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『科学』2019年8月号 【特集】新たな安全神話を生まないために

 ◆目次◆

葬られた津波対策をたどって……島崎邦彦

東電の「悪質さ」に目をつぶった日本学術会議報告 ……添田孝史

内陸地震にたいする原子力発電所の安全性と理学・工学問題……石橋克彦

[コラム]「東京電力柏崎刈羽原発再稼働問題」ウォッチ

 積み残されたままの原発事故原因・事故分析その(3)……田中三彦

甲状腺検査の評価は適切か

 福島県における甲状腺検査の諸問題II……濱岡 豊

 先送りされた甲状腺がんの男女比問題……平沼百合

 3.11以後の科学リテラシー……牧野淳一郎

巻頭エッセイ

人工知能と哲学……長尾 真

[連載]

【新連載】里山考――失われゆく「豊かさ」をみつめて〈1〉 草原を維持する労力……永幡嘉之

「米」遊学〈8〉 風味が込められた米麺づくり……大村次郷

これは「復興」ですか?〈29〉 8年後の牛舎……豊田直巳

手紙がひらく物理学史〈11〉 三村剛昴と,原爆被災した理論物理学研究所の再建……有賀暢迪

利他の惑星・地球[生命編]〈5〉〈プログラムされた自己解体〉は仮想か実在か(1)判明をこばむ牙城たち……大橋 力

ちびっこチンパンジーから広がる世界〈212〉人類が水中の食物を食べる起源:野生チンパンジーの水藻すくいとサワガニ採集……松沢哲郎,カテリーナ・クープス

広辞苑を3倍楽しむ〈104〉発熱……稲葉靖子

[科学通信]

〈リレーエッセイ〉地球を俯瞰する自然地理学 同位体トレーサーで俯瞰する水の循環……山中 勤

〈コラム〉東京電力原発事故の情報公開 ベテランにも広がる放射線管理の甘さ……木野龍逸

 

 

 表紙=盛田亜耶 「最後の晩餐――イエスの手Ⅱ」2018年 54.0×74.3 cm 切り絵,アクリル絵具   

photo by Tomonori OZAWA, courtesy of gallery ART UNLIMITED

表紙デザイン=佐藤篤司 本文イラスト=山下正人 連載「利他の惑星・地球」タイトル・デザイン=木下勝弘 

◆巻頭エッセイ◆

人工知能と哲学

長尾 真 (ながお まこと 元京都大学総長,元国立国会図書館長)

 人工知能研究は人間頭脳の働きをコンピュータ上でどこまで実現できるかという立場から戦後まもなく始まった.外界世界の認識,言葉の理解,問題解決や学習など,人間が日常行っている知的な処理・判断をコンピュータで実現できないかという課題である.これは頭脳の働きを概念レベルでどこまで記述できるかという問題でもある.

 人間の脳の構造と働きについては,これまでほとんど解明されてきていない.脳の働きはあまりにも複雑で,それを解明することは医学・生命科学の立場からはニューロンに関する研究があるくらいで,我々が頭脳の働きと考えている概念レベルのものと結びつくところまでには大きな距離がある.一方,心理学,認知科学からは右脳,左脳の働きの違い,大脳皮質,大脳基底核,…,あるいは小脳など,脳の各部分の機能についてある程度のことがわかってきているが,脳の働きの概念レベルでの把握との間にはまだ隔たりがある.

 このような状況に対して,古代ギリシャから今日までの西洋哲学では,頭脳の働きの概念的把握について様々に考察され議論されてきており,今日の人工知能の構築に関して参考になることが多い.したがって人工知能の研究開発に携わる我々は心理学,認知科学の成果とともに,こういった哲学議論を知ることが大切であろう.プラトン,アリストテレスからカント,ヘーゲルまでの哲学の流れは思考の働き,論理的判断など,いわば前頭葉の働きの議論が中心であった.19世紀中葉のキルケゴールになって心の問題の重要性に哲学の関心が移り,20世紀前半はフロイトやユングなどが活躍した.一方,哲学議論をできるだけ厳密にすることが大切であるという立場から言語とは何か,言語のもつ意味とは何か,記憶や判断のプロセスは記号論理の世界で扱えないかといった方向にも発展した.これはウィトゲンシュタイン,ラッセルから始まって,クワインなど米国における哲学の中心課題となった.

 人工知能研究では外界世界の認識,言語の理解,記憶と知識,学習などが重要課題となっているが,これらはすべて哲学の主要課題のさらなる厳密化の流れの最先端と位置づけることができるだろう.哲学の認識論はパターン認識の分野に対応し,言語の理解は言語情報処理や機械翻訳,記憶と知識はデータベースや知識システムなどといった分野に対応する.ただ最近急速に発展してきた学習理論とコンピュータにおけるそのモデル化については哲学ではほとんど取り上げられてこなかった課題であり,情報学あるいは人工知能におけるユニークな成果であるといえる.

 デカルトがそれまでの哲学議論から自然科学を切り離し独立させる原動力となって以来,自然科学とその応用が極端に発達し,今日の文明を築きあげてきた.しかし自然科学は価値中立という信念からか,人間や社会にとって大切であり,哲学にとっても重要課題である価値という概念が無視されてきた.これからは,人間の感性や心の働きを人工知能に導入することや,人間以上に強力な推論・学習能力をもつ人工知能を暴走させない方法,人間のもつ価値観や道徳心を人工知能に埋め込む方法など,人工知能はあくまでも人間や社会のための道具であるという立場から検討することが求められているのではないだろうか.

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