって何だったのだろう?
私は賢治のようにただ願った。妹が、一緒に亡くなった子どもたちや先生方が、地域の人たちが、どうか今いる場所で幸せであるように。
2019年、大学生の時に、大川で2本の映画を自主制作した。震災で妹を亡くした少女の葛藤を描いた劇映画『春をかさねて』と、大川小で友人や家族を亡くした若者たちの現在を映したドキュメンタリー『あなたの瞳に話せたら』。震災前——2009年の小学生の頃から、ずっと大川で映画を撮りたいと思っていた。大川の風景と人々を、物語におさめたかったのだ。“震災” という、この美しい故郷には似つかわしくない題材を描くことにはなってしまったけれど、当時の目標は果たすことができたと思う。
映画を作ったことで、良くも悪くも、もう “震災後の私” ではなくなった。もちろんこの2本の上映も続けたいが、次は震災以外のことも映画にしてみたい。妹は、楽しんでくれているだろうか?
(現在は隔月で「web岩波 たねをまく」で連載継続中)