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佐野史郎 路地裏の古代[『図書』2025年10月号より]

路地裏の古代

 

 へルンさん。

 私の故郷、島根県松江では小泉八雲のことをそう呼んで、郷土の人々に親しまれている。

 明治23(1890)年、ラフカディオ・ハーンが松江に39歳で英語教師として赴任してきた時に、ローマ字読みのカタカナで“ラフカヂヲ・へルン”とサインしたことから、松江では“へルンさん”と呼ばれるようになったという。

 小泉八雲は帰化名。祖国アイルランドでのファーストネームを加えれば本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンだが、キリスト教を疎んだハーンはアイルランドにキリスト教をもたらした聖パトリックと繋がることを避け、その名を外したのだろうか。

 1850年、ギリシャ、レフカダ島でギリシャ人の母とアイルランド軍人の父との間に生まれ、2歳までをその地で過ごしたハーン。その後、父の故郷アイルランドへ移住。だが両親の離婚により、ハーンは大叔母に引き取られる。

 この大叔母が敬虔なカトリック教徒で、ハーンは神学校に入学。また“従姉のジェーン”と呼び、親しみと憎しみを併せ持った感情を抱いていたように思わせる親族のことを綴った「私の守護天使」などからも、地獄の苦しみを説く狂信的なキリスト教徒ジェーンを、「はやく 死ねばいい、そうなればもう二度とあの顔を見なくてすむから」(「私の守護天使」池田雅之訳)と、嫌悪していたことがわかる。

 世の中で正しいとされていることや、当たり前のことが、果たして本当にそうなのか?……そう想うこと自体が、そこに従わないことが、悪しき考えや行いだとするならば、私が小泉八雲に惹かれている核心は、その問いかけなのかもしれない。

 学生時代、回転ブランコで遊んでいた時に事故で左目を失明、混血で小柄のハーンはさまざまなコンプレックスを抱いていたことだろう。

 けれどフランス語を得意とし、ギリシャ神話やアイルランドの妖精譚に親しんでいたハーンは文才に恵まれた。

 大叔母一家の破産を機に渡米。シンシナティで新聞記者を務めた後、ニューオリンズでジャーナリストとして10年を過ごす。貧困などさまざまな困難を乗り越え、ハーンは筆一本で逞しく生き抜いた。

 そうして運命の舵は、大きく日本へと切られていく。

 ニューオリンズで開催された万国博覧会で日本の展示品や日本文化に触れ、英訳されたばかりの古事記を読み、日本に強く興味を抱いたハーン。

 ギリシャ、アイルランド……フランスにも学び、アメリカへ渡ったハーンは、彷徨い続けるなかで、国家、人種、宗教、風習などの識別を超えた、大いなる世界の住人として生き続けたのだろう。

 ギリシャ神話やケルトの妖精譚に親しんでいたハーンは「あの世のことを描いた古代神話は数々あるけれど、これほど不可思議な物語は聞いたことがない」(「杵築」『知られぬ日本の面影』池田雅之訳)と、古事記に魅せられる。その神々の物語は天上と地上を、黄泉の国とこの世を分け隔てずに往き来しながら、残酷であったり滑稽であったりと、荒唐無稽の限りを尽くす。

 シンシナティで新聞記者として勤め始めた頃から、ハーンは「皮革工場殺人事件」などの猟奇的な事件、生きたまま高熱炉に放り込まれて焼かれた男を「頭蓋骨が爆発し、もうもうたる蒸気を発した五体が破裂し、火焔が幾百の蛇のごとくしゅーしゅーと鳴る様をじっと覗きこんで見つめていたのだ!」(「皮革工場殺人事件」『クレオール物語』平川祐弘訳)と、さながら恐怖小説のように執筆していたし、フランスの幻想作家ゴーティエの英訳を出版するなど、後に日本で記した小泉八雲の代表作『怪談』を最後にこの世を去ったことを想うと、彼の作品のさまざまな場面で、ハーン自身が自らを“ゴースト”のような存在だと認識していたこととも重ねて、その世界観が、「蓬莱」に描かれているような“淡い”の世界を好んだことと対比するかのようにして明確に浮かび上がってくる。

 日本への興味を深くしていったハーンは、カリブ海のマルティニーク島に2年ほど滞在の後、紀行文執筆の仕事を得て来日。

 ギリシャの神々やアイルランドの妖精たち、ニューオリンズのヴードゥーなど、一神教の神とは相対する世界に惹かれていたハーンであっただろうから、あらゆるものに魂が、神が宿るという八百万の神々の国日本へ、しかも魅せられていた古事記に記された神話の残る出雲の地、松江に英語教師として導かれたのも運命なのだろう。

 運命ではあるけれど、そこにはさまざまな必然という偶然が重なっている。

 2025年秋より放送予定のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』は、その運命を追った、ハーンの妻セツを主人公に2人をモデルとした物語。シナリオを読んでいて、フィクションであるが故に想像が膨らみ、ハーンが何故セツと結ばれたのかが必然として感じられてくる。

 私は島根県知事役。ハーンを松江に招聘した当時の知事は籠手田安定だが、ドラマはフィクションなので別名。実際の立派な人物像からは外れているのもご愛嬌。とはいえ、事実関係で大切なところはきちんと押さえられている。実際の籠手田安定の前任は滋賀の知事に当たる県令という役職。なにしろハーンが来日した明治23(1890)年は、大日本帝国憲法が施行された年。それまでは各省庁、役職も試行錯誤であったのだろう。

 ハーンが冬の寒さに耐えかねたこともあって1年3ヶ月ほどで松江を後にし、熊本第五高等中学校で教鞭を執った後の明治27(1894)年に日清戦争開戦。亡くなった明治37(1904)年には日露戦争開戦。

 江戸の時代の空気がまだ残っていたであろう当時の松江を訪れてから、熊本、神戸と移り住み、帝大の教壇に立ち、東京に居を構えて他界するまでの、急速に変わっていく日本を、セツや家族と共にいて、ハーンは単なる異邦人ではなく、その眼差しを内と外とに同時にもつ当事者として目撃した記録者でもあった。

 ところで、島根県が松江に英語教師を招聘したのは、ハーンが初めてではない。当初はアメリカ人の英語教師エドウィン・ベーカーが赴任予定だったのだが、籠手田安定は、ベーカーが熱心なクリスチャンであることを理由にその約束を反故にしたという。

 ベーカーもまたハーン同様に日本人女性と結婚し、キリスト教の博愛精神を信条に、後に幼稚園となる施設を設立するなど、教育に貢献した立派な人物だったようだが、籠手田さんもハーンに負けず劣らず、嫌だと思ったら意志を貫き通す頑固な人物だったのかもしれない。

 ベーカーを断った後、M・R・タットルというカナダ人が着任した。だが、この人物も熱心なクリスチャン。授業中にキリスト教の布教をしたことで「学校生徒ニ対シ宗教ノ利害得失ヲ談論スヘカラス」(『朝日新聞』2021年2月13日、小西孝司記)の契約違反で解雇される。

 キリスト教を好まないハーンだったことも、籠手田知事がハーンを招く後押しとなっていたのかもしれない。

 江戸の空気、古代出雲の気配が残る松江の美しい風景や人々の行いを克明に残したハーンだったが、妻となるセツとの出会いによって、その印象をさらに深めたことは間違いないだろう。

 武家出身のセツは、没落士族の家族を養うため、高給の外国人英語教師ハーンの女中として身の回りの世話をし、やがて妻となる。武家の誇りと嗜みをもつセツにハーンが惹かれた要因のひとつとして、セツがさまざまな民話や怪談を好んだことは大きい。事実、セツは語り部として、あるいは助手として、ハーンの作品に貢献する。

 松江を「神々の国の首都」と表したように、まるで出雲の地を幻想の、ハーンが好んだ「蓬莱」の世界と見まがう夢の国のように、ニューオリンズやマルティニークの熱帯の陶酔にも似て、上気していた中に現れた宿命の女(ファムファタール)、セツ。

 確かに『知られぬ日本の面影』を読めば、そこまで美しく描かなくても良いだろうというくらい、松江の宍道湖畔の朝の情景を描いている。松江の人間にとって、さまざまな日本の美や美意識を褒め称える著述を目にする日本の読者にとっては、大いに自尊心をくすぐられる。

 けれど『知られぬ日本の面影』の中の「日本人の微笑」や、『怪談』と共に遺作となった『日本 一つの試論』では、近代西洋文化に急速に染まっていく中で失われてしまうであろう微笑みに、また、夢のような世界に生きているように見えた人々だからこそ、その夢が醒めてしまった時には、「この世のものと思われぬ怪しい美しさをあたえるあの春霞のように、しだいに立ちのぼり、果ては消えてしまうだろう」「この国のものはすべてがあやかしのものだということだ。いわば諸君は、亡霊の呪法にかかったようなもので、この国のこの光も、この色も、この声も、やがてはいっさいが空と寂とのなかに消え去ってしまうのだということを、よく心に銘記しておかなければならない」(「珍しさと魅力」『日本 一つの試論』平井呈一訳)と、未来に希望を抱かせない。

 だが希望は見出せなくとも、そこにはあらゆることを受け止めるまなざし、体を、この列島に生息する人々は兼ね備えている……というように感じなくもない。『怪談』の中の「虫の研究」に綴られている日本の人々の虫との接し方や、その生態同様に、ハーンは、日本の人々に対して慈愛のまなざしをもって観察していたのだろう。

 現在の日本を観たならば、ハーンは絶望するに違いない。『仏領西インドの二年間』の「チタ」での大嵐や、『仏の畑の落穂』で、安政南海地震の津波から村人を救った長老の物語「生神」を記したハーンだから、自然を畏れ、阪神淡路や東日本大震災など地震が多発する、この浮遊するような列島で稼働する何機もの原子力発電所を見れば、「ナンボ、オソロシイモノ」と原発を憂えるだろう。

 領土問題、世界各地で続く戦争や、経済、権威を暴力のように振りかざす人たちを糾弾する者、自らの権利や欲望を阻む思想をたたき潰さんばかりに吠え叫び、そのエゴイズムを絶対のものと支持する者たち。

 その分断を加速させるネット社会。

 何もかもを明確にして線を引くことこそが“正義”と我が物顔で歩く世界に覆われ、ハーンの好きな「蓬莱」は予言通り、消え去ろうとしている。

 それでも、爽やかな風が微かに流れる瞬間、路地裏に潜む淡い影に、古代と変わらぬであろう今を発見し、救われもする。

(さの しろう・俳優)


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