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前田恭二 あかん、食べたんかあ![『図書』2024年4月号より]

あかん、食べたんかあ!

──耽美と悪食

 キジも鳴かずば──ということで、生涯に発禁二度、書かでものことをあえて書く癖のあった奇妙な画家・文筆家、水島爾保布みずしまにおう(一八八四―一九五八年)を紹介する本連載の初回(二月号)は、谷崎潤一郎からの手紙を紹介した。谷崎と水島は耽美を極めた挿絵本『人魚の嘆き・魔術師』で組んだ間柄だったが、この書簡の話を少しばかり続けてみる。

 書簡は一九二一年(大正十一年)、改めて人魚図を描くという水島への返信なのだが、この頃、谷崎は横浜の本牧ほんもくに転居したばかりだった。ついでがあったらお寄りください、〈南京町の支那料理は前の日に注文して置くと旨いのがたべられます〉 と言い添えている。

 南京町とは横浜中華街のこと。谷崎の中国趣味を思わせる。それと同時に、ちょっと水を向けたのは、水島の食の嗜好を知ってのことではなかったか。

 水島は異端趣味の持ち主で、食についても珍奇なものを好んだ。旅に出れば金魚の天麩羅てんぷらだとか変わった産品に箸をつけるタイプだった。当時は本格的な中華もまだ珍しかったはずで、それで誘ったかと読まれるのだが、実のところ、水島の食遍歴は常軌を逸していた。

 すでに水島はライオンやペンギン、大蛇の肉を賞味していた。さらにワニの卵や馬の睾丸こうがんなども。なぜ入手できたのかは後段に譲るが、この特異な体験を雑文のネタにして、ライオンは案外うまかっただの、インド産の大蛇は悪いスルメのようで、噛むうちにふやけて味もなしに口中いっぱいになっただのと書き散らした。後半生はいかもの食い、悪食家として勇名を馳せることになる。

 

 悪食体験を語り出すのは、折しも谷崎書簡の頃である。公然と名前を出した初例は一九二〇年、在籍していた東京日日新聞の連載「悪食物語」と目される(計八回、九月二十五日―十月五日付)。伝聞を交えながら、蛙、蛇、巨蟒うわばみ、象、山椒魚等の味や食感を披瀝ひれきしている。

 ただ、東京日日に移る以前、四年ほどつとめた大阪朝日新聞を探索すると、一九一七年、無署名ながら、水島の執筆らしき記事が見いだせる。二回分載の「動物の珍料理」(十一月二十七日、三十日付夕刊)である。見出しは上が「獅子汁ライオンじる獏鍋ばくなべ」、下が「猩々しょうじょうのソツプだき(おそらくオランウータンのスープ煮込み)

 書き出しは一九一五年開園、大阪・天王寺動物園で、動物が死んだらどうするかという話である。死因を調べるべく、解剖はする。ただ、虎は神経衰弱、孔雀は胃カタルなどと分かれば、あとは焼くか埋めるかしかない。〈そこで林君の研究と好奇がナイフとなりフオークとなり二本の箸となり、内ロースと内腿うちももの一片が時にはフライとなり鋤焼すきやきとなるのである〉。この林君、死んだ動物を次々に食べているというのである。そんなばかなと耳を疑うが、記者は平然とライオンや虎、獏、ラクダその他、林君の語る食味を書きつける。

 さて、林君が誰かというと、林佐市と言って、初代園長だった人である。あれこれ試食していたのは記事の通りで、なおかつ列挙される動物は、後年、水島が量産する悪食随筆と一致する。水島の記事とみるゆえんだが、のみならず、林にインタビューした記事のようで、実は水島自身もあらかた賞味済みだった。大阪朝日時代、林と親しくなり、肉を分けてもらっていたのである。

 一九二二年の「悪食問答」(「新小説」二七巻一二号)では、〈林佐市君と懇意にしてゐたんで、よくいろんな動物を御馳走になつたよ。大ていはその動物園で斃死へいししたもんだが、時には農学校や種禽場しゅきんじょうあたりから到来の珍品もあつて、折々奇抜な晩餐会を開いたもんだ〉 と懐かしむ。ペンギンの肉は、臭うから玉ねぎと煮るか蒸すかせよとの林の手紙とともに届けられた。馬の睾丸は大阪朝日の食堂のコックが気味悪がって逃げ出し、やむなく林自身が調理したというが、〈タンシチユーなんかよりは余程上品だ〉。

『愚談』より「悪食問答」の扉絵
『愚談』より「悪食問答」の扉絵

 飼育する動物が死ぬたびに試食し、しかも知人におすそ分けするなど、いまでは考えられないが、水島としても、多少はばかるところがあったのか、この一文を翌二三年の文集『愚談』に収録するにあたり、林の実名は伏せている。

 

 林自身の文章としては、一九二八年(昭和三年)、水島も寄稿者だった「食道楽」四月号に「悪食雑記帳」が載っている。現在動物園にいるのが百五十種ほど、〈私の食べた範囲は約二百種位であらう〉 と明かすが、自分は少し余計に動物の味を知っているだけで、いかもの食いの末席すら汚せないと謙遜する。〈奇想天外、人間生活のレベルを飛び越えた怪食こそ本当のいかものしょく と力説し、天王寺動物園の前身、大阪府立博物場の門番だった老人が珍味中の珍味とした〝人糞ふりかけ〟を例に挙げている。

 天日で乾かし、粉末状にして、というこのふりかけについては、渡邊一夫が随筆「糞尿薬の話」で妙に関心を寄せ、確かな記憶ではないが、〈画家としても随筆家としても、優れた仕事を残された水島爾保布という方の書かれた御本〉 で読んだとする。事実、水島も語ったことはあるが、話の出元は林佐市だろう。

 林の名誉のために付言すれば、園長在任は一九四三年まで約三十年、その間、チンパンジーのリタとロイドが人気を博したりもした名物園長だった。筒井康隆さんの短篇「十五歳までの名詞による自叙伝」(『最後の伝令』)にも 〈林佐市園長。リタ嬢とロイドさん〉 と出てくる。それもそのはず、父君で動物学者の筒井嘉隆さんは天王寺動物園にいた人であり、リタとは仲がよかったのだという。その嘉隆さんも、実は昆虫食では知る人ぞ知る存在だったのだが、閑話休題、水島の話に戻るとしよう。

 

 実体験にとどまらず、水島は古今の悪食譚にもずいぶんくわしかった。旅先での見聞、さらには濫読らんどくした東西の書物から奇抜なエピソードを拾い、それらをつづった随筆も多々残している。

 この手の早い例、一九二一年の「悪食家物語」(「日本一」七巻二号)は、東海道を旅した際、馬子まごがマムシの眼玉をえぐって呑んだこと、はたまたマリネッティの小説「未来主義者マファルカ」から強精の秘法たる馬の陽根料理を紹介している。ただ、風俗壊乱でとがめられたか、行文の一部は削られて読めない。

 大正末頃からは書癖がこうじ、漢籍から奇怪な話を紹介し、昭和戦前期、雑誌の企画として座談会がはやりだすと、「悪食の大家」として再三呼ばれた。

 そのうちに語り飽きたようだが、これがいい実入りになってもいた。一九二九年の「巨蟒うわばみ馬腎ばじん鹿鞭シッピン…」(「新青年」一〇巻一二号)では、〈もうと気の利いたところで、大家の名をはづかしめたいものだと、時には、少しばかり鼻の先を冷たくさせもしたが、尚又考へると、八年以前大阪在住時代にけみした好奇ものずきが、今に及んで、「薄謝」にもなれば原稿料にもなる。以つていく分の生活費もおぎなへるといふわけだから、誠にいゝ株を持つたものだ〉 と開き直っている。

 

 それにしても、かくも悪食趣味へ入れ込んだのはなぜだったのか。

 按ずるには、悪食と言っても、さまざまなタイプがある。元来、好事家の悪食会はよくあった。これはまあ食道楽の範疇だろうが、極端な場合、蛮勇を競ういかもの食いへと向かう。「蒙古王」と称された代議士、佐々木照山が催した悪食大会には、線香三束だの、青大将一匹丸呑みだののツワモノが集まったと伝えられる(藤田西湖著『どろんろん』)

 はたまた西域探険で知られた大谷光瑞はアジア各地で鼠や蝙蝠こうもりを試し、〈この地球上には、まだ人間の知らないで喰べられるものが、沢山あるに違ひない〉 と思っていた(『光瑞縦横談』)。動機は未知なる何かへの探究心である。先の林佐市も、とにかく動物を知りたいとの探究心に動かされていたかもしれない。

 もっとも、水島の場合はおそらく違っている。根本にあるのは、根深い厭世観えんせいかんにほかならない。頭脳明晰で先見えの人だった水島は、世の中なべてくだらなく、ついでに手前てめえもくだらねえと思っていた。ゆえに絵にせよ趣味嗜好にせよ、退屈な日常に一穴を穿うがってくれるエキセントリックな方向へ偏しがちだった。悪食趣味もそのひとつである。見かけは大きく隔たるものの、妖しくも美しい『人魚の嘆き・魔術師』と露悪的な悪食趣味とは同根なのだった。

 むろん絵は本業だから、悪食趣味は同根であっても同列ではないが、単なる悪ふざけとも言えないところがある。

 悪食のひとつとして、水島はしばしば人肉食に触れる。むろん体験はなく、その点で名高いポオやウェルズの小説、中国史上の例などを持ち出すのだが、大阪朝日時代、林佐市に取材した「動物の珍料理」にはじまり、長めの随筆ではほとんど常に言及している。

 そこに一貫するのは、人間といえども地上の有機体でしかなく、他の生きものを食べるばかりでなく、食べられることもある、との考え方である。体験と蘊蓄うんちくを縦横に語った一九三七年の「悪食いろいろ話」(『食物講座』一二巻)では、ムッソリーニも阿部定あべさだも、イソギンチャクと変わらない、鰹の中落ちがどうのと御託ごたくを並べるが、のみや蚊は人間の血を問題にしているとふざけつつ、飢饉や戦争ともなれば、名誉や階級など一切価値がなくなり、〈只一つその人が所有してゐる肉の量と味〉 しか意味を持たなくなることだって想像される、と言い放つ。

 厭世家たる水島は、かように良識の底を踏み抜くような、ニヒリスティックな人間観を持っていた。悪食随筆こそはその表明でもあったのだろう。まあ、そこまでめ切っていたなら胸に封じ、あえて書かでもと思わぬでもないが、そこが水島らしい過剰さで、何食わぬ顔で書いてしまうのだった。

(まえだ きょうじ・日本近現代美術史)


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