web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

【文庫解説】E.H.カー 著/中村研一 訳『平和の条件』

 「古い世界は死んだ。未来は、過去に決然と背を向け、知性と勇気と想像力をもって新しい世界に立ち向かう人々とともにある。本書はそのようなリーダーシップを望む声の一つである。」
 第二次世界世界大戦の真っ只中の1942年、ザ・タイムズ紙に務めるE. H. カーは戦後を見据えて秩序構想を発表します。そのなかで、破局の根本原因は、レッセフェールや自由民主主義、国民国家体制といった19世紀的秩序への執着にあるとして、そこからの決別を唱え、20世紀的な現実に合わせた政治・経済・国際関係の変革の道筋を示しました。
 カーのユートピア思考を結晶化した本書は、『危機の二十年』を超える地平を開いた一冊です。
 以下は、訳者の中村研一先生による解説からの抜粋です。


闇にさす一条の光

 本書は第二次大戦前期の国際政治研究である。
 著者のE. H. カー(1892-1982)は第二次大戦の勃発に不意を打たれた。開戦後約1年間は、日々展開してゆく戦況下で、自分が存在する意味を探して、何をなすべきかを試行錯誤した。そしてイギリスがほぼ単独でドイツと戦わねばならなくなった孤立の1年間に『平和の条件』を書き、開戦2年半後の1942年3月に刊行した。内容は実現可能なユートピアであった。それは闇にさす一条の光のように読者の心に届いた。
 カーは晩年の「自叙伝」に次のように書いている。

 第二次世界大戦の開戦はショックで、思考はマヒしてしまった。だれもが突然にその日その日のことで頭が一杯になった。わたしは情報省で、ついで『ザ・タイムズ』紙で仕事をしたが、公定の路線に従うだけで、当面は思考停止状態であった。何をやっても意味をなさないように思われた。それから、他の多くの人もそうだったのだが、わたしは戦後の新しい世界のことを考えてユートピア的未来像に逃避した。結局のところ、そうした未来像が基礎になって本当の建設的な事業が実現することになるのだが、チャーチル首相はそうした未来像に公然と反対したので、支持を失うことになった。わたしはといえば、『危機の二十年』におけるきびしい「リアリズム」をすこし恥じて、1940-41年にきわめてユートピア的な『平和の条件』を書いた。──一種リベラルなユートピアにちょっと社会主義が交じったものだが、マルクス主義の要素はわずかしかなかった。これが時代の気運を捉えたようで、今日にいたるまで読者に一番歓迎された本である。(E. H. カー「自叙伝」、同『歴史とは何か 新版』近藤和彦訳、岩波書店、2022年、328頁。一部訳語を変更した。)

 イギリス人の誰もが、現在の戦いに勝利できるのか、心から不安であった。そして過去四半世紀に二度もドイツとの戦争が起きてしまったことの不条理を痛感していた。イギリス人はイギリス史上最悪の戦況であったからこそ、神に祈り、戦う勇気を奮い起こし、心の避難場所を求めた。
 『平和の条件』は、ファンタジーでも遠い未来の夢想でもなかった。また神が「来るべき世界」を創造するというキリスト教の教えでもなかった。戦後の平和秩序に到達する具体的な道筋を、実施可能な政策体系として描いていた。読者は大戦がもたらした崩壊感のなかで、カーの言葉から、事ここに至ってなお進歩を勝ち獲れる可能性を感じとった。
 『平和の条件』は、刊行された1942年3月中に初刷が売り切れ、同月中に2刷が、5月には3刷が出て、翌43年と44年にも新しい刷が出た。42年と43年の合計で1万5000部が売れた。闇のなかに未来からさし込む一条の光のように読まれたのである。カーの著作のなかで読者に一番歓迎された本であった。

 [中略]

 『平和の条件』の原書が刊行された1942年3月には、日本はすでに第二次大戦に参戦しており、国際的孤立を余儀なくされていた。にもかかわらず、本書を日本国内で手にした人たちがいた。その一人、清水幾太郎はこう述べる。「私とカーとの結びつき──といっても、私の片思い──は、戦争中、それも東京の大空襲が始まる頃、彼の『平和の条件』をコッソリ手に入れて、コッソリ読んで、非常な衝撃を受けることに始まります」(E. H. カー『新しい社会』清水幾太郎訳、岩波新書、1953年、176頁)。
 原書を海外から大戦中の日本に送り込んだ一人は、永世中立国スイスのバーゼル大学で国際経済学を学んでいた喜多村浩であった。「戦争の帰結がそれほどはっきりしない頃、当時ヨーロッパにあって祖国の冒険に心痛していた私たちが、真先きにとびついたのもこの書物であったし、特別の苦心の末、つてを通じて祖国の友人に送りとどけたのもこれであった」(喜多村浩「書評 エドワード・H・カー著『西欧社会に対するソヴェートの影響』」、『ブック・レヴヰウ』第18巻、東洋経済新報社、1949年、415頁)。
 驚くべきことに、戦時下の日本で本書の海賊版が出回っていた。宇品の陸軍船舶司令部で軍務についていた丸山眞男は、その一冊を1945年4月の広島で発見した

私は日曜日の外出でたまたま書店の棚にこの書物を見出したとき、ほとんど信じられぬ思いで即座に購入した。……これも写真版印刷で、一体どこで作られ、どういう径路で広島の一古書店──ああ、あの店も原爆で跡かたもなく吹き飛んでしまったのだ──の書棚におさまったのかは知るよしもない。(丸山眞男「海賊版漫筆」、『図書』1983年3月号、6頁。『丸山眞男集』第12巻、岩波書店、1996年、68-69頁)。

 丸山は毎晩、「夜の点呼が終ってから就寝ラッパが鳴るまでの僅かな時間に貪るように」この本を読み進めた。8月15日の翌日、参謀少佐に呼び出されると、満洲事変以来の日本の政治史とこれからの日本と世界の動きについて、一週間の「講義」をするように依頼された丸山は、この本を「アンチョコとして」、「戦後世界の建直しの方向について」話をした。
 その本の見返しには、当時の丸山の鉛筆書きがある(同上、7頁。『丸山眞男集』第12巻、69-70頁)。

此の書は私の広島に於ける軍隊生活の余暇に読んだ。是によつて受けた感銘は船舶司令部に起居した半年の間のさまざまの思ひ出、その間に起つた世界史的な事件──ドイツの敗北、国際憲章の成立、英労働党内閣出現、ソ連の対日宣戦、原子爆弾、我が国のポツダム宣言受諾──等々の生々しい記憶と共に永く私の脳裏から消え去る事はないであらう。

昭和二十年九月

 大戦末期に日本で海賊版の形で出回ったユートピアの書は、闇に差し込む一条の光として熱読され、丸山の心に深く刻印されたのである。

(続きは、本書『平和の条件』をお読みください)

タグ

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

新村 出 編

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる