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三浦篤 美の思索者、高階秀爾[『図書』2025年10月号より]

美の思索者、高階秀爾

 

 昨年10月17日に逝去された美術史家高階秀爾氏(1932―2024)の一周忌を迎えようとしている。私の恩師であり、最初にお目にかかったのは東京大学で氏の授業を受けたときなので、50年近く前にさかのぼる。ちょうど旺盛な執筆活動に邁進されていた頃で、颯爽と教室に入って来られたその姿からは、圧倒的な知的オーラを感じたことを記憶している。

 高階秀爾という、戦後日本の美術史学、美術評論を牽引した知の巨人を失った欠落感は未だ尾を引いているが、その膨大な著作群を改めて振り返ると、美術史家としてのある輪郭、軸線が見えてくるように思う。

 

エドガー・ウィントと芸術論

 端的にいえば、高階氏は単なる美術史家ではなかった。その出発点に美の思索者としての明確な理念を持たれていた。それも、ごく初期の段階で。

 もちろん、フランス留学直後の1960年代に、30代の若さで矢継ぎ早に刊行された美術史的な著作、すなわち『世紀末芸術』(1963)、『ピカソ──剽窃の論理』(1964)、『フィレンツェ──初期ルネサンス美術の運命』(1966)、『芸術空間の系譜』(1967)、『美の思索家たち』(1967)などは、俊英美術史家のデビューに相応しい充実ぶりで、西欧近代美術、パブロ・ピカソ、イタリア・ルネサンス美術、建築空間、美術史方法論といった具合に、一人の研究者が軽々と踏査する対象領域の広さに驚かされる。

 しかしながら、同時期に出版された氏の処女評論集『芸術・狂気・人間 その実態と本質を探る』(1966)は、上記著作群とは内容を異にするものだ。芸術創造が人間の本質的な活動であるという確信、「「芸術とは何か」を問うことが、究極的には「人間とは何か」という問に還元されなければならない」という信念が披瀝されており、芸術を通して人間について考察した論考、現代芸術が提起する多様な問題を論じた文章が並んでいる。美術史家よりもむしろ美学者の方に近いこの若き評論家は、どのように誕生したのであろうか。

 私見では、オックスフォード大学教授エドガー・ウィントの『芸術と狂気』(原題Art and Anarchy, 1963)を高階氏が翻訳し、1965年に刊行したことが関係しているのではないかと、ひそかに想像している。ウィントはこの著作の中で、プラトン以来「神聖なる恐怖」を体現し、秩序を乱す危険な存在とみなされていた芸術が、科学を中心に戴く現代において、いかに人間生活の端に追いやられ、狂気や毒を失い、添えものに過ぎなくなったのかを鋭く指摘している。

 芸術の本質論であると同時に、真正なる芸術が成立し難い現代文明に対する批評でもあるこの優れた教養書は、タイトルの類似性が示唆するように、高階氏の芸術理念の形成に大きな刺激になったと思われるのだ。まさにウィントと問題意識を共有するかのように、氏は芸術と人間の関わりについての本質的な問いかけを、生涯を通じて行っていくことになる。

 

イコノロジーから『名画を見る眼』へ

 その上で、前半期の高階氏の美術史的な寄与を集約するならば、西洋絵画を読み解く愉しさ、面白さをあまねく一般に知らしめたことではなかろうか。これを学問的に言い直せば、当時隆盛の極みにあったイコノロジー(図像解釈学)の成果を吸収し、実践してみせたということになる。そして、ここでもまたエドガー・ウィントが大きな入り口となったのが興味深い。

 高階氏はフランス留学中に実証主義に基づく美術史学の王道を学びつつも、恩師であるイタリア・ルネサンス美術研究の泰斗アンドレ・シャステル教授の手引きで、アビ・ヴァールブルクを始祖とするイコノロジーを知ることになったと推測される。イタリア・ルネサンス期を主たる対象として、美術作品の意味を文学、思想、宗教など時代の精神的風土と重ねて解明を試みたイコノロジストたち。なかでもエドガー・ウィントこそは、アーウィン・パノフスキーと並んで最良の成果を挙げた学者であった。

 実際、高階氏は『ベルリーニの《神々の祝祭》──ヴェネツィアのユマニスム研究』(1948)、『ルネッサンスの異教秘儀』(1958)といったウィントの主著を始めとする先行研究を咀嚼して、『ルネッサンスの光と闇──芸術と精神風土』(1971)を書き上げた。その中で、ボッティチェリの《春》の新プラトン主義的な読解など、イタリア・ルネサンス絵画の複雑な図像を、あたかも謎を解くように解釈して見せたのである。それはまた、明暗が交錯するルネサンス(美術)の二面性を浮かび上がらせようとする独自の試みでもあった。

 そうしたイコノロジーの成果も含めて、「絵を読む」愉しさを一般読者向けに具体例を挙げながら解説したのが、ベストセラー『名画を見る眼』(1969)、『続名画を見る眼』(1971)にほかならない。ファン・アイクからモンドリアンまで西洋絵画の名作の見どころを解き明かした啓蒙書であり、近年カラー版も出版されたが、そのあとがきで氏は述懐する。「フランスで学び始めて、一枚の絵をこういうふうに見るのかと驚き、見るだけではなく読む対象でもあることを知ったとき、これを他の絵画にも応用したいと考えた。こうして二九点の名画を選び、『名画を見る眼』『続名画を見る眼』が生まれた」。

 すなわち、力点は「絵を読む」ことにある。もちろん、取り上げられた作品は、その造形的な特質、作者や注文主、制作過程、時代や文化などから多角的に解説されるのだが、著者がとりわけ意識していたのは「色や形だけではない、絵画の意味の問題」であった。「見るだけではなく読む対象でもある」絵の意味を発見する面白さを、的確で平易な言葉遣いで伝えようとした著者の姿勢が、多くの読者の共感を集めたに違いない。

 極論すれば、絵は言葉であり、意味を有しており、文化に即した絵独自の文法と辞書があるとすら言えるのではないか。そうした認識を共有しつつ、氏が作家小松左京氏と縦横無尽に対談した成果をまとめたのが、『絵の言葉』(1976)である。美術の世界を超えて、人類社会における画像の意味、絵の発するメッセージを読むことについて考えさせる刺激的な対談と言えよう。

 

近代絵画を多面的に読み解くこと

 イコノロジーを用いて「絵を読む」ことは、時代や地域に共通のコードが存在した近代以前の美術には有効であったが、芸術家個人の考えや感覚の方が優勢となる近代以降の美術に関しては、必ずしも十分に通用するとは限らない。もともと西洋近代絵画、特に19世紀フランスの画家ドラクロワへの関心から出発し、「近代とは何か」という問題意識を常に持ち続けた高階氏にとって、近代絵画をいかに解釈するのかは大きな課題となったように思われる。

 『ゴッホの眼』(1984)において、近代美術へのイコノロジーの適用が意識されていたとしたら、とりわけゴッホが絵の中にひまわりや糸杉のような象徴的なモチーフを好んで挿入する画家であったからだ。そうしたモチーフの意味を、書簡の精緻な読解と合わせて解明しながら、画家の内面のドラマを探求する様がスリリングな評論だが、その底には「報われない愛の悲劇」を生きた画家への深い共感が流れていることも付け加えておく。

 そのほかに図像解釈を意識した研究としては、世紀末絵画に頻出するサロメ像と「切られた首」のイメージをめぐる犀利な論考などもある。そこでは美術のみならず文学、音楽、舞台芸術など諸芸術全般への目配りがうかがわれ、バルザックやゾラの芸術家小説を論じた文章にも通じる、著者の総合芸術的な視野の広さを感じるところである。近代美術の読解には同時代の文化に通暁することが重要であることがよくわかる。

 また、近代に限らず西洋美術の問題を解明しようとするとき、文脈を広げるという意味では、作品を受容する社会の探索に歩を進める道もあり、高階氏にはそうした社会学的、社会史的な関心も強かった。一例として、ルネサンスから現代まで、芸術の保護者(=受容者)の在り方の歴史的変化をたどった『芸術のパトロンたち』(1997)を挙げることができよう。

 

東西美術の比較から

 「絵を読む」ことと並んで高階美術史学の主軸を成すのは、西洋美術を合わせ鏡にした日本美術の特質の解明である。

 実はかなり早い時期からそのような関心は芽生えており、高橋由一の《花魁》を見た衝撃と感動から始まる『日本近代美術史論』(1972)が最初の成果となった。西洋美術との接触がもたらした日本近代美術の変容、その捩れや葛藤を含む独自の様相を余すところなく論じた画期的な研究書であり、再評価への熱意のこもった文章に、氏の内なる情動をかいま見る気がする。

 そして、1990年前後に高階氏は、西洋美術との対比において日本美術の特質を解き明かす、比較美術史の世界に本格的に入っていったと私は考える。その後刊行された関連著作、『日本美術を見る眼』(1991)、『西洋の眼 日本の眼』(2001)、『日本人にとって美しさとは何か』(2015)をたどっていくと、視形式や装飾性、ジャポニスム、東西の文化観、言葉とイメージの関係等々、西洋と東洋の美術の出会いがもたらす様々な現象、西洋との対比から浮かび上がる日本の美意識を浮き彫りにする論文集が続くのが理解されよう。

 「芸術研究は人間研究である」という信念に支えられた高階氏の出発点は、確かに西洋美術史の探究であり、絵を読む喜びと方法を我々に伝授し、近代絵画の諸問題に取り組んでいったが、ユマニストとして最終的に見極めようとされたのは世界の中の日本美術の存在意義だったのかもしれない。

(みうら あつし・西洋美術史)


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