『思想』4月号 公共Ⅱ
◇目次◇
思想の言葉………後藤玲子
公共とデモクラシー ――決定の「正しさ」をめぐる判断の政治……………齋藤純一
DV(ドメスティック・バイオレンス)からみえてくる公共――公的領域/親密的領域/個的領域の三分法……………宮地尚子・松村美穂
新聞紙の衰退にみる日本の「公共」の構造変容――SNS時代到来に向けた一考察……………林 香里
公共と情動的ネットワーク――コミュニケーション資本主義と触発される情動……………伊藤 守
〈公共的相互性〉の倫理とかたち……………後藤玲子
財政・金融政策の公共性と財政民主主義――「時間かせぎの資本主義」と日銀の量的緩和政策……………諸富 徹
都市と公共性――少子高齢化と人口減少に対峙する時……………小泉秀樹
親密圏と公共圏の構造転換――ハーバーマスをこえて……………落合恵美子
〈研究動向〉政治的なものの諸断片――ハンナ・アレントの公共性論をめぐる解釈とその振幅……………青木 崇
〈名著再考〉カール・シュミット『レヴィアタン――ある政治的象徴の意義と挫折』を読む……………大竹弘二
◇思想の言葉◇
思想をリズムの車に乗せて(1)
後藤玲子
A 公と私の位置取りはむずかしいね.そこで,「くるくる廻る公共車」のアイディアはどうだろう.親密圏と公共圏を結ぶ猫道みたいなもので,親密圏への目立ちすぎない公共的な介入を可能とする.「福祉有償運送」(2)の展開型で,ふだんはのんびり街の中を走行しながら,高齢者や障害者らの移動をサポートし,いざとなったら風のようにやって来て,さあっと逃してくれる「お助け車」となるんだ.
B だれを,どんな風に逃してくれるわけ?
A 家や学校,職場や施設などで,日常生活に小さなさざ波を抱えている子どもや大人,乳児から老人まで.基本,事前登録制だけど,本人や第三者の緊急連絡も受け付ける.親や子ども,上司など,ふつうに暮らしている分にはよい人たちとの関係が,突如,圧力を高めて,暴言や暴力の嵐に転化することがあるだろう?それが取り返しのつかない出来事となる前に「圧」を抜くんだ.
B それは大事だね.小児精神科医の友人から,「虎がいると安心だけれど,虎自身がこわい」と脅える子どもの話を聞いたことがある.その子は,結局,虎,つまり家族が寝静まった未明に,家に火を放ってしまった.日常生活の小さなさざ波が,一気に集まって暴発することがある,でもそれがいつ起こるのか,医者にも予期できないらしい.
A 暴発を察知することは,医学の力だけでは無理だろうね.近所の人々が,日常的に危険を察知しやすいことは確かだけど,その人たちは日常生活の滞りない運行を演出する役目をもっている.加えて,私的利益をもったアクターとして,情報を悪用する危険もある.だから全面的には頼れない.今のケースについて言えば,医者や近所の人よりもむしろ,人々の日常生活をゆるやかに包囲している公共が,親密圏に分け入って,直接,その子どもを保護することはできなかったの?
B もちろん,消防と救急と警察は救出に尽力した.ただ,所詮,消防や警察は事後処理係だから,事前に親密圏に分け入ると目立ちすぎる.他の公的機関の中心は書式主義だから,書式が整わないとアクセスできないし,書式が整ったら,それを越えて立ち入ることができなくなる.だから,小さなさざ波が一気に集まって暴発する瞬間をとらえるのはとても無理.
B ついこの間起こった小四少女の虐待事件でも,「父に暴力をふるわれたというのはうそでした」と一筆,書かせられていた.その紙は証言記録のコピーを父親に渡すことへの少女の「同意書」とあわせて,児童相談所や学校や市教委を玄関先で追い払ううえで十分だったね.
A 書式の正統性を支えるものは,「真」ではなく,「公」だからね.出来事は,書式に載らない限り,ないものとされ,書式に載った途端に,済んだものとして片づけられてしまう.いずれにしても出来事は人々の記憶からはじかれてしまうんだ.
B でも,暴発に曝された当事者たちは,出来事を痛みとして体験し続けるから,「公」による忘却は,当事者たちの存在と認識と価値を根底から揺るがしかねないね.「公」の認知を失った記憶は,自分を責めることに転じかねないのでは?
A そう.そうやって疲弊し切って当事者が黙ってしまうと,出来事それ自体の反倫理性,つまりは,ある出来事を「悪」として断定する価値判断それ自体が揺らぎかねない.こうして,書式はときに完全犯罪に手を貸すんだ.「公」を通して「真」が封印されかねないね.
B その意味では,国の統計も似ているね.上記の事件と同時期に起こった一連の統計不正事件でもっぱら問題とされたのは「公」の権威だった.手続き違反が糾弾されたけど,統計それ自体の性格,その到達点と限界に言及されることがないのはなぜだろう.統計に正統性の鍵を預けてしまうことによって,封じ込められる「真」がありはしないかと.
A そうだね.もともと経済学における統計理論の面白さは,どれだけ現実を近似できるかのみならず,何に焦点を当てて現実を描き出すかという規範性にあった.もっといえば,その関心は,多様な「個人的価値」を集約して一つの「社会的価値」にまとめあげる手続きそれ自体の探究にあったんだ.これはアローの不可能性定理などで知られる社会的選択理論とも共通する重要な問いのはずだ.
B 個人的価値の情報的基礎が問題とされる点でも,二つの理論は共通するね.はたして個人の回答が表すものは,本人の行為や選択の断片なのか,それとも潜在能力そのものなのか,あるいは,個人の私的選好なのか,帰属集団への適応的選好なのか,それとも本人の公共的判断なのか.何が「真」であるかは,これらに依存して違ってくる可能性があるね.
A その通り.実のところ,統計のデータは当概調査の回答者と,回答者に問いかける調査者,さらには,背後にある公共との対話を通して,構築されていく.いかに単純な量的調査であっても,回答者は,自分が,なぜ,どのように答えなくてはならないのか,と自問せざるを得なくなる.この対話的側面が無視された統計は,「真」の隠ぺいに手を貸しかねない.その点では技術も,科学も一緒であるけれど.いったいどうしたら,それを防げると思う?
B 難しいね.例えば,いま,公による「真」の封じ込みを防ぐ方法を提示したとする.それが,どんなケースにも当てはまりのよい方法だとすると,今度はその方法自体が,「真」を封じ込めることになりかねない.ハイデガーが言うように,技術も,科学も一定の方法的論拠をもつことが正統性の「証」とされてきた.疑うべきは,そこで「証」とされる一元的・完備的な方法であり,避けるべきはそれを求めてしまう姿勢ではないだろうか.
A そう.何にでも当てはまる方法を求めたら危ない.解きたい問題に見合った方法を見つける必要があるね.ところで,いま,解きたい問題は,親密圏で高まった圧力が取り返しのつかない事故につながる前に,被害者を逃がすことだった.潜在的な被害者を救うことができれば,潜在的な加害者が現実の加害者になることも食い止められる.
B なるべく日常を壊さずに,親密圏を公共圏に開くツールが「くるくる廻る公共車」というわけか.
A そう.もちろん,制度的な公共機関に従事するソーシャル・ワーカーの賃金と定員の増加は喫緊の課題だ.警察や学校等,異業種間の連携,そして,民法の懲戒権や扶養義務に関する規定の改革も.公共車は潜在的被害者の視点からそれを補完する.
B なるほど.では,具体的に聞くね.ドライバーは屈強の男性でないとだめなのかな?
A そんなことはない.例えば,生活保護すれすれの生活だけど,車を手放せない人,ストーカーに追われ,一時保護施設を転々としている人,パートナーの暴力から,自分はおろか,子どもを守ることもできなかった人,そんな女性たちが多く応募してくるだろう.
B 訴えるぞ,などと恫喝される心配はないだろうか?
A ある.でも,そういう女性たちの方が,恫喝ごときで慌てることがないんだ.あっ,決して慣れているわけじゃない.そんなものに慣れられるわけがない.ただ,彼女たちは,法やら権威やらをちらつかせて,支配しようとする人の内面的な虚しさを,いやというほど知っている.だから黙ってアクセルを踏むだろう.
B なるほど,またしても捕われかねない「支配」の網から,だれかを逃がし,自分を逃す.「くるくる廻る公共車」は,「公」を越え,「支配」を越え,市場原理を越えて,個々人の公共的な観念それ自体を豊かにする可能性を秘めてるね.
A その通り! 例えば,「一橋大学アウティング事件」(3)のとき,彼が,六階から空へと飛ぶ前に,彼を乗っけて,別のところにいるだろう彼の潜在的友人や理解者のもとに運ぶことができたかもしれない.そうやって,「公」がさりげなく,「私」たちを引き合わせることもあるんだ.
B 確かに.事件の直後に,市や大学で「アウティング禁止」を含むLGBT条例ができたけれど,彼の妹さんが言うように,その意味を考える作業がわれわれに残されたね.〈それは,だれによって語られるべきことなのか,だれから聞かされるべきことなのか〉,私とあなた,そして公共との関係がつきつけられた.
A 「事実としての差異」に気づかせられた個人が,驚いたり,戸惑ったりしながらも,「規範としての平等」を形成するためには,公共的判断と討議が不可欠となってくるね.ジョン・ロールズがいうように,客観性とは「思考の公共的枠組み」に他ならない.個人は,私的利益を追求し,さまざまな社会的関係を結ぶと同時に,公共的判断を形成できるはず.
B その個人の公共的判断の形成に人文学・社会科学は寄与するね.個人が自分自身の内奥にいつでも立ち返ることのできる港を,人文学・社会科学の作品は用意できる.
A その通り.政策に役立つことが,学問研究の最終目標ではないからね.政策が役立つものとなること,少なくとも「真」を踏みにじらないものとすること,問題を見破り,未来を展望する人々の公共的判断を揺さぶるもの,それが社会科学の任だと思う.
(1) 詩のなかの思想――詩人はその思想をリズムの車に乗せて華々しく連れてくる.通例それらの思想は歩くことができないからである(ニーチェ『ニーチェ全集 第六巻 人間的な,あまりに人間的な――自由なる精神のための書』浅井真男訳,白水社,一九八〇年,一八九頁,また,アレント『責任と判断』ジェローム・コーン編,中山元訳,ちくま学芸文庫,二〇一六年,一六五頁も参照のこと).
(2) NPOなどを実施主体として,市町村自治体の責任で,要支援・要介護・障害者など公共交通の利用が困難な人々に対して,安価な料金で輸送サービスを提供する会員制の事業を指す.
(3) 法科大学院生がゲイであることをLINEで明かされた後,ハラスメント委員会などに相談するも,自死に至ってしまった事件.大辞林によれば,アウティングとは「他人の秘密を暴露すること.他人のセクシュアリティーを暴露する場合に多く用いられる」とある.