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西谷修 ショック・ドクトリンとアメリカ例外主義[『図書』2024年7月号より]

ショック・ドクトリンとアメリカ例外主義

 

 ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』の日本語訳はちょうど二〇一一年九月、つまり三・一一の半年後に刊行された。そのため本書は、時宜を得た震災復興施策への大きな警鐘となったが、現代文庫版もまたはからずも能登半島地震の二カ月後に出ることになった。

 大災害が起き、それまでの地域社会の生活基盤が一挙に崩れ去ると、そこに復興行政と結びついて大資本が参入し、「旧弊を一掃」する「地域リノヴェーション」の機会となる。それは二〇〇五年のハリケーン・カトリーナ災害や、前年のインド洋大津波によるスリランカの復興(高級リゾート化)を深く取材した、この本の眼目のひとつでもあった。

 何が起こるのか。それまで雑多な人びとが住んでいた地域社会は、貧民層も多く見栄えも治安もよろしくない。そのため社会の維持や福祉にむだな経費がかかる。そんな地域が災害で超政治的に一気に処理され、富裕層しか住めない高級住宅地や商店街に衣替えする。教育・福祉も営利化し、新たにセキュリティー産業が勃興し、魅力的な観光地としてのランキングも上げて、人と資本をさらに呼び込むことができるというわけだ。

 かつて都市研究者たちが「ジェントリフィケーション」(体裁改善・高級化)と呼び、近年では反オリンピック論者が「祝祭資本主義」として批判したことにも通じる。前者は老朽化する都市を、スラム化の原因やそこに潜む深刻な社会問題ごと一挙にブルドーザーで刷新するという政策であり、後者はオリンピックや万博などのグローバル・イベントの招致を機会に、再整備を口実に大規模な事業を起こし、政策絡みで大企業が収益を上げるというやり方である。ともに政商が暗躍し、あるいは政府自治体とゼネコンが結託して国費を投入、それを自分たちの収益機会にする。税の私物化である。

 

 それらの政策は一般に「新自由主義(ネオリベラリズム)」と言われる考え方で正当化される。規制緩和・市場開放(民営化)・社会支出の削減と、M・フリードマンが単純に示したその方策、サッチャーが問題解決には「この道しかない」と強弁したそのやり方だ。だが、じつはこれは思想などというものではない。思想(人の考え)とはもともと、自己や社会や他者たちに関する顧慮から生み出される。政治(ポリティクス)は本来、一共同体におけるその顧慮の現実化だとも言える。それが統治だ。

 ところがフリードマンは、思想など要らない、政治も自由な市場作用を邪魔するだけだ、欲望の発露たる駆け引きが市場で決定を出し(何が選ばれて、利潤をもたらすか)、その「自由」な決定がシステムを最適化する(つまり総体の富を増し、幸福を最大化する)と主張する。それだけが「公正」だとさえ言う。ただ、個人だろうが国家だろうが、その頭をかち割って人格や統治を無力化しないと「自由」は生れない。そのチャンスをつかみ、乗っ取り、叩き壊して「解放」せよということだ。だからそれをナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んだのである。それで一掃されるのはじつは自律の思想であり、ポリス(共同体)の政治つまりは自治なのだ。

 ただし、この教説(ドクトリン)は単に一国の市場を対象としたものではない。フリードマンの「自由」の要求は国境をも越える。言いかえればそこにはアメリカの内政と外交との区別はないのである。

 だからクラインは、ニューオリンズの「復興」と同年(二〇〇五年)に並行して調査したイラク戦争の帰趨(そこで何が起きていたのか)を重ねて論じる。そこで共通に見られるのは、私人たる企業の複合体が、大災害を利用するにとどまらず、クーデターや戦争さえ積極的に活用して、一地域・社会を統治なき自由市場に委ねさせ、世界を私権に「解放」する──効率化と成長を動力とし、それを妨げる政治を排除する──というグローバル規模の事態である。

 

 この事態を著者は、「災厄資本主義」の猖獗と呼ぶのだが、それはとりあえずのことにすぎない。著者はそれがいわゆる「アメリカ例外主義」と呼ばれるものと不可分であることに気づいている。簡単に言えば、アメリカは他国と同等なのではなく、古い国際秩序を超えた「新世界(合州国)」だという主張だ。

 クラインはS・キンザーの『オーバースロー(転覆)』(二〇〇六年)を引用している。この元ニューヨーク・タイムズ記者は、アメリカ合州国が過去百年間に海外のクーデターを命令・指揮した際の政治家たちの手法を分析した。それによれば、最初は、米国の多国籍企業が進出国から税の支払いや労働法・環境法の遵守を要求されると、米政治家はそれを自国に対する侵害・攻撃と解釈する。次にその問題を、私的・経済的なものから政治的・地域戦略的なものへと転換する。そして、その件をめぐって米国民に介入の必要性を納得させようする(国民の同意がなければ戦争はできない)。その際には事態は善と悪との対決という図式に単純化し、「抑圧された人びとを暴力的な政権から解放するチャンスだ」と主張する。

 このように、アメリカの外交政策は多くの場合、ごく一部のエリート集団の利己的欲求や願望を世界全体の利益と同一視する「集団投射」の実践の場となっているという。

 冷戦下にはこれが資本主義vs.共産主義のイデオロギー戦争として公認されていた。当時、CIA長官を長く務めたアレン・ダレスは「共産主義と戦い、多国籍企業の権利を守る」という二つの「執念」を掲げていたが、クラインはその二つに区別はなかったという。その通り、私権否定と私権推進との体制対立なのだから。ただその場合、アメリカ人(企業)の私権は国境を越えて主張されるのだ(米国には国務省はあるが外務省はない)。

 この傾向は冷戦後さらにあからさまになる。グローバル自由経済こそ多国籍企業の独壇場であり、それが世界規範になったのだから、抵抗する国も勢力も「秩序の敵」だということになる。それが「テロとの戦争」正当化の論理だった。

 

 イラク戦争を通して何が起こったのかを、クラインは主要アクターを追いながら辛辣に暴き出している。ブッシュ政権の副大統領チェイニー、国防長官ラムズフェルド、顧問的な役割を果たしたJ・ベーカー、G・シュルツ、H・キッシンジャー、みなかつて国家の要職を務め、その後(あるいは以前から)軍事企業やエネルギー、製薬、セキュリティー産業などで重役を占めてきた面々だ。

 彼らの「友人」リチャード・パールが国家戦略の専門家としてメディアで論陣を張る。「庭に毒蛇がいたら噛みつかれる前に無害化する」、「今こそ行動せよ」と先制攻撃の正当性を主張する。そして「西側」の精神的権威ローマ教皇の説得もかわしてイラク攻撃に打って出る。作戦名は「衝撃と恐怖」だった。つまりショックを与えて震え上がらせ、国を無力状態に落とし込む。その空白をアメリカは国家として管理するのではなく、占領だけして「自由」を確保し、そこでイラク国家の「民営化」が遂行されたのだ。つまり行政官(ポール・ブレマー)が入って、イラクの国家資産や復興事業を「市場開放」し、米英の多国籍企業に委ねた。

 その後にイラクは長い混乱に陥り、「恐怖の地獄」からはその化身のようにしてイスラーム国(IS)のような手の付け難い「テロリスト」が出現し、混乱を中東全域に広げて「イラク戦争」は失敗したかに見えるが、それでもブレマーの「任務」は遂行されたのである。そのことをクラインは克明に描き出している。

 

 だが、このやり方はキンザーが示したように新しいことではなく、アメリカの海外進出の初めから変わらない。さらに言うなら、「ショック・ドクトリン」とは他ならぬアメリカという「新世界」創設の原理でもある。そこにいる「先住民」を追い出し長期的には殲滅して、その土地を奪って不動産とし、その他の自然もすべて資産化して、私的所有権に基づく法体制のもとに「自由」の新天地を開設する。そして宗主国だった英王国からの独立を果たせば、そこに自由な私権に基づく連邦共和国が完成する。

 

 当初はそれが「西半球」に留まっていたが(モンロー主義)、世界戦争の二〇世紀が過ぎるとアメリカ創設原理はグローバル世界を覆うようになり、「市場開放」を世界に迫る。そのとき「ショック・ドクトリン」が世界の各所に適用されるようになるのである。

 一時期、力の支配で米国覇権を維持しようとする「ネオコン(新保守主義)」と、市場の無制約化をめざす「ネオリベ(新自由主義)」とが、相反する傾向ながら一九九〇年代にはしだいに結託するようになったという議論があったが、クラインが本書で明らかにしたのは、ネオコンとネオリベとはじつは初めから同じものだった(あるいは同じ人物たちが担っていた)ということである。そしてそれが「新世界」創設原理の現代版なのである。

 

 今、イスラエルによるガザ殲滅戦が世界中から非難を浴びている。それをアメリカはあくまで擁護しているが、その根本の理由は、イスラエルがアメリカと同じ建国原理──宗教的迫害を逃れた移民たちが、先住民掃討の上に自由の王国を作る──をもつからである。ベトナム戦争を嫌ってカナダに移住したユダヤ人の両親の下に生まれたというナオミ・クラインは、アメリカ例外主義とイスラエルの選民意識をやはり重ねて見ているだろう。それが『ガーディアン』紙に発表された最近のイスラエル批判からもうかがわれる。

 ともかく、本書を圧倒的にインパクトあるものにしているのは、これまで誰もなしえなかった、現代の政治・経済批判の視野を「衝撃的」に切り拓いたからである。

(にしたに おさむ・哲学、思想史)


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