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代田亜香子 ポール・モーシャー作『七月の波をつかまえて』訳者あとがき

 訳者あとがき──代田亜香子

 ひと夏のきらめきとときめき、夏のおわりの切なさ。思い浮かべただけで、胸の奥がキュン、とします。この物語はひと言でいうと、そんなキラキラしたものたちがぎゅぎゅぎゅっとつめこまれた、宝ものの箱です。

 舞台はアメリカ合衆国カリフォルニア州の都市、サンタモニカに実在するオーシャンパーク。サーフィンをはじめとするマリンスポーツはもちろん、オシャレなカフェやヴィーガンレストランなどが建ち並ぶ通りではサイクリングやスケートボードなども盛んで、夏を満喫するのにピッタリな海辺の町です。こんなうつくしい場所で七月を過ごすとなればワクワクではちきれそうなものなのに、主人公のジュイエは場違いなブラックメイクで武装して、わけあって、これから人生最悪の夏がはじまると暗い顔をしています。青い空にも広い海にもアイスクリーム屋さんのイケメン店員にも胸がときめかないジュイエの前にあらわれたのは、お日さまが水着を着て歩いているみたいなピカピカのサーファーガールのサマー。やがてふたりは自然と影響を与えあい、どちらにとっても一生忘れられない大切な夏を過ごすことになります。

 夏って、とくべつな季節です。はじまりは期待感でいっぱいで、真夏のあいだはとにかくはしゃいで日焼けして思いっきり楽しんで、気づいたらおわりに近づいているさみしさに胸がチクッとして……。そんなふうに、この物語の登場人物の心のなかもうつりかわっていきます。ジュイエとサマーだけではなく、それぞれの家族やオーシャンパークのひとたちは、太陽みたいに明るく見える人でも心の奥底にはさみしさや苦しさを抱えていて、それでもそれぞれのやり方で折り合いをつけたりまわりのひとのあたたかさに支えられたりして、笑っているのです。

 作者のポール・モーシャーさんは、はじめてのYA小説“Train I Ride”(『あたしが乗った列車は進む』鈴木出版)を発表した直後、次女のハーモニーさんを小児がんで亡くしています。残された長女のエレリさんを思わせる主人公が妹の死について語る二作目の“Echo’s Sister”は、モーシャーさん一家がハーモニーさんの死の意味を見つける助けになったとのことですが、そんなふうに生死と正面から向き合った作品を経て発表された本書(原題“Summerand July”)については、「思いっきり笑ったり泣いたり、ザ・ビーチ・ボーイズの音楽をききたくなったりして、登場人物と恋におちて、そして読みかえすたびに最高に幸せでワイルドな夏を経験した気分になる作品」と語っています。ある年のハーモニーさんのお誕生日、SNSに「お誕生日おめでとう、ハーモニー。本当だったら十三歳になるはずだったけど、かわりにきみはお日さまとお月さまとお星さまになったんだね」という投稿がありました。悲しみと痛みと喪失感がやがて、お日さまとお月さまとお星さまのかがやきにかわったように、この物語の登場人物たちの心のなかの闇も、家族や友だちとのこじれた関係も、だんだんとまぶしくキラキラしたものになっていきます。ジュイエとサマーはきっと、つぎの夏も、そのつぎの夏も、「おやすみを口にしないでおやすみっていえる」友だちとしてオーシャンパークで波をつかまえていると信じています。

 こんなに太陽と海と自然をいっぱいに味わえて、海と「ハチドリのビュッフェ」の香りにつつまれた、胸が苦しくなるほどやさしい作品は、どこを探してもありません。

 そして読んでいるとすぐにでも、物語の舞台の町に飛んでいきたくなるはずです。サマーがたびたび口にする「ドッグタウン」とはサーファーやスケートボーダーのあいだで使われてきた通称で、ヴェニス・ビーチ周辺のことです。ふたりが待ち合わせする「エイリアンの要求をムシ」という文字が刻まれた歩道はフィクションですが、オーシャンパークの四番通りに行ってみたらほんとうに見つかるんじゃないかという気さえしてきます。この「エイリアンの要求をムシ」というのは、一九六〇年代のカリフォルニアのヒッピー・ムーヴメントの中で生まれたとされるスローガンで、イギリスのパンクバンドThe Clashのギターヴォーカル、ジョー・ストラマーがギターに貼っていたステッカーのフレーズとして有名です。この物語にちりばめられた作者の愛する六〇年代のカリフォルニアの文化は、きっといまでもこの町にあふれていることでしょう。

  (中略)

 たくさんの方々に夏のきらめきと切なさが届くことを願って、「シャカ」サインを送ります。

だいた あかこ・翻訳者


『七月の波をつかまえて』に掲載

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