第7回 池田の聖母様〈金 範俊/Moment Joon 外人放浪記〉
入祭
父と子と聖霊のみ名によって。
アーメン。
回心
皆さん、聖なる祭儀を行う前に、わたしたちの罪を認め、ゆるしを願いましょう。
2024年9月は、私にとってとても暗い月でした。外は真夏の熱さの最中、しかし私の心は冷たく凍りついていました。彼女はちょうど一か月間ロシアに帰省中。私は家に一人で、父から受けた暴行で両腕に出来たアザが薄くなるのをただ眺めながら、沼に沈んでいました。
この連載の第6回に書いた手紙の文章が、最初から最後まで無限に再生される日々。これまでの人生で書いてきた全ての歌詞や文章は、きっとこれを書くための修行であっただろうという運命的な確信を持って、私は文字の一つ一つで父の首を狙うつもりで、頭の中で言葉を決めていきました。買い物以外には外に出ず、朝起きたらカーテンを閉め、YouTubeで何かの動画を再生し、動画から流れてくる雑音を聞きながら、私は手紙の文章を口ずさみ、また頭の中で暗唱していました。
しかし、いざ書き始めようとすると、どうしても何かを言い訳にして、書くことを避けてきた父への手紙。自分の正義を確信しながら書いていたその手紙が、実は呪いに過ぎないことをよく知っていたからでした。「いや、これよりもっと強烈で、あの人が読んだら頭に来てすぐにでも倒れそうな何かが必要」「毒が足りない」などと言いながら、手紙の文章に閉じこもって1か月、彼女は帰ってきました。関空に迎えに行って、彼女に抱かれた時の人間の匂いと温かさ。そうだ、実は、あの手紙は書きたくなかったんだ。俺は、父を呪って、憎みたくなかったんだ。
手紙を書くのをやめてまた一か月間、私は自分の傷と毒を、とりあえず冷蔵庫の中に入れておきました。忘れて捨てるのではなく、持っていくため。2024年の10月、私は池田のカトリック教会に電話を入れました。主任神父さんに、告解をお願いしました。
2015年から住んでいる池田市ですが、駅から5分もかからないその教会の方向に歩いたことはありませんでした。駅の近くにあるコンビニで、告解で告げるために自分の罪をまとめたPDFファイルを印刷して、折りたたんでポケットに入れました。横断歩道を渡ると、教会が運営している幼稚園と聖堂、そして信徒会館がある、大きくはないけど立派な教会があります。信徒会館の一階の入口で待っていたら、主任神父さんが来て挨拶をしました。中村神父さん。初めまして、大阪大学に通っている金範俊と申します。
聖堂がちょうどワックス塗装中であるため告解室が使えず、今日は応接室で行うことになりました。ソファに座って、自己紹介と自分の家族とカトリックの話、軍隊で洗礼を受けた話をしました。神父さんのお話も。北海道出身で、20代までは普通に会社員であった中村神父さん。「よく来てくださいました」と、温かいお言葉をいただきましたが、ポケットの中に入っている自分の罪を出すのが怖くて、肩はまだ凍ったままでした。
ドアを閉めて、神父さんがストラ(頸垂帯)を付けて典礼書を開き、告解(許しの秘跡)は始まります。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
神のいつくしみに信頼して罪を告白してください。
最後の告白は、12年前に軍隊で洗礼を受けた時でした。
まず最初に、私は人を憎みました。特に父を憎みました。父から暴行を受け、同じように彼を傷つけたくて、呪いの言葉を彼に叫び、それでもまだ足りず、また手紙を書いて彼を呪おうとしていました。
次に、私は死にたいと思って、実際によく口にしました。
次に、私は人に嘘をつきました。小さいことから大きいことまでいっぱい、いっぱいつきました。
次に、私は〇〇を〇〇ました。自分が〇〇でいた〇で、そこに〇〇でいた〇の〇〇を〇〇ました。
次に、私は〇〇時に〇〇の〇を〇〇ました。〇かったとはいえ、自分が何をしていたか分かっていましたし、間違っていると知りながらもやりました。
次に、私は神を信じないと言いました。どっかではずっと神を意識していたくせに、自分の虚栄心で、全てを分かっているかのように話していました。
次に、私は〇〇〇〇〇を傷つけました。〇〇〇〇ていた時に〇〇をして、彼女を傷つけました。
大罪を連ねるだけで30分。こんなことを日本語で、しかも誰かに口頭で話したことなんてないし、正しく話せているのかどうか、いつもの日本語恐怖症がやってきました。いや、そんなことよりも、これらを全部言葉にしてしまうと、隠れていた、隠したかった過去は本当に存在していたことが明らかになり、自分はこんなに汚くて恐ろしい人間だったんだということが、もはや否定できない事実となって、応接室の空気に混ざりこんでいくようでした。
どんな罪であっても、神様の権能で許されない罪はありません。しかし、それはあくまで正直に告げて、心から悔い改めることを前提とします。泣きながら告げた私の罪を全て聞いた神父さんは、私の罪一つ一つに関して詳しく質問をし、またそれらに対して私がどう償っていくべきかも、温かく話してくださいました。とりあえず教会に来なさい、とかではなく、汚れた世界で、また汚れた自分はどうやって生きていくべきか、その狭くて険しい道を示してくださったのです。それが、自分に出来るだろうか。こんなにダメで、色んなことをやらかして犯した自分が、その道を歩けるだろうか。
罪が許されたはずの状態で、神父さんに感謝の挨拶をして教会を出ようとする瞬間でも、私は正直自分が前より良い人間になったとは、またそうなれるとは、感じられませんでした。正門を出る前に後ろを振り向くと、仏教式の石塔が置かれた隣に、カトリック教会ならどこでも見られる聖母像が置いてあります。ふっと母のことを思い出して、涙を拭いて私は教会から出ました。
2024年11月10日の日曜日の夜明け。教会に、行くのか。一時的な安静のために、何かのインスピレーションのために宗教「的」なものに頼るのではなく、一歩踏み出して、それを生きてみる努力を、始めるかどうか。「やっぱ面倒くさい」が勝ちそうだったその瞬間、告解の最後に神父さんから聞いた言葉を思い出しました。
でも、またきっと失敗するでしょう。その時は、また教会に来て、聖母さまに助けを求めてください。きっと、金さんのことを待っていらっしゃいますから。
それから、私は池田カトリック教会に通い始めました。
いつくしみの賛歌
主よ、いつくしみを。
主よ、いつくしみをわたしたちに。
キリスト、いつくしみを。
キリスト、いつくしみをわたしたちに。
主よ、いつくしみを。
主よ、いつくしみをわたしたちに。
カトリックはどんなに小さい教会であっても、典礼・儀式と芸術に満ち溢れています。彫刻、シンボル、礼服、建築、ロウソク、焼香、御聖体用のパン、聖水、そして歌。人間の五感の全てを使って、神の存在と宗教の意味を感じさせる設計とも言えるでしょう 1。もし誰かがそれらの儀式や芸術を「洗脳の道具」と呼んだとしても、心のどこかにまだ無神論者の欠片が残っている私なので特に反論はできません。そういえば、ちょうどこの12月にネットフリックスで公開された『ナイブズ・アウト』の新作で、動画配信時代を代表する名探偵のブノワ・ブランも、教会の建物の中に入った感想をこう言っていましたね。
様式は興味深いですね。荘厳さを感じるし神秘的で、狙い通りの感情に訴えてきます。ですが、私が信じていないストーリーを誰かから見せられている感じです。子供のおとぎ話の空の約束に基づいていて、悪意と女性嫌悪とホモフォビアに満ち溢れて、数々の暴力と残酷さを正当化している。未だに自分の恥ずべき行いは隠し通しながら。頑固なラバみたいに、その偽りの信念を暴いて、納得できる真実を暴いてみせたい、という気持ちです。
毎週のミサで、または日頃の生活で信者の私たちが行っていることが、非信者にはどれほど異質的に見えるかを、私は常に意識しています。しかも仏教や神道といった日本文化の一部として受け入れられている習慣でもなく、せいぜい総人口の1%にも満たない(その中でもカトリックだけなら0.5%にも至らない)本当に「変わった人たち」の価値観と文化であることを。
ブノワ・ブランの言葉に、若い神父のジャドは「そう、この全てはストーリーテリング 2です」と答えます。
ただ、私たちが聞くべき質問は、そのストーリーが単に嘘を正当化しているのか、それとも私たちの奥深い所にある真実と共鳴しているのか、ではないでしょうか。このストーリーテリングじゃないと伝えきれない、真実のことです。
カトリックの信者たちはカトリック教会こそが、2000年前にイエスが建てた教会そのものであると信じていますし、誰より伝統と歴史を愛しています。しかし同時に、その伝統を各時代と人びとに合わせてアップデートしてきたことにも、大きな誇りを持っています。1960年代の第2バチカン公会議前まではラテン語のみで行われていたミサは、今や世界各地の現地の言語で行われます。七五三や韓国の祭祀などの風習も、かつては「ローマカトリックではない」と排斥されていましたが、今は現地の文化と伝統として尊重され、キリスト教的な意味合いを与えられて祝われています。聖職者のみに許されていた典礼の一部は平信徒にも開かれて、民主主義的な現代人の感受性に合わせて変わってきました。
「伝統への愛」と「変化する伝統」という、相反するように見えるこの二つの価値は、カトリック信者たちの誇りでありアイデンティティです。ラテン語で「カトリック」とは「普遍」を意味します。日本で「キリスト教」といったら付いてくるイメージは、いわゆる「西洋的な」ものですよね。しかし、我々の「真実」はラテン語に、イタリアやヨーロッパ的なものの中にあるのではなく、誰もが既に自分の中に持っていて、また誰もが体験して実現して生きていけるものです。それは、2000年前にイエス 3が説いてその弟子たちが生きてきた真実、「互いに愛しなさい」という真実です。頭だけではたまに理解できなくなってしまうその真実を思い起こすために、教会の中には今日も歌が響いています。
栄光の賛歌
歌いましょう。
天には神に栄光、地にはみ心にかなう人に平和。神なる主、天の王、全能の父なる神よ。わたしたちは主をほめ、主をたたえ...
言葉の典礼
第一朗読
(平信徒が登壇し、旧約聖書から選ばれた箇所を朗読する)
しかし、典礼・儀式・芸術を積極的に用いて信者たちの「感覚」に訴えているからといって、「理性」を見下したり、「考えずに信じろ」と強いる訳ではありません。宗教を「科学の敵」「理性の反対語」と見なす人も少なくありませんし、確かに、いろんな偏見や間違った判断でカトリック教会が犯してきた暴力を書こうとすると、数十年かかっても語り切れないのでしょう。
キリスト教の反理性主義を指摘したい人は、それこそこの第一朗読の際に選ばれる旧約聖書を例としてあげるのではないでしょうか。創世記などの旧約聖書は、新約と比べても圧倒的に非科学的で信じがたい物語でいっぱいです。「世の中は七日で造られた」という、現代科学から得られた知識とは全く違うその記述をそのまま信じているだろう、と言われるかもしれません。しかしカトリック教会は、聖書の理解に大変な注意を呼びかけています。同じ聖書と言っても、例えば新約の使徒たちが書いた手紙と、創世記や黙示録は、その背景も目的もジャンルも違います。なのでカトリック教会は、各書ごとに文学的、神話的、比喩的、歴史学的、考古学的、文献学的など、違うアプローチを持って読むことを呼びかけています。これは「聖書に書かれているものは全て文字通り信じるべき」という、一部の過激な原理主義的なキリスト者から、カトリックがよく嫌われる理由の一つです。
文字通りの理解ではなく、様々なレンズで複層的に聖書を読むことを呼びかけるカトリック教会の伝統の背景には、実は「理性主義」があります。やみくもな信仰ではなく、理性を通した信仰を守り抜いた人たちが残した遺産なのです。キリスト教神学の始まりであってプラトン、アリストテレスと並ぶ哲学者のアウグスティヌス、中世ヨーロッパ哲学の祖であるトマス・アクィナス 4、科学革命の19世紀に理性と信仰の調和を訴えたジョン・ヘンリー・ニューマン、司祭でありながら「メンデルの法則」を作った遺伝学者のグレゴール・ヨハン・メンデル、同じく司祭でありながらビッグバン理論のアイディアを示した天文学者のジョルジュ・ルメートル…… カトリック教会が全世界で運営している数々の大学や各種研究所には、聖職者でありながら科学者である研究者たちがいます。現代のカトリック教会は、科学と信仰は何ら矛盾もしていないという立場です。進化論を科学的事実と見なすことは、神が世界を作ったという創造論と矛盾していないと。ワクチンや心理学、AIなどの科学技術の産物についても、それらを否定したり「悪魔のもの」と見なすことは決してありません。
カトリック教会が訴えるのは、それらの技術が人間性に与える影響、そして「科学万能主義」への警戒です。実は様々な偏見によって影響される「理性」というものの限界を認識して、科学技術はあくまで道具であって我々の価値観の尺度そのものにはなれないという考えです。優生学、データバイアス、類似化学と陰謀論は、それらが科学的・理性的のマスクを付けているだけで「実は科学的に間違っている」から危ないのではなく、我らの暗い欲望を「科学的だから大丈夫」と許してしまうから、理性を言い訳にして人間性の破壊を許してしまうから危ないのです。だからこそ、新しく教皇となったレオ14世が、一年も経たない間にもう十数回にわたってAIについて、またAI時代の人間性の回復について訴えているのです 5。
世の中の流れが速すぎると思う時に、私はここに戻ってきます。いくら頭を使って読んだり聞いたりChatGPTに質問しても、不完全な私の理性は、どこかで必ず私を裏切ります。それだけではありません。アルゴリズムをうまく使うだけではなく、そのアルゴリズムに最適化して機能するために、自分自身すらも改造しなきゃと感じさせられる日々。ショート動画で得られるドーパミンを「幸せ」と自分の脳が感じてしまうたびに、その「幸せプロパガンダ」より何かもっと重要なものがあったはずなのに、と思い出して、私の体と心は教会の長椅子に戻ってきます。真なる生き方、人間らしい生き方を探して。
第二朗読
(平信徒が登壇し、使徒書から選ばれた箇所を朗読する)
いや、そもそも真なる生き方、人間らしく生きるとは何だ。人間を肯定するからって、人間の行動すべてを肯定する訳ではありません。その中で「罪」とされる行動は、キリスト者においては、人間である基本条件であると同時に、常に戦っていくべきものです。
罪の種類も多種多様です。「殺してはいけない」「人のものを盗んではいけない」など、ほとんどの文明や文化圏において共通して法律などで強制される社会規範から、それより一つ下位のレベルの「嘘をついてはいけない」や「姦淫してはいけない」といった倫理に当てはまるもの、「嫉妬してはいけない」といった心の細かな動きにまで及ぶものや、「神の名をみだりに唱えてはならない」「教会で結ばれた夫婦が自分らの意志で離婚してはならない」と言った、非信者から見れば到底理解不能なものもあるでしょう。
それだけではありません。一部の人にとってはもはや倫理道徳的に全く悪いとされないもの、そして私からしてもどうしても「悪い」とは思えないものも「罪」とされています。同性愛と同性婚がそれです。私自身も、はっきり100%「世間一般的な異性愛者」のような人間ではありませんし、自分の身の周りで見てきた同性愛者や性的少数者を見ても、彼らの生き方のどこに「罪」の基準となる「悪」が潜んでいるのか、正直理解不能です。
性的少数者に対するカトリック教会の態度は、現在は最も柔和的と言えるかもしれませんが、根本的な所ではやはり変わっていません。「同性愛は罪」とはっきり見なすカトリック信者が多い一方で、「同性愛という性的指向は生まれながらの自然なもので、ただ同性間の性行為や同性婚は罪」と見なす人も少なくはありませんが、それでも同性愛者が異性愛者と同様に結婚をして家庭を作っていくとなったら、現在のカトリック教会としてはそれを罪と見なします。
一応、同性愛者・同性カップル・同性夫婦に洗礼や祝福を授けることを主張する声もありますが、先進国の信者たちや司祭を中心とした小さい動きに過ぎません。話題は「同性愛」だけではありません。女性司祭を許すべき・許せるかの問題、第2バチカン公会議の改革前のラテン語ミサに戻るべきといった復古主義と改革主義の葛藤、平信徒の役割強化を主張する側と司祭の権威を強化すべきという声の対立、伝統的にカトリックの中心部だった信者が急激に減っている欧米圏の「古い世界」と、信者数は急増しているが教会内の地位や権威などは充分に持っていないアジア・アフリカなど「新しい世界」との葛藤。富や社会的資産を弱者により積極的に再分配することを訴える「開放神学」的な動きと、それに反する保守的な動き。そして、聖職者による性犯罪と、それに対する教会の処分の甘さに対する批判。キリスト教の中の一つの「宗派」として認識されているカトリックですが、その中身を覗いてみると、いったいどうやってここまで違う人たちが「同じ」と言いながら一緒にやっていけるのか、なかなか不可解です。
そして実際、キリスト教の歴史とは「分裂の歴史」です。神学的な理由、政治的な理由、文化的な理由で、教会は過去2000年間分かれて、分かれて、分かれてきました。それが、人間が本能的に一番分かりやすいチョイスだからでしょう。私も、自分が愛しているこの教会が同性愛者の行動、または彼らの存在自体をも「罪」と見なしていると考えると、暗澹たる気持ちになります。価値観が合う人たちだけで、誰からも「間違っている」と言われず、自分も誰かに「間違っている」と言わなくてすむ所で、自分の真実と正義(だけ)を信じて生きたくもなります。実際上に連ねた数々の問題において、カトリックと近い宗派である聖公会は、私の価値観と感受性に合う路線を歩いています 6。それでも私が、カトリックであることをやめない理由は、なんでしょうか。
ミサの第二朗読では、使徒たちが違う地域の教会へ送った手紙が読まれます。キリスト教の中の神学的見解・価値観の対立と分裂の歴史は、キリスト教がユダヤ人だけではなくどの民族にも、貴族にも奴隷にも開かれた宗教となった瞬間から予定されていた道かもしれません。手紙を書いた使徒たちも、きっとそういった未来を予感していたのでしょう。イエスの活動を隣で直接目撃した人から次の人へと、言葉を通してその教えが伝わっていく中で表面化した違いや、信者同士の交流の断絶によって出来た方向性の違いなどを、使徒たちは時には優しく、時には厳しく戒めました。もちろん、それでも教会は結局、分裂していきましたが。
私が同性愛者の問題や女性司祭のことで教会から離れない理由は、使徒たちにあります。二千年という間にイエスの教えと愛を証言してきたのは、最初の使徒たち、そして私の前に生きた信仰の先輩たちでした。外国人である私が12年ぶりに教会に訪ねてたどたどしい日本語で罪を告白した時に、中村神父さんが愛で私に向き合ってくださらなかったら、私はその日イエスの愛を感じられたのでしょうか。使徒たちは、遠く離れていても、言葉や風習や民族が違う信徒たちを愛していたから、手紙を書きました。
もしここが政治の場なら、同性愛者や女性司祭の問題において私の反対側に立っている人に対して、私は取るべき行動は、彼らより人の数を集めたり、リソースを手に入れるなどして、自分たちの意志を通すことなんでしょう。しかし、人間同士の政治は必然的に発生するものの、教会は根本的には「キリストの体」であります。左腕と右腕の間にぶつかりがあるからといって、お互いから離れては生きていけません 7。私の読者の人たちから「臆病」「卑怯」「妥協した」と言われても構いません。愛がない正しさは不完全であると、私は信じているからです。そして、同性愛者たちの人生から目撃してきた愛のことも信じているから、私は教会がいつか変わることを確信しています。ユダヤ人ではない、東洋のある島に住んでいる異邦人の私がキリスト者となるためにあった歴史を考えると、そこまでありえない話ではないかもしれません。
福音書の朗読
主は皆さんとともに。
(またあなたとともに)
〇〇による福音。
主に栄光。
(親指で、額、口、胸に、十字架のしるしをします)
福音書の朗読に当たって信者たちは額、口、胸に十字架を切ります。イエスのお言葉を、頭で(理性で)口で(感覚で)そして胸で(心で)理解しましょう、との意味です。「感覚」と「理性」の話はもうしましたが、「心で理解する」とは何でしょうか。
キリスト教の「三位一体」とは何ですかと聞かれたら、長年教会に通っている人でも中々詳しく答えることは難しいと思いますが、そのコアにはイエスが「確かな神」でありながら「確かな人間」であることがあります。キリスト教を信じなくても、歴史人物として確かに存在したイエスの人生を、隣で目撃した使徒たちは「福音」という名の書で記録しました。時には厳粛で、時にはエネルギーに満ちあふれ、優しく、厳しく、泣き、怒り、人びとと一緒に歩き、パンを食べ、最後には血を流してイエスは死んだと、使徒たちは伝えています。
これらの出来事をいくら文献学的に、考古学的に、歴史学的に研究した所で、客観的な史実として「こうだっだ」と言えることには限界があります。死んだあと3日目に復活し、40日後には昇天としたという、一般常識ではとんでもない話が書かれているならなおさらです。
しかし、ある真実は「史実」を必要としません。使徒たちから始まって、植民地と朝鮮戦争を経験した私の祖父に、そして母に、2012年4月の韓国の論山陸軍訓練所で私に洗礼を授けてくださった神父さんに、そして2024年の池田で出会った中村神父さんと池田教会の人たちに受け継がれて、私にたどり着いた愛。大学の2年間、隣に居てくれたムスリムの友達のラウフを通して、今は毎朝一緒に起きてくれる彼女を通して伝わってくるその愛。「TENO HIRA」という、自分が書いた歌をうたう時に私が人からもらう愛と、またその人たちに伝わっていく愛。キリスト教を信じるための先決条件として「イエスが実際にガリラヤ湖の水の上を歩いたかどうか」の証明を必要とする人もきっと多いと思いますが、私には、上に書いたその「愛」で充分でした。音楽や建築など「感覚」を通した理解でもなく、勉強や検証といった「理性」を通した理解でもなく、人との交わりの中で「心が動いて」こそやっと理解できる真実、それがイエスの愛です。そして誰よりも先にその愛を私に伝えてくれたのは、私を産んでくれた、母でした。
母の家族がいつからカトリックになったかはよく分かりませんが、去年(父からの暴行の数日前に)母方の祖父母の家に訪ねた時に、おじいさんが実は何十年以上、故郷でカトリック教会が運営する孤児院に毎月寄付をしていることを聞きました。そんな祖父の元で育った母の洗礼名はベルナデッタ。母はあかちゃんの私が歩き始めた時から、当時住んでいた蘆原区の月渓洞の小さな教会に私を連れていきました。他の立派な聖堂と比べるとどこかぼろくて物足りなげな建物でしたが、それでもそこに集まる人たちとの交わりの中で、母は幸せそうに見えました。ミサの時に白いベールをかぶって、立ったり座ったりを繰り返す母の姿。若くて美しかった母の姿と、教会の外に置かれている聖母像の姿を重ねて記憶したのは、ある意味必然だったかもしれません。
同じマンションに住む他の世帯と一緒に教会に通って、お互いの家の扉をノックして食べ物を分かち合ったり、その家の子供たちと一緒に遊んだり、教会で復活節の卵に絵を描いた思い出。1990年代の月渓洞のカトリック教会に通っていた人たちが作った、特別な日々の思い出。
私が10歳になった時、月渓洞教会の満願であった聖堂の新築工事が始まったばかりの時に、私の家族は月渓洞から少し離れた中渓洞に引っ越し、その新しい町で、母は教会に通わなくなりました。カトリック信者は原則、自分の居住地・教区の教会に通うべきですが、前の教会での人間関係から切り離され、新しい所でゼロからやりなおすことは、きっと当時の母には大変だったのでしょう。それからベール姿の母は見られなくなりましたが、それでも母の化粧台には、いつも聖母像が置いてありました。
思春期の私が、あれだけ母を傷つけて泣かせても、夜遅くまで一緒にドラマのDVDを見ながら一緒に泣いてくれた母。小学生の時にスーパーでレゴを万引きした私の代わりに店員さんに謝って、家で泣きながら私を戒めた母。多文化家庭を支援する社会福祉士となって、パキスタン人の家族を家に招待して子供たちと一緒に遊ばせてくれた母。初めて好きな女の子が出来たことを、勇気を出して話したら素直に喜んでくれた母。私が父を呪って二度と合わないと宣言した後も「お父さんはまだあんたのこと愛しているよ」と言う母。そんな母から、私は聖母様を、そしてイエスを見ます。肖りたい、愛の姿です。
信仰宣言
神に信頼してニケア・コンスタンチノープル信条を唱えましょう。
天地の創造主、全能の父である神を信じます。父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に...
そうやって私は母に、神父さんに、故フランシスコ教皇に、教会の人たちに、そしてイエスに肖りたくて、教会に通っています。
苦行をしている訳でも、大したことをやっている訳でもありませんが、怠りに満ちた生活をしてきた私なので、毎週の日曜日の朝早く起きて教会に行くことが、恥ずかしながらまだ少しは難しいです。週末にイベントなどのスケジュールが入ってきて日曜日の朝のミサに行けない時は、前日の土曜日の夕方のミサに、また遠方に行く時には現地のカトリック教会を事前に調べておいてミサに参加します。
ちゃんと時間を守ってミサに参加するより厳しかった問題は「言語」でした。聖書に、そして典礼に使われる日本語は、主に大学とラップ界隈で私が学んできたそれまでの日本語とも違って、単に文学的なだけではなく、霊的で叙事詩的な言葉ばかりです。「とこしえ」「いにしえ」「さすらう」「崇める」「境内」「灰汁」「しとめる」「応酬」「打ち砕く」「あまねく」「おののく」「敬う」「とどろく」「いさぎよい」…… ミサ後に家に帰ってその日の朗読に使われた書から知らない言葉を書いて、日本語の勉強を始めてから17年ぶりに単語帳も作りました。
言葉がある程度分かってきてからの課題は、教理の理解です。体系的に聖書を勉強した経験もなく、洗礼は「軍隊」という特殊な空間で簡単な質疑だけで受けたものでした。母の影響で十字架を切る習慣や「主の祈り」などは知っていたし、ムスリムの友達との会話や興味本位の勉強で、知っているものはそれなりにあったはず。それでも、堅信式(洗礼を受けた人の信仰が堅くなったことを認めてもらう、信仰的な成人式)に向けて2か月ほど神父さんと他の信者さんたちと勉強会をしてみると、知らないことが多すぎて反省しました。
2025年9月28日、教会で人望が厚いある方に代父となっていただいて、大阪教区の補佐司教様が直接教会にお越しになって堅信式が行われました。親や家族、同じ母語を使う人たちとは離れているけど、未来の家族となる人と、同じ信仰を持って同じ町に住んでいる人たちに祝われて、私は堅信の秘跡を授かりました。こんにちは。改めて、ドミニコ・金範俊と申します。池田教会に通っています。

感謝の典礼
奉納の歌と奉納行列
今や毎週のミサは日常の一部となりました。聖堂に入る前に私は財布から500円玉を出してズボンのポケットに入れておきます。奉納のパートで献金袋が回ってきた時、財布を取りださずにスムーズに献金したくて、です。いちいち確認していないため詳しくは分かりませんが、横目で見る限り信者の皆さんの献金は、封筒を入れる方から、私みたいに小銭を入れる方まで様々です。
そう、霊的なものだけでは、物理的な空間であり組織である「教会」は培っていけません。信者たちが集まる土地と建物が揃ったら、次は司祭のお住まいと生活費、典礼を行うための予算、そしてもう一歩踏み出してはキリストの愛を信者たちや教会の外に届けるために、物質的なものが必要となってきます。
昨今の統一教会問題、あるいはそこまで離れずともカトリック教会の歴史を見ても分かりますが、宗教と権力・財力の融着ほど恐ろしいものもありません。人を狂わせて、家庭を壊し、社会を病ませると言っても過言ではないでしょう。
2025年の3月、ミサ後に信徒総会がありました。教会の運営全般に関わる案件を、司祭が責任者として決定を下すのではなく、各委員会と信徒たちで話し合って決めていく会です。信者なら誰でも参加できるその総会で、私が一番驚いたのは総務部からの財務報告でした。一年間の収入と支出、去年度との比較、来年度の予算案までが書かれている資料が信者全員に配られて、各種項目について誰もが自由に質問できます。一般献金、納骨堂の献金や冠婚葬祭の特別献金などが主な収入源であったとか、福祉団体への寄付や青少年会のイベントの運営費、信徒会館の修理や管理費などに出費が多かったとか。最も驚いたのは、来年度の予算案を、信徒たちの挙手による可決で承認してもらうことでした。それはつまり、教会に通って半年も経たなかった外国人である私にも投票権があって、10年以上住んでいる池田市からももらっていない参政権を、なんと神権統治であるはずの教会で、しかも直接民主主義の形で行使できたのです。
献金を強要する雰囲気は一切なく、むしろ信徒同士でお金について話すことは大変気を遣う文化。使いどころは透明に公開され、予算執行の根拠は信徒たちによる民主主義。バチカンの財政、また教会組織全体の腐敗などは決して無視できない事実としての問題ですが、すくなくとも池田教会の人たちは、外国人であれ何人であれ神の前では誰もが平等で、また教会はその全ての人たちのものであるという理想を生きてみようと努力しています。キリスト者は神の国、つまり「御国」が天国だけではなく、地上にもやってくると信じてそれを実現するためにも努力せねばなりません。平信徒たちが自分たちの手で教会を作っていく際に、その御国の光は、一瞬だけかもしれませんがこの地上にもやってくる気がします。
第二奉献文
(前略)主イエスは、すすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ、裂いて、弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである。」
司祭が聖別されたパンを高く持ち上げると、信徒たちは手を合わせて深く礼をします。これぞ、ミサの核心である、ご聖体です。
食事の後に同じように杯を取り、感謝をささげ、弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血(である)。これをわたしの記念として行ないなさい。」
パンとブドウ酒でありながら、同時にイエス・キリストの体と血であるという、神学用語で「全実体変化」ということが目の前で起こっています。ミサで最も敬虔で聖なる、同時にだからこそ非信者の目には最も反理性的に見えるはずのその瞬間に、私は毎回鳥肌が立って、心が感動してしまいます。そう、信じているのです。
日本の敗戦後に朝鮮に入ってきたソ連軍が、北朝鮮地域で行われるミサを止めるために教会や修道院に兵を送ると、司祭と信徒たちはご聖体が侮辱されることを避けるために、兵士たちの前で死を覚悟してパンとブドウ酒を食べて飲み尽くしました。どの教会にも、祭壇の一番奥には聖別されたご聖体が置かれています。祭壇に向かってカトリック信者が礼をする時に、私たちは十字架や彫刻、聖画などではなく、教会に置かれているイエス様そのものに拝礼をしています。そう、私たちは本気で、これがイエスの体であることを信じているのです。
ご聖体の奇跡は「パンとブドウ酒がイエスの体になる」ことだけではありません。二千年前にあった最後の晩餐が、ミサのたびに行われるという奇跡です。はっきり言うとこれは、歴史の出来事を「再現」するのではありません。いいえ、今ここで、最後の晩餐とイエスの死、そして復活が、リアルタイムで起きているのが、ミサなのです。
始まりと終わりを持った単線的なキリスト教の形而上学は、未来に対する悲観的な雰囲気が蔓延して「この世界線は嫌だ」と、無限に存在するパラレルワールド的な物語から慰めを得たい人が多い今の時代精神とは、かみ合わないかもしれません。しかし、イエスの愛を媒介にして「過去」「今」「未来」は同時に起きているという世界認識から、私は温かさを感じます。血がつながっていたり同じ苗字を持っていなくても、同じ愛を信じて迫害を生き抜いた日本や朝鮮の先輩たち、全世界各地の聖人たち、1945年8月9日の木曜日に、長崎の浦上天主堂に集まっていた人たちこそが、自分の「家族」であることが見えてくるのです。そして、まだ生まれていない、まだ会っていない、未来の家族も。国籍・性別・出身・階級で人びとを分けたがる世の中とは真逆で、横に、上と下に、そして後ろと前に広がっていく家族の輪です。
平和のあいさつ
主の平和がいつも皆さんとともに。
またあなたとともに。
互いに平和のあいさつをかわしましょう。
手を合わせて隣の、そして前列と後列の人に笑顔でお互いに「主の平和」とあいさつを交わす時、ここに集う私たちは正に「家族」です。小さい子供から高齢者まで、日本人の住民たちとアフリカ、インドネシア、イタリア、ベトナム、アメリカ、スペイン、フィリピンから来た人たち。一つであって、平等である全ての人たち。
拝領の前の信仰告白
主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。
お言葉をいただくだけで救われます。
ただし、全ての人たちが平等であるということは、どの人も神の前では「罪びと」であるからです。惨めで、醜くて、愚かで貪欲に満ちている私たち。いっぱいキレイごとを書いていますが、この文章を書いているこの瞬間も、私が罪びとであることは変わりません。愛を求めるくせに人には全然その愛を返さず、死ぬほど嫌いな父の顔を借りて他人をジャッジし、ラップや文章から注目されることで満たされるエゴに執着して、でもそのエゴの空っぽさでつい「死にたい」と言っちゃって……人が大嫌いで、「愛している」と言ってくれる人たちを傷つけたり、教会で出会った人たちにも尖ったことを言ってしまったり……。世間一般の道徳倫理からして間違ったこともいっぱい犯しましたし、死ぬ日までに人には明かせないような罪も犯した、そんな私です。
カトリックの救済観の核心は、神の救いとは我々が努力して「得る」ものではなく、慈しみによって「与えられる」ということです。従って「誰々はカトリックを信じているから天国にいく」とは断言できません。同じく「カトリックじゃない人、キリスト者でない人は地獄に行く」ということも、我ら人間には言いきれないことです。神の慈しみは、無限ですから。
「善行 → 救い」や「信仰 → 救い」といった「AをすればB」のような救済観ではなく、神の「慈しみ」のみによって救われるというカトリック救済観。しかしそれが、何もせずただ受動的に慈しみを待つことを意味する訳ではありません。常に信じて、常に動いていかねばなりません。それでも正直「そんなの無理」と思ってしまうことも多いのが、本当の気持ちです。「イエスを信じているから私は救われた」と、自信を持って言っているプロテスタントの兄弟姉妹たちを見て、その確信が羨ましくなる時もあります。
自分で手に入れるのではなく与えられる「救い」という概念に圧倒される時に、私は目線をここに戻して、いま私がもらっている「愛」のことをもう一度思い出します。その愛は、私が何か偉いことをした結果でもらっている訳ではありません。
使徒たちだって、愚かで惨めな姿を見せてイエスからよく叱られています。中でもペトロは、イエスが捕まったら自分も捕まることを恐れて「イエスなんて人は知りません」と三回も彼を裏切るなど、使徒たちはどう見ても聖人君子ではなく、間違いを犯しまくる、ただの人間でした。そんな弟子たちにも、イエスは最後の晩餐でパンとブドウ酒を渡しました。自分が立派だから、偉いことをしたからではなく、神の愛はただ与えられています。過去に色んな間違いを犯して、これからも犯していくはずの私ですが、それでも悔い改めて前に進んでいきたいと思う理由、「慈しみ」です。
拝領
列に並んで一人ずつ、洗礼を受けた信者が司祭からご聖体をいただいて口に入れて拝領をします。拝領の半ば過ぎからは、鍵盤を練習しているインドネシア出身の若い信者さんが、童謡風に編曲された聖歌を弾き始めます。すると、教会の小さい子供達が全員「わーっ」と祭壇の下に走っていて、侍者たちが持ってきたタンバリンやトライアングルなどを、すごく高めのテンションで鳴らして明るく歌い始めます。拝領が終わって聖歌も終わったら、子供たちはまた「わーっ」と、お父さんお母さんの元へ走って戻ります。
口の中でご聖体のパンを溶かす私の隣を笑顔の小さい子供が走って通り過ぎていく時に、私はふっと「幸せだ」と、涙を流してしまいます。圧倒的に高齢者が多い池田教会なので、子供たちは頑張って集まっても十数名弱。何十年前から教会に通ってきた信者さんの中には、大人より子供たちが多かった頃を覚えている人も少なくありません。その昔と比べると、未来の可能性の光線は細くて薄くなってきて、外の世界の争いと憎しみの闇は濃くなっているように見えるかもしれません。でも、どれほど頑固な悲観も、いま聖堂の中を走る子供たちの笑い声の前では溶けてしまいます。ああ、私は生きたいです。この子供たちと一緒に、笑いながら。
お知らせ
ミサで一番大事な拝領が終わって皆さんが着席すると、各委員会からのお知らせがあります。聖書勉強会、ミサ後に信者たちが自ら作るブランチの案内、青少年会のお泊り会やキャンプの案内、総務部からの業務連絡、社会活動委員会からの活動報告や食物の寄付・献金のお願い。たまには池田教会と縁が深い福祉施設や療養施設からお客さんが来て、感謝の言葉やこれからの支援のお願いの言葉もいただくことも。訃報の連絡、またお葬式の連絡がある日もあります。生まれて、育って、働いて、結婚して、人と繋がって、死んでいく私たち。教会に通うということは、その長い人生の中の様々な喜び・悲しみを人と一緒に分かち合うことです。微力ながらお米を買ってきて寄付箱に入れたり、ミサ後に皆さんと一緒に聖堂と信徒会館を掃除したり、朗読などの典礼に参加したり、「金君、元気?」と声をかけてくださる人たちと話し合う、教会の日常。国籍とか仕事、年齢や趣味ではなく、「信仰」によって結ばれた私のコミュニティです。
閉祭
派遣の祝福
主は皆さんとともに。
(またあなたとともに)
全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。
(アーメン)
感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに。
(神に感謝)
しかしこのコミュニティは、扉を閉じて洪水の海をさまようノアの箱舟ではありません。嵐が晴れた後に、また世に出ていくための箱舟です。救い、神の御国、イエスの愛を、教会の中だけではなく、外の世界でも見つけて実現していくべきだと。
ミサの間に消しておいた携帯の電源をつけると、またすべてが始まります。書くべき歌詞と文章、返さなきゃいけない返事。曲や映像・動画などの新しいコンテンツと、それらから得られる快楽と刺激。「ラッパーだ」というエゴと嫉妬と虚しさ。そして父への憎しみと、彼の顔を借りて人をジャッジする自分。
「それでも世に出ていきなさいと仰るのですか」と、神様に甘えたくもなります。「嫌です、ここは神様の愛で守られているし温かいし、ここでずっと自分が正しいと思いながら居座りたいです」とも。それともむしろ「すみません、今日は正直人間嫌悪がキツすぎるんで部屋でポテチ食べながら引きこもります」と言いたい時も。
1年前に教会に来て告解をお願いした時に、自分が求めていたものは具体的に何だったのか、未だに私ははっきり答えらえません。劇的な変化、救いの感覚、生まれ変わったという印象などを、他力本願の気持ちで夢見ていたかもしれません。
しかし私が教会で見つけたのはそんな変化ではなく、自分が背負っていくべき「十字架」でした。人なら誰も、一つは持っているはずの十字架。死ぬ日まで自由になれるかどうかも分からないその十字架は、正直怖くて、怖くて、怖いです。私がこの世の中で何をすべきか、分かりません。私はどうしても、悪い人のままで生きて死ぬ気がします。そんな自分みたいな人たちが生きているこの世の中も、どうしても悪と苦しみに満ちてこれからも悪くなっていくしかない気がします。愛している彼女にもカトリック信者になってほしくて「いつまでも努力して、自分が変わる姿を見せることで心を動かす」と決めた自分の覚悟も、正直守り抜ける自信がありません。教会に通い始めた後も、私は以前から犯している罪を、また何回も犯していますから。
自分の十字架が重すぎて、肩から血が流れて「もう無理だ」と思う時、泥に足をとられてつまずいたまま一歩も動けない気分になる時、私はイエスの十字架に戻ります。キリスト者の救い主で、希望の象徴であるイエスも、十字架の上で神に向けて叫びました。
わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか
(マタイによる福音書 27:46)
イエスのこの叫びは、しかし私には破滅的な絶望ではなく、人間性の印として聴こえてくるのです。ああ、私の救い主は、真に人間でした。苦しみを感じて、いつかは絶える命を持った人間。痛かったのでしょう。怖かったのでしょう。それでもあなたは、十字架を選ばれたのですか。何故逃げなかったのですか。あなたの勇気は、どこから来ているのですか。
最後の息が絶えたあと、イエスの体は磔から下ろされて弟子たち、そして母であるマリア様に引き渡されました。その場面を想像して作られた彫刻が、ミケランジェロの作品で有名な「ピエタ」です。死んだイエスの体を膝に置いて悲しむ聖母様。子供の死という、親として体験する悲しみのなかでも最悪なその悲しみは、赤ちゃんのイエスを神殿に連れていった時に、既に預言されていました。預言者シメオンはイエスの未来と、そしてその結果によってマリア様自身も苦しむことを預言したのです。
(マリア)あなた自身も剣で心を刺し貫かれます(ルカによる福音書 2:35)
それでも、マリア様は息子の道を信じていました。苦難も挫折も、苦しみも悲しみも、恐れて避けるのではなく、人間の条件として受け入れ、ただ歩いていくその道。マリア様自身も歩いたその道。スマホをつけて教会の正門を出ようとする私の背中を、聖母様は温かく見まもっています。そのたびに私は振り向いて、挨拶します。行ってきます。来週、また来ます。

1. 自分が通っているカトリック教会から離れると、キリスト教の他の宗派でこのような設計の幅は更に広くなります。ロックのコンサートを彷彿させるプロテスタント宗派の礼拝や、聖画(イコン)に口を付けることで触感まで重視する正教会、洗礼の時に受洗者をプールに浸す(浸礼)宗派まで。
2. ここが日本語字幕では「ウソ」と訳しているの、本当に許せません。
3. イエスはユダヤ人、中東の人だったのに、欧米の帝国主義と植民地主義の影響で、現代の我らは白い肌と青い目、金髪のいわゆる「白人」を想像しがちです。しかし、それでも非欧米圏のキリスト者たちは、イエスと聖家族を現地の人たちの見た目と服装で表現してきました。隠れキリシタンの聖母像とイエス像、エチオピアの黒い肌のイエス、韓服を着たマリア様と赤ちゃんのイエス。昔は、西洋から派遣された聖職者や宣教師たちから「望ましくない」とされてきたこれらの表現も、今はカトリック教会の遺産として祝われています。
4. イエスの復活を疑った使徒トマスと同じ名前を持っている点がとても興味深いです。
5. 「レオ14世:AI時代における未成年者の尊厳を守る政策を」
6. 例えば、イギリス国教会(聖公会)は2025年、初めての女性主教が選ばれました。もちろん各国の聖公会の中にも様々な政治・文化・神学的スペクトラムがあるため、女性司祭を巡る聖公会内部の分裂も目撃されています。
「英カンタベリー大主教に初の女性、マラーリー氏指名 約1年の空席経て」
7. もちろんそれでも分裂は起こりましたが、多くのキリスト者はその分裂を悲しんでいます。宗派を問わずに教会一致運動(エキュメニカル運動)が見られるのは、完全なキリストの体である教会の回復をキリスト者たちが願っているからです。




