『宮﨑駿イメージボード全集』製作の舞台裏
『宮﨑駿イメージボード全集』の編集製作に携わる編集者の徳木吉春氏、株式会社スタジオジブリ出版部部長の額田久徳氏、長らくスタジオジブリの出版物を担当されてきたTOPPANクロレ株式会社の鈴木敬二氏より、本全集の魅力をその舞台裏から語っていただきました。
宮﨑駿のアニメは「イメージボード」から始まる
額田 『宮﨑駿イメージボード全集』のきっかけは、鈴木敏夫プロデューサーからの「宮さんのイメージボードがいっぱいあるんだけど、これを全部まとめた本がほしいんだよね」というひとことでした。それを受けて、刊行は1冊の厚い本にまとめるのか、それとも作品ごとに分けるのかを、〔スタジオジブリ〕出版部で考えたりしました。
誰に編集構成をお願いしようかという段階で、やはり「ジブリ THE ARTシリーズ」(徳間書店)を作った徳木さんが適任だと思いました。
徳木 額田さんと考えた「全集」収録対象は3つ。イメージボードとストーリーボード、そしてラフスケッチ。分類が微妙なものもありますが、映画を作るために宮﨑さんが描いたであろうものは全部入れるという考え方を下敷きにし、あとは編集者としての感覚で判断しています。
額田 ジブリには、イメージボード以外の宮﨑さんの絵もいっぱいあるので、「イメージボード全集」というタイトルにこだわりストーリーボードは載せないなんていうもったいないことはできず、せっかくの機会なので、ある程度幅広く考えるようにしました。
徳木 イメージボードをどう捉えるかは、難しいんですよね。そもそも「イメージボード」という言葉自体が、アニメの資料などをまとめた他の本を見ても、ほとんど載っていないんです。「全集」に収めるのに、対象となる絵をイメージボードとするのか、ストーリーボードとするのか、いまだに悩むものもありますが、僕としては、映画の制作に入る前に描かれたものはイメージボード、入ってから描いたものはストーリーボードと整理しています。
ストーリーボードは、日本の実写映画では「ピクトリアルスケッチ」と呼ばれ、『ゴジラ』など特殊効果を使う作品で活用されていました。たとえば、アクションシーンはこういう感じにしたいと描いた絵をボードに貼り出し、「このシーンは前に持っていったらいいんじゃない?」と絵を移動したりして場面構成するのに使うものなんですね。そこからシナリオを書いていきます。
こうした検討用の素材はアメリカでもいろいろな呼び方があって、「コンセプトスケッチ」、「コンセプトアート」、「プリプロダクションスケッチ」、「プロダクションスケッチ」など、さまざまです。「コンセプトアート」や「プリプロダクションスケッチ」というのは作品に入る前に描かれるもので、僕たちの言うところのイメージボードです。「プロダクションスケッチ」は作品制作に入ってから描かれるもので、これがストーリーボードのベースになるわけですね。
海外のストーリーボードが日本で紹介されるときにはたいてい、「絵コンテ」と同じものだと理解されてしまいます。用紙に描かれた絵だけ見ると似ていますが、別ものなんです。日本の絵コンテには1つのカットに必要な秒数が書いてあって、演出指示まで入っています。海外のストーリーボードには、秒数も演出指示も入っていません。こんなイメージで作りたいよね、というところにとどまるものです。
さらに、日本ではアニメ制作会社によって、現場で飛び交う用語の意味が違うんです。たとえば東映〔東映動画、現・東映アニメーション〕の人がフリーになって別の会社で仕事をするときに、「イメージボード、お願いね」と言われても、意味が違って混乱することがあるそうです。宮﨑さんは東映からの流れですし、他の監督さんでたとえば虫プロ〔手塚治虫が設立した虫プロダクション〕出身だったら、虫プロの用語を使う。
ちなみに、宮﨑さんは絵コンテどおりにやるなという方なんです。30分のテレビシリーズであれば本編はおよそ22分なので、カットの秒数を足して22分に収めなければならない。でも、映画はテレビのように分数が決まっていない。だから宮﨑さんの絵コンテの指示が3秒であっても、実際に描くアニメーターは6秒使う判断をしてもいい。そこには遊びがあり、アニメーターにとっては悩みどころでもあるようです。
宮﨑さんはご自分でいろいろな手法を編み出していますよね。『風の谷のナウシカ』のときは王蟲の動かし方についてゴムを使って検討してみたり、『ハウルの動く城』では城をCGで動かしてみたり。自分がやりたい表現をどうすれば実現できるかを、毎回、考えてらっしゃるんじゃないですかね。今回の「全集」の編集作業のなかでも描かれた絵を見るたびに発見があるし、「こう来たか」と驚かされます。
「あるものはすべて載せる」

額田 まず、判型が課題でした。絵を見るには実物と同じ大きさが理想だろうと、鈴木プロデューサーとはなるべく原寸で載せる方向で話をしていました。原画を見る前には、ポスターのように大きい絵なのかな? と思っていたイメージボードが、実際には意外と小さなサイズだったりして驚くこともありました。ルーブル美術館で本物の『モナリザ』を見たら思っていたより小さい絵でしたが、そのときと同じような感覚でしたね。
もちろん大きい絵もあって、1ページの幅に収まらない絵を、向きを無理に変えてレイアウトするのはよくないし、見開きで絵がノドにかかってしまってもよくありません。原寸にこだわって判型を巨大にしたら、書店さんに置いてもらえないことも。今回の「全集」のB4判変型は、以前に岩波書店で出してもらった『宮崎駿とジブリ美術館』と同じサイズです。このサイズだったら店頭でも置いてもらえるのではないかと参考にしました。原寸で掲載できなかった絵もありますが、可能な限り最大のサイズでレイアウトしています。
徳木 掲載すべき絵は、スタジオジブリのアーカイブ事業部が保存しているものを基本に、出版部の方々が膨大な過去の資料をすべて確認してくれています。抜けているものを社内で探したり、印刷所に頼んで画像を取り寄せたり。ただ、昔のイメージボードは、宮﨑さんが当時のスタッフにあげちゃったりして見つからないものもあるんです。
額田 現存していなくても、過去に本に載せるためにデータ化したものもあるので、可能なかぎり掻き集めています。「全集」と名がつくものですので、方針は「あるものはすべて載せる」。ファンの方はとてもお詳しいので、「あれが載ってない」ということにならないよう努めています。
徳木 「ジブリTHE ARTシリーズ」に載っているイメージボードやストーリーボードもすべて掲載する方針で編集しているので、「イメージボード全集」の絵について「見たことがある」という声もいただいていますが、「初めて見たものが多い」という声もあり、良かったなと思っています。
「宮﨑駿が描いている姿」が見えるように

徳木 今回は「THE ART」とは異なり、トリミングはしていませんし、背景を白で飛ばすこともしていません。生っぽさを表現するためにおこなっていないんです。宮﨑さんのラフや色塗りなど、「宮﨑駿が描いている姿」が見えるように、リアリティにこだわりました。紙の地色もそうですけど、なんだか古文書のような感じもしたんですよ。これをそのまま載せたいと、セロテープや画鋲で留めた跡もぜんぶ見せています。それができたのは嬉しいですね。
「THE ART」ではキャラクターの絵として別々に取り出して載せていた絵も、実は同じ1枚のなかに描かれていたといったことが、今回の「イメージボード全集」ではわかります。3巻の『となりのトトロ』に掲載しているものでいうと、おばあちゃんの絵と一緒に家族でお風呂に入るシーンが描いてあったり、メイの絵が描いてある紙に機関銃や零戦も小さく描いてあったりと、「これは宮﨑駿が描いているな」という感じがすごくします。
鈴木 古い作品のイメージボードはかなり時間が経ってしまっているので、紙の地色が変わってしまっているんです。描かれたころは焼けてなかったはずですが、ナウシカやラピュタともなると40年ほど前のものですから。「THE ART」では、焼けた紙の地色は全部飛ばして真っ白にしていました。今回の「全集」のコンセプトは、イメージボードの紙の質感から地色までも再現するというものなので、今の時点での原画の再現に努めています。制作時期が新しい作品の巻になると紙の地色もここまで変色していないですから、そのあたりは変わってくるところかと思います。
額田 実は地味に苦労したのは、「これ、宮﨑さんが描いたのだろうか?」というのを、全部確認し直す作業でした。というのも、とくに初期の絵は、描いた本人ですら分からないものもあるんです。
徳木 あやふやなものもあったんですよね。絵を見たときに、なんか違うよなと思ったものが、調べてみたら宮﨑さんが描いたものではないとわかって外したなんてこともありました。
額田 いちから全部、でしたね。1枚1枚、すべて鈴木プロデューサーに確認しました。
現物を見本にとった徹底的な再現
徳木 構成の依頼をいただいたときには、ページ数の指定もなく、鈴木プロデューサーが想定している完成形が見えないので、まずパイロット版のつもりで作ってお見せしました。イメージボードを載せる順番は、基本的には「THE ART」と同様に話の流れに沿って、しかし厳密ではなく、ゆるやかに。ジブリ出版部のみなさんにも見てもらって調整していきました。いろんな角度からの目が入った方がいいですからね。
たとえば1巻のナウシカでいうと、4巻の『ナウシカ前史』に収録することになった絵も最初は一緒に載せるつもりで、それを前半に入れて、後半にナウシカ本編の絵を入れていたんですね。すると鈴木プロデューサーから「こっち〔前史〕のほうが目立っちゃうから、分けようよ」とコメントをいただいたので、別の巻にすることにしました。
キャプションは抑制し、編集側の考察も入れず、画材やサイズの情報のみ。ノンブル(ページ数)さえも省略しています。「写真集のようにしたい」と企画の当初から考えていました。説明的なことを書くのも避けたいなと。アーカイブ事業部が出してくれた情報だけを入れる方針でつくっています。
鈴木 最初は「THE ART」と同じようにグロスコート紙で進める案もありました。しかし実際のイメージボードは、画学紙というのでしょうか、光沢のない紙に描かれているものが多かったため、その再現性からも、また、おもに水彩絵具で描かれているので、『THE ARTOF風の谷のナウシカ 宮崎駿水彩画集』のときと同様にマット系の紙が適していると思い、微塗工紙〔塗料のコーティングを抑えて紙の風合いを生かした用紙〕をご提案させていただきました。
額田 紙のチョイスは本当に難しいですよね。この「全集」は何年もかけて出版するので、紙が途中でなくなったら困ってしまいます。だから入手のしやすさも考えて選ばなくてはなりません。先を見据えた計画としても、本としてめざすところとしても、適切な選択だったなと思います。
鈴木 わたくしども印刷会社がご一緒する工程として、ジブリさんにレイアウトした原稿のデータをいただき、その色校正をお出しするというプロセスがあります。まず弊社のグラフィック担当のオペレーターが、原稿をスキャニングした画像の色をモニター上で補正し、調整します。つねに同じジブリ番のオペレーターが、その作業を担当しています。
紙に出した色校正をジブリさんにお持ちしてご確認いただくにあたっては、オペレーターを統括し、ジブリさんの出版物をいつも手掛けているプリンティングディレクターと一緒にまいります。ジブリのみなさんとともに現物と色校正を照合し、ディレクターがみなさんのご意見を聞いて持ち帰り、次の校正に反映させます。そうして何度も確認、修正をしながら、完成に近づけていきます。
校了となった印刷用のデータは、毎回ジブリさんの出版物を印刷する沼津工場の最新式の機械で印刷し、クオリティを落とさぬよう努めています。印刷に際しては、ジブリさんの出版部の方に沼津の現場で立ち会っていただいています。弊社のディレクターもその場にいるので、最終段階でここはもう少しといったことがあった場合には、印刷機でできる範囲で調整をさせていただきます。
*色校正=校正ゲラと呼ばれる試し刷りで色のしあがりを確認(校正)する作業、あるいは校正ゲラそのものを指す。
*校了=修正すべき箇所がなくなり印刷してよい状態になったとして、確認(校正)を終えること。
額田 専門のプリンティングディレクターの方がいるので、色校正を確認するときにも、わたしたちからあまり申し上げることはないのですが、オリジナルの現物と見比べながら「もうちょっと明るいよね」「シアン〔青色〕がちょっと強いね」といったことはお伝えしています。
鈴木 「THE ART」の場合は、もともとデジタルで描かれていてデータしかない画像もあり、実際に作品を作られている現場で校正をした方がよいので、ジブリさんのもとにうかがい、モニターを一緒に見させていただき、その場で校正しています。やはりモニターによって色が違うので、そこをどう合わせるかは簡単ではありません。今回のように紙の現物を見本にするのは、昔のやり方といえば昔のやり方なのですが、比較的色合わせがしやすいのと同時に、だからこそ、しっかり現物に近づけなくてはならないということでもあります。
宮﨑駿の源流をたどる試み
徳木 1巻目は『風の谷のナウシカ』ですが、ナウシカはご存知の通り漫画原作があって、それを映画にするために宮﨑さんが再構築しているんですよね。「風の谷」の風景などはあらためて描かれたイメージボードですが、クシャナのように漫画と映画で共通のキャラクターなどは、イメージボードがほとんど描かれていなかったりします。2巻目の『天空の城ラピュタ』のイメージボードは、ナウシカと異なり「映画を作るぞ」というところから始まって描かれたものなのですが、最初のページにある元気なシータなどは、いつ頃に描かれたかは謎なんですよ。3巻目の『となりのトトロ』は、アイディア段階のものと、映画を作ることが決まってから描かれたものとが混在していて、おもしろかったですね。初期の「となりのミミンズク」と呼ばれていたころのものなんて、かなり違いますから。映画には登場していない謎のキャラクターも描かれています。

完成した映画との違いがあるのもわかります。たとえば、サツキとメイの一家が引越しする道中、車に乗っているサツキがお父さんにキャラメルをあげるシーンがありますが、イメージボードではお父さんがアメをあげているんですよね。車が停まっている場面では、イメージボードでは車の後ろから描かれていたのが、映画では前からの絵になっていたり。
ネコバスもよくご覧になると2つのバージョンの絵があって、毛の模様が違うんですよ。キャプションでその違いを説明するようなことはしていないので、読者のみなさんで見つけていただけるとおもしろいと思います。映画制作の資料として、とてもいいものになったと思いますね。4巻目の『ナウシカ前史』は、ご覧いただくと驚愕されると思います。「これがナウシカの原型か!」「こんなにいっぱい描いていたんだ!」と。ナウシカに至る前の構想の資料をこれまでで一番詳しく見せるものになりますから、この本で宮﨑駿研究がまたひとつ進むはずです。それぞれの絵がかなり大きく、ほとんどが1枚1ページで、折り込みで掲載しているものもあります。宮﨑さんは、最初のころはイメージボードを大きく描いていて、そのうちに小さい紙に描くようになったことがわかります。時間がなくなってくると、ゆっくり大きく描くわけにはいかなくなったんじゃないでしょうか。
額田 いずれは、ジブリ設立前の東映動画のころの宮﨑さんのイメージボードも、この「全集」に収録できればと考えています。残っていないのもありますが、できる限り手を尽くして、集められるだけ集めて紹介したいと思っています。
徳木 宮﨑さんご自身もおっしゃっているように、イメージボードは映画をつくるための手段で試し描きのようなものですから、あまり公に見せたくないと思われるのも、もちろんわかります。それでも、われわれは宮﨑さんの源流を知りたいのです。
紙の本で伝えるアニメーション文化
額田 絵は、反射光で見るのと透過光で見るのとでは全然違います。モニタやスマホで見るのではなく、紙で見てほしい。そう思ってこのシリーズを作っています。オリジナルのイメージボードは、すごくしっとりとしていて色も鮮やかです。編集者というのはどうもいけないところがあって、ついついいろいろやりたくなってしまうんです。けれど、編集者を料理人としたら、今回は材料が最高なので、何にもする必要がないんですよね。宮﨑さんの絵は、100年後ぐらいには国宝になってもおかしくないぐらいのものがいっぱいあります。その素晴らしさを伝えるため余計なことをしないように注意しました。
鈴木 わたくしどもは、ある種の文化事業的に携わらせていただいているという認識です。残していくべきものを、印刷会社という立場で、以後もお手伝いができればと思っております。
徳木 一次資料というかたちで宮﨑さんの作品を後世に残していけることはうれしいことです。昨今のアニメ業界でもそういった流れがあると思っています。たとえば庵野〔秀明〕さんが主宰してるATAC〔認定NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構〕という機関では、アニメや特撮物の資料を保管しようと取り組まれています。製作会社としてもプロダクションI.Gは早くから資料を本にしてまとめるようにしています。宮﨑さんの絵のすごさは言わずもがなですが、新しい世代のアニメーターが今回の「イメージボード全集」を目にして何を感じるかは、ぜひ知りたいところですね。

徳木吉春(とくぎ・よしはる)
編集者、ライター。徳間書店にて雑誌『アニメージュ』、「ジブリ THE ARTシリーズ」などの編集を担当。現在はフリーランスとしてさまざまな企画に携わる。
額田久徳(ぬかだ・ひさのり)
株式会社スタジオジブリ出版部部長。出版社での編集職を経てスタジオジブリに入社。同社が発行する小冊子『熱風』の編集長を務め、出版物を統括する。
鈴木敬二(すずき・けいじ)
TOPPANクロレ株式会社第二情報デザイン営業本部第二営業部シニアエキスパート。前身の図書印刷株式会社在籍時より書籍やグッズなどスタジオジブリの印刷物を担当。
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