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中務哲郎 『エティオピア物語』 とぐろを巻いた蛇[『図書』2024年11月号より]

『エティオピア物語』 とぐろを巻いた蛇

 

 今しもうららかな一日が明けようとして、日の光が山の尾根を明るく照らし出していた。ナイル河が海にそそぐ、ヘラクレス河口と呼ばれる地点を見下ろすように延びる丘の上には、盗賊のようななりをした男たちが幾人か見張りについていた。彼らはちょっと立ち止まっては眼下に広がる海に視線を走らせ、沖を眺めて獲物になりそうな船が一隻もとおる様子がないと、また近くの海岸に眼を戻すのだった。

(『エティオピア物語』巻一・一、下田立行訳、岩波文庫、二〇二四年一〇月)

 

 彼らが見たのは水際に浮かぶ無人の船、浜辺には中断された宴会の名残か、食物を載せたままの卓や倒された卓、そしてその間には夥しい死体が転がっている。やがて略奪を思い立ち山の斜面を駆け下りて行った男たちの目に入ったのは、女神にも紛う若い娘が凛々しい若者を介抱する姿であった。

 この光景の意味するところは盗賊らしい男たちには理解できなかったが、読者である我々もまた、このタブローの意味するところを小説の半ばに至るまで教えてもらえない。作者が語りをコントロールして、読者に謎解きを強いつつ物語を進める叙述技法は今なら珍しくはないが、これは一七〇〇年ほども前に作られた小説なのである。

 古代小説の最高峰とされるヘリオドロス『エティオピア物語』の魅力と美点を説く人は必ずその語りの妙技を褒めそやす。ヘリオドロスが物語の真中で起こる出来事を最初に語るのはホメロス『イリアス』や第二ホメロスの『オデュッセイア』に倣ったもので、ホラティウス(『詩論』一四八行)の推奨するin medias res(事件の真っ只中に)読者を引きこむ技法に適っている。すると、驚くべき出来事を見せられたものの、その意味は隠されたままで読者は緊張の中に置き去りにされるが、やがて登場人物が語りの中で謎を解きほぐしてゆく。『エティオピア物語』ではその語りの中に第二の語り手が入りこみ、更にその中に第三の語り手が割りこむから、三重の入れ籠構造になっている。一一世紀の歴史家ミカエル・プセッロスはこの小説の冒頭場面をとぐろを巻いた蛇に喩えた。蛇たちは体を外に出しているが、一番大事な頭は巣の中に隠している、というのである。

 ヘリオドロスは突然現れた人物を「機械仕掛けで現れたみたい」と揶揄したり、運命に弄ばれる登場人物の苦難を「まるで劇みたい」と評することがよくあるが、これは小説を劇のように語りたいという作者の志向を示すものかもしれない。ところが、『エティオピア物語』の語りは悲劇の行き方とは対照的である。ギリシア悲劇は基本的に神話をテーマにするから、話の大筋は予め観客にも知られている。それどころかエウリピデスに至っては、劇の前口上(プロロゴス)で神が登場し、これから起こることを予告しさえする。結末を知る観客の前で、それを知らぬ劇中人物が右往左往するところにドラマティック・アイロニーが生まれる。これに対して『エティオピア物語』では、作者の企みによって登場人物と読者が同じ無知の中に置かれるのである。

 この小説の魅力を土俗的、魔法的要素の中に見る人もいるかもしれない。あるドイツ語訳は「世界魔法文学叢書」の一冊として刊行されているくらいである。

 元メムピスの大神官カラシリスはエティオピア王妃から棄子にした娘を探し出すよう密命を拝し、その娘カリクレイアをデルポイにて見出す。彼女は祭礼行列の折りにアキレウスの子孫を称するテアゲネスと一目惚れの恋に陥り、病の床に臥す。カラシリスは父親代わりとなって二人をエティオピアへ導くことを決心し、まずは二人の信頼を得るための企みとして、病が恋患いではなく人群れの中で邪視に魅入られたためだと説明する。

 奇書『邪視』(奥西峻介訳、リブロポート、一九九二年)の著者エルワージによると邪視とは、視線を投げかけることにより対象に邪悪な影響を及ぼすと考えられる生物の眼、ということになる。睨みつけた人や獣を石にするメドゥサ(ゴルゴンの一人)がよく知られているが、プルタルコス『食卓歓談集』中に「邪視の持主について」(「モラリア」六八〇C以下)なる考察があるものの、この俗信を小説に用いたのはヘリオドロスが最初かもしれない。邪視を表すβασκανίαはfascinationと語源を同じくする語である。

 妊婦が火事を見ると赤児に痣ができる、というようなことを今では聞かなくなったが、この俗信が『エティオピア物語』を動かす重要なモチーフとなっている。王妃ペルシンナは生まれた娘の肌が白かったため、夫に不貞を疑われることを惧れ、後日の再認(アナグノーリシス)の縁となる品々を添えて赤児を棄てた。帯には、王の寵愛を受けた時、ペルセウスが白いアンドロメダ姫を救う場面を描いた絵を見つめていたため、と理由を縫いこんでおいた。

 ギリシアにはこの俗信が小説の中でも受け入れられる素地があった。古くはエンペドクレス(前五世紀)が、妊娠期間中に女性がいだく想像によって胎児に形が与えられ、女性が彫像や肖像画に恋をしてそれに似た子供が生まれることがある、と考えた(丸橋裕訳、断片A八一。『ソクラテス以前哲学者断片集』第Ⅱ分冊)。ハリカルナッソスのディオニュシオス(前一世紀)は、醜男の農夫が自分に似た子が生まれるのを惧れ、美男の塑像を作って妻に常に見させた事例を記す(木曽明子訳『模倣論』)。ギリシアを離れて一四世紀末のピサに、洗礼者ヨハネ(駱駝の毛皮を着る)の画像を見ていて全身毛むくじゃらの娘を生んだ母親の例が見える(モンテーニュ『エセー』一・二一)。

 ルネサンスからバロック期には『エティオピア物語』を賛美し、模倣し、張り合う作家が続出したが、これのジャック・アミヨによる仏訳(一五四七年)とトマス・アンダーダウンの英訳(一五六九年)の刊行後多年を経ずして、トルクァート・タッソの『エルサレム解放』が現れた。作中、数々の報われぬ愛の中でもとりわけ凄絶の美を放つのはタンクレーディによるクロリンダの最期であろうが、クロリンダこそカリクレイアの後裔である。即ちその母はエティオピア王の妃であったが、聖ジョルジョが竜を退治し白い肌の姫君を救い出す場面の絵を自室に飾っていたため、白皙の美少女を生んだのである。

 ゲーテ『親和力』(一八〇九年)では、シャルロッテとエドゥアルドの間に生まれたオットーが、シャルロッテの恋人の大尉にそっくりであったが、これはシャルロッテが夫に接しながら大尉のことを想っていたからではなかったか。ホフマン『スキュデリ嬢』(一八一九年)では、宝石飾り名人カルヂリヤツクは、母が妊娠一ヶ月の時にさる貴族の美しい首飾りを見たことが悪因縁となって殺人鬼になった。「好く世間で聞く事だが、妊婦(はらみをんな)が物に感じて、その感じが胎内の子に響くといふのは、何うも本たうかも知れない」(森鷗外訳『玉を懐いて罪あり』)とカルヂリヤツクは述懐する。シユニツツレル『アンドレアス・タアマイエルが遺書』(一九〇二年。森鷗外訳)では、妻が黒人のような赤子を生んだため世間の嘲笑を浴びる男が、死をもって妻の潔白を証明しようとして、妊娠中の母親が見た像が子に顕れる事例を医学書やその他の書物から博捜する。その中にマルチン・ルウテル『食卓演説』と並んでヘリオドオル『リブリイ、エチオピコオルム』の名が見える。この俗信を小説にしたのも『エティオピア物語』が最初であろう。

 しかし、『エティオピア物語』の最大の魅力は古代には珍しいエンタテインメント性ではなかろうか。その現れとして、ヘリオドロスは映画になりそうな場面をふんだんに用意している。開巻からしてそうであった。獲物となる船は通らぬかと沖の方を眺める盗賊どもが手前の浜辺に目を移すと、繋留された船と大虐殺の跡。更に近寄って行くと絶世の美男美女の姿が目に入る。まるで映画のカメラが下にティルトしながらズーム・インしてゆくかのようである。

 ペルシア軍が誇る鉄甲騎兵隊との戦い(巻九・一五)には意表を突かれる。騎手も馬も青銅と鉄と鎖帷子で覆い尽くされ、槍と矢の徹る隙もない鉄甲騎兵隊に対し、エティオピア側の軽装歩兵隊は、馬の直前まで突進すると突如身を屈め、片膝ついて馬の下に潜りこみ、馬の腹を剣で突き上げたのである。

 カリクレイアは火刑に処せられる時と純潔の証を立てるために火床を渡る時と、二度火の試練をくぐるが(巻八・九、巻一〇・八)、誰しもイエス・キリストやジャンヌ・ダルクをテーマにした映画を想起しよう。この小説では身に帯びた紅玉(パンタルベー)のお蔭で火の方が逃げてゆく。

 物語はテアゲネスとカリクレイアの苦難を均等に語ってきたが、最後の巻はカリクレイアの独擅場となって、エティオピアの王女であることを証明し、人身御供となることを回避し、テアゲネスをも救うための彼女の知恵と忍耐がたっぷりと描かれる。そのこととバランスを取るため、作者はテアゲネスのためにも暴れ牛を取り押さえる場(巻一〇・二八)とエティオピアの巨人との格闘の場(巻一〇・三一)を拵える。「ベン・ハー」の戦車競走や、ダビデとゴリアテ(『サムエル記 上』一七章)、トリスタンとアイルランドのモルオールの一騎打(『トリスタン・イズー物語』)が思い出されるところである。

 テアゲネスはエジプト太守の妻(ペルシア大王の妹)アルサケに横恋慕されるが、いかにしても靡かぬ故、地下牢に放りこまれて拷問される(巻八・六)。この場面は「道化師の晩餐」(一九四二年)のアレッサンドロ・ブラゼッティ監督に映画化してもらいたいものである。というのは、映画ではフィレンツェのならず者貴族が謀られて地下牢に縛りつけられ、かつてコキュにした男や裏切って捨てた女たちから復讐される場面があるが、まったく迫力に欠けるので、『エティオピア物語』で名監督の技量を改めて見せてほしいからである。

 だが、最も映画にふさわしいのはシュエネの水攻めの場であろう(巻九・三)。小説の舞台は前六世紀末、エジプトを支配するペルシアとエティオピアが国境のシュエネ(現アスワン)を巡って争っていた。ペルシア軍がシュエネに籠城すると、エティオピア軍は城壁の周囲に広く深い穴を掘り、掘り出した土で城壁を遠巻きに囲む環状土塁を築く。そして城壁と土塁の間にナイルの水を流しこむと、シュエネは人工の湖に浮かぶ孤島のようになった。ナイルの水が環濠に満ちてゆくのを見つめるシュエネの住民の恐怖はいかばかりであったろう。水圧によって水が深く浸みこみ、城壁の礎石の下の土が泥となり、胸壁が揺らぎ、所々で崩壊の音が響く中で、住民は生きた心地もなかったであろう。

 ヘリオドロスは三世紀あるいは四世紀の人、太陽神(ヘリオス)崇拝の本拠地であったエメサ(現シリアのホムス)に生まれ、自ら太陽神の末裔と称し、名も太陽の賜物を意味する。『エティオピア物語』は太陽神と月神とディオニュソスを崇拝するエティオピアの王女が棄子にされ、エジプト、ギリシアを放浪して祖国に還る物語であるが、これをエメサの神秘宗教を寓意化した崇拝用テクストだとする解釈がある。あるいはまた、エジプト神オシリスが殺されて遺体の各部がナイル河に投げこまれ、妹神イシスにより再生する神話が、テアゲネスとカリクレイアの苦難と救済の物語に化したとの説もある。しかし、このような解釈は面白くない。訳者下田立行氏は、「ヘリオドロスは理想化された古代、たがいの存在を認め合う多神教の時代を回顧し礼賛する意味を込め、かつまたギリシアを中心とする古代文学への賛美の念を込めて、この小説を書いたように筆者には思えてならない」と記す。

 『エティオピア物語』を夢とか理想という言葉に関連づけて解釈するという意味で、私も下田説に賛成である。ヘリオドロスはエティオピアの地理については殆ど何も知らないようであるが、エティオピアにはホメロス(『イリアス』一・四二三、『オデュッセイア』一・二二)以来、オリュンポスの神々が宴を共にするために訪れる至福の地というイメージがある。そこにヘロドトスが、食物の欠けることなき太陽の食膳、青銅より黄金が豊富な国、一二〇歳も珍しくない長寿国、などのエティオピア像を加えた(『歴史』三・一七以下)。ヘリオドロスが小説のタイトルに選んだのはこのようなイメージのエティオピアではなかったか。

 アレクサンドロス大王の東方遠征により開かれたヘレニズム時代はコスモポリタンの時代ともデラシネの時代とも言われる。拡大したギリシア語世界では旧来のポリス共同体の規範が崩れ去り、政治を離れた人々は個人生活に埋没するかユートピアを夢見た。このような時代に生み出された『エティオピア物語』は、カリクレイアとテアゲネスの至純の愛がエティオピアに至り結婚する以外には完成しないことを描いており、祖国への帰還というより、むしろどこにもない国への旅の物語のようにも思えるのである。

 ところで、『エティオピア物語』の岩波文庫表紙には「赤127―1」の番号が見える。聞けば赤の100はギリシア・ラテンの文学に割り当てられた数字、27はヘリオドロスの背番号だという。ホメロス、三大悲劇詩人、ウェルギリウス、オウィディウスらが遊ぶ野に、今またとぐろを解いた大蛇が現れた思いがする。

(なかつかさ てつお・西洋古典学)


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