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3.11を心に刻んで

照井顯 夢(dream)

「希望 それはこころ
あふれやまぬ人のいのち」

(「HOPE(希望)」谷川俊太郎作詞)

*  *

 2011年3月11日の東日本大震災の直後にCDデビューした金本麻里の「HOPE(希望)」(谷川俊太郎・詞/穐吉敏子・曲)は、穐吉敏子が「人間希望なくしては生きてゆけない」と言った証のように驚異的アクセス!で、まさに希望のスタートだった。

 1953年11月、穐吉敏子初レコーディング。1980年6月、僕等初主催の穐吉コンサート。この2つは偶然にも13日の金曜日であり、東日本大震災の津波を経て発売になった「1980 穐吉敏子トリオ in RIKUZENTAKATA」のCD発売日は水曜日という不思議。
 当時「盛岡タイムス」に連載していた僕の「幸遊記」。あの3.11、直前直後の文を読み返せば高田和明の「三陸旅情」。彼は千昌夫と同じ陸前高田の出身。三陸鉄道開業の1984年、かつてのB面からA面へと出世した「三陸旅情」を3年間で4万枚手売りしたことに感動した僕は、彼の初LPレコード「去りゆく季節」(1986年ビクター)をプロデュース! 記念のコンサートを杉並公会堂で開催し満席にした。彼の、その後も10万枚まで「三陸旅情」を売り歩いた行動力とその粘り強さに感服。
 僕は1967年の20歳から始めたレコードコンサート「希望音楽会」を続け、1975年五木寛之の小説「海を見ていたジョニー」にちなむ音楽喫茶を開店。1977年には穐吉敏子の曲「黄色い長い道」をテーマに日本(和)ジャズ専門のジャズ喫茶・ジョニーとした。ジャズコンサートに主軸を置いた当時、僕の悪戦苦闘振りを見かねた市内の医師たちが中心となって「ジョニー後援会」を立ち上げ、僕たちが主催する「日本ジャズ祭」等々を10年間も支え続けてくれた陸前高田の人々。
 2001年盛岡に現「開運橋のジョニー」を開き10年目の時、“わたしはここにいる”の詩人・宮静枝の「海に雪降る 海うずめよと」先の戦争で亡くした我が子と、あの雪の3.11と重なる詩を想い浮かべながら「動物哀歌」の“ねずみ”を書いた詩人・村上昭夫を想ってみれば、今の世みたいに、一匹のネズミが愛されない限り、世界の半分は苦しむのだと。
 更にはあの津波後の泥の中から拾い上げたLP「心情 みよし・ようじ」のジャケットは今も僕の側にある「ながらジャズ音頭」。
 又、1997年から「陸前高田ふるさと大使」を引き受けていた穐吉敏子は、予定していた2011年8月のルー・タバキンとのデュオツアーの出演料その他の全額を義援金としたのです。
 そして僕の前には見知らぬ人が現れて、「あなたの活動は見聞していましたから」と希望の未来を託してくださったことから今の「開運橋のジョニー」そして「穐吉敏子ジャズミュージアム」へと繫がったのです。嗚呼! 有難う! マリア様……。

 

(てるい けん・盛岡市「開運橋のジョニー」 https://www.johnny-jazz.com 店主、プロデューサー)
 
 
岩波書店編集部編 2021年3月刊
A5判 ・ 並製 ・ 108頁 定価 880円

「3. 11を心に刻んで」は、2011年3月の大震災を忘れず考え続ける場として、同年5月にスタート。
以降、300名を超える筆者により岩波書店のHP上で書き継がれてきたWEB連載です。
(現在は3カ月に1度「web岩波 たねをまく」で連載継続中
連載は単行本『3.11を心に刻んで』(品切)と9冊の岩波ブックレットにまとまっています。
 震災に思いを寄せて綴られた言葉の数々にふれていただければ幸いです。

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