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【文庫解説】サン=テグジュペリ 作/野崎歓 訳『夜間飛行・人間の大地』

 長距離夜間飛行が危険と隣り合わせだった時代、サン=テグジュペリは、飛行士としての経験を織り交ぜた作品を発表しています。なかでも、小説『夜間飛行』(1931年)とエッセイ『人間の大地』(1939年)の2作はベストセラーになり、それまで無名だったサン=テグジュペリの名を一躍知らしめました。夜空にひそむ美と脅威、命がけで責務を追求する人びとの姿を、一夜の夢のような物語にした『夜間飛行』と、過酷な自然の中で人間の生の意味を問う『人間の大地』の魅力はどこにあるのか? 以下、訳者の野崎歓さんによる解説の一部を抜粋いたします。

 


 

 ジッドはあるときサン=テグジュペリに、一貫した物語というのではなく「花束」のような本を編んだらどうか、「場所や時間は考慮に入れず、飛行士の感覚や感動、思索を何章かにまとめてみたら」と提案した(Georges Pélissier, Les Cinq visages de Saint-Exupéry, Flammarion, 1951)。1930年代、サン=テグジュペリが新聞雑誌の求めに応じて書いた記事はかなりの分量に達していた。メルモーズやギヨメの冒険譚や、自分自身の遭難をめぐる記事に加え、ソ連やスペインに派遣されて書いたルポルタージュもあった。それらを1冊の本にする企画が、38年、事故後のリハビリ期間に推し進められた。既発表の文章に新たな原稿も加え、徹底的な推敲を経て、『人間の大地』は39年2月、ガリマール社から出版された。そして直ちに広範な反響を巻き起こした。
 「大地はわれわれ自身について、どれだけ本を読むよりも多くのことを教えてくれる」(本書135頁)。冒頭の1行目から、ある意味で不敵な、挑戦的な姿勢が明白だ。この本はいわば反-書物として書かれている。われわれは外に出て世界を、そして他の人間たちをふたたび見出すべきだと著者は説く。「ぜひ、お互いにつながろうとしなければならない」(136頁)。それは飛行の経験を重ねれば重ねるほど、サン=テグジュペリにとって切実さを増した願いである。しかもつながるためには言葉に頼らざるを得ない。『夜間飛行』で明らかになったパラドクスは、いっそう深まってもいる。矛盾を乗り越えようとする緊張感が最後まで維持されるからこそ、本書の記述は読者の胸に迫る真率なトーンを帯びるのだ。
 『夜間飛行』における小説的な語りとは異なり、冒頭からサン=テグジュペリ自身の回想が綴られていく。浮かび上がるのは、かつてアエロポスタル社に集い、航路開拓に邁進した者たちの姿であり、メルモーズやギヨメの伝説的な事例だ。ジッドが示唆したとおり、「時間」はぼかされ、出来事の明確な年月日は稀にしか示されない。著者自身の砂漠での彷徨をめぐる物語が示すごとく、過去の事実を現時点において生き直す書き方が目指されている。「場所」に関しては、具体的地名はもっぱら航空路線との関連において言及され、読者は自ら地図に当たって飛行機のゆくえをたどる必要がある。そこには、国と国の境をあまり意識しない、大空からの視点を基本とする地理が広がり出す。
 高峰を見下ろして飛翔し、「大熊座と射手座のあいだ」(160頁)を行き来する飛行士は一見、「小市民」(152、367頁)たちからは隔絶した、別格的な存在である。自然の猛威を相手取って、一歩も引かずに闘う彼らの姿は、まさしく現代の英雄と言うべき勇敢な気高さを帯びている。「これを読めば、われわれが地上にとらわれた存在であることを忘れられる」。フランスでの刊行からほどなくしてアメリカで翻訳が出た際の評言だが、多くの読者が本書に夢中になった理由の一端を説明するものだろう。
 しかし、本書が描き出すもう一つの重要なモチーフは、地上への帰還だ。7章の「砂漠の中心で」がそのことを最も印象的に示している。砂漠に投げ出されたのちの彷徨は、「人間」を求めての必死のさすらいである。遭難した者たちは自分のためでなく、そこにいないだれかのために生き抜こうとする。彼らは「われわれこそが救助隊だ!」(306頁)という逆転した思いによって救いを得るのだ。
 苦難の果てに出会ったベドウィンの「顔」の内に、著者は「ありとあらゆる人間の顔」(344頁)を見出す。ところが世界では、人々は助けあうどころか争いや戦いに明け暮れている。「なぜ憎みあうのか? 同じ惑星によって運ばれ、同じ船の乗組員であるわれわれは運命をともにしている」(370頁)。だれもが同じ「乗組員」なのだという主張には、操縦士を英雄の神話から解き放とうとする姿勢が見て取れる。操縦士は一介の「羊飼い」であり、農夫であり、庭師であると作者は好んで記す。あるいは、一生、屋敷から外に出ることのなかった家政婦の「マドモワゼル」(サン=モーリス・ド・レマンで一家に仕え、子どもたちに慕われたマルグリット・シャペイがモデル)を思い出しながら、「彼女こそ正しかった」(214頁)と述懐する。それは地上の慎ましい現実への回帰を告げる言葉である。
 飛行機など「道具」にすぎないし、危険に身をさらすことだけが尊いのでもない。何であれ「責任を負う」とき、ひとは「人間」になることができるのだ。サン=テグジュペリはヒロイズムの彼方に、ごく日常的な、そして普遍的な価値を希求している。
 日時の詳細は省かれているとはいえ、これが当時の状況を直視した作品であることを忘れるわけにはいかない。ナチス・ドイツがオーストリアを併合したのは本書刊行の前年だった。刊行の約半年後にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。他方、スペイン内戦は本書刊行の2か月後、フランコ将軍側の勝利によって終結し、独裁政権が発足する。フランスでは、不安な情勢の中で排外的傾向が強まっていた。ポーランドから自由を求めて大勢やってきていた移民労働者たちを、鉄道運賃をフランス政府が負担して祖国に送り返す政策が取られていた(Philippe Rygiel, « Les renvois de Polonais de France dans les années 1930 » in Polonia. Des Polonais en France de 1830 à nos jours, sous la direction de Janine Ponty, CNHI, 2011)
 本書の最後で喚起されているのは、そうやって送還されていくポーランド人たちの姿である。その多くはユダヤ人だっただろう。ナチスによるポーランド占領ののち、過酷な運命が彼らを待っていた。「モーツァルトは死を宣告されている」(378頁)と慨嘆するサン=テグジュペリは、直近に迫る脅威を予見していた。
 そんな緊迫した時期において、なおも彼は、「愛するとは互いに見つめあうことではなく、ともに同じ方向を見つめることなのだ」(362頁)と書き、友愛による結びつきを信じようとした。世界の分断や不和の現実に直面する今日の読者にとっても、彼のひたむきな訴えかけは、胸を打つ、そしてあまりにアクチュアルなものであり続けている。
 パリ陥落後、ニューヨークに亡命したサン=テグジュペリは、かの地で『星の王子さま』(1943年)を書いた。その1冊はやがて、聖書、コーランを別として、世界最大のベストセラーとなる。しかし作者にとってそんな事態はあずかり知らぬことだった。連合軍が北アフリカに上陸すると、サン=テグジュペリはすぐにフランス軍への再入隊を願い出る。最古参の操縦士として戦線に復帰した彼は、1944年、偵察飛行に飛び立ったまま行方不明となった。その直前に母親に宛てて書かれた手紙の一節を引用しておこう。
 「愛するママン/私のことはほんとうにご安心ください。〔……〕でも、こんなに長いあいだお会いしていないので、とても悲しく思われます。それに、あなたのことが心配です。大好きな、なつかしい、愛するママン。この時代はまったく不幸です」(『母への手紙』清水茂訳、前掲書)。

(全文は、本書『夜間飛行・人間の大地』をお読みください)

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