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研究者、生活を語る on the web

男性育休・育児のロング・アンド・ワインディング・ロード<研究者、生活を語る on the web>

田中智彦

東洋英和女学院大学

 倫理学と思想史が専門で、妻も分野は違いますが研究者です。今は夫婦とも、首都圏の私立大学で教員をしています。子どもは中学生です。
 子どもが生まれたころは、私は東京の大学に、妻は福岡の大学に勤めていたので、私が福岡で子育てすることにして、1年10カ月という長めの育児休業を取得しました。

いまの生活

 2021年に今の大学に移りました。前の職場よりも通勤時間は延び、授業のコマ数も増え、また委員長職を任されたりもしたので、とにかく何とか回している、という状況です。
 妻は職住近接で、大学には歩いて行けるので、家のことは基本的には彼女がやってくれています。もっとも、私も朝ごはんをつくるとか、晩ごはんの片づけをするとか、大学を移る前に2人で役割分担してルーティンでやってきたことは引き続きやっています。そしてお互い、仕事が忙しくなるタイミングではできないところをカバーに入り、波が収まれば平常運転。そんなチームワークで何とかやっています。
 とはいえ、ここにたどり着くにはかなりの紆余曲折がありました。

 

研究者、生活を語る|男性育休・育児のロング・アンド・ワインディング・ロード 01

 2021年以降(今の大学に移ってから)の、平日の標準的なスケジュール。

妻は福岡、夫は東京、子どもはどうする?

 子どもが生まれたのが2010年の1月です。当時、私は42歳、妻は44歳でした。高齢出産で、しかも切迫流産の危険もあったので、福岡にいた妻は、前年の夏休みから産休をもらって東京に滞在し、出産の準備をしていました。そんな事情もあり、基本的に家事は私がやっていました。そして無事に子どもが生まれて、妻は産休から育休に切り替わり、東京で3人一緒に暮らしていました。
 さて、2011年3月に育休が終わると、妻は福岡に戻らなければなりません。では子どもはどうするか。
 まだ1歳ですから、福岡に連れていくとして、妻は大学の教員をしながら1人で子育てができるのか。子どものことも心配です。大人には大人の事情があるにしても、そのしわ寄せを受けるのは子どもです。放っておいても子どもは育つのかもしれませんが、できればそうはしたくない。そこで妻が育休をとっている間に、大学にも相談して、何ができるか考え始めました。
 当初、大学に検討をお願いしたのは仕事の軽減でした。人手が足りないのはわかっていましたから、週の半分は出て、授業はやります、ただ、それ以外の仕事は免除してもらって、給料もその分削ってもらっていいです、と。そうすれば、週の半分は私が福岡に飛んで、何とかなるかなと考えたのです。
 しかし大学からの返答は、「うちにはそういう制度はない」というものでした。フルタイムで今まで通り働くか、完全無給で育休をとるか、どちらかにしてくれ、と言われたのです。
 それならごちゃごちゃ言っても始まらないので、では育休をとりますと返事しました。子どもが3歳になった誕生日まで育休をとれるという規定があったので、それ全部いただきます、と。2011年4月から、子どもが3歳になる2013年1月末まで、フルで育休をとりました。大学としてはその期間、私の分の給料で他の人を雇うとのことでした。

主夫になる、そして孤立

 無給ですから、完全に主夫です。妻はフルタイムで仕事に戻ったうえに、いろいろな役職もして忙しかったこともあり、本当に、文字通りの主夫になってしまいました。
 東京から福岡へ移るときには、さすがに何かできるだろうと、本もけっこう持っていきました。しかし、結果としてはほとんど何もできず、その間、研究もまったくのブランクでした。書評をちょっと書いたくらいです。
 朝起きて、みんなの朝ごはんをつくります。幸い、妻の友人が紹介してくれたすごくいい託児所があったので、朝9時から午後の3~4時くらいまでそこで見てもらいました。その間、何かできるかなと思っていたのですが、子どもを託児所に送って、帰宅して、家の片づけとか掃除・洗濯をして、昼食をとって、晩ごはんの買い物をして、すると、あと1時間くらいでお迎えだなあと……。その繰り返しでした。
 妻は帰りが遅いですから、夕方、子どもを迎えにいったあとは一緒に遊んで、晩ごはんをつくって、みんなで食べたり、子どもと2人で食べたり。それから子どもをお風呂に入れて、寝かしつけまですると、夜の8時とか9時になります。じゃあ夜起きていて何かできるのかというと、次の日の朝もまた5時とか6時起きとなると、やっぱり何もできませんでした。
 これが毎日、休みなく続きます。土日は土日で、妻は研究会などの用事があり、託児所もお休みなので、子どもと2人、朝からどこ行こうか、と考えて。九州をあちこち、電車で回ったりしました。
 じっくり腰を落ち着けて本を読むことも、論文を書くこともできず、研究会にも出られない。しかも福岡に行きましたから、東京で交流のあった人たちともせいぜいメールでやりとりをする程度で、それどころかメールを書く時間もないくらいでした。
 すると、完全に孤立しました。女性が育児にかかりきりになって、いろんなものから切り離されてしまい、精神的にもつらくなるというのは、あ、こういうことなのかと、しみじみわかりました。
 しかも、ママ友やパパ友なんかいないのです。託児所の送り迎えにお父さんがくるというのは、あちこちで珍しがられはしましたが、だからといってママ友やパパ友ができて……ということもありません。子どもがいない状態で、他のだれかと話すということが、ほとんどと言っていいくらいありませんでした。あれは、こたえました。
 それに遮二無二やっていた1年目よりも、2年目に入ってからのほうが、精神的にはキツかったです。「去年一年振り返って、研究者として何もやっていないな」、そして「完全に “ぼっち” になってるな」と。

復帰、されど出口の見えない日々

 そんな育休もなんとか明けて、東京の大学に戻ったのが2013年1月末です。戻った瞬間から、今度は何事もなかったかのように通常業務が始まりました。
 1月末だったので、授業などは終わっていたのですが、育児は続いているわけです。育休が終わった瞬間に、子どもが手を離れるわけではありません。にもかかわらず、「終わったよね」ということで、すべてが元通りになる。それはそれで大変なんだな、と思いました。折よく、妻はその4月から東京の大学に移れることになり、着任までの2カ月間、引越しなどをバタバタとして、4月から再スタートです。
 幸い子どもは保育園に入れましたが、保育園の送り迎えや行事、病気になったときの対応などは、同じように続いていくわけです。子どもはしょっちゅう熱も出す。一方、妻はやっぱり忙しくて──着任したばかりで、しかも私学なので相変わらず忙しく──てんてこまいになっている。そしてまた役職とかを任されはじめて、やはりどうしてもそちらが優先になってしまいます。朝早く出て、夜遅くまで仕事。とはいえこの時も、先ほどと同じ話になるのですが、大人の仕事を理由に、子どもに我慢はさせたくないと思いました。子どもは何も言えないですから。
 すると、妻ができない分を、私がやる。ただ、仕事は当たり前のようにフルで降ってくるので、大学に戻ってからの3年間くらいは、これまた研究は全くできませんでした。朝ごはんをつくって、子どもを保育園に送って、大学に行って、授業やって校務やって、終わったら速攻で帰って、子どもを迎えに行って──送り迎えはほぼ全部やっていました──晩ごはんの買い物をする。東京に戻ってきて直後の数年は、晩ごはんもほぼ全部つくっていました。そして土日は相変わらず、子どもと2人であちこちに出かけて。
 結局、どちらが家庭に入るにせよ、夫婦のうち片方がフルに働くモデルが当たり前なのでしょうか。そして、もう一方が身を削らないと回らない仕組みになっている。
 1年くらいは「何とかしなきゃ」と頑張れてしまうのですが、2年目くらいから、やっぱりキツくなってきます。3年たってる、4年たってる、これいつまで続くんだろう、と指折り数えて……。妻が忙しいのはわかるけれど、まだ子どもは小さいし、この調子でワンオペに近い状態が続くと、いったい自分のキャリアは、研究はどうなるんだろう、と。それが、ずーっと続きました。

雨降って地固まる

 小学校にあがっても、1~2年生くらいはまだまだ目も手も離せません。1人で学校に行って帰ってくるくらいのことはできても、それ以外のことについては、そばにいてあげないといけない。4年生くらいになってやっと、子どもに任せて大丈夫なことが目に見えて増え、妻の仕事の負担も少し軽くなって、私にも、本を読んだりものを書いたりする余裕ができるようになりました。
 それまでは、いろいろありました。私のほうも、辛抱がきかなくなることがありました。子どもが生まれてからトータルで10年近く、もっぱらサポート役に回り、ほかには何もできない日々が続いて、さすがに、いったいこれ、このままやり続けるのかと。お互い研究者だからわかっているはずなのに、妻は仕事仕事となってしまう。仕事でいろいろ期待されているのはわかるけれど、じゃあ僕はどうなる、と。正直、衝突することもずいぶんありました。それで、さすがにまずいなと、やっとわかってもらえました。
 要するに、外で仕事をたくさん引き受けている側が自分から身を軽くしてくれないと、家の中に入っている人間は、いつまでたっても自分の時間をとれないのです。周りからどんな目で見られようとも「家庭の事情がありますので……」といって、フルで100の仕事ができるのなら、それを80、70くらいまで意図的に減らさないと、共働きで双方無理なく仕事を続けるのは難しいと思います。自分でやりたい仕事だからとか、任された仕事だからとかで、頑張ってしまえばしまうほど、家でサポートに回っているほうは、追いつめられていく。

「なんで最近何も書いてないの?」

 女性の場合、家にいるのが当たり前とみなされて、押し込められて大変、というのはあると思います。いっぽう男性の場合はもしかすると、私みたいな状況になっていても、言う先がないかもしれません。訴える先がない。
 それに、「男が何やってんだ」という話は、男性・女性に関係なく、言う人はやはり言うのです。直接は言われなくても、風の噂で入ってくる。「男のくせに育休とって」みたいなことです。育休から復帰した後も、共働きで子どもを育てるから男のほうも大変なんだということがなかなか理解されません。「奥さんいるんでしょ?」みたいな話になるのです。それがさらに、子どもが小学生になっても続いているとなると、ほとんどの人にとって理解の外のようでした。「いや、ちょっと家のことが大変で」といっても、何が大変なのかわかってもらえない。逆に、ちゃんと仕事をしていないとか、研究をできるのにさぼってるとか、そんな目で見られたり、ものを言われたりすることが少なからずありました。
 いちいち反論するような話でもなく、ただひたすら、サンドバッグみたいな状態です。女性が「まだ子どもが小さくて」というと、「お子さんがいて大変ね」という話に結びつくのかもしれませんが、男性が言っても「かわいい年ごろでしょう」で終わってしまう。もっとリアルに大変で、ごはんもつくってるし買い物もしてる、みたいなことは、たぶん相手には想像の端にものぼっていない。「小さくてかわいい子どもがいて、奥さんがいて、なんでこんなに早く大学から帰るの?」とか、「なんで研究会に出てこられないの?」とか、「なんで最近何も書いてないの?」とか、もう言いたい放題に言われて、正直つらかったです。
 今は、育休を長めにとる男性も増えていて、記事などで取り上げられているのもみますが、けっこう「さとってる」人たちが多いように思います。「男性だけど、仕事ばっかりやるのが人生じゃないよね」とか、「子どもと一緒に生きるのもありだよね」とか、ある意味、達観している人たちです。一方で、そうではない声は、まだなかなか出てこないように思います。仕事との両立をはかり、家庭を大事にして身も時間も削っていながら、所属先にも、社会的にも理解されていない人たちは、男性ゆえにけっこういるかもしれません。

次世代に何を手渡すのか

 もちろん、家事にせよ家族のケアにせよ、男性はもっと頑張らないとダメなのでしょう。でも男性にかかっている、「仕事しろよ」「競争に負けたらアウト」みたいなプレッシャーは、それはそれですさまじいものがあります。そういう状況で「私、競争から降ります」とはなかなか言えないですし、そうなると、もっと家事も育児もやれるじゃないか、やるべきだとなったときに、壊れてしまう男性もたくさん出るだろうと思うのです。
 しかも、そうなりかねない社会的な装置がある。そうだとすると、「誰か1人が稼ぎ頭でいてくれればいい」というモデル自体を、つくりかえていくべきではないでしょうか。
 今はたいてい、夫のほうがフルに働くので、家庭を回すには妻のほうが身を削らないといけないようになっていて、それが問題なのはもちろんですが、女性の代わりに男性が家庭に入って同じような思いをするのなら、やっぱり解決にはならない。そういうシステムでやっている以上は、一家に1人しか研究者はいられないし、研究者でなくても、共働きで、両方がそれぞれ納得のいく形で仕事をするのは難しいと思います。
 ですから、女性がもっと自由に生きるようになるのとセットで、どちらかにしわ寄せがいくようなこのシステム自体が改められないといけないでしょう。
 それに、子どもができて7~8歳くらいまでは家庭が大変だというのが、もっとひろく共有されると同時に、その期間に関しては男性であれ女性であれ、「あなた子育てしてるんだから、この期間はもっとゆっくりでいいよ」というふうにならないかなと思います。子どもを育てるときは社会でサポートして、その間にかんしては、競争的でなくていいし、評価にはかかわらない、というようにするのが当たり前になってほしい。
 さらにこうしたことは、現在の親たちのキャリアにかかわる問題というだけではなく、子どもたちに何をしてあげられるのか、ひいては「次の社会をどうするのか」という話でもあるでしょう。
 子どもは親の姿をみて育ちます。次の世代のためにこそ、男性も女性も公平に働けるようにしないといけないし、どちらかが諦めて、それが結局子どもに影響することがないようにしないといけない。あるいは、両親がキャリアを頑張った結果、子どもがほったらかしにならないようにしないといけない。そんな感じでもっと、子どものことを考えて語られることがあってもよいと思います。

 子育てがこんなに大変だとは思っていませんでした。子どもを育てるってこういうことなのか、と実感します。最初に思い描いていたような未来予想図からは、ずいぶん変わってしまいました。でも今は、人生ってそういうものだなと考えています。
 そして、本当に女性は大変なんだなと、身に染みてわかりました。これは経験しないとわからなかったでしょう。女性が繰り返し訴えていることが、よく聞くような、定型的な話ととられるのは間違っています。場合によっては実存がかかってしまうようなすごい話です。キャリアを諦めざるを得なかった人は、本当につらかっただろうと思います。人生は人それぞれにしても、もっと違う選び方ができるようになってほしい。男女にかかわらず、優秀であるとかないとかでもなく、やりたいことをやれるような社会になってほしいと思います。(談)

 

田中智彦 たなか・ともひこ
1967年生まれ。東洋英和女学院大学人間科学部教授。専門は倫理学、思想史。早稲田大学大学院政治学研究科後期博士課程を単位取得満期退学。早稲田大学教育学部助手、東京医科歯科大学教養部准教授を経て、2021年より現職。共著に『生命倫理の基本概念』(丸善出版、2012年)、訳書にテイラー『〈ほんもの〉という倫理』(ちくま学芸文庫、2023年)など。

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