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鈴木敏夫 × 田家秀樹 ジブリと音楽

第1回 『風の谷のナウシカ』と高畑勲

宮﨑駿が1993年10月に社内の「企画検討会」に企画書を提出したのが、95年7月に公開された『耳をすませば』だ。原作は少女マンガ雑誌『りぼん』に掲載された、柊あおい作の連載である。

その作品が取り上げられることになった経緯は、すでに様々な形で語られている。

宮﨑駿は、義理の父親から譲り受けた信州の山小屋で夏を過ごすことが多かった。そこは電話もなく新聞も配達されず、壊れた白黒のテレビが一台あるだけ。置いてあった少女マンガを読み飽きてしまった宮﨑が、たまたま近所で買った『りぼん』に載っていたのが『耳をすませば』の第2回だった。

鈴木敏夫にその時のことを訊く前に、山小屋の持ち主だった義父について知りたいと思った。『魔女の宅急便』で画家の少女ウルスラが描いていた絵が、義父の作品だったという記述を目にしたからだ。

鈴木:宮さんの奥様のお父さん、大田さんとおっしゃる方は、教育者であり、版画家でもありました。心や体に問題を抱えた子どもたちの社会復帰を応援する仕事もされていて、その手段に絵を用いられてたんですね。『魔女の宅急便』のあの絵は、大田さんが務められていた青森の養護学校の生徒たちが描いた版画の一枚で、ジブリ美術館にレプリカがあります。

そのお義父さまが亡くなった後、宮さんは山小屋を譲り受けて、僕らも夏になるとそこによく集まっていました。この話は色々なところでしていますけど、テレビも電話もない場所で、あったのは『りぼん』とか、遊びに来ていた子どもたちが残していった昔の雑誌だけ。それでたまたま宮さんは、『耳をすませば』の原作を一話だけ読んだんです。その時は、庵野秀明や押井守も来ていたんですよ。

田家:そこにいたんだ。すごい!

鈴木:高畑さんまでいましたね。それで、高畑さんの前では大きな声で言わなかったけれど、宮さんが「遊びをしようよ」と言い出したんです。何かなと思ったら、漫画は全部で4話か5話のうちの1話分しかない。だから前の話はどうなっていたのか、後の話はこうなるんじゃないかと、みんなで想像を膨らませよう、ということだったんです。それを夏の間毎晩ずっとやってね。それで東京に帰ってきたら、宮さんが「あれを原作にして映画をつくろうか」と言い出したんです。

田家:実際の話は誰も知らないんですね。

鈴木:そう。それで漫画の原作をみんなで探して、田中というスタッフが持っていたんですが、宮さんはそれを読んで「自分が思っていたのと違う」と怒り出しちゃって(笑)。

田家:僕が読みたいのはこういう話じゃない、と。

鈴木:その後ですよ、宮さんが「この映画の主題歌は「カントリー・ロード」である」と言い出したのは。映画のオープニングでは、ジョン・デンバーではなくオリビア・ニュートン=ジョンのバージョンを使ったのですが、その日本語の訳詞を作ろう、それをストーリーの一部に入れようと、そんなことを考えたんですね。

田家:その時にはもうストーリーは固まっていたんですか。

鈴木:いや、同時進行でした。でも、主題歌が「カントリー・ロード」だというのは宮さんの中で最初から決まっていましたね。ただ、オリビア・ニュートン=ジョンが歌った曲の許諾を取るのが大変でした。なぜかというと、海外には日本のJASRACのような著作権を管理する組織がないから。しかも曲の管理はアメリカとオーストリアに分かれていたんですね。その権利料が高額だったこともあって、よく覚えています。

「訳詞」をめぐる制作現場のドラマ

最初から主題歌に使うことに決まっていたという「カントリー・ロード(原題はTake Me Home, Country Roads)」が発表されたのは1971年。ジョン・デンバーが詩曲を書いて自分で歌い、全米チャート2位を記録する大ヒットとなった曲だ。

「ブルーリッジ山脈」や「ウェストバージニア州」などの固有名詞が情景を想起させる。草原の彼方に連なる山並みに向かって続いて行く一本の道はアメリカ人にとっての“カントリー・ロード”そのものだろう。

1974年に発表されたオリビア・ニュートン=ジョンのカバーは76年に日本でも発売され、オリコンの洋楽チャートで16週連続1位という記録が残っている。日本で最も知られた洋楽の一曲と言っていい。

まだストーリーが出来る前に主題歌が決まり、その曲が作品の土台となっている。しかもそれはアメリカの曲である。

そうした作り方は、やはり音楽を介在させながら「日常」を描いていた『おもひでぽろぽろ』や『海がきこえる』、遡って言えば『セロ弾きのゴーシュ』にもなかったものであろう。

更に付け加えるならば、日本語で訳詞するという歌にまつわる作業自体が作中で重要な意味を持つ、まさに「主題」の曲だと言えるだろう。

鈴木:前にお話ししたかもしれませんが、日本のアニメーションというのは普通、先に絵を描いて後から声を入れるんです。

田家:アフレコ、ですね。

鈴木:そう。しかし『おもひでぽろぽろ』の時に高畑さんが日本で初めて、先に音を録ってそれに絵を合わせる作り方をしたんです。プレスコですね。宮さんは自分もそれをやりたがった。『耳をすませば』の制作にあたって、プロデューサーとして自分も歌や演奏を先に録ってそれに合わせて絵を描くという作り方をしたい、と主張したんです。一方で「カントリー・ロード」の日本語訳も宮さん自身が書くことになっていたのですが、絵コンテが忙しくて全然詞が上がってこない。それで僕が「宮さん、プロスコをやりたいのはいいけど、肝心の訳詩を早く書いてくれないと困ります」と言ったんです。そうしたら、「よし! 鈴木さんの娘に書いてもらおう!」って。

田家:クレジットは「日本語訳詞・鈴木麻実子、補作・宮崎駿」ですね。

鈴木:娘には悪いんだけど、どうせ宮さんの気の迷いだから、書いたものをきっと駄目だと言うだろうし、最終的に宮さんが書くことになるだろうと思っていました。なにせ時間がないし、もし出来が良かったら、それはそれでいいと。それで娘に書いてもらうことにしたのですが、締切が近づいても遊び歩いていて詞が届かない。締切当日も、帰ってきたのが忘れもしない午前2時。「詩はどうしたの」って訊いたら、「今から書くよ」と言って辞書を取り出し、5分もしないうちに、ヒョイヒョイと書き上げた。それがこの1番なんですよ。

田家:宮﨑さんは気に入らなかったそうですね。

鈴木:そう。最初の訳詞に“何も持たずに/まちを飛び出した”というフレーズがあったからです。宮さんは、そういうのはあまり好きじゃないんですよ。要するに不良じゃないですか。家出だし。宮さんはそういうのをオブラートに包んで表現しますが、うちの娘は全然気にしない人でね。

宮さんが手を入れた時も、僕は余計なことを言わなかったのですが、元の詞を監督の近ちゃん(近藤喜文)にも渡したら、僕のいないところである日宮さんと近ちゃんが大げんかをしたんです。ジブリの中二階に会議室があるのですが、2人でそこで怒鳴り合いになって、近ちゃんは「元の歌詞のほうがいい」と言うんですね。僕は自分の娘が関わっているし、関与しないようにしました。怒鳴り合いの真相を知るのはしばらく経ってからでしたね。

鈴木麻実子の書いた最初の訳詞はこうだった。

country road この道 ずっとゆけば
あの街に続いてる気がする country road

1人で生きると何も持たず街を飛びだした
淋しさおしこめて強い自分を守っていた

もしもこの道 故郷に続いても
僕は行かないさ 行けない country road

仕事の帰り道 ふとなぜか立ち止まっていた
都会のネオンが僕に微笑む 家族に変わる

どんな淋しい時にだって決して
涙は見せないとそう決めたはずさ

こんな事しているヒマないと
そして再び歩きだすのさ
心なしか歩調が速くなってく
思い出消すため

country road この道 ずっとゆけば
あの街に続いてる気がする country road

country road 明日は いつもの僕さ
帰りたい帰れない goodbye my country road

goodbye my country road×2“

鈴木敏夫 × 田家秀樹 ジブリと音楽 第7回 『耳をすませば』01
鈴木麻美子が書いた最初の訳詞(クリックで拡大)

故郷に帰りたくても帰れない若者の歌。ジョン・デンバーが、田舎の道に向かって「故郷に連れて行け」と早く帰りたい気持ちを歌っているのと対照的だ。

近藤喜文と宮﨑駿――2人の監督の違い

同じように「若者の日常」を扱っている『海がきこえる』と『耳をすませば』の最大の違いに、スタッフ構成がある。

『海がきこえる』の制作は“スタジオジブリ若手制作集団”。監督の望月智充も初めて外部から招聘された。つまり、高畑勲、宮﨑駿は関わっていない。

『耳をすませば』は、監督が近藤喜文。『魔女の宅急便』や『火垂るの墓』など2人の作品の作画監督・アニメーターを務め、彼を監督に抜擢したのは宮﨑自身。更に脚本も宮﨑が書いている。制作プロデューサーには鈴木敏夫と宮﨑駿のクレジットがある。

そういう意味では、近藤喜文と宮﨑駿両者の手による作品と言ってよさそうだ。

鈴木:近ちゃんに、宮さんはずいぶんお世話になっていました。彼はこの映画の後、若くして亡くなってしまいましたが、もしかしたら日本が生んだ最大のアニメーターになっていた人かもしれません。世界的に見てももちろんすごいし、宮さんにとっても高畑さんにとっても大事な人だったんです。

田家:『赤毛のアン』の作画監督もやっていらっしゃいますね。

鈴木:そうです。ある種の天才ですね。宮さんと高畑さんは、いつも彼を巡って取り合いをするんですよ。『トトロ』と『火垂る』は同時公開でしたが、2人とも「キーになる人は近藤喜文だ」と譲らなくて……。それで宮さんは、今後のことも考えて近ちゃんに監督の機会を与えよう、と考えたんですね。それで自分がプロデューサーをやる、と。もちろん創作面や人的配置で関与したいという思いもあったのでしょうが、宮さんとしては、とにかく近ちゃんに恩を売りたい(笑)。「これ以降は高畑さんじゃなくて、俺の作品を全部やってくれ」という目論見もあったんでしょうね。

2人がどんな風に作業を進めたのか。『スタジオジブリ物語』(集英社新書)によると、94年2月に宮﨑が先行して絵コンテ作業に入り、3月に『平成狸合戦ぽんぽこ』の作業を終えた近藤が合流した。

当初は宮﨑が書いたラフコンテを近藤が清書していたものの、5月から作画作業が始まり、近藤はレイアウトのチェックに追われ、Bパート後半からは宮﨑単独で絵コンテを執筆することになった。

「Bパート」というのは、始まって40分が過ぎ、曲でいえば「サウンドトラック」のM6「打ち明け話」のあたりだ。その前に「カントリー・ロード」は最初の訳詞のまま、主人公の月島雫たちによって歌われている。

『スタジオジブリ物語』には宮﨑と近藤の作風についてこう記述されている。

ともすればキャラクターを理想化することでダイナミックなドラマを作ろうとする宮﨑の個性をよく知っている近藤は、絵コンテ執筆中、折に触れて「日常の中の中学生の姿をきちんと描きたい」と伝えたという。

鈴木敏夫は、やはり2人の違いについて『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』(文春新書)の中で「脚本で物語の流れが決まり、絵コンテで演出の基本プランもできている。じゃあ近藤喜文は監督として何をやったのか? (中略)近ちゃんはそこで宮さんとは違う芝居をキャラクターにさせて、ちゃんと自分の映画を作っていくんです」と象徴的な2つのシーンをあげている。

1つは、雫が職員室を訪ねて、図書カードで見て気になっていた天沢聖司が同級生だと知るシーンだ。鈴木はこう書いている。

宮さんの絵コンテでは、動揺した雫が友達といっしょに慌てて階段を駆け下ります。ところが、近ちゃんの芝居では、階段を駆け下りずに、ゆっくりと下りる。
ここにおいて二人の監督の差が明確に出たんです。宮崎駿の場合は、身体が先に動くタイプの女の子。ところが、近藤喜文のほうは、動揺を受け止めた上で、考える子になっているんですよ。

もう1つは、落ち込んだ雫が地球屋を訪ねてゆくシーンだ。

お店が閉まっているのを見た雫は、壁にもたれながらへたり込んで、猫に話しかけます。この場面、まわりに人は誰もいません。それなのに、近藤喜文の雫はパンツが見えないよう、スカートを手で押さえて座り込むんです。それに対して、宮崎駿の雫は、人目を気にせず座るから、スカートがフワッとなって、自然にパンツが見えてしまう。
つまり、近ちゃんが描いた雫は、たえず人目を気にして行動する品のいい子になっているんです。

鈴木は、そのシーンに対して宮﨑が「違う」と怒っていたと書いている。そして、宮﨑の絵コンテ通りにやれば雫はもっと明朗快活な女の子になったが、そうしないで近藤喜文が演出したからこそ上品で現代的な子になった、それが作品を魅力的にしている……と記す。その指摘に筆者も同感だ。

主題歌の「カントリー・ロード」の訳詞をめぐる考えにも、2人の違いは表れていた。鈴木は、前述の「怒鳴り合い」についてこう語った。

鈴木:映画ができてからの全国キャンペーンで、仙台だったか、近ちゃんと2人きりでご飯を食べに行った時に、「宮さんともめていましたよね」と尋ねたら、「鈴木さんの娘さんが書いた詩の“何も持たず家を飛びだした”、あれがなんでいけないんですか?」と言うんです。「読んだ時にドキッとした」って。「何で?」と尋ねると、「僕も何も持たずに家を飛び出したんです」と言うんですね。つまり彼は、家出少年だったんですよ。親の知らないところで東京に来ちゃった。

田家:アニメーターになりたくて家出してきた?

鈴木:そういうことですね。そんないきさつがあった歌詞だったんです。

 

映画の中で本名陽子が歌ったのは、宮﨑駿が補作した、こういう詞だ。

カントリー・ロード この道ずっとゆけば
あの街につづいてる
気がする カントリー・ロード

ひとりぼっちおそれずに
生きようと夢みてた
さみしさ押し込めて
つよい自分を守っていこ

カントリー・ロード この道ずっとゆけば
あの街につづいてる
気がする カントリー・ロード

歩き疲れ たたずむと
浮かんで来る故郷の街
丘をまく坂の道
そんな僕を叱っている

カントリー・ロード この道ずっとゆけば
あの街につづいてる
気がする カントリー・ロード

どんな挫けそうな時だって
決して涙は見せないで
心なしか歩調が速くなっていく
思い出消すため

カントリー・ロード
この道故郷へつづいても
僕は行かないさ
行けないカントリー・ロード
カントリー・ロード
明日はいつもの僕さ
帰りたい帰れない
さよなら カントリー・ロード

鈴木麻実子が書いた原詞との最大の違いが「何も持たずに一人で飛び出してきた」という設定ではなくなったことだろう。

東京育ちで帰りたくとも帰るべき故郷のない宮﨑駿と、故郷を捨てるように家出同然で上京してきた近藤喜文との“故郷感”の違い。

映画の中で雫たちが交わしている「正直に自分の気持ちで書いたの」「過激ねえ、これ」というやりとりは、原詞をめぐる二人の気持ちの表れではないだろうか。

作品にとって重要な「音楽」の要素は主題歌だけではない。そう、バイオリンである。

「猫」も「地球屋」も登場する原作漫画における少年・天沢聖司は、絵描きを目指してイラスト風の絵を描いている。アニメーター志望の近藤喜文も、そんな少年だったのかもしれない。

一方で、映画の中の天沢聖司は、バイオリン職人を目指す人物造型となっている。同じように将来を夢見る若者でありながら、「画家」と「バイオリン職人」とはかなり違う。

もっと言えば、同じように楽器を扱う人間でも「弾く人」と「作る人」とはかなり違う。宮﨑駿が描いたのは「作る人」そのものである「職人」だった。

宮﨑駿が93年10月に提出した「企画書」にはこう書かれている。

 もしも、その少年が職人を志していたら……。中学卒業と共に、イタリアのクレモーナに行き、そこのヴァイオリン製作学校に入って修業をしようと決めていたら、この物語はどうなるだろう。
 実は、『耳をすませば』の映画化構想は、この着想から全て始まったのである。

彼はその中で原作の「すこやかさ」について触れている。「少女マンガの典型」のような「絵描きになりたい」「物書きになりたい」というすこやかな夢は、“おじさんたち”がどんなに脆弱で現実性に乏しいと論じても否定言出来るものではないし、それなら「もっと強く」「圧倒的な力で」その素晴らしさを表現できないだろうか、と書いている。

宮﨑にとって「絵描き」はそのことを表現するには物足りない対象だったに違いない。絵描きもイラストレーターも“夢”というには身近過ぎたろうからだ。

「バイオリン作り」も「木工」も「古美術」も時代を超えた存在だ。“今どき”ではないからこそ、強い気持ちや情熱が浮き彫りになる。「作り手」という「裏方」に対しての彼の想いもあったのだろう。

鈴木敏夫は、宮﨑と“バイオリンの聖地”と呼ばれるイタリアのクレモナに取材に行っている。

鈴木:あそこで僕ともめるんですよ(笑)。宮さんは、向こうの職人さんに「どうすればいいバイオリンが作れるんですか」と質問するわけです。すると相手は「一番大切なのは木だ」「南アフリカやブラジルの何年物の木を使うといい楽器になる」「テクニックじゃない」と答えるんですね。でも、彼らが一生懸命話しているのに、宮さんは聞いてない。「やっぱり心をこめるんですね」とか言っちゃう。僕が「そんなこと言ってないじゃないですか」と指摘して、大ゲンカになりました。

田家:心をこめるだけじゃ修業にならないですよね(笑)。

鈴木:「木が大切」じゃ身も蓋もないですからね。そこはやっぱり作家だし、日本人なんだなと思いましたよ。

田家:雫がバロンと空を飛ぶシーンは、宮﨑さんならではだと思いましたが。

鈴木:あのシーンはね、自分で絵コンテも書きました。「俳優にも特別出演というのがあるだろう、ここは俺がやる」と言って、演出もしたんです。日常の話の中に、ぽんとああいうファンタジーを入れる。さすがにうまいですね。

田家:『おもひでぽろぽろ』に対しての意識はあったんでしょうか。

鈴木:あの映画は高畑さんの傑作ですから、対抗するものを作ろうという意識はあったでしょうね。常に地平を切り開くのは高畑さんで、それを宮さんが追いかけるっていう関係ですよね。しかし、「カントリー・ロード」をあんな風に使ったのは見事ですよね。歌を本名陽子さんに頼んだのは、「主人公の声をやるわけだし、もし歌えるのならプロに頼む必要ないんじゃないか」と僕が言って、宮さんも近ちゃんも「それでいい」と賛成してくれたからです。

「感じる心」に音を合わせる

『耳をすませば』において、音楽面で語られなければいけないのが「プレスコ」の手法だろう。

音楽を担当した野見祐二は、「地球屋」で西老人たちが「カントリー・ロード」を弾くシーンのプレスコ用のアレンジを依頼されたことから、全体を手掛けることになった。

『ジブリの教科書9 耳をすませば』(文春ジブリ文庫)のインタビューで、彼は「絵コンテがまだできていなくて、ただ段取りだけを教えられて、アレンジを始めました」「楽器の演奏シーンを完全プレスコアリングするというのは、ひとつの挑戦ですよね。スタジオジブリと宮崎さんの意気込みを感じましたから、引き受けました」と話している。

94年▪▪月の「BGMプラン」には、M17「聖司のバイオリン」、M18「カントリー・ロード」に「収録済み」とある。つまり、各シーンの音楽を検討する前に収録されていたのである。

鈴木敏夫 × 田家秀樹 ジブリと音楽 第7回 『耳をすませば』03
■■ 校正段階で画像入れる ■■

野見祐二が使用したのが、木のリコーダーや木のコルネット、琵琶のような弦楽器のリュート、フランス語でヴィオールと呼ばれる、ヴィオラやチェロより歴史があるという弦楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ、大正琴のようなプサルテリウムなどの古楽器である。

彼は同じインタビューで、プレスコの時の宮﨑からの希望をこう語っている。

「当初はクラリネットやピアノなどを使って、ジャズっぽい感じにしてくれと言われたんですが、バイオリンを作る教室を開いてるようなアトリエでの演奏となると、古楽器の編成のほうがいいような気がして、古楽器を採り入れることにしました」

鈴木敏夫 × 田家秀樹 ジブリと音楽 第7回 『耳をすませば』02
(クリックで拡大)

また、静かなブームになっていた古楽器の使用については、こう答えている。

「街にもお店にも、今は音があふれていますよね。ライブやクラブなどで、大音量で流されている音は「体感」を目的にしているわけですが、あれはもっとも原始的な音楽の味わい方で、「音」に敏感でない人が好む方法と言えるんではないでしょうか。
 それに対して古楽器というのは、音が非常に小さい。それでいいんです。もともと聴く耳を持った人たちのためにだけ、演奏される楽器だったわけですから。現代に生きていて、音の洪水に疲れてしまった人が求めるものが古楽器であるような気がして……。
 それから映画のテーマと合わせ、耳をすませば・・・・・・)、聴こえてくる音で音楽を作ろうと思いたった。それが今回、古楽器を使った理由といえば、理由になると思います」

サルテリウムが特徴的な「地球屋」

ツィンクが特徴的な「エルフの女王」

リコーダーが特徴的な「カノン」

彼は同じインタビューで、「イメージアルバム」をスタッフみんなで聴きながらどの曲をどのシーンに持ってゆくかを相談し、その過程で、音楽と画面を合わせるタイミングでニュアンスが非常に違ってくることを学んだと言い、こうも語っている。

「ヒッチコック、ルーカス、スピルバーグなどハリウッド映画に共通する音楽の合わせ方を、僕は「ハリウッド方式」と呼んでいるんですが、これは出来事と音楽のタイミングがピッタリと合うやり方。場面としては盛り上がるんだけど、余韻が残らない方法なんです。
 一方、音楽がついているんだけど、余韻が残る方法がある。それを今回の『耳をすませば』で学んだんです」
――具体的にはどんな方法でしょうか。
「タイミングをズラすんです。事件が起こっても、すぐには音をつけない。むしろ、その事件が登場人物と、観客の心に届いたころ、おもむろに音楽が始まる。画面ではなく、登場人物と観客の「感じる心」にタイミングを合わせるんです」
――事件とのタイム・ラグがズレになるわけですね。
「それにアニメーションは、実写と違ってザワザワと全体に音が入っていることが少ないから、全編に音楽がついても暑苦しくないことも分かりました。ズラして音楽をつければ、なおさら音が気にならず、効果が上がる……宮崎さんと録音監督の浅梨さんの狙っていたことは、ここだったらしい(笑)」
――いわゆる「ハリウッド方式」を使ったところはどこですか?
「雫が空を飛ぶシーンです。あそこだけは、スペクタクル・シーンだから、どうしても合わせなければいけませんでしたね。そうして初めて効果が生まれるシーンですから」

確かに、「地球屋」の主人・西司朗に「原石」だという話を聞いた雫が、歩きながら気持ちが高揚してゆくなかで、目の前に現れたバロン侯爵に導かれて空を飛んでゆく情景は音楽に同期している。

彼の言葉を使えば「ハリウッド方式」の使用で場面が壮大なファンタジーとして広がってゆく。

あのシーンが他と違って見えるのは、劇中劇のような幻想的な画像だけでなく、音楽の違いも大きいのではないだろうか。

他に「ハリウッド方式」が使われているシーンはない。猫のムーンや聖司が登場する場面でも、雫が認識する以前に音楽は入らない。そればかりでなく、神社の境内で、雫と同級生の杉村がお互いの気持ちを明かす場面に音楽は流れず、蟬の鳴き声が響くだけだ。それも野見の言う「ズレ」だろう。あるいは「間」と言ってもいいのだと思う。

物語を過剰に演出しない。「映像と音楽との距離感」の心地よさだ。野見の言葉を借りれば「ジブリ方式」ということになる。

それは『耳をすませば』だけでなく、永田茂が手掛けた『海がきこえる』にも共通するのではないだろうか。そして、そんな方法論は高畑勲が「映画と音楽」というテーマで主張し続けてきたことでもあったのではないだろうか。

野見祐二は1958年東京生まれだ。現代音楽家として活動していたところを坂本龍一に見いだされた。坂本龍一、大貫妙子、上々颱風のアルバムのアレンジも担当している。彼は1965年生まれの永田茂ともども「ジブリ方式」を受け継ぐことになった。

現代の若者たちの「故郷」を歌った映画

野見は「イメージアルバム」のライナーノーツで「カントリー・ロード」について、こう書いている。

ジョン・デンバーの名曲ですが、詩もアレンジも原曲を無視しています。だが、今の時代の故郷って何か? コンビニや造成地や高層アパートしか無いような故郷とは? という問いがこの歌の採用に込められているような気がします。耳をすませば、東京育ちの僕にはこんなカントリー・ロードが聞こえてきた、ということです。

東京育ちの宮﨑駿にとっての「故郷」とはどういうものなのかは、「イメージアルバム」に収められた「コンクリート・ロード」が示している。作詞が宮﨑駿で作曲・編曲が野見祐二だ。

こんな歌詞である。

コンクリート・ロード どこまでも つづいてる コンクリート・ロード コンクリート・ロード 森を伐り 谷を埋め 川を殺し

西東京ウエストトーキョー) 多摩の丘マウントタマ) 埋めつくす白い家 ふるさとは コンクリート・ロード

コンクリート・ロード どこまでも つづいてる コンクリート・ロード

古楽器を使った原曲の素朴な土の匂いとは一変したデジタルな音は、坂本龍一との関係性を思わせる。そして、宮﨑駿によるこの詞に、誰もが『平成狸合戦ぽんぽこ』を思い浮かべるのではないだろうか。

映画は冒頭から流れる「カントリー・ロード」で始まる。まるで深夜放送のメロディーが夜の街を包み込んでゆくように、舞台となる街の夜景が描かれる。京王線のホームや踏切、駅前のコンビニやタクシー乗り場、そして多摩丘陵の斜面に整然とならぶ家々――。

それは『ぽんぽこ』で描かれた多摩ニュータウンのその後であり、ここが現代の若者たちにとっての「故郷」の姿なのだと言っているようだった。

 

『耳をすませば』は日本で初めて5.1チャンネルのドルビーデジタルシステムを導入した作品としても知られている。プレスコされた「カントリー・ロード」を基に描かれた「地球屋」での3分強の演奏シーンには、普通のテレビアニメ1話分の作画枚数が使われているのだという。

バイオリンと古楽器とテクノロジーの組み合わせ。故郷を離れて夢を叶えようとする少年と、彼に思いを寄せる物書きを志す少女、原作にはなかった西司朗に象徴される、彼らを「原石」として見守る大人たち。鈴木敏夫は西司朗を「宮﨑自身ですよ」と語った。

『耳をすませば』は、1995年7月公開。劇場公開がなかった『海がきこえる』が果たせなかった、その年に最もヒットした日本映画になった。

高畑勲は、『耳をすませば』のヒットについて、「力量を見せた近藤監督以下のスタッフには大きな自信を、宮さんには大作以外に、ありあまる構想力をこういう形で生かす可能性を、ともに見つけたにちがいありません」と労をねぎらっている。

野見祐二は前述の『ジブリの教科書9』で、「イメージアルバム」と「サウンドトラック」の中の曲のタイトルの変化についても話している。

彼の作ったイメージアルバムの曲が、宮﨑による全く違う解釈で他のシーンに使われ、そのことで自分が思い込んでいたイメージが大きく変えられた結果、タイトルも変化した。その飛躍こそが「音楽プロデューサーとしての宮崎さんの、すごいところ」「音楽に対する宮崎さんのセンスの発露」だというのである。

宮﨑駿と音楽というテーマで触れないわけにはいかないのが、『耳をすませば』と同時上映された「On Your Mark」だろう。

言うまでもなく、94年8月に発売されたCHAGE&ASKAの新曲をモチーフに作られた、宮﨑駿にとって初めてのプロモーションビデオである。

それが『もののけ姫』の始まりだった。

劇中でも実際に演奏される。使用楽器は、バイオリン、リコーダー、コルネット、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、タンバリン。ボーカルは主人公月島雫を演じた声優本名陽子

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著者略歴

  1. 鈴木敏夫

    株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。1948年生、徳間書店で78年『アニメージュ』の創刊に参加。副編集長、編集長を12年あまり務めるかたわら、スタジオジブリの設立に参加し映画製作に関わる。89年よりスタジオジブリ専従。著書に『仕事道楽 新版』『ジブリの哲学』『ジブリの文学』『歳月』(以上、岩波書店)、『読書道楽』(筑摩書房)、『ジブリをめぐる冒険』(池澤夏樹との共著、スイッチ・パブリッシング)など多数。

  2. 田家秀樹

    音楽評論家、ノンフィクション作家、音楽番組パーソリナリティ。1946年生、編集者、放送作家を経て現職。著書に『80年代音楽ノート』(集英社)、『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』『陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー』『豊かなる日々 吉田拓郎 奇跡の復活』(以上、KADOKAWA)、『ビートルズが教えてくれた』(アルファベータブックス)など多数。放送作家としては「民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント部門最優秀賞」などを受賞。

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