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済東鉄腸 ルーマニア、あまりに複雑な希望[『図書』2024年3月号より]

ルーマニア、あまりに複雑な希望

 

 ルーマニアと聞いて皆さんはどういったイメージを思い浮かべるだろうか。

 吸血鬼ドラキュラに、芳醇なワイン、ナディア・コマネチ、それからニコラエ・チャウシェスクと彼が築きあげたあの悪名高い社会主義政権だろうか。この独裁者が一九八九年のクリスマスに処刑された映像を観たことがあるって人もいるかもね。

 なんだがこの社会主義政権崩壊の前夜、そこに一体どんな風景が広がっていたかってのを知る人はそれほど多くないはずだ。

 ルータ・セペティスによる『モノクロの街の夜明けに』(野沢佳織訳、岩波書店)は、そんな時代の空気を鮮烈に読者に伝えてくれる一作なんだよ。

 

 舞台は一九八九年、主人公はクリスティアンって一七歳の少年だ。彼は両親であるガブリエルとミョアラ、姉のチチ、彼が〝じいちゃん〟と呼び最も尊敬してる祖父らと身を寄せあいながら暮らしている。だけども食料は少なかったり、暖房や照明もまともに使えなかったりと、暮らしぶりはかなり困窮している。

 そんなある日、彼のもとにセクリターテと呼ばれる秘密警察の男がやってくる。アメリカ人外交官一家の身辺を調査して、その情報を流すんなら、白血病で苦しむ祖父のために薬を用意してやるというのだ。悩みながらも、じいちゃんを救えるのならとクリスティアンは〝密告者〟になることを決意する。

 今作を読みながら読者はまず、この時代に満ちていた、真綿で首を絞められるって空気感を息が詰まるくらい感じることになる。

 生活自体がままならないだけでなく、一番恐ろしいのは隣人や同級生、いや、もしかすると家族すらも自分を監視しているかもって状況だ。

 政府に背く行為はもちろん、西側の文化をこっそりと楽しむことすら反体制的と見なされ、密告されれば罰を受けることになるわけでね。そんな状況じゃあ誰もが密告者かもしれないと疑わざるを得ず、日常の全てが猜疑心によって塗りたくられちまう。

 ある時、クリスティアンのじいちゃんはこんなことを孫に叫ぶ。「独裁政治ってのは楽なもんだ!(中略)われわれを支配するのに、武器もいらんのだからな。恐怖に陥れるだけで十分ってわけだ。」

 秘密警察によって組みあげられた相互監視社会の実態がこの言葉に表れているんだ。

 

 だけどこういう状況でだって、クリスティアンは彼なりに逞しく青春というものを生きようとしている。片想いの相手っていうリリアナという少女と少しずつ関係を深めていく姿は、この陰鬱な物語において無二の清涼剤だ。

 それから彼はリリアナと一緒に「ビデオ・ナイト」って会に参加したりもする。これは西側諸国から密輸入されたビデオテープで、アメリカのアクション映画とかを観たりする会だ。これすらも政府に禁止されているので、会は団地の一室で密かに開催されるんだが、ここでのひとときはクリスティアン含め誰にとっても憩いとなっている。

 実はこのくだり、実際の出来事を基にしている。社会主義時代のルーマニアで、イリナ・マルガレータ・ニストルって女性が密輸入される映画を命懸けで吹替えていき、これが流通することで人々が西側の映画に触れることができていたんだよ。

 こういうのを通じて西側の文化を知っていくことで、ルーマニアの人々、特にクリスティアンのような子供たちはいつしか自由を夢見ることになる。

 巻末の参考作品にも挙げられてる「チャック・ノリスvs 共産主義」は、実際にこの会に参加していた子供たちの証言を通じて当時のルーマニアを描くドキュメンタリーだったりする。機会があればぜひ観てほしい映画だ。

 その一方でクリスティアンは密告者として、監視対象であるアメリカ人一家の息子ダンと時を過ごすことになる。彼と交流するうちに西側の自由な文化をより深く知っていき、アメリカの雑誌である「TIME」によって東欧諸国が民主化への道を歩み始めていることを知る。

 次、自由を手にするのはルーマニアかもしれない……。そう思いながらも、クリスティアンはじいちゃんを救うために体制側の密告者として行動せざるを得ない。

 こうして彼が未来への希望と現状への罪悪感、二つの感情の狭間で苦しむ一方で、刻一刻とルーマニアには〝革命〟の日が近づいてきていたんだ。

 

 作者セペティスの筆致や言葉の数々には、クリスティアンたち抑圧される人々への共感と共苦が深く織りこまれている。読者はそれに触れながら、モノクロになってしまった街の風景、そして登場人物たちのモノクロになってしまった心を体感することになる。

 ここまで深い共感がこもるのは、彼女自身が、社会主義を標榜するソ連に侵略されたリトアニアからの亡命者を父に持つ人物だからかもしれない。

 実を言えば、ルーマニア革命において部外者であるだろうアメリカの作家が書いているって理由で、今作にちょっとした懸念を抱いていたんだけど、読み進めるうちにそれは杞憂だったと分かった。内容の力強さはもちろん、巻末の〝作者あとがき〟と〝リサーチと出典について〟を読めば、作者がどれほどの時間をかけ、そしてどれほどの熱意を持って取材と執筆に取り組んだかが分かる。

 今作は“Sfârșitul șoaptelor. Decembrie 1989” (『ささやきの終わり。一九八九年一二月』)という題でルーマニア語訳が出版されており、現地でも高く評価されてる。「この本を書いてくれてありがとう」という感謝の言葉や「若い世代にぜひ読んでほしい」という、おそらく社会主義時代を生きていた読者による切実な言葉が残されているのも見かけたりした。ルーマニアの読者をここまで深く感動させるのも、セペティスの熱意と誠実さゆえだろう。

 いよいよポーランドやハンガリー、チェコスロヴァキアで社会主義政権が崩壊し民主化が始まると、この自由への機運が遂にルーマニアにも訪れる。

 最初はルーマニア西部のティミショアラって都市で反政府デモが行われ、まるで火花が大いなる炎に変わるようにこの機運はルーマニア全土へと広がり、クリスティアンの住む首都ブカレストにも波及していく。

 だがそれに対する政府の弾圧も凄まじかった。街は瞬く間に戦場と化し、この血腥(ちなまぐさ)い戦いに否応なくクリスティアンも巻き込まれることになる。

 物語はここから壮絶なものとなっていく。革命の、いとも容易く命が失われる戦場へとそのまま放りこまれるような鮮烈な臨場感には、目眩がするほどだ。

 それでも人々は自由を追い求めて、政府と戦うことを止めないんだ。

 

 こっからクリスティアンがどういう道筋をたどるかは本で確認していただくことにして、ここでは別に一つ語るべきことがある。

 ルーマニア語には〝decreței(デクレツェイ)〟という言葉がある。これはチャウシェスク政権が中絶と避妊を法律で禁止した一九六六年から七〇年代にかけて生まれた世代を指す言葉だ。

 で、クリスティアンやリリアナ、彼の姉であるチチらはこの〝デクレツェイ〟に属してるわけだ。

 社会主義政権下で多感な時期を過ごした彼らはその崩壊後、民主化と資本主義の流入という激動の中で二〇代三〇代を過ごし、中年に差し掛かった現在では様々な領域で最前に立って活躍する存在となっている。

 その領域のなかでも、一番注目を浴びているのが映画界だ。

 二〇〇七年にクリスティアン・ムンジウ監督の「4ヶ月、3週と2日」がカンヌ国際映画祭で最高賞を獲得したことをきっかけにルーマニア映画は世界的な評価を得ていくことになる。

 巻末の参考作品にも名前が挙げられているこの「4ヶ月、3週と2日」は『モノクロの街の夜明けに』の時代の二年前、一九八七年を舞台に二人の大学生が違法中絶のために奔走するという物語だ。社会主義の不条理な抑圧に押し潰されていく彼女たちは、チチと同年代だろう。チチが工場での検査のあと泣きじゃくる場面があるが、その裏にはこの映画のような背景があったんだ。

 このムンジウ監督自身が一九六八年生まれ。クリスティアンの四、五歳ほど上の人物で、実際にこの本でクリスティアンが見てきた凄絶な光景を同世代の青年として目撃していたってのが簡単に想像できる。

 さらに日本でも話題になった「コレクティブ 国家の嘘」ってドキュメンタリーは、社会主義時代から温存されていた医療腐敗と政治腐敗が、凄惨なライブハウス火災とその余波によって明らかになっていく様を描いてる。

 監督のアレクサンダー・ナナウは一九七九年生まれで〝デクレツェイ〟でも一番若い層に属している。本の登場人物で言えばクリスティアンと同じ団地に住むミレルという少年くらいの年齢で革命を経験していたかもしれない。

 こう紹介した通り、現代のルーマニア映画には陰鬱な映画がマジに多い。どれも観ていると体力がごっそり奪われるんだ。

 でもそこには深い絶望の裏返しとしての力強い希望もあることが、観続けると分かってくる。

 クリスティアンがそうであるように、ルーマニアという国の暗部から目を背けず立ち向かう勇気が、登場人物たちはもちろん、ムンジウやナナウといった〝デクレツェイ〟世代の映画作家に確かに宿っているって分かるんだよ。

 

 ここでちょっと自分語りをさせてくれ。

 二〇二三年、俺は『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社)という本を出版した。クソ長いタイトルだけであらすじの紹介には十分ってくらいなもんだが、俺がこの本で描いたのは、俺自身がいかにしてルーマニア語やルーマニア文学、そしてルーマニア映画に救われたかだった。

 クリスティアンたちは終わりなき抑圧のなかでも、外国の映画や音楽に触れて自由への思いや希望を育んでいたんだけど、俺にそれをもたらしてくれたのはルーマニア文化だったんだ。

 だから俺は『モノクロの街の夜明けに』って本を、冷静には読めなかった。

 ここで提示されるあまりに複雑な希望に、また心を震わされたんだ。

 どうか皆さんもこの夜明けを体感してほしい。

(さいとう てっちょう・作家)


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