web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

【文庫解説】ルイ・ハーツ『アメリカにおけるリベラルな伝統』

 旧世界の抑圧から逃れた人々が作り上げたアメリカは、封建制度や貴族階級のないリベラルな社会として出発した――その前提に立って、自立的な個人と財産権とを核心に持つジョン・ロック流のリベラリズムの伝統が、絶対的なイデオロギーとして君臨する逆説を、建国期からの歴史に探った名著です。訳者である西崎文子先生は、本書の完成を前に2025年8月25日にお亡くなりになりました。先生が執筆された「解説」の冒頭部分を転載します。


 ルイ・ハーツの『アメリカにおけるリベラルな伝統』(Louis Hartz, The Liberal Tradition in America: An Interpretation of American Political Thought since the Revolution, New York and London: Harcourt Brace Jovanovich, 1955)は、アメリカの政治学・政治史の文献の中で、異彩を放つ作品の一つである。著者の博覧強記ぶりを示す闊達な文体とあいまって、本書は発表当初から大きな反響を呼び、政治学界でも高い評価を受けた。以後、アメリカ政治の「ハーツ流(Hartzian)」解釈が一つの学問的潮流となり、アメリカ社会をリベラリズムの観点から分析する研究が、政治学でも歴史学でも影響力を持ち続けてきた。その一方で、本書は1960年代以降、厳しい批判にも晒されてきた。それらは、全体の主張に対する異議、分析手法や叙述方法への批判、あるいは個別的な歴史解釈への疑義など多岐にわたっている。このように、賞賛に勝るとも劣らない批判や反発に晒されながらも、「古典」として読み継がれてきたのがこの作品であるといえよう。むろん、このような反響を呼んだ要因の多くは、ハーツの著作そのものにある。

 ハーツの議論は、一見きわめて単純である。その要点は、アメリカは、旧世界の封建的、宗教的抑圧から逃れてきた人々が定住した地であり、これらの抑圧が不在であったために、アメリカ社会はその出発点からリベラルな社会であったというものである。打倒すべき封建制度や貴族階級を持たないアメリカには、思想的にもリベラルな伝統しか存在しえない。その前提に立って、ハーツは、自立的な個人と財産権とをその核心に持つロック的リベラリズムが、圧倒的かつ唯一のイデオロギーとして君臨したありさまを、建国期から1950年代まで一気に書き通した。曰く、生まれながらに自由な社会では、革命後の課題は封建的遺制の除去にではなく国家権力の制限に絞られ、独立を勝ち得た人々は、粛々と三権分立に基づく憲法制度など統治のための制度づくりにいそしんだ。大衆の権力拡大を恐れるエリートは、最高裁判所に強力な権力、なかんずく司法審査権を与えたが、重要なのは、このような統治システムが、国民によって自発的に受け入れられてきたことである。したがって、彼の解釈によれば、建国初期のフェデラリスト(これは時代にかかわらずホイッグと称される)と反フェデラリストとの対立や、19世紀末の共和党、民主党、人民党の対立など、アメリカ史を揺るがしたとされる対立も、実際にはリベラリズム内部での論争にすぎなかったということになる。

 アメリカ史に連綿と続くロック的リベラリズムは、アメリカの政治社会に奇妙な作用をもたらした。大衆を恐れ、革命に手綱をつけようとしたエリート主義的なホイッグは、憲法や司法制度など巧みな組織を編み出したものの、自らの権力の正当性を主張するために必要な「敵」、つまり戦うべき貴族階級や非難すべき「暴徒」が不在の中で、次第に存在意義を失っていった。かわって台頭するのが、農民や都市労働者からなるプチ=ブルジョワである。彼らは、小規模財産所有者として自らも資本家となる野心を抱き、ジャクソンの時代以降、ハーツがアメリカン・デモクラットと名付ける巨人としてアメリカ社会の中心を占めることになった。しかし、南北戦争後の急激な産業化の時代には、彼らもまた自らの地位の不安定化を恐れ、存在もしないプロレタリアの暴徒に怯えるあまり、エリート資本家として再興した新しいホイッグ主義の麾下に入ることになる。「金ぴか時代」といわれた19世紀末の社会では、成功者と失敗者との区別のみが重視され、階級意識は育たない。かわりに国民的寓話として受け入れられていったのは、作家ホレイショ・アルジャーが描く立身出世物語であった。

 リベラルな伝統の圧倒的優位という本書の視点は、ドイツの経済学者ヴェルナー・ゾンバルトが1906年に提起した「なぜアメリカには社会主義がないのか」という有名な問いに、ハーツ流の回答を用意することになる。ハーツによれば、社会主義思想は歴史的にみて、ブルジョワ社会のみならず、封建制度に対する反発に淵源を持つものであった。ところが、封建主義がそもそも存在しない社会では、階級的抑圧や権力の集中の概念、至福千年の理想など、社会主義が利用できる材料が存在せず、その思想は根を下ろすことができなかった。逆に、経済格差が広まり、労働者のストライキが頻発するようになる中でも、革命を担うべき労働者は根強い資本主義者にとどまり、ここでも階級意識の生まれる余地は閉ざされた。19世紀以降、アメリカの社会主義者たちは、ヨーロッパにおける社会主義者たちの闘争を、その党派争いに至るまで忠実に模倣しようとし、対立のないところに対立を作り出そうとしたが、いずれもリベラルな伝統の壁にぶつかって退散せざるを得なかった。

(続きは、本書『アメリカにおけるリベラルな伝統』をお読みください)

タグ

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

新村 出 編

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる