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『思想』1月号  ヘーゲル復権

◇目次◇
多元的存在論の体系ーーノン・スタンダード存在論としてのヘーゲル「エンチュクロペディ」……………大河内 泰
統覚的自我と経験的自己ーーヘーゲル『精神現象学』「主人と奴隷」の異端的解釈に向けて……………ジョン・マクダウェル
〈研究動向〉復活するヘーゲル形而上学……………飯泉佑介
行為者性の社会理論ーーコースガード・ピピン・ヘーゲル……………川瀬和也
ヘーゲルにおけるカテゴリー問題……………マルクス・ガブリエル
ヘーゲル論理学の意味論的解釈ーーヘーゲルと分析哲学……………硲 智樹
シェリングとヘーゲルの差異をめぐってーーヘーゲル批判への応答可能性を探る……………三重野清顕
貧者は承認されうるのか?ーー資本主義における承認の野蛮化をめぐって……………斎藤幸平
憲法と戦争ーーヘーゲルの国家論における多元性……………濱 良祐
ヘーゲルとパフォーマティヴィティーー『精神現象学』「自己疎外的精神の世界」とジュディス・バトラー……………岡崎 龍
 
 
◇思想の言葉◇

カントとヘーゲルのあいだ
熊野純彦


 アリストテレスはプラトンに五〇年ちかく遅れて生まれ,やがてアカデメイアに学び,師のいわゆるイデア論を批判する.ライプニッツはデカルトより五〇歳の年少者,後者の永遠真理創造説に疑問を呈して,無秩序を生んだ神,たとえば数学の公理を別様にさだめた創造主もまた賞賛されるべきなのかと自問した.メルロ=ポンティとフッサールとの年齢差はほぼ五〇年,見果てられた超越論的現象学の夢のすえにメルロ=ポンティは,世界と私とをひとしく紡ぎあげる「肉」の次元を問いはじめる.
 カントが生まれてからヘーゲルが産声をあげるまでに四六年の歳月が流れた.『論理学』初版・序文をヘーゲルは,哲学的な思考様式に「完全な変更」が加えられてから,ほぼ二五年が過ぎ去った,と書きはじめる.一八一二年から二五年をさかのぼる一七八七年,カントは『純粋理性批判』第二版を公刊していた.ヘーゲルのいわゆる弁証法(Dialektik)の源泉のひとつは,第一批判の弁証論(ディアレクティク)にある.
 ヘーゲルはすでにイエナ期の論文「フィヒテとシェリングの哲学体系の差異」にあって,アンチノミーを「じぶん自身を廃棄する矛盾」ととらえ,それが「知と真理の最高の形式的表現」であると語っていた.世界という無条件的なものを認識しようとして,理性はアンチノミーに陥る.すなわち理性は,ふたつの相互に矛盾する命題を主張するにいたり,しかも命題と反対命題は同一の必然性をもって主張されるはこびとなるのである.
 いうところの体系期にぞくする『エンチクロペディー』第二版・四八節によると,こうである.アンチノミーの存在があきらかにするところは,世界のさまざまな規定が矛盾をはらむ以上,世界が「自体的なものでありえず,たんに現象でしかありえない」という消息である.カントはしかし,矛盾を世界という対象そのもののうちにみとめず,かえって矛盾は「認識する理性に帰属する」と考えた.理性のうちに定立される矛盾は,けれども「本質的で必然的なもの」なのであり,その件を認識することこそが「現代の哲学のもっとも重要で深遠な進歩のひとつ」なのである.
 そればかりではない.カントはたんに,四つのアンチノミーをみとめたにすぎない.アンチノミーは,ほんとうは「すべての種類のあらゆる対象にあって,いっさいの表象,概念および理念のうちに生じる」ものなのだ.それは「論理的なものにおけるdialektischな契機」にほかならない(同).ー理路をこのように辿るとき,ヘーゲルの論理はやはり奇妙な難解さをはらんで,一般的な理解を拒絶しているかに見える.論点をより具体的に考えなおしてみよう.『純粋理性批判』超越論的弁証論における第一アンチノミーをとり上げてみる.
 超越論的弁証論のうちアンチノミー論は「与えられた現象一般に対する諸条件の系列」にかかわり,その系列の「絶対的全体性という超越論的概念」に,すなわち世界概念に関係している.そのうち最初のアンチノミーのテーゼは,「世界には時間においてはじまりがあり,世界は空間にかんしても限界のうちに囲まれている」,アンチテーゼは「世界にははじまりがなく,世界は時間における限界をもたない.世界はかえって,時間にかんしても空間についても無限である」というものである.ここでは,カントそのひとによるテーゼとアンチテーゼの証明を,時間にかかわる論点をめぐってのみ確認しておく.
 テーゼの証明はこうである.いま世界にはじまりは存在しないと想定してみると,世界の与えられた各時点にいたるまでに「永遠が経過した」,つまり「無限の系列が流れ去った」ことになる.ところでなんらかの系列が無限であるとは,その系列について完結がありえないということであるから,無限の系列が流れ去ること,永遠が経過することは不可能であって,かくして「世界のはじまりは世界が現に存在するための必然的な条件」となるだろう.―アンチテーゼにかんしてはこうだ.世界にははじまりが存在すると仮定してみる.そうすると,世界のはじまりには,それに先だって,世界が存在していない時間,すなわち「空虚な時間」が先行していることになる.ところで,空虚な時間のどのような部分もたがいに等価であるから,そのどの部分であれ,まさにその時点で世界が開始される条件をふくむことができない.かくて「世界そのものにははじまりはありえず,かくてまた世界は過ぎ去った時間にかんして無限である」はこびとなるはずである.
 ヘーゲルが,カントとの論判を開始する.まずテーゼのいわゆる証明についてはこうである.与えられた時点をめぐって語ることは,「時間における一定の限界」について語ることである.ところでカントがまさに証明すべきであったのは,一般に時間において限界が存在することそのものであった.カントの証明はかくて循環し,かくてまた論点を先取している.ーアンチテーゼをめぐってはこうだ.カントの証明はまず「世界の現存在のかなた」,すなわち空虚な時間を仮定している.証明がしかし,世界の開始についてその条件を問うものである以上,世界の存在とその非在在とは連続するものととらえられ,世界の現存在は空虚な時間のうちへと繰りのべられている.かくてアンチテーゼの証明もまた「それが証明すべきはずのことがら」にかんして「証明されていない主張」をふくみ,かくてまた同義反覆へと帰着している.
 ヘーゲルの『論理学』は「量的無限性」のカテゴリーを論じるさいに,カントの第一アンチノミーをめぐって,おおよそ以上のような認定を下していた.『論理学』第一巻は,とはいえ,その冒頭ちかくの註解のひとつでおなじアンチノミーにふれて,「この単純で常識的なDialektikは,存在と無との対立を固定することにもとづいている」と説いている.注目しておく必要があるのは,ヘーゲルがカントのいわゆる「証明」をまとめるその手つきである.「なにものかが存在する場合にも,なにものかが存在しない場合にも,そのかぎりではじまりはありえない.なにかが存在するかぎり,あらためてはじまることはなく,またなにもないかぎりでは,はじまることさえできないからである」.
 ヘーゲルは哲学史講義のなかで,セクストス・エンペイリコスが伝えたゴルギアスの論法をくわしく紹介している.『論理学』の一節で利用されているのも一方でその論法であり,他方でヘーゲルの解釈は,カントの証明の核心をよくとらえるものであったと思われる.カントの弁証論との対質のうちには一面では,存在と無という,もっとも基本的なものであるかに見える対立を統一的に思考しようとする,ヘーゲルのいわゆる弁証法の原型が垣間みられる.アンチノミー論との対決は,他面で,古代懐疑論との対話という,ヘーゲルの思考の秘密を漏らすものでもあったのである.
 ヘーゲルに特有な思考をとらえる手がかりは,カントの思考との交錯面にある.その交錯面を考えることで,ヘーゲル哲学は哲学的思考そのもののなかであらためて重要性を獲得することだろう.ちなみに,第一批判の主要部分は超越論的分析論ではない.カントの第一の主著の核心はむしろ超越論的弁証論にある.こうした見かたは,すでにひろく共有されつつあるようにも思われる.であるとすれば,ヘーゲルの方法の中核を問いかえすことは,カントの思考をもその中軸において問いなおすことなのだ.

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