第4回 ボスリ(보슬이)、雨の日の小さな猫〈金 範俊/Moment Joon 外人放浪記〉
君に名前を付けた日
2024年5月28日、台風よりも強い暴風と大雨が大阪にやってきました。大変な天気でも好きなチョコレートが切れてしまったので、濡れる覚悟して彼女と買い物に行こうと玄関を出て、マンションの入口まで降りてきて傘を開こうとした時、入口の横の管理人室の扉の前で、何かが動いたのを彼女が見つけました。大雨で完全にびしょ濡れで、痩せこけて、目をしっかり開けることもできず、ゼイゼイと息をしている、茶色の小さな猫。
その子が心配になって私と彼女は家に戻り、冬から使い残していたカイロをバスタオルの中に挟んで、その子の近くに置いて買い物に行きました。しかし、帰ってきてもう一度そこを見ると、猫はタオルの上に座っておらず、壁の隅っこでずっと体を震わせているだけでした。餌でタオルの上に誘導しようと、もう一度近くのコープに行ってマグロのチューブを買ってきて、小皿に入れてタオルの上に置いたのですが、10分、20分待っても、猫は食べ物にも、体を乾かすことにも興味がなく、ただゼイゼイとつらい息を続けているだけでした。直接近づいて乾かしてあげたり、餌を食べさせようとしたら、きっと警戒して逃げだすと思って、猫が自分の命のために動いてくれるのを待つだけでした。
30分ぐらい経って、このままずっと待っても仕方ないと、食べ物もタオルも置いたし、あとはあの子が頑張って自分自身を救うことだよと私は言いました。その言葉に同意しながらも、彼女は最後に一つだけ、と言って携帯で何かを調べました。家の近くの、のらねこのTNR(不妊手術)のための施設を調べた彼女は、彼らなら何か手伝ってくれるかもと弱気で言いました。信じられないほどの大雨の中で既に2回も外に出かけてきた私は、いい加減部屋に戻って普通に休んで体を乾かしたいと思いましたが、猫をあとにしてなかなか家に帰れない彼女が、施設から「何もできることはありませんね」と言われて断念してくれることを期待して、連絡してみることに賛成しました。
しかし、電話で状況を聞いた獣医さんは、直接助けにくると、今から車で向かいますと言われたのです。そこで私は安堵すべきなのか、もっと心配すべきなのか、分からなくなりました。私には怖くて到底できないこと、猫を捕まえて乾かして餌を食べさせることを獣医さんがやってくれるのはありがたいけど、それからこの子が施設に入ったら、その面倒は誰が見るのか、その費用はどうするのか、好きになってしまったら、万が一死んでしまったら。色んなことが秒速で入れ替わるように頭に浮かびながら、混乱しているうちに、獣医さんが白いバンでマンションの前に到着しました。そしてトランクからケージと捕獲用のポールを出して、マンションの入口に入ってきました。
大雨なのに傘もささず急いで来てくださったことに感謝を述べる私たちに、獣医さんは猫のことを先に聞きました。そしてずぶ濡れの猫の前にゆっくりケージを置くと、「ケージに入らず逃げ出すかもしれないので、二人とも私の後ろに立って、捕まえる準備をしてくださいませんか」と頼んできました。もし猫が飛び出したら体のどこを捕まえればいいのか、心配しながら合図を待っていたのですが、なんと、猫は何ら抵抗もせず、獣医さんの手に運ばれてケージの中に入りました。猫を落ち着かせるためにケージを毛布で覆い、獣医さんはこれから施設で色々検査を行いますと言いました。手続きのために一緒に来てくださいと言われた時に、彼女は自分で行くから先に家に帰っていいよと私に言いました。獣医さんと彼女、猫を載せた白いバンが酷い大雨の中でマンションから離れていくのを見ながら階段を登り、家に帰ると獣医さんを待っているあいだに考えていた色んな悩みが、再び浮かんできました。
しばらく経って、彼女から検査の結果がメッセンジャーで届きました。基準値の半分ぐらいの体重、重度の脱水と栄養失調、そしてお尻から片足にかけて大きな傷があり、さらに皮膚病まで……。しかも、実は何か月か前に栄養失調で人に助けられて、既に同施設でお世話になったことがあったらしく、どうしても路上での生活が苦手そうな猫の女の子。病院の人たちから名前を付けてほしいと、できれば「雨」と関係がある名前を付けてほしいと彼女は言われたらしく、私は韓国語で小雨を意味する「보슬비(ボスルビ)」という言葉を思い出しました。そして私がメッセンジャーで彼女に送ったその名前で、小さな猫は施設に入院することになりました。「ボスリ(보슬이)」が私たちの人生に入ってきた日です。
君のことで悩んだ日
ボスリの状態は、私たちの想像をはるかに上回るほど酷かったです。脱水、栄養失調、傷と皮膚病だけではなく、後日の検査では猫のエイズと言われる猫後天性免疫不全症候群まで感染していることが分かりました。何より心配だったのは、全く餌を食べようとしないことでした。生きていく意志を、まるで失くしたかのようです。路上での生活がとても不器用な、もしかしたら元々のらねこではなかったかも知れない、小さな猫。
入院してからほぼ毎日、彼女はボスリに会いに施設に行きました。自分では食事をしないボスリのために、シリンジ(注射筒)で餌を食べさせることから、傷口のガーゼの貼り方を学んだり。小さい時から猫と暮らしていた彼女と比べて、猫どころかペットに触れ合う機会自体がそもそも少なかった私は、たまに一緒にボスリに会いに行っても、どうしても不慣れなまま離れた所で彼女の頑張りを応援するだけでした。
施設で獣医さんから聞いた話は、本当に現実的でシビアでした。人を警戒したり抵抗したりはしないけど、シリンジで餌を食べさせても吐き出すことが多く、どうしても回復が遅いと。自分で食べるようにならない限り、人が手伝えることにも限界があるとのことでした。私たちに出来る最善のことは、入院している間に何とかして体調が回復することを祈るか、でなければ、里親というか、最期を見届けてくれる人に出会わせてやること、それがこの子のために出来る全てであるとのことでした。
1日単位でかかる入院代と治療費、餌の料金をどうにかして用意するために、私は家計簿の中の数字と闘っていました。大学院卒業後に陶芸大学に行きたいと彼女が言ってきたのがつい1か月前で、彼女は「自分で何とかする」と言ってきましたが、もう一度しっかり費用を計算してみると彼女一人の力ではどうしても無理で、私も一緒に貯金しなければならないことが分かって、その貯金プランを立てたばかりの時期でした。過去にも彼女の奨学金が決まる前に学費と生活費を支援していた私は、ボスリを見つけて施設に連絡をした彼女に「良いことをした、正しいことをした」と言いながらも、予想できなかった大きな出費、しかもいつまで払うべきかも分からない数字を前にして、内心彼女を責めたくなっていました。
里親が見つからなかったら、私たちで飼うしかないという選択肢を真剣に話し合うと、私はもっと神経質になっていきました。ペット禁止のマンションで猫を飼うという、絶対に避けたいそのリスクよりも、施設に行ってボスリに会う時に、ボスリからただよう病気の匂い、死の匂いが、私は本当に怖かったのです。その怖さを、彼女を責めることで、お金のことで敏感になることで私は隠そうとしていたかも知れません。
そうやって醜く怒りながら、責めながらも、私もボスリに会いに施設に行きました。ケージの中に手を入れて外に取り出そうとしても、鳴き声をあげたり抵抗する気力もなく、ただゆっくり、隅っこに行って顔を隠すだけの子。ずっと隠れようとするだけのボスリのことを、彼女、そして獣医さんたちはそれでも諦めませんでした。ロシア語、英語、日本語でなだめながら餌を食べさせ、隅っこに隠れるボスリを撫でる彼女。病気の匂い、死の匂いにも負けずにボスリに触れる彼女。私も、勇気を出してボスリに餌を食べさせてみました。シリンジで口中の深い所にしっかり打ち込まないと、飲まずにすぐ吐き出してしまうボスリ。汚れた口のまわりをずっと拭きながら、それでも何とかして、何とかして餌を食べさせました。食べ終わったあと眠りにつく姿を見ると、単純に可愛いとかではなく、元気になった時の姿、もっと幸せな姿を、つい夢見るようになっていたのです。
未来への不安、彼女を責めたい気持ち、死の匂い、情け、そしてほんの少しだけの希望が入り混じった1週間が経って、私と彼女はSNSにボスリの里親を探す文章を投稿しました。日本語・英語・韓国語・ロシア語で、フェイスブックの知らないコミュニティに、知り合いの全員に、Xに上げました。フェイスブックの投稿に、ある心ない人が「そろそろお別れを準備した方がいいのではないでしょうか」とコメントしました。イラっとしました。ボスリは生きているのに。ちゃんと歩けないし食べられないけど、諦めていないのに。いや、私たちが諦めていないのに。人に否定されたからこそ、むしろ私は祈るようになりました。元気なボスリ、幸せなボスリになれますように、と。
— Moment Joon (@MOMENT_JOON) June 4, 2024
君に髪を噛んでもらった日
色んな人に協力していただいたおかげで、投稿後3日目に、奇跡的に保護先が見つかりました。大阪府茨木市の「保護猫ルームえびす」さんが、ボスリを預かってくださることになったのです。
長年のらねこの保護、特に病気や高齢で保護先が見つからない猫たちも安心して暮らせる空間を、主にボランティアと寄付で運営されている保護猫ルームえびす。心があたたかくて経験も豊富な代表の方がボスリのことを知って、是非えびすに来てほしいと申し出てくださり、不安いっぱいのボスリの入院生活はたった2週間ぐらいで終わりました。2024年6月7日、施設に引き取りに来てくださった代表の方にボスリを引き渡して、ボスリの「えびす」での生活が始まりました。
「えびす」でボスリの様子は、信じられないほど好転しました。他の猫たちとは隔離された一人部屋で、最初の何か月間は強制給餌で食べるしかなかったボスリ。しかし代表の方とボランティアの方々のおかげで、初めて毛繕い(グルーミング)をしたり、初めて声を出したりすることができ、のちには自分で食べるようになって、やがて一人部屋から卒業して他の猫たちとも一緒に生活できるようになったのです。
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瀕死と言っても過言ではなかった最初の状態から、徐々に元気で幸せになっていく姿を、「えびす」のインスタグラムアカウントから、また彼女と直接えびすに行ってボスリと触れ合いながら見届けてきました。会うたびに元気になっていくボスリ。毎日会っている訳ではないのに、それでも彼女と私のことを覚えているかのように、親しく遊んでくれて、また抱っこさせてくれるボスリ。入院したばかりの時は手を伸ばしたら背中を見せて隅っこに隠れるだけだった子が、いつの間にかゴロゴロと喉を鳴らしたり、私を髪の毛を噛んだり(本当に信頼して好きな人間にしかしない行動だそうです)。肌の病気も治って、他の猫たちとも喧嘩せず、体重も増えて立派になったボスリ。発見当時はやせこけすぎてだいぶ高齢かとも思われましたが、元気になってから再検査すると、実はとても若い猫であったことが分かって、彼女ととても喜びました。これからも長く、ボスリに会えると。
2025年2月、ボスリの里親となる方が見つかりました。とても優しくてえびすとも縁が深い方で、きっとボスリを幸せにしてくれると、代表の方から聞きました。新しい家に行く前に、最後にボスリに会いにえびすに行きました。これで直接会えるのが最後かも知れないのに、そんなことは全く分かっていないボスリは、いつもよりも元気で明るく私と彼女と遊びました。彼女も私も「もうそろそろ帰ろうか」と言い出すのが難しくて、遊びで疲れて眠りかけているボスリを、どれだけ時間が経ってもずっと撫でているだけでした。
新しい家に行って、ボスリは里親さんから「うらら」という新しい名前をもらいました。本当にあたたかい家で、いっぱい愛を受けながら、今やもうお姫様みたいに暮らしているボスリ、いや、うらら。2024年5月28日、私と彼女の人生に現れた「ボスリ」は、2025年2月22日に、違う名前で別の誰かの人生の一部になりました。
君の名前を思い出す日
私と、私のパートナーである彼女は、将来子供はつくらないと決めています。その理由は現実的、哲学的、倫理的、社会的、個人史や家族史的な問題まで、様々です。子供を産む主体であり当然第一意思決定者である彼女が「産まない」と言っているのが一番の理由であるのは、言うまでもありません。
自分たちのためであるのはもちろん、私たちの立場からすれば「正しい」と思って子供を産まない未来を決めている二人ですが、私はたまに、仮想の自分の子供について考えてみることがあります。見た目や性格、その子が生きていく人生を想像するよりも、私はその子にあげたい「名前」のことをよく考えます。ロシア人のお母さんと韓国人のお父さんが日本で出会って、英語を使う家庭で産まれた子。四つの文化とも受け継いでほしいその子の名前を、四つの言語全てで使えるものにしてあげたくて、ひたすらネットや漢字の字引きを調べていた時期がありました。その子が女性であれば、「佳蓮」という名前にすれば、日本語で「カレン」、英語で「Karen」、ロシア語で「Карина(カリーナ)」、韓国語で「가연(カヨン)」になれるじゃないかと、白昼夢を見ることがあるのです。
人はなぜ子供を産みたいのか。「産まない」と決めた私たちの理由よりも、もっと深くて様々な理由があげられそうですが、最近カトリック教会に通いながら考える一つの理由は、「未来への愛」です。イエスの愛は、現在だけではなく過去と未来に届く、時間を超えた超越的な愛だと言われます。もしかしたら私たちも誰かを深く愛すると、その愛がいま目の前にいるその人を超え、未来にまで届くのではないか。その未来への愛が、まだこの世にいない未来の子供を夢見させるのではないかと、彼女に向かう自分の愛が次はどんな形に変わっていくのかを、たまに想像することがあります。
そんな感傷的、または宗教的な考えが終わって現実に戻ってみると、私は相変わらず反出生主義者です。それは子供を産むことに関して、または子供を産んだ・産むと決めた人たちに対しての価値判断や批判では全くなく、あくまで私と彼女の人生に限る選択です。そんな選択にもかかわらず、私はたまに違う世界線の、私たちの子供について考えます。その子を「佳蓮」と呼ぶ世界線を。
存在しない、それとも存在させないと決めた未来に向かって愛を届ける代わりに、彼女と約束したことがあります。「下にあげない愛は、横にあげよう」ということです。自分の子供じゃなくても、世の中には愛を必要とする人が、そしてものや生き物が数多くあります。それらに、自分たちの愛をあげる。子供が居ないからといって、愛が枯れた夫婦にはなりたくないというのが、二人の決心です。
ボスリのことを考えると、私は愛を下にあげるどころか、横に与えるにも、まだまだ未熟で足りなさすぎることが分かります。出来るだけ距離を置きたかった最初、積極的には動かなかった自分の態度、お金の心配をすることで隠したかった怖さという本音。都合の良い時だけ可愛がる、安全な距離でだけ愛情をあげ、また受け取ることが、「本当に愛すること」ではないことぐらい、頭では分かっていますが、全くその通りに動けなかった自分を振り返ります。
そして、私とは違い、動いて、犠牲を払い、我慢しながら、私よりもっと早くからボスリを愛していた彼女のことを振り返ります。ボスリのことで不安ではなかったのかと聞いたら、彼女は「何の根拠もないけど、何故か全てうまくいく気がした」と答えます。愛には責任が伴う、逆にその責任の中でこそ愛が生まれることを本能的に分かっている彼女を見て、私はあの人と家族になりたい、あの人みたいになりたいと、今の自分と未来の自分を見つめます。
そういう意味で、私はボスリのことを思い出します。世界で一番可愛い小さな猫、誰より強くて元気なその子と一緒に住む世界線を、私は夢見ます。大雨で苦しんだその子の人生に、これからは優しくて暖かい小雨だけがあってほしいと思いながら付けた「ボスリ」という名前のままで、私と彼女と幸せに生きる世界線。可愛い猫の子と一緒に暮らし、またその暮らしのために必要な責任感と器を持った自分に成長している世界線。私の力不足と未熟さで、または状況や環境の問題で、実現できなかったその世界線から現実に戻って、私はまた愛しつづけます。目の前の彼女に向かうその愛が、またどこへ私を導くのか、わくわくしながらです。