思想の言葉:小野正嗣【『思想』2025年2月号 特集|フランツ・ファノン──生誕100年】
【特集】フランツ・ファノン──生誕100年
―導入―
フランツ・ファノンの普遍性
アシル・ンベンベ/中村隆之・福島亮 訳
〈討議〉人間の全的解放と暴力
──ファノン再読のために
岡真理・崎山政毅・中村隆之
―テクスト―
ムスリム男性部局での社会療法
──方法論的困難さ
フランツ・ファノン+ジャック・アズレー/太田悠介 訳
アフリカ諸国の連帯闘争
フランツ・ファノン/中村隆之 訳
アリー・シャリーアティーへの手紙
フランツ・ファノン/中村菜穂 訳
―論考―
暴力の解体
──ファノンの根本的再読のために
中村隆之
〈冒険〉と決別するために
──ファノンの精神医療の哲学
上尾真道
拷問と裁判をめぐる民衆の闘争
──現代アルゼンチンの植民地性
石田智恵
「植民地戦争性精神病」に触れる
──フランツ・ファノンの暴力論を目取真俊『眼の奥の森』とともに読み直す
佐喜真 彩
フランツ・ファノンとデザイン
──ポストコロニアル批評を社会実装する
中村 寛
他性の思考
──サッカーからファノンへ,そして反人種差別と「新たな人間」へ
小笠原博毅
ファノンふたたび、いつまでも
いまなぜファノンなのか? 二〇二五年はファノンの生誕一〇〇年の年に当たる。節目の年に作家や思想家を忘却から救い出すのは、出版社の大切な責務でもあり慣行でもあるだろう。
だがファノンが忘れられていたことなどあるのだろうか?
たとえば、『地に呪われたる者』は、マスペロ社から哲学者ジャン=ポール・サルトルの序文とともに一九六一年に刊行されたあと、一九六八年に同社から再版される。その二三年後の一九九一年、つまりファノンの没後三〇年に、今度はガリマール社から新版が出る。そしてその約一〇年後の二〇〇二年にラ・デクヴェルト社から新版が刊行されている。
二〇〇二年版に序文を寄せたのが、ファノンのそばでアルジェリア独立闘争に身を投じ、そのときの経験をもとにFrantz Fanon, Portrait(『フランツ・ファノン、肖像』未訳)を二〇〇〇年に刊行した精神科医で精神分析家のアリス・シェルキである。シェルキによれば、ファノンの著作はアメリカの大学では読まれていても、ヨーロッパでは一般の読者に読まれなくなっており、だからこそ彼女は『フランツ・ファノン、肖像』を執筆し、ファノンの思想の重要性を再確認しなければならなかったのだ。
興味深いことに、この『フランツ・ファノン、肖像』が二〇一一年に再版される際に加えた「後記」においては、シェルキは近年(つまり二〇〇〇年代初頭以降)、国際的にファノンの人と作品への関心が高まっていると指摘している。
『サント・メール』という、自分の赤ん坊を殺したアフリカ系の若い女性の裁判を描く作品で二〇二二年ヴェネツィア映画祭銀獅子賞を受賞したフランスの映画監督アリス・ディオップは、学生時代にファノンを発見したことはとても大きな経験だったと言っていた。セネガルからの移民の両親を持つ一九七九年生まれのディオップは、自身の生まれ育ったパリ郊外を舞台に移民系の人たちの生活をカメラに収めてきた。
彼女には『私たち』(二〇二一年)というドキュメンタリー作品がある。これはパリを南北に縦断するパリ交通公団B線の沿線に暮らす人々の生活を撮影したものだ。北の郊外では移民系の住人が多く、コンクリートの集合団地が目立つが、南の郊外では風景には緑が増えて白人が多くなる。印象的なのは、アフリカ系、アラブ系のフランス人と白人のフランス人との差異や格差であるが、それ以上に、〈私たち〉、すなわち〈フランス〉の文化的・人種的な多様性を、そのアイデンティティが決して単一なものではなく、複合的なものだということを実感させられる。
この素晴らしいドキュメンタリーの着想源を尋ねると、フランソワ・マスペロのLes Passagers du Roissy-Express(『ロワシー急行の乗客たち』未訳)だと教えてくれた。マスペロが写真家の女性と一緒にB線の各駅で降りて書いたルポです。いい本だから、あなたも読むといい。
マスペロ? 『アルジェリア革命第五年』(のちに『革命の社会学』と改題)、『地に呪われたる者』、そして『アフリカ革命のために』と、ファノンの主要著作を刊行した出版人のフランソワ・マスペロ?
そう、そのマスペロだ。パリのカルチエ・ラタンで書店と出版社を経営していたマスペロは、一九八二年に出版の仕事を引退して以降は作家および翻訳者として活躍する。
マスペロが二〇〇二年に刊行した自伝的なLes Abeilles & La Guêpe(『ミツバチとスズメバチ』未訳)には、ファノンの『地に呪われたる者』の出版の事情が述べられている。これを、二〇一五年にラ・デクヴェルト社から出版されたファノンの未刊行テクスト集(Écrits sur l'aliénation et la liberté)に収められたファノンとマスペロとのあいだの書簡と合わせて読むと、おそらく一度も会うことのなかった二人のあいだに深い信頼関係が築かれていたことがわかる。
いま当たり前のようにファノンの思想や人生について語ることができるのは、マスペロがファノンの作品の価値を認め、出版したからだ。つい忘れがちな事実だが、思想の助産者・伴走者として出版社・出版人が果たす役割の重要さに私たちはもっと目を向けるべきだろう。
マスペロの父と兄は対独レジスタンス運動に身を投じ、命を落としている。一九五五年に二三歳の若さで自身の書店を始めたマスペロは、一九五九年から出版事業に乗り出す。大きな理由となったのがアルジェリア独立戦争である。彼の同世代の多くが戦地に送られた。アルジェリアで何が起きているのか。さまざまな証言が伝えるフランス軍によるアルジェリア人への拷問といった戦争犯罪からも、これが大義のない戦争であることは明らかである。フランス政府にとっては不都合な真実を伝え、戦争に反対する数々の著作をマスペロは刊行し、その多くが発禁および差し押え処分を受ける。
共通の知人を介して、ファノンが新しい本を書き終えたと知ったマスペロはそれを即座に刊行したいと、一九五九年六月、ファノンに手紙を送る。するとファノンも、ただちに原稿を送り、これをすぐに印刷してほしいと返事を書く。そうして『アルジェリア革命第五年』(のちに『革命の社会学』と改題)が一〇月に刊行される(そして三ヶ月後には警察に差し押さえられる)。
ファノンとマスペロのやりとりからは、ファノンが生き急ぐように著作の刊行を進めていたことがわかる。当時、植民地解放のために闘っていた者たちが、フランスのみならず世界中でファノンの言葉を必要としていたことを、ファノン自身もマスペロも強く意識していただろう。他の出版社からファノンが次作を刊行しようとしているという噂を聞いたマスペロは書く。「あなたの本は私の叢書がそうあるべき姿を体現しています。つまりあなたの本は革命的で激しい。私が出版してきたもののなかでもっとも重要なものだと思っています」。もちろんファノンはマスペロ社から『地に呪われたる者』を刊行する。
『地に呪われたる者』の序文をサルトルに書いてもらいたいと強く望んだのはファノン自身である。しかしサルトルの序文がこの著作の本質的なメッセージを見えにくくしていると、マスペロもシェクリも考えている。「ファノンは暴力を分析しているのにサルトルはそれを正当化している」とシェクリはこの本に寄せた序文のなかで述べている。「彼の分析は、どれも医療者、そして闘士としての経験に発するものであり、憎悪の叫びなどではまったくなく、希望の道しるべなのだ。そこでは解放の暴力それ自体は目的ではない」とマスペロも書いている。
『地に呪われたる者』をはじめとするファノンの著作は、世界中で脱植民地化の気運が高まりを見せるなか、その歴史的文脈のなかで書かれた。たしかに多くの地域で植民地支配に終止符が打たれた―ように見える。しかし現実には、植民地主義の根幹にある人種差別的な思想、世界を「私たち」と「彼ら」に分断する排他的な風土は、いまも根強く残っている。ガザでいま起きていることを見るとき、それらはより先鋭化しより暴力的なものになってはいないだろうか。人種であれ宗教であれジェンダーであれ、おのれのアイデンティティを絶対化し、異なるアイデンティティを持つ他者を異質なもの、劣ったものとして疎外し、排除するような傾向が時代の支配的な空気になっていないだろうか。IT技術の発達によって、私たちは情報を選択しているようで選択させられ、自分の見たいもの、聞きたいものだけに囲まれて、ますます自己という牢獄に閉じ込められてはいないか。
だからこそ私たちはいまファノンを読まなければならないし、読みたいと思う。『黒い皮膚・白い仮面』のなかでファノンはすでに書いている。「人間の運命は解き放たれることにある以上、人間を縛りつけようとしてはならない」「道具に人間を支配させてはならぬこと。人間による人間の、つまり他者による私の奴隷化が永久に止むこと。彼がどこにいようが、人間を発見し人間を求めることがこの私に許されるべきこと」(海老坂武・加藤晴久訳、みすずライブラリー、一九九八年、二四九頁)。
いつの時代にもどんな場所にも踏みにじられ辱められた者たちがいる。ファノンが目指したのは、精神の病を理由に社会との絆を奪われた者らの尊厳を回復させ、植民地支配の圧政に苦しむ人々を解放することだった。それはつまり〈人間〉を解放することだ。差別され抑圧され疎外されたすべての人たちの自由と尊厳を取り戻すために、同じ人間として私たちに何ができるのか。ファノンはそのことをずっと問いつづけた人だった。それは私たち自身の問いでもあるはずだ。
※ 「思想の言葉」の弊誌への掲載において以下の誤記がありました。本Web版においては修正をさせていただきます。
──編集部
5頁9行目
誤:彼の同世代の多くが戦地に送られた。アルジェリアで何が起きているのかを知りたいと。
正:彼の同世代の多くが戦地に送られた。アルジェリアで何が起きているのか。