森絵都 謎の「秋葉犬」、現る[『図書』2026年7月号より]
保護犬今昔物語(上)
謎の「秋葉犬」、現る
救われた犬に会う
きっかけは、一匹の犬だった。
20余年前の夜更け、私はインターネットの〈犬の里親募集サイト〉である犬を目に留め、釘付けになった。生後4ヶ月の雑種犬。パグの血が入っているため鼻ペチャで、なんとも情けないような、はかなげな顔をカメラへ向けていた。そのつぶらな瞳にやられた。数年前に愛犬のシーズーを亡くして以来、もうペットは飼わないと決めていたにもかかわらず、矢も盾もたまらずに私は里親希望のメールを認(したた)め、保護主さん宅でのお見合いを経て、10日後にはその犬を家に迎えていた。
スウ、と名づけたその犬はかなりのビビリで、感情を殺すことで日々の恐怖をやりすごしていた節があり、あとから思えば最初の1、2年間は私にも完全に心を開いていなかった。多頭飼育をしていた家に生まれたスウは、家主の破産によって餌を絶たれ、見かねた近所の人々に助けられた過去を持つ。人間に見捨てられ、人間に救われた。
そうした自分の境遇を、犬は犬なりに理解している。よって最初は警戒しても、ひとたび人間を信じると、飼い主の心を常に気にかける忠犬となるケースが多い。
スウとの毎日が安定するにつれ、私はそんな保護犬の存在を世に紹介することはできないかと考えはじめた。当時は犬の保護活動自体がまだあまり知られておらず、どこの愛護団体も里親探しに悪戦苦闘していた。保護犬を譲り受けるという選択肢をもっと広めたい。そんな思いのもとに、2007年の秋、毎日新聞で「君と一緒に生きよう」という月一の連載を開始した。
里親と出会って幸せになった犬、そして保護犬と出会って幸せになった里親。その双方の姿を伝えるべく、十数軒の里親宅を訪ねて話を聞き、実際にその犬と対面した。取材先はいずれも自分で探し、個として人と犬に触れ続けた。幸いだったのは、長年の友人でもある絵本作家のスギヤマカナヨさんがイラストを担当し、可能なかぎり取材にも同行してくれたことだ。
「子どもの頃は警察犬の訓練士になるのが夢だった」というレアな共通点を持つスギヤマさんと私にとって、毎回違った犬と会えるこの仕事は役得でもあった。極度に人間を恐れていた元野犬の子犬。重度のフィラリアに冒されていた犬。がりがりの姿で放浪していた元猟犬。難病を抱えた子犬。数々の困難をかいくぐってきた個々に触れ、どんな犬でも日々注がれる飼い主の愛情で驚くほどに変化する、という事実を確信した。犬はかすがいというのか、私たちが訪ねた家庭はどこも夫婦仲や家族仲が睦まじく、帰り道でスギヤマさんと「私もあの家にもらわれたい」「里親になってほしい」などと語り合うことも少なくなかった。
1年間の連載中、我が家の犬も増えた。取材に赴いた某保護団体の代表宅で、たまたま保護されていた一匹の狆が、鼻ペチャ犬に目がない私の心を射貫いたのである。後にハクと名づけることになるその犬を膝に載せてインタビューを続けるうちに、どうにも離れがたい思いが募り、帰宅後、正式に里親希望の名乗りをあげた。
人とも犬とも多くの縁をもらった。そんな得難い仕事だった。出会った一人一人、一匹一匹を思い出すたびに今でも心がぬくもる。その感触に嘘はない。
が、その一方で、この仕事を通じて私の心には着実に闇も募っていったのだった。
救えない犬に会う
捨てられた犬の背景には、当然、捨てた人間が存在する。安易に犬を飼い、安易に手放す人々。「病気になった」「大きくなりすぎた」「毛が落ちる」「臭い」「お金がかかる」。身勝手な理由を並べあげればきりがない。
そうした無責任な輩に代わって、行き場を失った犬たちを保護し、新しい飼い主探しに奔走するボランティアたちの負担は大きい。
2007年当時、日本全国の動物愛護センター(保健所)に収容され、殺処分されていた犬の数は年間で約10万匹。その莫大な数の命が、ごく限られた有志の肩にかかっていた。1匹でも多くを助けたいと休まず保護活動を続け、犬の食費や医療費のために生活も切りつめて、経済的にも精神的にも追いつめられていく。そんなボランティアの姿も目の当たりにした。助けても、助けても、またどこかで犬が捨てられる。
その暗澹たる状況に焦れていた当時、あるボランティアの口からこんな言葉を聞いた。
「いくら受け皿を増やしても、蛇口を閉めないかぎり不幸な犬はいなくならない」
蛇口を閉める。即ち、犬を捨てるという行為自体に歯止めをかけるということだ。まったくもってその通りだが、でも、どうやって? 気軽に犬を飼い気軽に捨てる人たちをどう止めればいい?
自分なりに考え続けるうちに、自分なりの答えが見えてきた。年間約10万匹。それだけの命が人間に放棄され、人間の手で葬られているというのに、日本ではその現状が広く認知されていない。よって問題視する声も少ない。動物愛護センターに収容された犬たちの処分には「安楽死」の名が与えられているため、楽に死んでいるものと誤解している人もいる。実際はガス室で窒息死させられるのだから苦しくないわけがない。
どれだけの犬がどのように処分されているのか。世間の目に触れないその内幕を可視化することこそ、蛇口を閉める第一歩なのではないか。
少なくともそれが物書きの自分にできることだと考え、私は日本各地の動物愛護センターに片っ端から電話をし、犬の殺処分の様子を見学させてほしいと頼んだ。結果、片っ端から断られた。「規則だから許可できない」「ショッキングすぎるので見せられない」。それが非公開の理由だった。よって正面突破は適わなかったのだが、その後、犬の問題に通じたとある筋の協力を得て、某センターの視察に同行させてもらうことができた。
ガス室で殺される犬を見る。この気の重い仕事にもスギヤマさんは同行してくれた。入念に心の準備を整えて臨んだ当日、私たちがその死を見届けた犬の数は12匹。リモート操作で動く壁により、犬たちは狭いガス室へと追いこまれ、恐怖と混乱で荒い息をしているうちに、二酸化炭素ガスの注入が始まる。犬たちはがくがくと痙攣し、1匹、また1匹と崩れ落ちていく。最後の力を振り絞るように、窓ガラス越しにその様子を見ていた私たちのもとへ駆け寄ってきた白い犬がいた。助けて、と訴えるように窓ガラスに前脚をかけた。その犬も死んだ。
幸せになった犬の姿を伝えたくて始めた仕事は、私が見殺しにした12匹の死を伝えることで終わった。
被災地の犬に会う
連載終了後、一冊の本となった『君と一緒に生きよう』を世に送りだしたのは、2009年の三月のこと。その2年後、日本の東北地方をかの大地震が襲った。津波で大勢の命が犠牲になり、さらに福島の原発事故が被害を激化させた。スーパーの棚がガラガラになった東京で呆然と事態を見つめていた私は、特異な状況下での時が流れ、少しずつ冷静になるにつれ、ある疑問を抱きはじめた。被災地の動物たちはどうしているのか。
原発事故直後、着の身着のままで避難をした周辺住民の中には、すぐに帰宅するつもりで犬や猫を家に残してきた人々もいた。バスや避難所にペットの受け入れを拒まれた住民も多い。結果、人間の消えた町には飼い主を失った多くの動物が取り残されていた。
インターネットで調べたところ、震災後の早い段階からすでにボランティアによる犬猫のレスキュー活動が始まっていたのがわかった。現地へ餌を運ぶ人もいれば、放浪する犬猫を保護する人もいた。数十匹の犬の群れがボランティアの車に追いすがっている映像は今も忘れられない。だが、それを報じる新聞やテレビは当時はまだなかった。動物どころではなかったのだ。
誰も伝えないのなら、自分がやるべきではないか。当時の私には活字界の「犬係」のような意識があり、誰にも頼まれていないにもかかわらず、次第にじっとしているのが苦痛になってきた。
とはいえ、今回の現場は放射能被害の只中にある福島である。自分一人の手には負えず、文藝春秋の編集者に持ちかけて協力を仰ぎ、震災から2ヶ月半を経た5月末に始めて福島入りをした。取材対象は福島第一原発から20キロ圏内でレスキュー活動をしていた女性ボランティアたち。普段は勤め人であったり母であったりする彼女たちは、毎週末、福井や東京から福島まで車を走らせ、地元住民から依頼された行方不明のペットたちを探しまわっていた。私たちも一緒に20キロ圏内に分け入り、同行取材を試みた。
その珍道中は拙作『おいで、一緒に行こう』に詳しいため、ここで多くは語らない。しかし、現地での取材中に改めて感じたのは、命の救出に立ち合うというのは、その背後にある無数の救われない命をただ見て通りすぎることなのだな、というやるせなさだ。
初めて福島入りをした2011年5月末、そこには不思議な命の豊穣を感じさせる光景が広がっていた。そこここを放浪する多数の犬たち。飼い主の消えた家に留まり続ける猫たち。期せずして自由を得た豚や牛の集団。野猿。猪。狸。いないのは人間だけだった。人恋しいのか人を見ると自ら寄ってくる犬もいて、その首輪にリードを着けるのは難しくなかった。この日は4時間ほど車を走らせただけで4匹の犬と9匹の猫を保護することができた。
2度目に福島を目指した同年11月には、だが、驚くほど命の気配が薄れていた。前回と同じ地域をめぐっているのに、車を走らせても、走らせても、犬猫の影が見えない。牛はまだ町をさすらっていたものの、豚は早い段階で力尽きてしまったようだった。現地へ通うボランティアの数も減っていた。ごく稀に見かける犬はみな警戒心が強く、レスキュー活動はまだかろうじて生き残っている犬猫への餌やりが中心となっていた。2日をかけて保護できた犬はゼロ、どうにか数匹の猫を救出するに留まった。
たった半年でこんなにも変わってしまうものなのか──走る車の窓から冬枯れの景色を眺めながら、私は助けることのできなかった命について考え、人間の罪について考え、自分の無力さについて考え続けた。
ちょっと立ち止まる
事実をそのまま書くことは、時として、物語を書くよりも難しい。多くの学びを得た2冊目のノンフィクション本を上梓したのち、私はしばらく犬から離れた。内心、次はペットロスをテーマにしたいなどと懲りずに思っていたのだが、本業である小説の仕事に追われてままならず、そうこうしているうちに自分の愛犬ハクが心臓を患い、スウが老い、私自身がペットロスを患う羽目になった。
一方で、その間、遺棄犬をめぐる日本の状況にはめざましい変化が起こっていた。殺処分数の激減だ。2007年当時は全国で10万匹の犬が殺処分されていたと先に触れたが、2010年にはその数が約半分の5万2000匹に、2015年には1万5800匹に、2020年には4059匹にまで減っている。最新のデータは2024年の1964匹。ガス室で息絶える犬の数はこの17年間で50分の1にまで減少した計算になる。
各愛護団体や個人ボランティアたちの尽力が実り、保護犬を迎え入れるという選択肢がメジャーになったこと。多くの自治体が殺処分ゼロを目標に掲げ、民間ボランティアと連携して処分数の縮小を目指したこと。『坂上どうぶつ王国』等のテレビ番組による啓蒙効果。理由はさまざま考えられるも、時代は明らかに変化していた。
里親探しの手法も格段に進化した。約20年前はネットサイトでの里親募集がせいぜいで、「地方紙に広告を出す」「口コミでどうにか探す」等の策もまだ採られていたのに対し、今ではインスタグラムに YouTube、さらには里親希望者の条件に適したペットを探すためのマッチングアプリまで開発されている。
もはや活字の時代ではない。情報拡散ツールの発展を心強く眺めながら、正直、犬界隈に於ける自分の仕事は終わったものと私は感じていた。校閲や印刷を経てようやく読者の手に渡る活字媒体は、スピードに於いて電子にまるで歯が立たない。それは福島でのペットレスキューを本にした際にもつくづく痛感したことだ。
ところが、である。昨年2025年の冬、私はその犬界隈へ再び引きよせられ、保護犬関連のとあるイベントへ足を向けていた。
きっかけは、やはり一匹の犬だった。
スギヤマさんの犬と会う
「推定生後半年の保護犬を迎えました。名前は、てん。体が空いたら会いに来てね」
2024年の暮れ、スギヤマさんからそんなメールが届いたとき、私はうわっと跳ねあがった。こんな朗報はいつ以来だろう、というくらいの嬉しいニュースだった。
実は、スギヤマさんはその半年ほど前に茶々という名の愛犬を亡くしていた(ちなみに、その茶々は私が福島で出会ったネネという犬が生んだ子だった)。闘病の末の旅立ちだったこともあり、彼女の心痛は察するに余りあるものだったため、新たな命との出会いはまさしく希望の光に思えたのだった。
「もちろん会いに行きますとも!」
早速、スギヤマ家を突撃。そこで初めて耳にしたのが、秋葉犬、という耳慣れぬ一語だった。
「てんは茨城にいた野犬の子で、一旦は動物愛護センターに収容されたけど、ドラクロアドッグランチって団体に保護されて、里親募集にかけられていたのを夫が見つけたの。それがさ、その辺り一帯で捕獲される犬って、元野犬と思えないくらい穏やかで、賢くて、空気を読むのが上手で、今では『秋葉犬』って呼ばれて人気を集めてるんだって」
茨城県茨城町の秋葉という地域にいるから、秋葉犬。見た目は「普通の茶色い犬」であるにもかかわず、その秋葉犬が里親希望者たちから熱視線を浴びているとの話に、正直、私は面食らった。茶色い雑種犬はもらわれにくい。この通説を覆す秋葉犬とは何なのか?
スギヤマ家のてんを眺めるにつれ、興味はなおも募った。立ち耳のてんはシェパード似のキリッとした女の子。なのに性格は甘えん坊で、初対面の私を怪しんでか、その日はスギヤマさんの足もとから離れようとしなかった。警戒心の強さは賢さの表れだ。推定生後4ヶ月にしては立派な体型と、まだあどけない表情のギャップにたまらなく萌えた。
「秋葉犬のもう一つの特徴は、怠惰ってこと。てんもね、大体いつもダラダラしてるよ」
無駄に動かず、体力を温存する。それはタフな環境下に生きてきた野犬たちのサバイバル術なのかもしれない。事実、てんもスギヤマさんの足もとで終始だらっとしていたが、その耳はしばしばピクリとし、人の言葉に鋭く反応しているのがわかる。その目も絶えず人の表情を読んでいる。怠惰にして、鋭敏。
「秋葉犬かぁ」
その名を心に留めて帰宅した私は、以来、てんの出身団体であるドラクロアドッグランチ(略称ドラクロア)のインスタグラムを小まめにチェックするようになった。
というのも、団体の代表が発信しているそのインスタグラムが、実に親しみやすく、ユーモアもあって魅力的なのである。見る者の同情心に訴えかけるのではなく、日々の愉快な記録を通じて保護した犬たちの個性を伝えている。そして、見れば見るほど、その秋葉犬というのが「出来た犬」なのだった。
無駄吠えしない。協調性があるので多頭飼いにも向いている。小さい犬に優しい。先住猫も立てる。人と歩調を合わせられるのでお散歩もノーストレス。驚くべきことに、つい2週間前までは野犬だった成犬が、人と寄りそい上手にお散歩している姿もインスタグラムからは見てとれる。
さらに目を瞠ったのは、彼らが譲渡されていくスピードの速さだった。毎週のように里親希望者が現れ、複数の犬がトライアル(お試し飼い)を開始している。しかも、新しい家族のもとへ旅立つ犬の中には30キロ級の大型犬も少なくない。
いよいよただものではない秋葉犬。この謎の名犬をもっと知りたい思いがむくむくと湧いてきた。
(もり えと・作家)
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