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丸山徹 マーシャル『経済学原理』の新訳に寄せて[『図書』2025年10月号より]

マーシャル『経済学原理』の新訳に寄せて

 

 A. マーシャル『経済学原理』第八版の新訳がこのほど完結した。翻訳にあたられた西沢保、藤井賢治両教授のご苦心を察し、このお仕事の完成をわが学界のために心より慶祝する。『原理』は読書の習慣を十分に身につけた者なら、それほど深い経済学の知識がなくてもひととおり読み進めることができる。しかし専門的知識を具えた読者には、かえって熟考を要する難問が無尽蔵に掘り出される鉱脈でもある。この点はA. スミスの『国富論』にも似ている。だからこそ『原理』は繰り返して読まれるべき古典なのである。

 商品の価格を決めるのはその生産費(供給側の要因)か、それともその消費がもたらす効用(需要側の要因)か──この問いに答えてマーシャルは、いずれか一方ではなく、双方の相互作用であるといった。ちょうど鋏の両刃が嚙み合って紙を切るように、価格は需給が噛み合うところに決まるという比喩は、多くの人が知っている。たしかに日々の経済現象を、経済の場に働く諸力の釣り合いとして理解しようとする経済均衡の思想は、『原理』の全篇を貫く根本的な世界のつかみ方である。

 しかしこの考え方に基づいて経済現象を解明する理論の基礎的骨組は、既に1870年代に、L. ワルラスによってより一般的かつ精緻な形態で完成されていた。ワルラスの著作の数学的叙述は容易に人を近づけなかったから、その理解には長い歳月を要したものの、やがてワルラスの体系は経済分析の基礎的枠組としてひろく学界の承認を得るに到った。学問の発展のこの道筋を切り開いたのは、公平に見てワルラスであってマーシャルではない。むしろマーシャルに認めるべきはまず、広い範囲の読者を念頭に、抑制された簡易な表現で経済均衡の考え方を説くその説明力である。今日でもなお、初学の学生たちに経済学の基礎理論を説くとき、その教授法のいかに多くをマーシャルに負うているか、指を屈して例を挙げるのは容易であろう。

 ワルラスとマーシャルは同じ経済均衡理論の道を歩きながらも、互いの関心の在り処に大きな隔りがあった。ワルラスは経済の全部門の相互依存関係を一挙に把握する一般・・)均衡理論の構築を目指した。一方マーシャルは、考察の対象を限定・孤立化し、他の面はしばらく固定的と見なして、いわば局所化された視野の範囲で、具体的かつ強い帰結を搾り出し、それを積み重ねる実践的な研究姿勢を尊重したのであった。

 部分・・)均衡理論を主唱したマーシャルであるが、一般均衡理論的な相互依存関係の形式的表現の意義を理解しなかったわけではない。実際、『原理』数学付録XXⅠ(邦訳第三巻所収)には、不完全ながら生産を含むマーシャル流の一般均衡の体系が示されている。しかしその後、マーシャル自身がこれに彫琢を加える努力を払った形跡はなく、彼の関心は専ら、扱いやすく有意義な「部分的解答」の積み重ねに精力を注ぐ方向へと向かったのである。

 

 マーシャルがその目的のために鍛造した分析的概念・装置のなかには、後の経済理論に深い影響を及ぼしたものも少なくない。その二、三を挙げてみよう。

 第一に、時間の概念である。一時的・短期的・長期的という時間の3区分は、時計が刻む時間の長短ではなく、考察する問題対象に応じて、(とくに企業・産業の理論において)どの変数を固定的、あるいは可変的とみなすかを明示し、分析枠組の制限・許容範囲を指示する理論的な概念である。J. M. ケインズの雇用理論では、設備投資はなされるものの、それが稼働して生産力が点火するには到らぬ時間が扱われている。投資が需要効果を生むものの、生産力効果を未だ発揮するには到らない「短期」がケインズの世界であった。投資の生産力効果を斟酌する「長期」の局面を分析対象とするためには、経済成長理論を俟たねばならない。分析の時間的制限を巧みに概念化した点において、ケインズはやはりマーシャルの弟子であった。

 第二に挙げたいのは、マーシャルが「価値尺度財(ニュメレール)の限界効用がつねに一定である」という仮定(※)を置き、これを効果的に活用したことである。

 効用の極大化をつうじて需要函数を導出する一般的な手続きは、既に1873年にワルラスが仕上げていた。マーシャルは仮定(※)の下に、これを著しく簡略化した。マーシャルは効用函数をたし算型・・・・)、つまり各財が独立にもたらす効用の和と考えたので、効用極大化の条件から、各財の限界効用(当該財の数量にのみ依存する)をその価格で除した値が価値尺度財の限界効用(仮定(※)により定数)に等しくなければならない。すると各財の需要函数は専ら当該財の価格に依存し、そのグラフ(需要曲線)は、限界効用のグラフを定数倍することによってただちに導かれるのである。また仮定(※)からは消費者余剰の概念が利用可能となり(もっともマーシャル自身がこの概念の創始者であったとはいえない)、これが課税・補助金政策を分析するための基礎的道具となった。仮定(※)については、後段いま一度立ち戻ってふれる必要がある。

 第三の例は外部経済と代表的企業の概念である。いまある企業の生産規模が拡大すればするほど生産の効率が上昇し(大規模生産の利益)、単位あたりの生産費(平均生産費)が逓減すると想定すれば、やがてこの企業は需要を一手に引き受ける独占企業となるであろう。しかし大規模生産の利益を享受する企業が独占的立場に達することなく、なんらかの競争条件が維持されているという事実が観察されるとしたら、この逆説的事実をどう説明したらよいか。この問いに整合的な解答を与えるために、マーシャルは外部経済および代表的企業というふたつの概念を工夫した。

 ここで本来解かれるべき問題は、各生産水準に応じた最も効率的な費用条件が大規模生産の利益をもたらすとき、個別企業が如何に生産計画を策定するか、これである。マーシャル説は、外部経済の作用を受けつつ、産業の縮図の役割を果たす便利な代表的企業を想定し、その行動を反映して定まる、さまざまな需要規模ごとの均衡点を求め、それを連ねた軌跡に擬えて産業の・・・)費用逓減を比喩的に説明したにすぎない。個別的企業の平均生産費が生産量とともに逓減している事態での企業行動が分析されているわけではないのである。その意味で、代表的企業のアイデアを「概念的粉飾」と批判した青山秀夫教授の見解は正しい。これはマーシャルの鍛造した分析装置のなかで不成功であった事例である。

 一方、外部経済の概念は一層精緻な形でA. C. ピグーにひき継がれた。

 

 ケインズは『人物評伝』のなかで、マーシャルの人柄の一面をこう描写している──「マーシャルは誤りを犯すことをあまりにもおそれすぎ、批判にたいしてあまりに敏感すぎ、大して重要でもない問題についての論争によってさえ、あまりに易々と心を乱された。極度に敏感なために、批判者や論敵にたいする度量の大きさが失われた。」

 この性格がときおり学界のなかに不幸な諍いをもたらした。その一例を紹介しておこう。争いの相手はF. Y. エッジワースである。

 いま複数の主体がそれぞれ交換に先立って保有する諸財を交換する場合の需給均衡価格の組み合せをp*としよう。市場が開いてから、閉まるまでに、市場の調整機構ははたしてp*に達することができるであろうか。この調整機構としてマーシャルが採用した方式は、価格の上下運動と同時に、何らかのルールの下に財の取引が行なわれつつ調整が進む非模索の過程であったから、調整が進むごとに保有量の組み合せが変化するので、それに伴って各主体の需要・供給函数も変位する。したがって最終的にいかなる均衡に達するかは、調整の径路に依存して変わり、一意的には定まらない。非模索の過程では、この意味での「不決定性」が生ずるのである。ところが先に述べた価値尺度財の限界効用が一定であるという仮定(※)の下では、最終的に到達する均衡価格は、調整径路から独立に一意的に定まり、不決定性は消滅する。これはマーシャルに負う「定理」である。

 ワルラス=マーシャルの構想した市場では、各主体は自らの経済状態と市場のシグナルだけを見て行動する。これはいわば非協力の世界である。一方、エッジワースは主著『数学的精神科学』(1881)において、協力・・)型の世界を描いた。つまり幾人かの主体がグループ(結託)をつくって相談し、互いに経済状態が改善されるように保有する財を交換するのである。そしていかなる結託を組んでも、もはやそれ以上の改善が不可能となる財の分け直しの状況(配分)、つまり最終的な落ち着きどころ(ファイナル・セトルメント)の集合をコアと呼ぶ。参加する主体が少数の場合、コアはかなり大きな集合であり、その意味で最終的な落ち着きどころにはマーシャルとは別の意味での「不決定性」が発生する。しかし主体の数が限りなく増加すると想定すれば、コアは極限的に一点に収縮し、コアの不決定性は解消する。これがエッジワースの極限定理と呼ばれる著名な結果である。

 ふたりの経済学者が意図する不決定性は全く異なる意味をもつ問題であるが、双方ともそれを理解しえず、自分の尺度で相手を測ろうとした。エッジワースは『ジョルナーレ・デリ・エコノミスティ』(1891)誌上においてマーシャルを批判し、「あまりに敏感すぎ」るマーシャルはこれに反発して、私信を以て激しい言葉でエッジワースを詰った(1891年4月4日付)。そして気の弱いエッジワースの心には癒し難い傷が残ったのである。

 マーシャルとワルラスとの間にも、当初は友好的な書簡の往来があったが、これも長続きしなかった。ワルラスが送った『純粋経済学要論』第二版(1889)への短い礼状の中で、マーシャルが用いた数理経済学に対するやや冷淡な文言、これがワルラスを怒らせた(1889年9月19日付)。ワルラスは後年、E・バローネに宛てて「あの時以来、私は彼[マーシャル]を数理学派の敵方に入れ」たとまで書いたのであった(1894年8月26日付)。

 ワルラス宛礼状の翌年(1890)刊行されたマーシャルの『原理』は、ワルラスにはついに献本されなかった。

 

 他人の著述を読むのは難しいものである。碩学相互間の書簡を読みながら、つくづく心が痛む。

(まるやま とおる・数理経済学)


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